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番外2.眠り姫は愛しい匂いに包まれる

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 藤堂が、2泊3日の出張に出かけた。
 公式のミサイル発射試験に立ち会うためなのだが、本来ならば営業である藤堂がついて行く必要は全くない。
 それなのに何故藤堂にお呼びがかかったのかといえば、冬夜の古巣である事業部の部長から、「話題が豊富で、人当たりがよく、尚且つ車の運転が上手い奴を一人貸してくれ」と頼まれたからだ。

 ミサイル発射試験は山奥の演習場で行われる為、移動手段は全て車になる。
 しかも、かなりの悪路を移動するので、大型の四輪駆動車でないと走行できない。
 大型四駆車を自由に操り、話題豊富で人当たりが良い、という条件に当てはまる人物が冬夜の部下に二人いるのだが、二人とも寒い時期の山奥への出張を嫌がってお互いに押し付け合っていた。
 結局、後輩である藤堂が折れたようだ。
 山口は、行かずに済むことにほっとしているようだったが、しばらくしてからこっそりと、何故か冬夜に謝りに来た。
 仕事なんだから、そんな事気にしなくてもいいのに。

 藤堂がいない最初の夜は、寂しさを感じながらもゆっくり過ごすことが出来て、有意義な時間を過ごせた。
 テレビを見ていると膝枕を要求する鬱陶しい男もいないし、食事も適当に外で済ませて帰って来たので、ごちゃごちゃと作ったり片づけたりせずに済んだ。
 乱入される心配もなくゆっくりと風呂に入り、普段は「飲むな」と言われているビールにもこっそり手をだして、酔いに任せてベッドへダイブ。
 そのまま朝まで眠ってしまい、藤堂からのしつこいモーニングコールで、自分が目覚ましすらかけていなかったという失態を犯したことに気付いた。

 二日目の夜。
 今まで一人暮らしだったのだし、楽勝だ!
 と思っていたのに、つい最近一緒に暮らし始めたばかりの男の存在が、自分の中でいかに大きかったのかということを、僅か二日で思い知らされた。
 朝出勤してから、いや、その前から。
 なんとなく藤堂の姿を探して視線をさ迷わせること数十回。
 家に帰っても一人だという事がわかっているので、はりきって残業などしてみたのだが、グループメンバーが早々と帰宅してしまったことで余計に寂しくなり、結局いつも通りに会社を退散してきた。
 もともと夕食は沢山食べる方ではない。
 簡単にパスタを作ってテレビを見ながら食べたあと、さっさと風呂に入り、音のない寂しさに耐えられずにまたテレビをつける。
 うるさいからテレビは嫌いだったはずなのに。

 くちゅん。
 一人きりでいると、この家は寒い。
 ソファに置きっぱなしになっているひざ掛けにくるまってみると、そこからふわりと、自分とは違う匂いが漂った気がした。
 クンクンと匂いを嗅いでみるものの、かすかに掴み取ったはずのそれは消え去り、もうわからなくなってしまった。

 もっと、わかりやすいもの。

 冬夜は立ち上がり、ふらふらと何かに引き寄せられるように寝室に向かう。
 毛布、がいいかな。
 ベッドの脇に立ち、ズルズルと毛布を引きずり出し、鼻に当ててみる。

 違う。藤堂の匂いもするけれど、自分の匂いもする。

 ポイっと毛布を放り出し、クローゼットに向かう。
 がばりと大きく扉を開け、仲良く並んでいる自分のスーツと藤堂のスーツを眺める。
 並べるとよくわかる。大きさが全然違う。
 冬夜エリアと藤堂エリアの境目に仲良く並んでいるスーツは、大きな藤堂に小さな冬夜が寄り添っているようにも見える。
 そんな妄想をしたことが恥ずかしくなり、冬夜はぱっと顔を赤らめる。

 妄想を打ち消すように首を振り、ええと確か、出張に出る前に藤堂が来ていたのは……と、チャコールグレーのスーツを手に取った。
 上着だけをハンガーからはずし、くん、と鼻先に近づけ匂いを嗅ぐ。
 これだ!と冬夜はにんまりとする。
 スーツは、その人の体臭が移りやすい。
 なんともいえない、男くさいいい匂い。
 女性は、自分と違う遺伝情報を持つ男を匂いで嗅ぎ分けるのだという。
 男の冬夜にその能力があるかどうかはわからないが、とりあえず藤堂の匂いはいい匂いだと思う。
 この匂いに包まれると、とても安心する。
 
 スキップしそうになるのを意志の力で食い止め、なんとか大人しくリビングにたどり着くと、つけっぱなしのテレビの前に、ころん、と横になる。
 床暖房がついてるから、ラグだけでも寒くはない。
 でも、何か羽織らないと肌寒いんだ、と自分に言い訳をして、そっと藤堂の上着に包まれてみる。
 
 やっぱり大きいな、と思う。
 鼻先までもってきて、すぅと息を吸うと、途端に藤堂の匂いに包まれた。
 うわ、結構幸せかも。
 これ、大好きな匂いだ。

 体にかけたスーツをぎゅうっと握りしめ、そのまま頭にずぼっとかぶって、ラグの上をゴロゴロと転げまわる。
 そういえば、実家の猫のマル(♂)が、冬夜の父の脱いだシャツが妙に好きで、脱ぎたてほやほやのシャツの上に乗って丸くなったり、前足を揉み揉みさせていたりしたけれど、今ならマルの気持ちがわかるかも。
 揉み揉みはしないけど、ぎゅーって握りしめて、匂いを吸い込んで、それから包まれて……

「冬夜さん。何やってるのか、聞いてもいい?」

 ……幻聴かな。藤堂の声が聞こえた気がするけど。
 いやいや。
 出張は二泊三日の予定だし。
 今日はまだ二日目だし。
 いるはずがない。
 とうとう寂しさのあまり、幻聴が聞こえたのだ。
 それとも、冬夜が手にしているスーツがしゃべったのだろうか。
 ぴょん吉くんならぬ、隆一くんがプリントされちゃったりしてるのだろうか、このスーツ。

 とりあえず、藤堂の上着を頭にかぶったまま、スーハーしてみる。
 うん、やっぱりいい匂い。
 布地の独特な匂いにまざって、いつもの藤堂の匂いがする。
 はぁ、これこれ。

「冬夜さん?」

 不審そうな、それでいて笑いを含んだような、藤堂の声がやっぱり聞こえた気がする。
 
 冬夜の視界は、藤堂のスーツを頭からかぶっているので、現在真っ暗闇だ。
 その向こうの景色を、見たいような見たくないような……。

 体の動きを止めて、音の出どころを探っていると、聞きなれた足音が聞こえた気がした。
 足音は冬夜のすぐそばで止まって、それから、じっと見られているような感じがする。

 もしかして、幽霊???
 冬夜があんまり寂しいと思っているから、心配した藤堂の生霊が現れたのだろうか。
 いやいや、生霊なら足音しないはずだし。

「そろそろ、顔を見せてくれませんか?」

 あなたの顔が見たいから、せっかく予定を縮めて早く帰ってきたのに……とつぶやかれ、かぶっていた上着に手をかけられる。
 
 その瞬間、冬夜は気づいた。
 
 もしかしなくても、藤堂が帰ってきている。
 そして、今の恥ずかしい冬夜の行動の一部始終を、見られていた。

 ……もうダメだ。
 冬夜の人生は、今、ここで終わった。
 これからは、変態瀬川くんとしての人生を歩むことになるのだろう。

 よりによって。
 恋人の留守に。
 恋人の服の匂いを嗅いで寂しさを紛らわせていた、だなんて……!

 藤堂でなくとも、ドン引き確定。

 冬夜は、藤堂の上着を頭にかぶったまま、その場でくるんとダンゴ虫になった。
 ああ、いますぐここに神話のゴルゴン三姉妹が現れて、冬夜を石に変えてくれないだろうか。

「また丸くなる攻撃?もういい加減かわいすぎるよ、それ」

 脇の下に腕をつっこまれ、そのままぐいっと持ち上げられる。

「ぎゃーっ!!!やめろっ!離せっ!!!」
 暴れる冬夜にかまわず、藤堂は両足で挟み込むように羽交い絞めにして、頭のスーツを剥ぎ取った。
 新鮮な空気が胸いっぱいに入り込んできたが、そんなものは欲しくない。
 イヤイヤと暴れまわると、「しー。夜遅いんだから、静かに」と、頭上から低い声が降って来る。
 もはや条件反射で、そうされると大人しくならざるを得ない冬夜は、体の動きをピタリと止め、せめて、と体を瞬時に回転させて、藤堂の腕の中に隠れ場所を求めて小さくうずくまった。

「お、今度はだっこ虫?忙しいな、冬夜さんは」
 コートの中に潜り込むように顔をうずめた冬夜を見て、藤堂が笑う。
 なんと言われようとも、今、この顔を見られるわけにはいかないし、藤堂の顔を見るわけにもいかない。
 どうぞ、変態くんの烙印を押してくれ。
 だけど、羞恥に真っ赤に染まっているだろう情けない顔だけは、絶対に見られたくない。
 
「おかえりは言ってくれないの?」

 イヤイヤと首を振ると、藤堂が笑って冬夜の背中を撫でさすった。

「寂しかった?ごめん」
「…………」
「ひとりぼっちだったもんな。毎日毎日これでもかってほどくっついてるのに、そりゃ寂しいよな」
「…………」
「俺の匂いが恋しかった?」
「………うん」

 俺も、冬夜さんの匂いが恋しかったよ、と、首筋に鼻先を押し当てられる。
 首筋、耳の後ろ、こめかみ。
 擦り付けるように藤堂の高い鼻があたり、その後を唇が辿る。
 頬に唇が押し付けられた後、そのまま唇を塞がれて、体がしなるほど強く抱き締められた。
 
「ただいま」
 鼻先を擦り合わせながら、藤堂が笑う。
「おかえり」

 そのまま服を脱がされたけれど、文句なんて言えるわけがない。
 引き締まった男の熱い体に腕を絡めて引き寄せ、首筋に鼻を擦りつける。
 やっぱり、スーツについたものとは違う。
 藤堂からは、時折どうしようもなく冬夜をドキドキさせる匂いがする。
 その匂いを嗅ぐと、体の中心がきゅんとたまらなく疼く。

「また嗅いでるだろ」

 くすり、と藤堂が笑うけど、もう気にしない事にする。
 だって、藤堂が嬉しそうにするから……
 
「今度は脱ぎたてのシャツでも置いて行こうか?」
「……いらない」

 いらないから、今度も早く帰ってきて欲しい。
 
 そう思いながらしがみつくと、ちゃんとわかったらしい藤堂が、大きな手で冬夜の頭を包み込んで、やさしいキスをしてくれた。
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