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第一章 次期公爵夫妻

5、夫は一人、思い出す

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「テオ様はお買い物が好きなのですね」
「いや、全く好きじゃないよ?」

 帰り道、買ったオルゴールを大事そうに腕に抱えて隣を歩くシルフィアの質問に答えれば、酷く怪訝な顔をされた。
 僕は何か答えを間違えたのだろうかと、彼女の視線をたどって納得する。

 彼女は僕の腕の中の大きな紙袋を不思議そうに眺めていた。僕はそれを軽く揺すり上げて彼女へ笑いかける。

「僕は子供の頃から物欲がなくてね。必要な物は全て揃っていたし、特に何かを欲しいと思ったことはなかった。だけど、今はフィーアに似合いそうだな、好きそうだなと君が喜ぶことを考えながら買い物をすることがとても楽しいんだ。今夜のように君と一緒に買い物をするのはもっと好きだけど。」

 パッと宵闇でも分かるほどに赤くなった彼女の顔を見て、更に一言付け加える。

「今まで生きてきて、僕が何が何でも欲しいと思ったのは君だけだけどね」

 みるみるうちに沸騰した彼女は両手が塞がっていて顔を隠せずワタワタした挙げ句、僕のコートにパフッと顔をつけた。

 それでいいのか? と一瞬呆気にとられたものの、その反応が可愛すぎて僕の口から笑い声がこぼれた。


■■


 寝支度を整えて寝室の扉を開けた途端、オルゴールの音が耳に飛び込んできて僕は目を細めた。

「そのオルゴール、とても気に入ってくれたみたいでよかった・・・あれ? フィーア、寝ちゃった?」

 ベッドの側まで行ってシルフィアが寝ていることに気がつく。

 枕を背にして膝に乗せたオルゴールを聞いていたらしく、そのまま横に倒れた格好ですーすーと寝息を立てている。

「・・・まあ、疲れたよね」

 彼女の手からそっとオルゴールを抜き取り、ふたを閉めて側のテーブルに置く。

 室内に静寂が満ちて、いつもの他愛もない彼女のお喋りもなく、この空間に自分だけが起きていることにちょっと寂しくなる。

 珍しく長時間の外出をした上に、帰ってからも買ってきた物を並べて楽しそうに喋っていたし、先に寝てしまうのも仕方ないと無邪気な彼女の寝顔を眺めて自分に言い聞かせた。

 起こさないように気をつけながら彼女を掛け布の中に入れて、その横に自分も潜り込む。寒そうに身を寄せてきた彼女を腕の中に収めて幸せを噛み締めた。

■■

 彼女が初めてこの部屋に足を踏み入れたのはたった二週間前だ。結婚して一月半もの間、僕達は別々の部屋で休んでいた。
 
 シルフィアにしてみれば自分を救うためとはいえ、初めて会った男といきなり結婚させられたようなものだったから、慣れる時間が必要だと考えたのだ。

 とりあえず彼女の怪我が完治するまでと思っていたのに、同室にするきっかけが掴めず、そのままズルズルと時間が過ぎていった。

 そして、同じ部屋で眠るようになったのは本当に偶然の出来事のおかげだった。
 ある日、激しい通り雨がきて、窓が開けっ放しだった彼女の使っていた部屋がびしょ濡れになってしまったのだ。

 それで急遽、僕と一緒のベッドを使うことになったシルフィアは、これが本来の夫婦の形だというのに恐ろしく恐縮しながら寝室へ入ってきた。

『テオ様、申し訳ありません。今夜一晩、お世話になります』

 大きな枕を抱えて深々と挨拶をする妻を、僕は出来得る限り優しい笑顔で迎えた。

 幼い頃に弟がベッドに潜り込んでくることは度々あったが、好きな女性と一緒にというのは初めてで、僕はいつになく緊張していた。

 それは彼女も同じだったようで、遠慮がちにベッドの端に座ると腕の中の枕をぎゅううっと抱きしめて固まっている。
 ベッドの上で向かい合って座ったまま、お互いどうしていいかわからない。

『・・・その髪型、可愛いね』

 沈黙に耐えかねて、ふと目についた彼女の両耳の横でゆるく編まれた三つ編みの感想を漏らせば彼女の顔がパッと輝いた。

『上手く出来てますか?! ウータさんに教えてもらって自分で編めるようになったのです』
『うん、上手に編めているよ。とっても似合ってる』

 心の底から褒めれば、彼女は嬉しそうに髪に手を触れた。

 その些細なやりとりで場がほぐれた。

『冷えるから、とりあえず入ろうか』

 掛け布をめくって誘えば、彼女は押し潰された枕を叩いて直しながら素直に隣に寝転んだ。

 ドキドキしながら彼女を引き寄せれば、素直にくっついてきた。

『私、誰かと一緒に眠るのは初めてです。なんだか一人より温かくて直ぐに眠れそう』

 あっという間に目を閉じて眠る体勢になった彼女に僕の緊張は吹っ飛んだ。

『え、ちょっと待って。フィーア、まさかもう寝るの?!』
『えっ?! テオ様は寝ないのですか?』
 
 枕元の小さな明かりに照らされた彼女の顔は驚きに満ちていて、僕は嫌な予感がした。まさか、彼女は知らないんじゃ?!

『・・・フィーア。もしかして夫婦って一緒に寝るだけだと思ってる?』
『あ、もう少しお話します?』

 予感的中! 更に間近にある大きな藍色の瞳が台詞とは反対に睡魔に負けそうになっているのを見て、目眩がしてきた。

 なんかもう、いいや・・・。

『とりあえず今夜は寝ようか。ねえ、フィーア。明日からもずっと一緒に寝ようよ』
『はい。テオ様が良いのなら。一緒はとても温かいから・・・』

 そのまますーっと寝入ってしまった彼女を前に、気を許してくれているのは嬉しいけれどここまで安心されるのは男としてどうなのか、と悲しくなった。
 
 僕だって二十一の健全な男で、愛する妻と一緒に寝て何もなしっていうのは本当に辛い。当然、期待していたし・・・。

 煩悩を抑えるべく、僕は妻に背を向けて寝ようと試みたが結局朝まで眠れなかった。

 お蔭で二日目は、前日寝不足だった僕が先に寝落ちした。
 夜中に目が覚めてシルフィアがいないことに気がついて慌てて探したら、ベッドから落ちて、床で丸くなって寝ていた。

 三日目になって突然、彼女が地に頭をつけるようにして謝ってきた。

『申し訳ありません、テオ様。私、夫婦が何故一緒に寝るのか解っていませんでした。今日ウータさん達に教わって、その、驚きまして。』

 それを聞いて僕はこれでもう悩まなくてもいいんだと、ほっとして彼女を抱きしめようと手を伸ばした。
 ところが、彼女はぶんっと勢いよく顔を上げると真剣な表情で元気に宣言した。

『なので、明日からしっかりその勉強してきますから、待っててください! テオ様がいいと言ったら、フリッツさんが参考書を貸してくれるそうですので、そちらでがっつり学んで・・・』

『そんなの、いいわけないってば!』

 僕は絶叫した。彼女は何処で何を学んで来る気だ?! フリッツの参考書って何だよ?! がっつりって怖いんだけど!

 それより何より、これ以上のお預けはごめんだ!

 僕は覚悟を決めて彼女の両肩に手を置くと彼女の頭に額をくっつけた。

『フィーア、フリッツなんか頼らなくていい。僕が、教えるから』
『私の知識が足りないばっかりにご迷惑をおかけして、テオ様の大事な時間を使うのは申し訳ないので・・・』
『全然、全く問題ないから。僕に任せて』

 もう半分ヤケになっていた。
 そのまま恐縮しきっている彼女をさっさとベッドに乗せて、同意を得つつ手取り足取り教えた・・・。

■■

 僕はそんな最初の夜を思い出して頭を抱えた。今はもうそんなにがっついてないし、あの時だって彼女を大事にした、つもりなんだけど。

 大丈夫だよね? 僕を嫌いになってないよね? と腕の中を覗き込んだら、ぐっすり眠るシルフィアの安心しきった寝顔に心が温かくなってぎゅっと抱きしめ直した。

 僕は彼女が可愛くて可愛くてたまらない。
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