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癒しの心

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 記された文字を見たジョシュアは微笑む。
 これで契約は成立した。

 「さて、そろそろ寝るか。明日は早くから仕事がある」
 「ええ、おやすみなさいませ」
 「おやすみ」

 挨拶を交わし、ジョシュアは部屋を出た。
 残されたマイアは一人、椅子の上で身悶える。

 (あ、あんなに優しい言葉をかけてくださるとは……!)

 マイアにとって、ジョシュアの優しさは劇薬だった。
 こんなにも優しくされたことがないので、どうすればいいのかわからない。

 「でも、悪い気はしないわ」

 こうして、婚約から二人の生活が始まったのであった。



 マイアは部屋を出て、まっすぐに自室へと向かう。
 どこか浮立った心で。

 公爵家に嫁いで初日。
 まさかここまで素晴らしい環境が待っているとは思わなかった。
 あとは二度とハベリア家に戻らないように努めるだけだ。

 「……あら?」

 長い廊下の中央に、一人の少年がうずくまっていた。

 「アランさん?」

 アランの傍には割れた皿。
 彼はまっしろなハンカチで指を抑えている。
 布地には血が滲んでいた。

 「マイア様。お見苦しいところをお見せしました。
 心配は不要です、皿を落としてしまっただけですので」
 「いけないわ、すぐに治さないと!」

 マイアは即座にアランのもとへ駆け寄る。
 彼の指に手をかざし、いつものアレをする。

 「いたいのいたいの、とんでけ!」

 おまじないを。
 マイアは昔のことを思い出していた。
 実家で家事手伝いをしていた時、皿を割ってしまって両親やコルディアに怒られた記憶がある。その日は夕食が抜きになり、罰として一日中掃除をさせられた。

 そんな辛い記憶が、余計にアランの怪我を見すごせない原因となっていた。

 「こ、これは……!?」

 みるみるうちにアランの傷口は塞がっていく。
 彼は刮目して痛みが引いていく様子を体感していた。

 数秒後には完全に傷口は塞がり、むしろ全身の調子がよくなった気がする。

 「マイア様、今のは?」
 「おまじないよ。お母様から教わったの。辛いことがあった時とか、けがした時とか……このおまじないをかけると、元気になれるの。調子はどう?」
 「は、はい! 素晴らしく快調になりました。ありがとうございます……!」

 感謝を述べるとともに、アランは深く考え込んでいた。
 このマイアの力は尋常ならざるものだ。
 本人は気づいていないようだが、知れ渡ればかなり大きな問題になる可能性がある。

 (ジョシュア様に報告しておくべきか)

 もしもハベリア家がマイアの能力を知っていたのならば、ハベリア家は相当な間抜けだ。
 この驚異的な治癒能力を前にして、マイアを手放すなどあり得ない。

 おそらく知らなかったのだろうが……

 「マイア様、ありがとうございます。
 それと、おまじないに関しては他言なさらない方がよろしいかと」
 「そういえばお母様から、信用できない人には見せないようにと言われてたわ。
 でもアランさんは信用できると思うの」
 「光栄です。本当にありがとうございました。ごゆっくりお休みくださいませ」
 「ええ、おやすみなさい」

 アランは深々と礼をしてマイアを見送る。
 すぐに皿を片付け、ジョシュアの執務室へと向かった。

 ***

 「それは本当か?」
 「ええ、間違いありません。僕がこの身で体験しましたから」

 アランの報告を受けたジョシュアは、眉間に皺を寄せて考え込む。

 「ハベリア家について調べるに当たって、マイア嬢の能力を家族が把握しているかどうかも調べてくれ」
 「もちろんです。ただ、治癒能力があることを知った上で、悪評のあるジョシュア様に嫁がせるとは考えられませんね。はたしてどの程度、治癒できるのかは不明ですが」
 「俺がマイア嬢にそれとなく尋ねておこう。
 おまじないとやらを他言しないように、改めて釘を刺しておく必要があるな」

 仮にマイアの治癒能力がジョシュアの想定どおりのものであれば、これはかなり重要な案件だ。
 アラン曰く、外傷だけではなく体調を整える効力もあるという。
 そんな術は前代未聞。

 ハベリア家の見る目のなさに呆れつつも、マイアがハベリア家に悪用されなくてよかったとも思う。

 「失われたはずの治癒能力……いや、まさかな……」
 「……仮に『おまじない』を求めて争いが起こりそうだったら?」
 「隠す。これ以上、彼女を酷い目には遭わせられん」
 「承知しました」

 ジョシュアは何としてもマイアを守るつもりだ。
 今後、彼女の能力を狙って誘拐などされるかもしれない。

 より一層、傍にいる必要があるとジョシュアは思い直すのだった。
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