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冷たい唇、熱い舌、生温かい唾液。
ここは町中で、人目があって、ということも忘れてしまうほど激しく唇を貪られ、流し込まれる唾液を飲まされて、すぐに頭に霞がかかったようになってしまう。
いつしか、見覚えのある港の救護所まで戻っていた。歩きながら、ずっとくちづけを受けていたらしい。けれど、既にそれを恥ずかしく思うほどの理性は、私には残っていなかった。
救護所の天幕の傍に、馬がつないであった。艶やかな漆黒の馬が二頭。……よく見れば、一頭は鼻づらにお星さまのような白い模様がある。
「あ、あれ」
ステラ。私の馬と、オルギールの馬。
混戦の中、馬を逃がしたのだけれど、こんなところに。
「あのあと、自分でこの辺りまで駆けてきたようですよ。それで、我らの軍に保護されて。……よかったですね」
静かな声で、オルギールは言った。
「馬で帰りましょう」
ぼんやり顔の私の頬に、仕上げのくちづけをひとつ落としてから、オルギールはそう言って、私を一瞬だけ地表に降ろし、先に馬に跨ると、もう一度私を抱え上げて、自分の前に横抱きに座らせた。
ステラに乗りたい、と小声で言ったのだけれど、返事の代わりに、さらにぴったりと、オルギールに身を添わせるよう引き寄せられた。
馬首を回(めぐ)らし、ゆっくりと歩を進めて、港を後にした。お利口なステラは、後から軽快についてきている。
黄昏時のうすぼんやりとした視界の中に眼を凝らせば、着かず離れず、さりげなく我々の後を追う者達が数騎、いるようだ。
あれらが、下馬して私を尾行していたのか。
──あらかじめ、言ってくれればよかったのに。
やはり、そう思う。
くちづけのせいか、すっかり脱力していて、さっきほど苛々と腹が立つ、ということはもうないけれど、やっぱり気分のいいものではない。
でも、口に出すのも億劫だ。
オルギールはどうせ返事をしないか、または反論の余地なく、完膚なきまでに理論で叩きのめされるのが関の山だ。
私は、ふう、とため息をついた。
お土産、買ったのに。喜んでくれないかもしれない。
ちょっと悲しくなって、お土産の袋を握りしめていると、
「……買い物を、されたのですか」
耳元で、オルギールが言った。
何だか、浮き浮きとした気持ちが急にしぼんでしまっていた私は、まあね、と曖昧に答えた。
「現金を、お持ちではなかったと思いますが」
「アルフが融通してくれたから」
「……なるほど」
会話は途切れがちだ。蹄の音が、やけに耳に響く。
兵士達が敬礼をしたり、我々に声をかけたりしてくるけれど、申し訳ないが目を閉じてやり過ごさせてもらう。
「その、首飾り」
あと少しで旅籠、というところまで来た頃、オルギールは唐突に言った。
「……ああ、これ」
よくお似合いですよ、と店主に御愛想を言われ、私もとても気に入ったので、そのままつけてきているのだった。 おそろいの指輪は、きちんと包装されて袋の中だ。
「あの男が選んだのですか?」
「そうだけど。……私も、気に入ったし」
後になって思えば。
嘘でも、自分で選んだ、と言えばよかったのだろう。
くさくさしてしまっていて、ごまかしたり、上手く言葉を捌くことができなくなっていて、本当のことを言ってしまったが、この時の私は、まさに「地雷を踏んだ」のだった。
この世界に地雷はないから、「墓穴を掘った」と言い換えるべきか。
「黒真珠に赤珊瑚ですか」
あの男が考えそうなことですね、と、どことなく不穏な口調で、彼は続ける。
「それは、あなたへの贈り物ですか?」
「そうよ」
「あなたは、断らなかった、と」
「嫌じゃなかったから」
意地悪オルギール。イヤらしい言い方をする。
私も反抗心がむくむくと芽生えてきた。虚脱感も、いったんお預けだ。
「オルギール、いつも言ってるじゃない。‘イヤなら拒否すればいい’って。イヤじゃなかったから頂いたの。お揃いの、指輪も頂いた」
「……なるほど?」
この話はそれで雲散霧消し、程なくして旅籠に着いた。
先にオルギールが下りて、その後、私を抱き下ろしてくれる。
もう、歩かせてくれると思いきや、そうは問屋が卸さなかった。
十重二十重に旅籠を取り巻く兵士達が、さあっと左右に分かれて我々を通してくれる。
その間を、考えてみれば昨晩同様、私はオルギールに抱っこされて通過した。
昨晩と異なることがあるとしたら、建物に入ったら、仁王立ちのオーディアル公に出迎えられたことくらいだ。
「姫!」
空色の瞳を輝かせて、オーディアル公はオルギールに抱かれたままの私に歩み寄り、私の手を取って、唇を軽く押し当てた。
「お待ちしていた、姫。……お疲れでなければ、夕食をぜひご一緒に」
「喜んで。オーディアル公」
「姫。俺のことはシグルドと」
「はい。……シグルドさま」
名前呼び要求は少々しつこいけれど、今はオーディアル公の屈託のなさ、優しさが心地よい。
黙りこくって私を抱いたままのオルギールに、公は「抱くのを自分に交代するか、姫が立てるならいい加減に下ろせ」と、とてもはっきりと意向を伝えてくれたので、私はようやく自分の足で立つことができた。
旅籠にはこじんまりとした、洒落た食堂がしつらえてあって、そこで私と公爵、オルギールは夕食を頂くことになった。
のんびり、延々と続くのかな、と思っていると、ほとんど全てのお皿を一気に運ばせて、給仕も衛兵も全て遠ざけ、驚くべきことが語られたのだ。
明朝、「いったん」全軍が出立する。城壁外へ出る。
その後、必ず、「海の民」が、またはその意向を汲んだ第三国がウルブスフェルへ攻め入ってくる。
すぐにとって返し、一戦交え、侵略者を制圧する。
町の至る所に間者がいるため、予定外の行動をとることが重要なのだそうだ。
ちなみに、グラディウス軍の逗留予定はまだ数日はとってあったが、「急に出立する」ことによって、敵方の予定も狂わせるのだと。
グラディウス軍が、今回の勝利に酔い、駐屯兵だけを残して引き上げたその後、海側から本格的な侵攻をかけてくることは間違いないと。
その情報を掴んだのはまだ今朝方のことであり、急遽、ごくわずかな指揮官クラスのみに、口頭で予定が伝えられたと。
のちに、ウルブスフェル戦役、として語られる、二度目の戦いが始まろうとしていたのだった。
**********
明日、すぐに戦が始まるわけではないのだから、緊張することなく体を休めるように。
公爵は優しく言って帰ってゆかれたけれど、この時ほど、あと少し、もう少し、ひきとめたい、と思ったことはなかった。
私とオルギール、二人きりにしないでほしい。
食事の前から、オルギールの様子がおかしかったのだ。
普通に見れば、もちろんおかしいことなんて全くない。そもそも通常どおりの無表情、淡々とした話しぶりだし、極秘の打ち合わせも簡潔、的確に説明してくれて、実務レベルでは何らの問題はない。
でも、私にはわかる。
わずかな目の動き、私に向けるまなざし。冷たいのはいつも通りなのだけれど、刺すような、というか絡めとられるような、というか。……異様な熱を帯びている。
食事を終え、公爵を見送り、最上階の部屋に戻って、お風呂を頂こうとしたら。
当たり前のように私とともに浴室へ入ったオルギールは、ひとりにしてほしいという私の懇願に耳を貸すことなく、やすやすと私の着衣を脱がせ、下着を剥ぎ取って、首飾り以外、何も身に着けていない私を、鏡の前に立たせて、後ろから羽交い絞めにした。
羞恥で暴れる私の抵抗すら楽しむように、大きな手で私の両胸を弄びながら、身を捩る私のうなじを舐め、耳朶に息を吹きかける。
「……あの男に、どこまで許したのです?」
聞いたことがない声。怒りなのか嫉妬のせいか。少し掠れたテノール。
私の快感を引き出すようにゆっくりと胸を揉みしだき、先端の尖りを指に挟んでは引っ張り、捻って、潰すように摘まみ上げる。
悲鳴を堪え、唇を噛んで鏡を見れば、狂おしく煌めく紫の双眸が、のたうつ私を凝視していた。
ここは町中で、人目があって、ということも忘れてしまうほど激しく唇を貪られ、流し込まれる唾液を飲まされて、すぐに頭に霞がかかったようになってしまう。
いつしか、見覚えのある港の救護所まで戻っていた。歩きながら、ずっとくちづけを受けていたらしい。けれど、既にそれを恥ずかしく思うほどの理性は、私には残っていなかった。
救護所の天幕の傍に、馬がつないであった。艶やかな漆黒の馬が二頭。……よく見れば、一頭は鼻づらにお星さまのような白い模様がある。
「あ、あれ」
ステラ。私の馬と、オルギールの馬。
混戦の中、馬を逃がしたのだけれど、こんなところに。
「あのあと、自分でこの辺りまで駆けてきたようですよ。それで、我らの軍に保護されて。……よかったですね」
静かな声で、オルギールは言った。
「馬で帰りましょう」
ぼんやり顔の私の頬に、仕上げのくちづけをひとつ落としてから、オルギールはそう言って、私を一瞬だけ地表に降ろし、先に馬に跨ると、もう一度私を抱え上げて、自分の前に横抱きに座らせた。
ステラに乗りたい、と小声で言ったのだけれど、返事の代わりに、さらにぴったりと、オルギールに身を添わせるよう引き寄せられた。
馬首を回(めぐ)らし、ゆっくりと歩を進めて、港を後にした。お利口なステラは、後から軽快についてきている。
黄昏時のうすぼんやりとした視界の中に眼を凝らせば、着かず離れず、さりげなく我々の後を追う者達が数騎、いるようだ。
あれらが、下馬して私を尾行していたのか。
──あらかじめ、言ってくれればよかったのに。
やはり、そう思う。
くちづけのせいか、すっかり脱力していて、さっきほど苛々と腹が立つ、ということはもうないけれど、やっぱり気分のいいものではない。
でも、口に出すのも億劫だ。
オルギールはどうせ返事をしないか、または反論の余地なく、完膚なきまでに理論で叩きのめされるのが関の山だ。
私は、ふう、とため息をついた。
お土産、買ったのに。喜んでくれないかもしれない。
ちょっと悲しくなって、お土産の袋を握りしめていると、
「……買い物を、されたのですか」
耳元で、オルギールが言った。
何だか、浮き浮きとした気持ちが急にしぼんでしまっていた私は、まあね、と曖昧に答えた。
「現金を、お持ちではなかったと思いますが」
「アルフが融通してくれたから」
「……なるほど」
会話は途切れがちだ。蹄の音が、やけに耳に響く。
兵士達が敬礼をしたり、我々に声をかけたりしてくるけれど、申し訳ないが目を閉じてやり過ごさせてもらう。
「その、首飾り」
あと少しで旅籠、というところまで来た頃、オルギールは唐突に言った。
「……ああ、これ」
よくお似合いですよ、と店主に御愛想を言われ、私もとても気に入ったので、そのままつけてきているのだった。 おそろいの指輪は、きちんと包装されて袋の中だ。
「あの男が選んだのですか?」
「そうだけど。……私も、気に入ったし」
後になって思えば。
嘘でも、自分で選んだ、と言えばよかったのだろう。
くさくさしてしまっていて、ごまかしたり、上手く言葉を捌くことができなくなっていて、本当のことを言ってしまったが、この時の私は、まさに「地雷を踏んだ」のだった。
この世界に地雷はないから、「墓穴を掘った」と言い換えるべきか。
「黒真珠に赤珊瑚ですか」
あの男が考えそうなことですね、と、どことなく不穏な口調で、彼は続ける。
「それは、あなたへの贈り物ですか?」
「そうよ」
「あなたは、断らなかった、と」
「嫌じゃなかったから」
意地悪オルギール。イヤらしい言い方をする。
私も反抗心がむくむくと芽生えてきた。虚脱感も、いったんお預けだ。
「オルギール、いつも言ってるじゃない。‘イヤなら拒否すればいい’って。イヤじゃなかったから頂いたの。お揃いの、指輪も頂いた」
「……なるほど?」
この話はそれで雲散霧消し、程なくして旅籠に着いた。
先にオルギールが下りて、その後、私を抱き下ろしてくれる。
もう、歩かせてくれると思いきや、そうは問屋が卸さなかった。
十重二十重に旅籠を取り巻く兵士達が、さあっと左右に分かれて我々を通してくれる。
その間を、考えてみれば昨晩同様、私はオルギールに抱っこされて通過した。
昨晩と異なることがあるとしたら、建物に入ったら、仁王立ちのオーディアル公に出迎えられたことくらいだ。
「姫!」
空色の瞳を輝かせて、オーディアル公はオルギールに抱かれたままの私に歩み寄り、私の手を取って、唇を軽く押し当てた。
「お待ちしていた、姫。……お疲れでなければ、夕食をぜひご一緒に」
「喜んで。オーディアル公」
「姫。俺のことはシグルドと」
「はい。……シグルドさま」
名前呼び要求は少々しつこいけれど、今はオーディアル公の屈託のなさ、優しさが心地よい。
黙りこくって私を抱いたままのオルギールに、公は「抱くのを自分に交代するか、姫が立てるならいい加減に下ろせ」と、とてもはっきりと意向を伝えてくれたので、私はようやく自分の足で立つことができた。
旅籠にはこじんまりとした、洒落た食堂がしつらえてあって、そこで私と公爵、オルギールは夕食を頂くことになった。
のんびり、延々と続くのかな、と思っていると、ほとんど全てのお皿を一気に運ばせて、給仕も衛兵も全て遠ざけ、驚くべきことが語られたのだ。
明朝、「いったん」全軍が出立する。城壁外へ出る。
その後、必ず、「海の民」が、またはその意向を汲んだ第三国がウルブスフェルへ攻め入ってくる。
すぐにとって返し、一戦交え、侵略者を制圧する。
町の至る所に間者がいるため、予定外の行動をとることが重要なのだそうだ。
ちなみに、グラディウス軍の逗留予定はまだ数日はとってあったが、「急に出立する」ことによって、敵方の予定も狂わせるのだと。
グラディウス軍が、今回の勝利に酔い、駐屯兵だけを残して引き上げたその後、海側から本格的な侵攻をかけてくることは間違いないと。
その情報を掴んだのはまだ今朝方のことであり、急遽、ごくわずかな指揮官クラスのみに、口頭で予定が伝えられたと。
のちに、ウルブスフェル戦役、として語られる、二度目の戦いが始まろうとしていたのだった。
**********
明日、すぐに戦が始まるわけではないのだから、緊張することなく体を休めるように。
公爵は優しく言って帰ってゆかれたけれど、この時ほど、あと少し、もう少し、ひきとめたい、と思ったことはなかった。
私とオルギール、二人きりにしないでほしい。
食事の前から、オルギールの様子がおかしかったのだ。
普通に見れば、もちろんおかしいことなんて全くない。そもそも通常どおりの無表情、淡々とした話しぶりだし、極秘の打ち合わせも簡潔、的確に説明してくれて、実務レベルでは何らの問題はない。
でも、私にはわかる。
わずかな目の動き、私に向けるまなざし。冷たいのはいつも通りなのだけれど、刺すような、というか絡めとられるような、というか。……異様な熱を帯びている。
食事を終え、公爵を見送り、最上階の部屋に戻って、お風呂を頂こうとしたら。
当たり前のように私とともに浴室へ入ったオルギールは、ひとりにしてほしいという私の懇願に耳を貸すことなく、やすやすと私の着衣を脱がせ、下着を剥ぎ取って、首飾り以外、何も身に着けていない私を、鏡の前に立たせて、後ろから羽交い絞めにした。
羞恥で暴れる私の抵抗すら楽しむように、大きな手で私の両胸を弄びながら、身を捩る私のうなじを舐め、耳朶に息を吹きかける。
「……あの男に、どこまで許したのです?」
聞いたことがない声。怒りなのか嫉妬のせいか。少し掠れたテノール。
私の快感を引き出すようにゆっくりと胸を揉みしだき、先端の尖りを指に挟んでは引っ張り、捻って、潰すように摘まみ上げる。
悲鳴を堪え、唇を噛んで鏡を見れば、狂おしく煌めく紫の双眸が、のたうつ私を凝視していた。
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