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番外編「黄昏時にだけ現れる幻の体育倉庫があるらしい」

4.眠れぬ夜

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「ひばりちゃん、大丈夫? 嫌いな物とかないかしら?」
「いいえ、大丈夫です。とても……おいしいです」

 綾里家の食卓はひばりちゃん――正確にはひばりちゃんに変装した孔雀くんを迎えて、実に和気あいあいとした雰囲気に包まれていた。
 本日のメニューは焼き魚とほうれん草のおひたし、豆腐とわかめの味噌汁に納豆と焼きのりという、これ以上ない「古き良き日本の晩御飯」だ。
 正直、心ちゃんはハンバーグだとかオムライスだとかの方が好きなのだが、両親がこういった素朴な和食が好きなので、綾里家の夕食にはこの手のメニューが多かった。

 ひばりちゃんに扮する孔雀くんは背筋をピンと伸ばし、無駄のない所作でそれらを口にしていく。箸使いもとても美しく、焼き魚など心ちゃんが今までに見たことがない程きれいに食べられていた。
 どこからどう見ても「いい所のお嬢様」といった風情だ。
 けれども――。

(……よく見ると、やっぱり孔雀くんなんですよね~)

 カツラや化粧で上手く化けているが、やはり孔雀くんは孔雀くんだった。殆どひばりちゃんに会ったことのない心ちゃんのお母さんや、初対面である心ちゃんのお父さんは騙せているが、ひばりちゃんと孔雀くんをよく知っている人には通用しないだろう。

 それでも、最初に見た時に「まるでひばりちゃん本人だ」と心ちゃんが思ってしまったのは、恐らくその「所作」故だろう。
 喋り方や声のトーン、体の動かし方や他人との目線の合わせ方など、それらの動き一つ一つが「本物のひばりちゃんならこう動くだろう」と思わせるものなのだ。
 言ってみれば「雰囲気」が似ているのだ。

 加えて、長い黒髪のカツラは顔の一部を隠すのに役立っているし、ひばりちゃん愛用の着物も見事に着こなしているので、実に見事な化けっぷりだった。
 知らない人に「この人は実は男の子なんです」と言っても、恐らく信じてもらえないだろう。そのくらいの美少女ぶりだ。

 ――その変装のあまりの上手さに、心ちゃんの中には一つの疑念が生まれていた。
 「孔雀くん、ひばりちゃんに化けるの初めてじゃないのでは?」という疑念が。初めてチャレンジしたにしては、クオリティが高すぎるのだ。

(……深く考えるのはやめよう)

 なんとなく、そのことについて追及すると知りたくなかった事実に辿り着いてしまいそうな予感がして、心ちゃんはそれ以上考えるのを止めた。

   ***

 今回の「お泊り」の名目は、「上級生が行方不明になったことで不安を感じている心ちゃんを心配して、ひばりちゃんが泊まりに来てくれた」ということになっている。
 心ちゃんが怖がりなのは事実なので、その点は両親も納得してくれていた。心ちゃんとしては複雑な気分ではあったが、突然のお泊りともなると許可してくれない親もいるだろうから、助かったのも事実だった。

 それに、心ちゃんの家に友達がお泊りするのは、これが初めてではない。仲の良い友達を呼んで一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、同じベッドで寝る――綾里家では、年に何度かあるお馴染みのイベントなのだ。
 そういった事情もあって、心ちゃんの両親はひばりちゃん(に化けた孔雀くん)を快く迎えてくれたのだが――。

「ひばりちゃん、バスタオルはこれを使ってね? シャンプーやコンデショナーは大丈夫?」
「……はい。髪のお手入れは家でするので、大丈夫です。何から何まで、ありがとうございます」
「他にも何かあれば気軽に呼んでね?」

 娘の友達の世話を焼くのが楽しいのか、心ちゃんのお母さんは入浴の手はずを一から十まで整えて、ようやく脱衣所から出て行ってくれた。
 後に残されたのは、心ちゃんと孔雀くんの二人きりである。

「え~と。じゃあ、二人で仲良くお風呂に入ってるフリをしないといけないんですけど~。どうしましょうか?」
「どうするって……交互に入れば良くないかい?」
「ウチ、浴室のドアは中から鍵がかけられるんですけど、脱衣所のドアには鍵がないんですよ~。しかもうちのお母さん、ノックと同時にドアを開けて声かけてくる癖があって……」
「ああ、なるほど……」

 片方がお風呂に入っている間、もう片方が脱衣所で待機していればいい――そう甘く考えていた孔雀くんだったが、どうやらその手は使えそうになかった。
 どちらかが一人で脱衣所に待機しているところを見られたら、流石に不審に思われるだろう。

「じゃあ、こうしようか。まず僕が服を脱いで浴室に入る。心ちゃんは僕が浴室の中にいる間に服を脱いで……それからバスタオルをしっかり体に巻き付けて、浴室に入ってくる」
「それしかない……ですかね? あ、あたしが脱いでる間、絶対に脱衣所の方見ないでくださいね~?」
「見ないよ。そこは僕は信じて欲しい」

 浴室のドアは、その大部分が半透明だ。ぼんやりとではあるが、反対側が透けて見えるようになっている。精々が身体の輪郭くらいしか分からないだろうが、心ちゃんはそれすら恥ずかしかった。

「それで、浴室の鍵をしっかりかけて、心ちゃんが体を洗ったり浴槽に浸かったりしてる間、僕は浴室の隅っこでずっと壁の方を見ている……僕が体を洗ったりする時はその逆。というのでどうだろうか?」
「むぅ~。結局それって、孔雀くんが覗き見ないこと前提ですよね~?」
「だから見ないって。僕ってそんなに信用ない?」

 「困ったなぁ」と、ひばりちゃんそっくりの恰好で頬をかく孔雀くん。その姿はなんだか酷く倒錯的なものとして、心ちゃんの目に映った。

「ん~、本当に見ないでくださいよ?」

 このままでは埒があかない。そう考えたのか、それとも何か別の感情があったのか、心ちゃんはようやく孔雀くんの案を受け入れることにした――。

   ***

『はぁ~、どっとつかれた~!』

 ――そして数十分後。二人の姿は心ちゃんの部屋にあった。
 二人ともパジャマに着替えていて、その体からはほんのりと湯気がたっている。頬はどちらも桜色だ。

 結局、孔雀くんが心ちゃんの裸を盗み見るようなことはなかったが……逆に心ちゃんはちょっとした出来心から孔雀くんの裸をチラリと覗き見てしまい――見事に孔雀くんと目が合ってしまっていた。
 そのせいで、何となく気まずく、過剰な気遣いをしながらのお風呂タイムになってしまったのだ。気苦労も二倍だった。

「まさか、心ちゃんに汚れない僕の体を見られることになろうとはね……」
「も、もう! さっき謝ったじゃないですか~。それに、それを言ったら孔雀くんだって、あたしがバスタオル巻いて浴室に入った時、むっちゃ見てましたよね? あたしのむ、胸の辺りばっかり……」
「むぅ……それについては、なんとも申し開きのしようがないというか……あまりにもで呆気にとられたというか」

 心ちゃんの、小学五年生とは思えない大きな胸のふくらみを思い出してしまったのか、孔雀くんの顔が桜色を通り越して溶岩のように真っ赤に染まった。
 それを見て、心ちゃんの顔も同じく真っ赤になる。予想以上に逞しかった孔雀くんの肉体を思い出してしまったのだ。

「……お風呂でのことは、もう忘れませんか~?」
「……そうしよう」

 お互いに苦笑いしながら頷きあうと、二人はこの夜を越える為の準備を開始した。

 孔雀くんはカツラとパジャマを脱いで、手早く自分の服に着替え始めた。
 心ちゃんの部屋のドアには幸い鍵が付いているので、いきなり開けられることはない。堂々と着替えることができた。

 この後、部屋の明かりを落としてから孔雀くんはこっそり綾里家を抜け出し、自分の家に帰る手はずになっている。そのままお互い自分の家で夜を明かし、早朝の人通りが少ない時間に孔雀くんが再び心ちゃんの部屋に戻ってきて変装し直し、「ひばりちゃん」として家を出るのだ。
 それで、ひばりちゃんの不在をごまかすことができるはずだ。

 ネックとなるのは、やはり孔雀くんが部屋を抜けだす時と、戻ってくる時だろう。心ちゃんの部屋は二階にあるので、上り下りはかなり大変だ。
 加えて、心ちゃんの両親や近所の人、通行人などに上り下りしている姿を見られないようにしなければならない。もし見つかってしまえば、そこから様々なウソがばれてしまうことだろう。

「この計画、かなり綱渡りですよね~」
「そうだね、それは分かってる。でも、だからこそ皆を騙せるのさ。『まさかそんなことを』って思われるような手段を使った方が、嘘はバレにくいんだ」

 ニヤリと不敵に笑う孔雀くんの表情は少し悪役じみていて、心ちゃんにはそれが、何だかとても愉快なものに思えた。

  ***

 夜九時。いよいよ計画が実行に移された。
 孔雀くんは名探偵というよりは怪盗よろしく、音もたてずに窓から外へ出て、器用に地上まで下りていってしまった。驚くべき技だった。

 心ちゃんのベッドの上には、クッションとカツラで作った「偽ひばりちゃん」と、ひばりちゃんが孔雀くんに託していたスマホだけが残された。
 「偽ひばりちゃん」は、万が一部屋の中を見られた時の保険、スマホはひばりちゃんの「実在証明」として位置情報を残す為のものだ。
 万が一、孔雀くん達の両親がひばりちゃんの位置情報を確認しても、きちんと心ちゃんの家にいるように見える訳だ。

「はぁ~……」

 「偽ひばりちゃん」と一緒にベッドに横になりながら、心ちゃんはその日一番大きなため息を吐いた。
 計画が上手くいきそうでほっとしたのもある。黄泉の穴へ向かったひばりちゃんとクロウさんへの心配もある。けれども、ため息の一番の原因は、もう少し違うものだった。

 今回の計画がスムーズに進んだ一番の要因は、悲しいことに「八重垣家の両親のひばりちゃんへの無関心」だった。
 同じ学校の児童が行方不明になっているというのに、ひばりちゃんの両親は彼女が外泊することをあっさりと許している。孔雀くんのお墨付きがあったとはいえ、普通の親ならばもっと心配し難色を示すはずだ。

 おまけに心ちゃんの手元に残されたひばりちゃんのスマホには、両親からのメッセージの一つも届いていない。「無事に着きましたか?」だとか「明日は何時に帰りますか?」だとか、確認の連絡の一つや二つあってもいいはずなのに。

 つい先日、ひばりちゃんから聞いた昔話を思い出す。
 お化けが視えてしまう少女と、それを信じてくれない母親のお話を。

(もしかして、ひばりちゃんとお母さんの関係は、今でも上手くいってないのかなぁ~?)

 口には出さず、心ちゃんは今や一番の親友と言える年上の少女のことを案じた。
 明日は早朝に孔雀くんを迎え入れなければいけないから、早く寝ないと駄目なのに。そう思いつつも、心ちゃんは眠れぬ夜を過ごすのだった。
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