マッチ売りと騎士

ぬい

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【4】食事のお礼

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 この日、ギルは竈を使って、ココットを作ってくれた。それを味わいながら、ルナは椅子に座っている。ギルもその正面に座っている。ギルは頬杖をついて、ルナを見ていた。本当に痩身で、心配になる。

「ギルは優しいのね!」
「餌付けに成功していて、我ながら自分を労いたい」
「餌付け……」
「どうして俺が餌付けをする事にしたか、分かるか?」
「どうして?」
「……もう少し、お前は大人になるべきだ」

 片想いに気づかれないギルは、投げやりな気分になっていた。交わされているのだろうかと悩んでしまうほどだ。しかしルナは純粋に分かっておらず、単純にギルが良い人なのだろうと考えている。

「姿ばかり大人になっても仕方が無いんだ。その……だから……」

 ギルは再び髪型を褒めようとしたが、失敗した。ルナは、首を捻っている。それから思い出して、外套をギルに渡す事にした。

「これ、返すね」
「別に良い。冬の間、貸してやる」
「え? 良いの?」
「ああ。その代わり、俺が王都にいる時は、毎日俺に花を売ってくれ」

 その言葉に、ルナははにかむように頬を持ち上げてから、小さく頷いた。魔法植物は自宅のものなので販売実績にはならないが、売り込みの練習にはなるかもしれないと考える。

「私ね、売り込みの練習をする事にしたの」
「売り込み、か」
「練習させてくれない?」
「構わないが」

 頷いたギルベルトを見て、ルナは立ち上がった。そして魔法植物の薔薇の鉢植えを一つ持ってくると、テーブルに置いた。それからギルに顔を近づける。

「綺麗な薔薇なんです! 買って下さい」
「……ダメだ」
「え」
「距離が近すぎる。俺は良いが、他の男に、そんなに近づいてはダメだ」

 焦ってギルが述べると、ルナが目を丸くした。それを見ていたら、抑えきれなくなって、ギルは立ち上がった。ルナよりもずっと背が高いので、それから少し屈んでルナを覗き込む。真正面にあるギルの顔に、ルナは硬直した。どんどん唇が近づいてくる。それは――触れ合う直前で止まった。

「お前は恋人にしか、キスを許さないんだったな?」
「う、うん……」
「あんなに近寄ったら、まるでキスをしてくれと言っているかのようなものだ」

 それを聞いて、ルナは赤面した。そんなつもりは、全く無かったからだ。その赤い顔があんまりにも愛おしくなって、衝動的にギルはルナを抱きしめた。前回とは異なり、優しく回された腕に、ルナは呆然とした。ギルの体温は優しい。硬直したままで、ルナは目を見開く。一気に恥ずかしくなってきて、額をギルの胸に押し付けて、顔を見られないようにした。するとギルが腕に力を込めて、ルナをより強く抱き寄せた。

「だから、俺以外には、近づいてはダメだ」
「どうしてギルは良いの?」
「俺は良いんだよ」

 答えになっていないとルナは思った。そんなルナの顎の下に手を添えると、ギルがルナの顔を持ち上げた。そして額にキスをする。その柔らかな感触に、ルナはハッとした。

「またキスをした!」
「額くらい良いだろう? 食事の礼をくれ」
「お礼……」
「本当は唇が欲しい。この意味が、分かるか?」
「どういう意味?」

 恋人になって欲しいという意味でギルは言ったわけであり、今回も伝わらない事に脱力しかけた。だが、腕の中にいるルナが愛おしいので片手に力を込めなおす。

「これからは食事のお礼に、俺に抱きしめる許可を寄越せ。額にキスする権利も、だ」
「ルーカスが、体を大切にしろって言っていたの。だ、だから――」
「それはどこの誰だ?」

 ルナの声に、ギルが目を細めた。唐突に出てきた男の名前に、ギルベルトは眉間にシワを刻む。ルナはその表情に困惑しながら答える。

「私を担当してくれていた、聖職者なの」
「――それだけか?」
「え? 私の家族みたいな存在かな、他に言うとすれば」
「それは、夫という意味か?」
「違うよ。それに聖職者は結婚できないの。知らないの?」
「だが恋をする事もあるだろう?」

 見知らぬ相手ではあるが、ギルは嫉妬した。それには気付かなかったが、ルナが首を振る。

「ルーカスは私のお父さんみたいな存在なの。恋人とは方向性が全然違うの」
「それを聞いて安心した。だが、俺以外をこの家には、あまり招くな」
「滅多に人は来ないけど……どうして?」
「俺が嫌だからだ。お前は、俺の事だけ見ているべきだ」
「?」

 ギルの言葉は、相変わらずルナには難しかった。だが、腕のぬくもりを嫌だとは思わなかったので、話を戻す事に決める。

「食事のお礼をするのは約束するからね」
「ひとまずはそれで良い」

 そう言ってギルは腕からルナを解放すると、帰っていった。
 ルナは見送りながら、不思議な気持ちになった。ギルが帰ってしまうと思ったら、寂しくなったのだ。まだ出会って三日目だというのに、ギルの存在感が大きい。

 ――翌日は、霙が降っていた。少し気温は高いが、雪よりも辛い。しかしギルが貸してくれた外套のおかげで、ルナはあまり寒さを感じなかった。ルナが外套を羽織るようになり三日目という事もあって、通行人達も物珍しそうな視線は向けなくなってきた。

「あの、すみません、マッチを――」
「今急いでるんだ」

 今日もルナは売り込みをする事にしたが、通行人達は立ち止まる事も無い。

「マッチはいかがですか?」
「いらない」

 何人も通るのだが、皆、鬱陶しそうにルナを追い払う。ルナは俯いた。今日もマッチが売れる気配は無い。そこで思い出した。ギルベルトが、毎日花を買いに来てくれると口にしていた事を。今日も来るだろうか? そう考えながら立っていると、日が落ちた。濡れた髪で、ルナは震えながら、いつもギルが歩いてくる方向を眺めていた。すると、紙袋を抱えたギルの姿が視界に入った。

「ギル!」
「――仕事は順調か?」
「……それは、その」
「顔は近づけなかったんだろうな?」
「近づける以前に、誰も立ち止まってくれなかったの……」
「ならば今日も最初の客は俺だな。花を買いに行きたい」

 ギルはそう言うと喉で笑った。ルナは何度も大きく頷いた。その時、片手でギルがルナの手を持ち上げた。そしてひんやりとしている指先を握る。

「手袋くらいはめたらどうだ?」
「持っていないの」
「――そうか」

 ルナが困った顔をすると、ギルが紙袋から、更に包装された袋を一つ取り出した。

「やる」
「え?」
「丁度手袋が目に入ってな。俺にはサイズが小さかったから――やる」

 袋を受け取り、ルナは恐る恐る開封した。誰かに物を貰うのは初めての事である。中には、毛糸であまれた手袋が入っていた。愛らしいクマが描かれている。早速それをはめたルナは、満面の笑みになった。

「有難う、ギル」
「別に。行くぞ」

 こうして二人は歩き始めた。霙は雪に変わっている。既にギルベルトは道を覚えていたのだが、ルナの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。ルナは嬉しい気分でギルを見た。ギルといると幸せが降ってくるような心地になる。胸が温かくなるのだ。

 小屋に到着し、この日はギルが、パスタを茹でてくれた。ボロネーゼを味わいながら、ルナはギルに視線を向ける。すると目が合った。じっとギルはルナを見ていた。強い眼差しに、ルナは吸い寄せられるようになる。優しいギルの端正な顔に、真剣な色が浮かんでいた。

「美味いか?」
「う、うん……」

 不意に声をかけられて、ルナはドキリとした。何故なのか、ギルを見ていると、胸がドキドキとした。そんな経験は初めてなので、ルナは困惑しながらフォークを動かす。

「ギルは、夕食を食べないの?」
「俺は毎日、食べてから来ているんだ。騎士団の宿舎で用意されているからな」
「そうだったんだ」

 納得しながらルナは食べ終わった。すると立ち上がったギルが、皿を水道の方へと運んだ。ルナも立ち上がる。皿洗いをしようと思ったのだ。だが、振り返ったギルがその前に立った。

「今日のお代を貰わないとな」
「!」

 ギルがルナを抱きしめた。この時初めてルナは、ギルから良い香りがする事に気がついた。ふわりと香ってきた石鹸の香りは精悍で、心地良い。昨日よりも力強くルナを抱きしめたギルは、目を伏せルナの額に口付ける。そうしながら片手でルナの頬を撫でた。

「まだ俺の気持ちは伝わらないか?」
「気持ち……?」

 ルナはその言葉にドキリとした。目を開けたギルが真剣な表情でルナを覗き込む。ルナは唾液を嚥下した。あまりにもギルが格好良く思えたのだ。ギルがそんな風に見えたのは、初めての事である。胸がドキドキとする。しかしその感情の名前が分からない。自分の気持ちが分からないのに、相手の感情が分かるはずも無かった。

「ルナは、恋をした事があるか?」
「無いの。王子様とお姫様みたいな関係でしょう?」
「そうか」
「恋をすると、どんな感覚になるの?」
「ドキドキする。俺は、ルナを見ていると、ドキドキするぞ。この意味が分かるか?」
「? 分からない……けど、私もドキドキするの」

 小声でルナは言った。その頬は赤い。それを見て、ギルが小さく息を呑む。それから破顔した。

「嬉しいな。ルナは、俺に恋をしてくれたんじゃないか?」
「え?」
「俺に抱きしめられると、ドキドキするんだろう? それは、恋だ」

 それを聞いた瞬間、ルナは完全に真っ赤になった。これまでには、考えてみた事も無かったからだ。

「明日までに、じっくりと考えてみろ。俺の事を好きかどうか」

 ギルはそう言うと、腕を離して帰っていった。


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