思い出を売った女

志波 連

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見つけてしまった男

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 無情なほど正確に月日は流れていく。
 弟の雄二が結婚し、実家の近くに引っ越していったのは、もう三年も前のことだ。
 妻に先立たれ、幼子を抱えて帰ってきたと思われている孝志は、近隣の人たちから友好的に接してもらえている。
 両親も孝志も、ずるいとは思いながらも、その好意的な誤解を敢えて解かないのは子供を守るためだ。

 来年にはかずとも小学生というある夏の日、弟夫妻に誘われて海水浴に行った。
 雄二夫妻が幼い娘とかずとを連れて、波打ち際で遊んでいるのを眺めながら、孝志は缶ビールを飲んでいた。

 この海岸は一般客があまりやってこないことで地元住民には人気のスポットだ。
 海岸を見下ろすように立ち並ぶ別荘は、自分の人生には関係ないと素直に思えるほど豪華な立ち姿を見せつけている。
 どんな金持ちが住んでいるのだろうなどと考えながら、手を振るかずとに応えていると、楽しそうな笑い声が風に乗って耳に届いた。

「そんなに急がなくても海は逃げないよ。美咲、ちょっと待ちなさい」

 男性の声に続いて女性の明るい声がする。

「もう、早く来て! 徒然さん」

 その耳ざわりの良い声に、思わず顔を上げた孝志の目に飛び込んできたのは、ワンピースの裾を翻しながら、砂浜を裸足で歩いている女性の姿だった。

「裕子……」

 写真1枚も残さずに消えた裕子。
 記憶の中の裕子はまだ28歳だ。
 楽しそうに歩くその女性は、記憶の中の裕子が幸せに年を重ねた姿そのものに見える。
 
「美咲、待ちなさい。日傘をささないとダメだよ」

「ちょっと足を浸けたらすぐに戻るわ」

 悪戯っぽい笑顔で駆け出す女性。

「こら、美咲! 走っちゃだめだってば」

 日傘を手に追いついた男が、何の躊躇もなくその女性を引き寄せ腕の中に閉じ込めた。
 
「美咲? 裕子だろ? 裕子だよな?」

 孝志の思考が止まり、周りの景色がぼやけていく。
 楽しそうな笑顔を浮かべながらも、照れたように俯いた裕子だけが色を纏っていた。
 ゆっくりと手を伸ばしながら立ち上がろうとする孝志。

「兄さん? どうした?」

 濡れた髪をタオルで拭きながら、弟の雄二が声を掛けた。

「なあ、あれって裕子だろ? 絶対に裕子だよなぁ」

「え?」

 雄二が掌で目の上に庇を作りながらじっと見る。

「いや、違うだろ。裕子さんはあんなに明るく笑う人じゃなかったし、もっと瘦せてたよ。まあ確かに似てはいるけど」

「違わない! よく見てくれ! あれは裕子だよ! ああ……裕子、やっと会えた」

「バカなことを言うな! 違うって! 万が一裕子さんだったとしても、兄さんにはどうすることもできないんだ! いい加減にしろよ! もう帰ろう。子供たちも疲れている」

「いや、ちょっと待ってくれ。確かめてくる」

「兄さん!」

 兄弟が言い合っている間に、女性は徒然と呼ばれていた男に手を引かれて、別荘へと続く小道に向かって歩き出していた。
 行先を確かめなくてはという衝動に駆られる孝志。

「お父さん? 何処に行くの?」

「え? かずと……」

「知ってる人がいたの?」

「あ……ああ、知り合いに似ていたから……」

「ふぅん。じゃあ僕はここで待ってるから。すぐに戻ってきてね」

 成長と共にますます玲子に似てきているかずと。

「いや……良いんだ。きっと違う……違うんだ……もう……良いんだ」

「お父さん?」

 かずとを抱きしめて座り込んだ孝志を、雄二夫妻が不安そうに見詰めていた。
 雄二がふと目を上げると、ひときわ大きな洋館に入っていくカップルの姿が見える。
 兄には何も告げず、雄二はテキパキと帰り支度を始めた。
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