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四章
野蛮王の怒り④
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控えの間は休憩室になっていた。いまソファには、オーギュスタンを向かいにしてロザリーとイアサントが座っている。オーギュスタンは先ほどから、しきりに流れる汗をハンカチで拭っていた。
「――であるからして、ジョアンナのせいで王妃さまがいやな思いをされているのではないかと、本当に申し訳なく……」
「オーギュスタン宰相。謝罪はもういいから、なぜ彼女がそんな行動に出るのかをそろそろ話してはくれないだろうか?」
イアサントは足を組み替え、若干険をにじませて言った。
ロザリーは先ほどからずっと無言を貫いている。兄のように詰問することなどできる性分ではなかったからだ。だからといってジョアンナのことが気にならないわけではない。
「これは大変申し上げにくいことなのですが……」
もったいぶるオーギュスタンは、言葉にすることを恐れているようでもあった。
ロザリーがこくりと息を呑む。
「実はジョアンナは、ロザリーさまがいらっしゃらなければ……ヴィクトル王の元に嫁ぐ予定だったのでございます」
「なんだと?」
イアサントの眉間にしわが刻まれる。
ロザリーは驚いて大きく目を見開いていた。
オーギュスタンが再び額から流れ落ちる汗を拭う。
「そもそもバルビエは、他国とは一線を画して国を築き上げていくはずだったのでございます。ヴィクトル王がその地盤をお作りになられました」
「ああ、それは知っている。貴国はずいぶん閉鎖的だったと父上に聞いた」
そう皮肉るイアサントを、ロザリーが目線でたしなめた。
「いえ、ロザリーさま。その通りでございましたので……」
ロザリーをかばいつつ、オーギュスタンが続ける。
「ですからアルドワン国から政略結婚の話が持ち上がるまでは、ヴィクトル王にはより血の濃いつながりを次代に残して欲しいと、我々重鎮たちは考えていたわけです」
「それで、ジョアンナさんが――」
ようやく話が見えてきたところで、ロザリーが口を開いた。
オーギュスタンが重々しくうなずく。
「その通りでございます。ジョアンナとヴィクトル王は兄妹のように育ちました。どんな女性を勧めてもなびかなかった陛下が、ジョアンナにだけは心を開いておりましたので」
「それは妹としてではないのか?」
当然のイアサントの問いに、オーギュスタンが肯定とも否定ともつかないあいまいな返事をした。
「そればかりは当人たちでなければわからないことでしょう。ふたりの関係はともかくとして、ジョアンナはヴィクトル王の妃にふさわしくなるよう教育を施されてきていたのでございます」
「つまりジョアンナさんのほうは、最初からそのつもりだったのね?」
「……はい」
的を射たロザリーの言葉に、言いにくそうにオーギュスタンが答える。
「ジョアンナはヴィクトル王の妃になることだけを夢見てきました。それが突然、アルドワンからお話をいただき……以前申し上げた通り、ジョアンナは多大なるショックから結婚式を見ないで済むよう外遊に出てしまったのでございます」
「そうか。確かにそれは災難だな……ジョアンナ嬢もまさか、ヴィクトル陛下が政略結婚を望むとは思いもしなかっただろうし」
うーんと、眉根を寄せるイアサント。
ロザリーもまた困惑していた。
(ジョアンナさんが陛下の妻になるはずだったなんて……)
だから最初に会ったとき、あれほど自分にヴィクトルのことを質問してきたのだと合点がいく。ジョアンナが当然知っていることを妃であるロザリーが知らないことが、彼女にとっては心底面白くないに違いない。婚約してからロザリーが勉強してきたバルビエのことなど、ジョアンナの知識に比べればなんてことないのだろう。
「しかし、オーギュスタン宰相。だからといって僕は、妹を悲しませることは許せない。他国に嫁いだとはいえ、妹は妹だ。バルビエの友好国、アルドワンの次期王としても見すごせることではない」
「まったくもってその通りで……」
オーギュスタンは頭を下げたまま上げられないでいた。さすがの老宰相も、それを持ち出されては立場がない。はたから見れば、娘のワガママを制御できない無能な父親なのだから。
「オーギュスタン、私は構いません」
「ロザリー!?」
ロザリーの言葉に、イアサントは心底驚いたらしい。ぎょっとして妹を見つめている。
「ロザリーさま……!」
おそるおそる顔を上げるオーギュスタンに、ロザリーは余裕に見えるよう精一杯の微笑みを作ってみせた。
「本当にいいのです。女として、ジョアンナさんの気持ちはよくわかりますから」
「おいおい、ロザリーが我慢する必要がどこにあるんだい? オーギュスタン宰相――いや、ヴィクトル陛下からよく言ってもらえばいいじゃないか。王妃の立場がないと」
オーギュスタンが恐れていたであろうこと――ヴィクトルからジョアンナに告げること――に、ロザリーは首を横に振った。イアサントは愕然としている。
「そもそも私が今日、王妃としてもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったはずです」
「それは――まあ、そうとも言えるが……」
イアサントが言葉を濁す。妹が無能だとは思いたくないのだ。
「ロザリーさま……では?」
すがるようにこちらを見つめてくるオーギュスタンに、ロザリーは快くうなずいた。
「ええ。陛下に申し上げる必要はありませんわ」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
オーギュスタンはなんどもなんども頭を下げた。
「貴殿の親バカぶりにも困ったものだな」
諦めたように嘆息するイアサントに、オーギュスタンが苦笑する。
「遅くに授かったひとり娘ですので、あの子が傷つくところをこれ以上見たくないのでございます。もし陛下に進言して、陛下があの子への態度を変えるようなことがあれば――プライドの高いジョアンナは命を絶ってしまいかねません」
外遊中も精神状態が危うかったと聞いてしまい……と、情けないように続けられた。
そう言われてしまえば、ロザリーどころかイアサントも沈黙するしかなかった。
「――であるからして、ジョアンナのせいで王妃さまがいやな思いをされているのではないかと、本当に申し訳なく……」
「オーギュスタン宰相。謝罪はもういいから、なぜ彼女がそんな行動に出るのかをそろそろ話してはくれないだろうか?」
イアサントは足を組み替え、若干険をにじませて言った。
ロザリーは先ほどからずっと無言を貫いている。兄のように詰問することなどできる性分ではなかったからだ。だからといってジョアンナのことが気にならないわけではない。
「これは大変申し上げにくいことなのですが……」
もったいぶるオーギュスタンは、言葉にすることを恐れているようでもあった。
ロザリーがこくりと息を呑む。
「実はジョアンナは、ロザリーさまがいらっしゃらなければ……ヴィクトル王の元に嫁ぐ予定だったのでございます」
「なんだと?」
イアサントの眉間にしわが刻まれる。
ロザリーは驚いて大きく目を見開いていた。
オーギュスタンが再び額から流れ落ちる汗を拭う。
「そもそもバルビエは、他国とは一線を画して国を築き上げていくはずだったのでございます。ヴィクトル王がその地盤をお作りになられました」
「ああ、それは知っている。貴国はずいぶん閉鎖的だったと父上に聞いた」
そう皮肉るイアサントを、ロザリーが目線でたしなめた。
「いえ、ロザリーさま。その通りでございましたので……」
ロザリーをかばいつつ、オーギュスタンが続ける。
「ですからアルドワン国から政略結婚の話が持ち上がるまでは、ヴィクトル王にはより血の濃いつながりを次代に残して欲しいと、我々重鎮たちは考えていたわけです」
「それで、ジョアンナさんが――」
ようやく話が見えてきたところで、ロザリーが口を開いた。
オーギュスタンが重々しくうなずく。
「その通りでございます。ジョアンナとヴィクトル王は兄妹のように育ちました。どんな女性を勧めてもなびかなかった陛下が、ジョアンナにだけは心を開いておりましたので」
「それは妹としてではないのか?」
当然のイアサントの問いに、オーギュスタンが肯定とも否定ともつかないあいまいな返事をした。
「そればかりは当人たちでなければわからないことでしょう。ふたりの関係はともかくとして、ジョアンナはヴィクトル王の妃にふさわしくなるよう教育を施されてきていたのでございます」
「つまりジョアンナさんのほうは、最初からそのつもりだったのね?」
「……はい」
的を射たロザリーの言葉に、言いにくそうにオーギュスタンが答える。
「ジョアンナはヴィクトル王の妃になることだけを夢見てきました。それが突然、アルドワンからお話をいただき……以前申し上げた通り、ジョアンナは多大なるショックから結婚式を見ないで済むよう外遊に出てしまったのでございます」
「そうか。確かにそれは災難だな……ジョアンナ嬢もまさか、ヴィクトル陛下が政略結婚を望むとは思いもしなかっただろうし」
うーんと、眉根を寄せるイアサント。
ロザリーもまた困惑していた。
(ジョアンナさんが陛下の妻になるはずだったなんて……)
だから最初に会ったとき、あれほど自分にヴィクトルのことを質問してきたのだと合点がいく。ジョアンナが当然知っていることを妃であるロザリーが知らないことが、彼女にとっては心底面白くないに違いない。婚約してからロザリーが勉強してきたバルビエのことなど、ジョアンナの知識に比べればなんてことないのだろう。
「しかし、オーギュスタン宰相。だからといって僕は、妹を悲しませることは許せない。他国に嫁いだとはいえ、妹は妹だ。バルビエの友好国、アルドワンの次期王としても見すごせることではない」
「まったくもってその通りで……」
オーギュスタンは頭を下げたまま上げられないでいた。さすがの老宰相も、それを持ち出されては立場がない。はたから見れば、娘のワガママを制御できない無能な父親なのだから。
「オーギュスタン、私は構いません」
「ロザリー!?」
ロザリーの言葉に、イアサントは心底驚いたらしい。ぎょっとして妹を見つめている。
「ロザリーさま……!」
おそるおそる顔を上げるオーギュスタンに、ロザリーは余裕に見えるよう精一杯の微笑みを作ってみせた。
「本当にいいのです。女として、ジョアンナさんの気持ちはよくわかりますから」
「おいおい、ロザリーが我慢する必要がどこにあるんだい? オーギュスタン宰相――いや、ヴィクトル陛下からよく言ってもらえばいいじゃないか。王妃の立場がないと」
オーギュスタンが恐れていたであろうこと――ヴィクトルからジョアンナに告げること――に、ロザリーは首を横に振った。イアサントは愕然としている。
「そもそも私が今日、王妃としてもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったはずです」
「それは――まあ、そうとも言えるが……」
イアサントが言葉を濁す。妹が無能だとは思いたくないのだ。
「ロザリーさま……では?」
すがるようにこちらを見つめてくるオーギュスタンに、ロザリーは快くうなずいた。
「ええ。陛下に申し上げる必要はありませんわ」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
オーギュスタンはなんどもなんども頭を下げた。
「貴殿の親バカぶりにも困ったものだな」
諦めたように嘆息するイアサントに、オーギュスタンが苦笑する。
「遅くに授かったひとり娘ですので、あの子が傷つくところをこれ以上見たくないのでございます。もし陛下に進言して、陛下があの子への態度を変えるようなことがあれば――プライドの高いジョアンナは命を絶ってしまいかねません」
外遊中も精神状態が危うかったと聞いてしまい……と、情けないように続けられた。
そう言われてしまえば、ロザリーどころかイアサントも沈黙するしかなかった。
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