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あまり動じないあたしでも、流石に殺されそうになったのは堪えた。
大怪我をしたわけじゃないからすぐに病院を出たんだけど、事件後数日間は学校に行く気にならなくてダラダラと休んでしまった。
いつまた命を狙われるか分からないし、腕の傷だって深くはないけど痛むことに変わりがない。
あたしにしてはかなりナイーブになっていた。
穂高に助けてもらったお礼を伝えようと電話をしたけど、相変わらず繋がらなかった。
仕方ないからメールだけ送ったけどもちろん返事はない。
穂高は自分が用事のある時に一方的に連絡してくるだけで、あたしからの連絡には一切反応しない。
それは今に始まった事ではないけど、いろいろ聞きたかっただけに気持ちが燻った。
なぜ寺島万里子が凶行に及んだのか、二人の間に何があったのか、被害者であるあたしは知る権利があると思う。
しかし携帯電話に穂高の名前が表示されることはなかった。
一方で、霜田は心配してメールをくれた。
今まであたしのことを心配して連絡をくれる友達なんていなかったから、「友達ができた」と強く実感して感慨深くなり、つい目頭が熱くなってしまった。
ただ、どのように返信したらいいのかわからず、『大丈夫』とだけ返した。
学校なんてどうでもいいけど、霜田にだけは会いたかった。
このまま一生会えないのは嫌だし、霜田に会うためだけに学校に行けばいいんだけど、外に出ようとすると包丁を持った寺島万里子の姿がフラッシュバックしてきて出られなくなってしまう。
こうなってしまうと、直接的な原因の寺島万里子と間接的な原因の穂高を恨めしく思ってしまう。
だめだだめだ、明るい事を考えないと。
そうやって自分を奮い立たせようとしたがうまくいかなかった。
学校を休んで四日目、十六時くらいかな?家のインターホンが鳴った。
平日のこんな時間に誰だろう?
宗教の勧誘かな?
殺人鬼じゃないよな?
恐かったけど居留守は苦手なのでとりあえずインターホンのモニターを見た。
映っていたのは霜田だった。
何度か瞬きをして目を凝らすが、間違いなく霜田だ。
慌てて玄関のドアを開けると霜田が立っていた。
まあ霜田以外が立っていたらそれこそ恐怖体験だよね。
あたしは唐突な来客に驚いた。
服も髪も適当だったから、ものすごく恥ずかしかった。
スウェットに付いていた髪の毛を慌てて払い落とす。
まさか会えるなんて思ってもみなかった。
「久しぶり。元気?……じゃないよね。諏訪部の担任の先生が心配してたよ。忙しそうだったから僕が代わりに様子を見に来た」
「わざわざ来てくれたの!?」
「僕が中学の時に登校拒否した時、先生以外誰も来てくれなくて寂しかったから、諏訪部も寂しがっているんじゃないかと思って」
「そう……わざわざ遠くまで悪いね」
「いや、そんなに遠くないよ。意外に僕の家と近かった」
霜田の気遣いに、不覚にもあたしは涙ぐんでしまった。
袖でさりげなく涙を吸わせるようにして拭う。
「何かあったの?話だけなら聞くけど」
霜田が深刻そうな顔で聞いてきた。
「んー殺されそうになった」
あたしは横を向いて霜田から目を逸らした。
顔を見て打ち明けたら泣いてしまいそうだったから。
声も敢えて明るくして、普段の会話と変わらないような淡々とした話し方を務めた。
「え?」
「ニュースになってたでしょ?フリージャーナリストの女が女子高生に怪我をさせて殺人未遂で逮捕されたって。ほら、ここ。切られたの」
あたしは袖を捲って包帯が巻かれている腕を見せた。
霜田は驚いた表情であたしの顔と腕を交互に見た。
涙目だからあんまり見ないでほしいのに。
鼻水が垂れそうになるので慌てて鼻を啜る。
「ホームルームで先生が、うちの学校の生徒が被害者だとは言ってたけど、まさか諏訪部だとは思わなかった。大丈夫なの?」
「大丈夫だったから今ここにいるんだよ。まあ警察が来るのが遅かったら死んでたね」
あたしは笑いながら肩をすくめた。
最近笑っていなかったせいか、久しぶりに顔の筋肉を動かしたような気分になった。
「お疲れ様というかお気の毒というか、なんといっていいのか」
霜田はどう声をかけるべきなのか考えあぐねていた。
そりゃそうだよね。
殺されそうになった人間なんてそうそういないし、殺されかけた人間への対応なんて上手くできるわけがない。
あたしでも迷うと思う。
「まあ、気にしないでいつもどおり接してよ」
あたしは事件の記憶を振り切るように、笑顔を取り繕った。
頬を上げた途端に涙が一滴ほろりと溢れてしまい、スウェットに染みをつくった。
霜田は頷くとも首を傾げるともいえないような微妙な反応をして、黙ってあたしの頭を撫でた。
そんな子どもをあやすようなことされたって嬉しくない……と思っていたが、あたしは霜田の優しさに触れて号泣してしまった。
熱い涙が次から次へと溢れ出てきて、防波堤が決壊したようにあたしは泣き出した。
また霜田の前で泣くなんて、この人はあたしの心に触れるのがうますぎる。
「怖かった。殺されるかと思った。痛かった。切られるのがこんなに痛いと思わなかった」
あたしは自分の中で沈殿していた恐怖や悲しみをを爆発させた。
「なんだ、やっぱり強がってたんじゃん。我慢しないで泣けばいいのに」
霜田の言葉が心に沁みた。
あたしは霜田の言う通り今までずっと強がってきたから、こんなに感情を出せる相手に会えたことが嬉しかった。
温かい霜田の手があたしの頭を柔らかく撫でてくれた。
今まで数々の人に身体に触れられたけど、あたしの人生で一番心地よい感触だった。
「あ、そうそう。これを渡そうと思ってたんだ。はい。この間のシャーペンのお礼」
あたしが泣き止むのを待って、霜田は掌サイズの小袋を差し出した。
可愛らしい白い袋でラッピングしてある。
受け取ると、ずっしりとした重さがあった。
「そんなのいいのに。開けて良い?」
「いいよ。気に入るか分からないけど」
小袋を開けると、緩衝材に包まれた掌サイズの小物が出てきた。
さらに緩衝材を開けると、直径五センチほどの丸いガラス玉が入っていた。
表面はビー玉のようなツルツルしたものではなく、ミラーボールのように角張っていた。
天糸がついていて、ぶら下げられるようになっている。
「綺麗……これなあに?水晶?」
「サンキャッチャー。光を反射して虹を振り撒くんだよ。窓辺にぶら下げると、綺麗だよ。欧米では部屋に太陽光を取り入れるためによく使われているんだ」
「虹を振りまく?」
「諏訪部、虹が好きでしょ?」
前に話した事を覚えていてくれたんだ。そんな些細なことでも嬉しくなる。
「ありがとう。さっそく飾ってみるよ」
あたしは自然と笑みが溢れた。
わざわざ会いにきてくれて、あたしの好きな物を覚えていてくれて、あたしを喜ばせてくれた。
霜田の行動は、じんわりとあたしの心を包み込んで温めてくれた。
「明日は学校に来れそう?」
「どうだろ」
「柴崎に英語を教える人がいなくて困ってるんだよ」
「じゃあ、霜田、朝迎えに来てよ。だったら学校行く」
わざわざ来てくれたことが嬉しくて、ついわがままを言いたくなってしまった。
こんなことを遠慮なく言えるのは、学校では霜田だけだ。
「えー?なんでそんな面倒な」
「そこをなんとか!家近いんでしょ?」
霜田は顎に手をあてて考え込んだ。
何を葛藤しているのかは分からないが、冗談混じりに言ったことだし、そんなに真剣に捉えられると申し訳なくなってしまう。
「まあ、無理だよね。わがまま言ってごめん」
「僕が迎えに来れば学校に来るんだよね?」
「え?いいの?」
予想外の返答にあたしは驚いた。
「その代わり、僕の登校時間に合わせてよね」
「もちろん!」
自分から言い出したことだし、断る理由はなかった。
こうしてあたしは霜田と一緒に学校に行くことになった。
朝迎えに来てくれる時間を決めて、霜田は帰った。
霜田の後ろ姿が見えなくなるまで手を振って見送り、あたしは家の中に入った。
もう一人じゃないんだ。
翌日、朝起きてカーテンを開けたら、部屋中にキラキラとした細かい光が散らばっていた。
よく見るとその光は一つひとつが七色になっていて、とても美しかった。
何かと思ったら、霜田にもらったサンキャッチャーだった。
壁や布団、あたしのパジャマにも小さな虹が散らばっていた。
あたしはそれを見て、楽園にいるような気持ちになった。虹はあたしを幸せにしてくれる。
その虹が部屋中に広がるなんて、夢の中にいるようだった。
お礼も兼ねて部屋の写真を撮って霜田にメールを送った。
すると、霜田からはメールではなく電話がかかってきた。
「はいはい、おはよー」
「おはよう。サンキャッチャー、使ってくれたんだ」
「うん、めっちゃ綺麗。ありがと!」
「それはそうと、あと七分くらいで着くから」
「え?」
「迎えにいく約束でしょ?」
完璧に忘れていた。
無数に散りばめられた虹に気を取られていて、昨日の約束が頭からこぼれ落ちていたらしい。
焦りのあまり無言で電話を切って慌てて朝の準備を始めた。
インターホンがなり、玄関の扉を開けると霜田がいた。
本当に迎えに来てくれた霜田を見て、あたしは嬉しくなった。
「忘れてたでしょ」
「あはは」
「まあ、間に合ったからいいけど。行こう」
霜田と電車に乗って学校へ向かった。
いつも見ている窓からの風景も、なんだか特別な景色のような気がして不思議だった。
隣では霜田が本を読んでいる。
「何読んでるの?」
「『オペラ座の怪人』。諏訪部、読んだ?」
「まだ。内容は映画と同じ?」
「なんか、結構キャラの雰囲気が違う。僕の感想だけど、映画だとクリスティーヌをラウールがエリックから横取りしたような印象があったけど、そうでもないみたい。クリスティーヌはエリックとラウールの間で苦しんでいるし、ラウールは結構みっともなくクリスティーヌに縋り付いているし、エリックはもっとエグい恐怖をクリスティーヌに与えている。映画は美しかったけど、原作は人間模様を繊細に書いている。どっちも面白いよ」
「へー」
「あ、もう駅に着くね。」
霜田は本に紙の栞を挟んで閉じ、鞄にしまった。
電車を降りて改札を通り、スーツを着たサラリーマンや様々な制服姿の学生とともに駅の東口を出た。
「霜田、自転車は?」
「今日は徒歩でいいや」
「そっか、なんかごめん」
「いまさら気にしないでよ」
改めて霜田に迷惑をかけてしまったと反省したけど、お言葉に甘えることにした。
登校はいつも一人で、他の生徒達が仲良さそうに歩いているのを見て羨ましかったけど、今は隣に霜田がいる。
それだけで今日学校に来た意味があるような気がした。
しばらく歩くと、あたしが寺島万里子に遭遇した道に着いた。
また寺島が包丁を持って出てきたら……ありえない事を想像して身体から力が抜け倒れそうになる。
鼓動が速くなり、意識したら腕の傷が痛むような気がした。
でも今は霜田と一緒だから大丈夫。
怯む足を奮い立たせて歩き続けた。
「ここから少し歩いたところに、廃墟があるんだけど、昔そこで殺人事件があったんだって。ほら、人通りが少ないし、見つからないんだろうね。若い女の子は特に注意した方がいいよ」
霜田が忠告した。
恐らくあたしが迷い込んだ廃倉庫のことを言っているのだろう。
「あたしはここで殺されそうになったんだよ」
「マジで!?道を変えようか?」
「大丈夫。へーきへーき」
「でも実際事件に巻き込まれているんだから、もう少し危機感を持った方がいいよ」
「常に霜田が一緒にいてくれたら大丈夫」
「そんな常には無理だよ。僕にもプライベートがあるんだから」
「友達と一緒の時以外ならいいでしょ」
「図々しいなーもう」
「よろしく」
道中、あたしは終始恐怖と戦っていたけど、霜田との他愛のない会話があたしの恐怖心を取り除いてくれた。
霜田と一緒だと春の草原でそよ風に当たっているみたいに心地よかった。
実際は強めの風に吹かれているだけなのだが、霜田といるとそれも特別な気がした。
隣を歩く霜田の横顔を見ながら、あたしは今までに感じたことのない幸福感で満たされていることに気づいた。
霜田はなんだかんだ言って助けてくれる。
短い付き合いではあるけど、あたしは少しずつ霜田を知っていった。
そして、自分の中に芽生えた初めての感情にも気付いた。
一緒に過ごすだけで感じる暖かさ、抱き合わなくても感じる愛おしさ。
あたしは穂高との約束を破ってしまった。
これは恋だと実感した。
あたしにとって霜田は特別な存在になっていた。
大怪我をしたわけじゃないからすぐに病院を出たんだけど、事件後数日間は学校に行く気にならなくてダラダラと休んでしまった。
いつまた命を狙われるか分からないし、腕の傷だって深くはないけど痛むことに変わりがない。
あたしにしてはかなりナイーブになっていた。
穂高に助けてもらったお礼を伝えようと電話をしたけど、相変わらず繋がらなかった。
仕方ないからメールだけ送ったけどもちろん返事はない。
穂高は自分が用事のある時に一方的に連絡してくるだけで、あたしからの連絡には一切反応しない。
それは今に始まった事ではないけど、いろいろ聞きたかっただけに気持ちが燻った。
なぜ寺島万里子が凶行に及んだのか、二人の間に何があったのか、被害者であるあたしは知る権利があると思う。
しかし携帯電話に穂高の名前が表示されることはなかった。
一方で、霜田は心配してメールをくれた。
今まであたしのことを心配して連絡をくれる友達なんていなかったから、「友達ができた」と強く実感して感慨深くなり、つい目頭が熱くなってしまった。
ただ、どのように返信したらいいのかわからず、『大丈夫』とだけ返した。
学校なんてどうでもいいけど、霜田にだけは会いたかった。
このまま一生会えないのは嫌だし、霜田に会うためだけに学校に行けばいいんだけど、外に出ようとすると包丁を持った寺島万里子の姿がフラッシュバックしてきて出られなくなってしまう。
こうなってしまうと、直接的な原因の寺島万里子と間接的な原因の穂高を恨めしく思ってしまう。
だめだだめだ、明るい事を考えないと。
そうやって自分を奮い立たせようとしたがうまくいかなかった。
学校を休んで四日目、十六時くらいかな?家のインターホンが鳴った。
平日のこんな時間に誰だろう?
宗教の勧誘かな?
殺人鬼じゃないよな?
恐かったけど居留守は苦手なのでとりあえずインターホンのモニターを見た。
映っていたのは霜田だった。
何度か瞬きをして目を凝らすが、間違いなく霜田だ。
慌てて玄関のドアを開けると霜田が立っていた。
まあ霜田以外が立っていたらそれこそ恐怖体験だよね。
あたしは唐突な来客に驚いた。
服も髪も適当だったから、ものすごく恥ずかしかった。
スウェットに付いていた髪の毛を慌てて払い落とす。
まさか会えるなんて思ってもみなかった。
「久しぶり。元気?……じゃないよね。諏訪部の担任の先生が心配してたよ。忙しそうだったから僕が代わりに様子を見に来た」
「わざわざ来てくれたの!?」
「僕が中学の時に登校拒否した時、先生以外誰も来てくれなくて寂しかったから、諏訪部も寂しがっているんじゃないかと思って」
「そう……わざわざ遠くまで悪いね」
「いや、そんなに遠くないよ。意外に僕の家と近かった」
霜田の気遣いに、不覚にもあたしは涙ぐんでしまった。
袖でさりげなく涙を吸わせるようにして拭う。
「何かあったの?話だけなら聞くけど」
霜田が深刻そうな顔で聞いてきた。
「んー殺されそうになった」
あたしは横を向いて霜田から目を逸らした。
顔を見て打ち明けたら泣いてしまいそうだったから。
声も敢えて明るくして、普段の会話と変わらないような淡々とした話し方を務めた。
「え?」
「ニュースになってたでしょ?フリージャーナリストの女が女子高生に怪我をさせて殺人未遂で逮捕されたって。ほら、ここ。切られたの」
あたしは袖を捲って包帯が巻かれている腕を見せた。
霜田は驚いた表情であたしの顔と腕を交互に見た。
涙目だからあんまり見ないでほしいのに。
鼻水が垂れそうになるので慌てて鼻を啜る。
「ホームルームで先生が、うちの学校の生徒が被害者だとは言ってたけど、まさか諏訪部だとは思わなかった。大丈夫なの?」
「大丈夫だったから今ここにいるんだよ。まあ警察が来るのが遅かったら死んでたね」
あたしは笑いながら肩をすくめた。
最近笑っていなかったせいか、久しぶりに顔の筋肉を動かしたような気分になった。
「お疲れ様というかお気の毒というか、なんといっていいのか」
霜田はどう声をかけるべきなのか考えあぐねていた。
そりゃそうだよね。
殺されそうになった人間なんてそうそういないし、殺されかけた人間への対応なんて上手くできるわけがない。
あたしでも迷うと思う。
「まあ、気にしないでいつもどおり接してよ」
あたしは事件の記憶を振り切るように、笑顔を取り繕った。
頬を上げた途端に涙が一滴ほろりと溢れてしまい、スウェットに染みをつくった。
霜田は頷くとも首を傾げるともいえないような微妙な反応をして、黙ってあたしの頭を撫でた。
そんな子どもをあやすようなことされたって嬉しくない……と思っていたが、あたしは霜田の優しさに触れて号泣してしまった。
熱い涙が次から次へと溢れ出てきて、防波堤が決壊したようにあたしは泣き出した。
また霜田の前で泣くなんて、この人はあたしの心に触れるのがうますぎる。
「怖かった。殺されるかと思った。痛かった。切られるのがこんなに痛いと思わなかった」
あたしは自分の中で沈殿していた恐怖や悲しみをを爆発させた。
「なんだ、やっぱり強がってたんじゃん。我慢しないで泣けばいいのに」
霜田の言葉が心に沁みた。
あたしは霜田の言う通り今までずっと強がってきたから、こんなに感情を出せる相手に会えたことが嬉しかった。
温かい霜田の手があたしの頭を柔らかく撫でてくれた。
今まで数々の人に身体に触れられたけど、あたしの人生で一番心地よい感触だった。
「あ、そうそう。これを渡そうと思ってたんだ。はい。この間のシャーペンのお礼」
あたしが泣き止むのを待って、霜田は掌サイズの小袋を差し出した。
可愛らしい白い袋でラッピングしてある。
受け取ると、ずっしりとした重さがあった。
「そんなのいいのに。開けて良い?」
「いいよ。気に入るか分からないけど」
小袋を開けると、緩衝材に包まれた掌サイズの小物が出てきた。
さらに緩衝材を開けると、直径五センチほどの丸いガラス玉が入っていた。
表面はビー玉のようなツルツルしたものではなく、ミラーボールのように角張っていた。
天糸がついていて、ぶら下げられるようになっている。
「綺麗……これなあに?水晶?」
「サンキャッチャー。光を反射して虹を振り撒くんだよ。窓辺にぶら下げると、綺麗だよ。欧米では部屋に太陽光を取り入れるためによく使われているんだ」
「虹を振りまく?」
「諏訪部、虹が好きでしょ?」
前に話した事を覚えていてくれたんだ。そんな些細なことでも嬉しくなる。
「ありがとう。さっそく飾ってみるよ」
あたしは自然と笑みが溢れた。
わざわざ会いにきてくれて、あたしの好きな物を覚えていてくれて、あたしを喜ばせてくれた。
霜田の行動は、じんわりとあたしの心を包み込んで温めてくれた。
「明日は学校に来れそう?」
「どうだろ」
「柴崎に英語を教える人がいなくて困ってるんだよ」
「じゃあ、霜田、朝迎えに来てよ。だったら学校行く」
わざわざ来てくれたことが嬉しくて、ついわがままを言いたくなってしまった。
こんなことを遠慮なく言えるのは、学校では霜田だけだ。
「えー?なんでそんな面倒な」
「そこをなんとか!家近いんでしょ?」
霜田は顎に手をあてて考え込んだ。
何を葛藤しているのかは分からないが、冗談混じりに言ったことだし、そんなに真剣に捉えられると申し訳なくなってしまう。
「まあ、無理だよね。わがまま言ってごめん」
「僕が迎えに来れば学校に来るんだよね?」
「え?いいの?」
予想外の返答にあたしは驚いた。
「その代わり、僕の登校時間に合わせてよね」
「もちろん!」
自分から言い出したことだし、断る理由はなかった。
こうしてあたしは霜田と一緒に学校に行くことになった。
朝迎えに来てくれる時間を決めて、霜田は帰った。
霜田の後ろ姿が見えなくなるまで手を振って見送り、あたしは家の中に入った。
もう一人じゃないんだ。
翌日、朝起きてカーテンを開けたら、部屋中にキラキラとした細かい光が散らばっていた。
よく見るとその光は一つひとつが七色になっていて、とても美しかった。
何かと思ったら、霜田にもらったサンキャッチャーだった。
壁や布団、あたしのパジャマにも小さな虹が散らばっていた。
あたしはそれを見て、楽園にいるような気持ちになった。虹はあたしを幸せにしてくれる。
その虹が部屋中に広がるなんて、夢の中にいるようだった。
お礼も兼ねて部屋の写真を撮って霜田にメールを送った。
すると、霜田からはメールではなく電話がかかってきた。
「はいはい、おはよー」
「おはよう。サンキャッチャー、使ってくれたんだ」
「うん、めっちゃ綺麗。ありがと!」
「それはそうと、あと七分くらいで着くから」
「え?」
「迎えにいく約束でしょ?」
完璧に忘れていた。
無数に散りばめられた虹に気を取られていて、昨日の約束が頭からこぼれ落ちていたらしい。
焦りのあまり無言で電話を切って慌てて朝の準備を始めた。
インターホンがなり、玄関の扉を開けると霜田がいた。
本当に迎えに来てくれた霜田を見て、あたしは嬉しくなった。
「忘れてたでしょ」
「あはは」
「まあ、間に合ったからいいけど。行こう」
霜田と電車に乗って学校へ向かった。
いつも見ている窓からの風景も、なんだか特別な景色のような気がして不思議だった。
隣では霜田が本を読んでいる。
「何読んでるの?」
「『オペラ座の怪人』。諏訪部、読んだ?」
「まだ。内容は映画と同じ?」
「なんか、結構キャラの雰囲気が違う。僕の感想だけど、映画だとクリスティーヌをラウールがエリックから横取りしたような印象があったけど、そうでもないみたい。クリスティーヌはエリックとラウールの間で苦しんでいるし、ラウールは結構みっともなくクリスティーヌに縋り付いているし、エリックはもっとエグい恐怖をクリスティーヌに与えている。映画は美しかったけど、原作は人間模様を繊細に書いている。どっちも面白いよ」
「へー」
「あ、もう駅に着くね。」
霜田は本に紙の栞を挟んで閉じ、鞄にしまった。
電車を降りて改札を通り、スーツを着たサラリーマンや様々な制服姿の学生とともに駅の東口を出た。
「霜田、自転車は?」
「今日は徒歩でいいや」
「そっか、なんかごめん」
「いまさら気にしないでよ」
改めて霜田に迷惑をかけてしまったと反省したけど、お言葉に甘えることにした。
登校はいつも一人で、他の生徒達が仲良さそうに歩いているのを見て羨ましかったけど、今は隣に霜田がいる。
それだけで今日学校に来た意味があるような気がした。
しばらく歩くと、あたしが寺島万里子に遭遇した道に着いた。
また寺島が包丁を持って出てきたら……ありえない事を想像して身体から力が抜け倒れそうになる。
鼓動が速くなり、意識したら腕の傷が痛むような気がした。
でも今は霜田と一緒だから大丈夫。
怯む足を奮い立たせて歩き続けた。
「ここから少し歩いたところに、廃墟があるんだけど、昔そこで殺人事件があったんだって。ほら、人通りが少ないし、見つからないんだろうね。若い女の子は特に注意した方がいいよ」
霜田が忠告した。
恐らくあたしが迷い込んだ廃倉庫のことを言っているのだろう。
「あたしはここで殺されそうになったんだよ」
「マジで!?道を変えようか?」
「大丈夫。へーきへーき」
「でも実際事件に巻き込まれているんだから、もう少し危機感を持った方がいいよ」
「常に霜田が一緒にいてくれたら大丈夫」
「そんな常には無理だよ。僕にもプライベートがあるんだから」
「友達と一緒の時以外ならいいでしょ」
「図々しいなーもう」
「よろしく」
道中、あたしは終始恐怖と戦っていたけど、霜田との他愛のない会話があたしの恐怖心を取り除いてくれた。
霜田と一緒だと春の草原でそよ風に当たっているみたいに心地よかった。
実際は強めの風に吹かれているだけなのだが、霜田といるとそれも特別な気がした。
隣を歩く霜田の横顔を見ながら、あたしは今までに感じたことのない幸福感で満たされていることに気づいた。
霜田はなんだかんだ言って助けてくれる。
短い付き合いではあるけど、あたしは少しずつ霜田を知っていった。
そして、自分の中に芽生えた初めての感情にも気付いた。
一緒に過ごすだけで感じる暖かさ、抱き合わなくても感じる愛おしさ。
あたしは穂高との約束を破ってしまった。
これは恋だと実感した。
あたしにとって霜田は特別な存在になっていた。
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疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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