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35章 勇者や聖女なんて幻想

470. お菓子あげてもいい?

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「……あのバカ勇者より賢かったりして」

 ルキフェルが呟いた途端、大人しいイメージだったアンナが目を輝かせた。

「そうなんです! うちの兄は賢くて、優しくて自慢の兄です」

「リリスのパパだって優しくて、つおくて、カッコいいんだから!!」

 アンナの自慢に、リリスが対抗して叫ぶ。感動したルシファーが「可愛すぎる」と強く抱き締めるところまでがお約束で……アスタロト達は肩を落とした。威厳もへったくれもないルシファーに「へ、い、か!」と区切って自制を促す。

「少女達がまだだが、話を始めようか」

 結界でぬくぬく温かなリリスの興味はすでに、テーブルの上のお菓子に移動している。待たせると可哀想だと親バカ丸出しのルシファーへ、しかし側近達の反論はなかった。そもそもリリス嬢の側近達を同席させる理由が、大公達が出払っていたためだ。彼らが揃えば、少女達が顔を出す必要はなくなる。

 用意されたお茶に、最初にルシファーが口を付ける。続いて大公達が口元に運び、アスタロトが召喚者達へ声をかけた。

「お茶をどうぞ。陛下にお話があるとお伺いしました」

 話を向けられたイザヤが頭を下げる。

「お時間をいただき、ありがとうございます。実は先日の阿部の無礼な態度を知りまして、お詫びしたいと思ったのです」

 リリスに強請られたルシファーは手を止めず、彼女が指さした焼き菓子をまた手元の皿に取り分ける。まるで聞いていないような態度だが、ちらりと視線だけ向けた。心得たようにアスタロトが椅子の向きを少し変えて、対応を始める。

「どのような話を聞いたのでしょうか?」

 前提条件から確認しようとする外交官に、イザヤは口下手な己を悔やみながら必死に言葉を探す。しかし隣のアンナの方が早かった。

「私から説明してもよろしいですか?」

「アンナ」

 やめなさいと止める前に、アスタロトは「どうぞ」と答えてしまった。アンナは緊張した表情で、ごくりと唾を飲み込んだ。それだけ危険な会話になると承知しているのだ。これが自分達の命運を左右する発言だと知りながら、口下手な兄が作ってくれたチャンスを生かそうと口を開いた。

「阿部君は魔王様の討伐部隊として旅立ち、その後ご厚意で助けていただきました。それは聖女とされた私も、魔王様に弓引いた兄イザヤも同じです。とても感謝しております。今こうして生きていられるのは、皆様方のお陰です」

 ここまではアベルと大差ない。そう考えながら、アスタロトは温和な笑みを浮かべて聞いていた。

「召喚された私達を保護して、食事や人並みの生活を与えてくれたのは魔王様達でした。なのに阿部君は魔王様に酷い発言をしました。真心をもって接してくださる方に信用できないと言うなんて」

 そこで震える手で紅茶を一口飲む。乾いて貼りつきそうな喉を潤したアンナは、まだ震えの収まらない手で隣の兄の手を握った。握り返すイザヤが静かに頷く。そんな兄妹の信頼関係を前に、リリスは後ろを振り返った。

 両手に持ったお菓子をひとつ口に入れ、もうひとつをルシファーの口に差し出す。幼女の手が握りしめたお菓子を素直に食べさせてもらうルシファーは、優しい眼差しで愛し子を見つめた。その感情が嬉しくて、擽ったい感覚のままにリリスは目の前の2人を見つめる。

 両側に側近が陣取り、その先に少女達の席が空いていた。正面にいる2人の兄妹は互いしか頼る相手がいない場所で、勝負に出ている。保護される立場でありながら無礼を働いた阿部の失態を取り返そうと、彼らは必死だった。

「お姉ちゃんもお菓子食べる?」

「リリス、前にも言ったね。今はアスタロトが話をしているから、後にしようか」

「やだ」

 珍しく聞き分けの悪い発言をするリリスは、アスタロトを振り返った。

「アシュタ、お菓子あげてもいい?」

「……しかたありませんね。お茶会の形式である以上、リリス姫のお願いを退けることはできません」

 謝罪の場として誂えたお茶会であるため、積極的に許可はしないが拒否することもない。そんなアスタロトの回答にリリスは「あげていいの?」と首をかしげた。大人の複雑な感情や言い回しなど、彼女には通用しない。頷けば、嬉しそうに膝から飛び降りようとする。慌てたルシファーが引き留めた。

「リリス、お菓子はアデーレが取るから」

「ふーん」

 納得していない様子だ。何か気に入らないのだろう。しかしアデーレが彼女達の前に多くのお菓子を並べる様子に、にこにこと笑みを浮かべる。ご機嫌で「どうぞ」と勧め始めた。

 断りにくい状況で、緊張で喉を通らないがお菓子をひとつ手に取ったアンナが齧る。さくっとした焼き菓子の食感と甘い味に目を見開いた。
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