思い出を売った女

志波 連

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去る女

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 その日は特売のカップ麺で夕食を済ませ、孝志が帰ってくるまでひたすら掃除をした。
 髪の毛一筋たりとも残したくないとばかりに、念入りに床も拭き上げる。
 鍵が開く音がして、孝志がリビングに入ってきた。

「あれ? まだ起きてたの?」

「うん、ちょっと掃除してたら止まらなくなっちゃって」

「ははは、裕子らしいね。風呂は?」

「沸いてるよ。ねえ……孝志って来週実家に帰るの?」

 孝志が驚いた顔で振り返った。

「どうして? 母さんから電話でもあった?」

「まあそんなところ。で、どうなの?」

「まだ決めたわけじゃないけど、顔を見せろって煩くてさ。子供のことでまた嫌味でも言いそうだし、裕子には黙ってようと思ったんだ。ごめんね、かえって気を遣わせちゃったね。行くにしても日帰りにしようと思ってる」

「そう、じゃあ私は行かない方が良いね」

「いや、裕子さえ良いなら一緒に行こうよ」

「行っても良いの? あなた、困らない? ははは! 困るでしょう? 行かないわよ」

「裕子?」

 怪訝な顔をした孝志だったが、何も言わずに風呂場に向かった。
 閉まったドアに向かって小さく悪態をつく。

「バカじゃないの? 四者面談でもするつもり?」

 裕子は自分の食器をゴミ袋に投げ込んだ。
 パリンと乾いた音がする。
 茶碗もモーニングプレートも、箸もペアマグも全て自分の分だけを選んで捨てた。
 風呂場のドアが開き、パジャマに着替えた孝志が顔を出す。

「まだ寝ないの?」

「ねえ……あなた玲子さんと会ってる?」

「え? 玲子? まあ、たまに? ほら、昔の仲間で飲むこともあるし。どうしたの?」

「どうしたもこうしたも無いわよ。ただ聞いただけ。おやすみなさい」

 何か言いかけた孝志を無視して、裕子はゴミ袋の口をきつく縛った。
 
「あ……ああ……おやすみ。裕子も早く寝た方がいいよ」

 寝室のドアが閉まったことを確認し、引き出しから茶封筒の束を取り出す。
 昼間に買って来たB5版のアルバムに、写真とメモを丁寧に貼り付けていく。
 そのアルバムはピンクの花柄で、ところどころにプリントされたハートマークが、キラキラと光る安っぽいデザインだ。
 このデザインを見つけた時、裕子は何かが吹っ切れたような気がした。

「あんた達にお似合いだわ」

 迷った末に一枚だけ手元に残し、出来上がったアルバムを引き出しに入れる。
 残したのは、一番最初に送られてきた集合写真だ。
 この日から二人は関係を持っているのだろうことは、想像に難くない。
 裕子はその写真をハンドバックに入れた。

 何事も無かったように朝がきて、何事も無かったように朝食の準備をする。

「裕子は食べないの?」

「うん、欲しくない」

「そう? ねえ、裕子。昨日からおかしいよ? 黙って実家に帰るのが気に入らなかった? 君を傷つけたくないって思っただけなんだ。機嫌直してくれよ」

「……」

「ああ、そうだ。土曜の始発で行って、夕方にはもどるからさ。どこかで待ち合わせして美味いもんでも食べないか?」

「三人で?」

「え?」

「なんでもないわ。考えてみる」

「あ……ああ、じゃあ行ってくるね。今日は早く帰れると思うから」

「行ってらっしゃい」

 閉まったドアに向かって、裕子がそっと呟いた。

「さようなら、孝志。永遠にさようなら」
 
 食器を片づけ、流しには水滴一つ残らないように拭いた。
 忘れ物が無いかを確認し、ハンドバックとボストンバッグを手に玄関に向かう。
 下駄箱から一足だけ残しておいた靴に足を入れ振り返る。
 暫しそのまま部屋を眺めた裕子は、誰にともなくペコっと頭を下げて部屋を出た。
 集合ポストに鍵を入れ、歩道からマンションを見上げた裕子。
 
「皆さん、さようなら」

 タクシーに乗り込み、行先を告げてシートに体を委ねる。
 流れていく景色を眺めながら、裕子はぼんやりと考えた。

 帰ってきたら、テーブルの上に置いたあのアルバムに気付くはずだ。
 そしてその横にある結婚指輪を手に取るだろう。
 その下には記入済み離婚届も置いてある。
 
 結婚式や新婚旅行の写真も、保管してあった年賀状や手紙類も全て澄子宛に送った。
 このマンションのゴミ収集所では、万が一でも孝志に回収される恐れがあるからだ。
 彼女には荷物が届くことを電話で伝え、受け取りの了承も得ている。

 裕子は敢えて手紙を残さなかった。
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