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 悪い予感ほど、あたるものだ。

 そもそも、オルギールは多弁ではないし、行軍中に、私の前で兵士達に檄を飛ばすことなどはしない。

 その彼が、あえて口を挟み、注意喚起をしたのだ。

 違和感を感じたのは私だけではなかったらしく、圧倒的優位な戦況に笑みを浮かべていた兵士達も、一気に口元を引き締め、真剣な面持ちで頷いている。

 持ち場へと去る者、あらためて距離を詰め、私の周囲を固める者。

 杞憂であればいいが。

 そう思いながら彼らを眺めていたのが、わずか四分の一刻ほど前のこと。



**********



 「──異常事態です!!」

 先鋒方面へ放った伝令が、返り血を浴び、肩に矢のささった壮絶な姿で、私を目にするや否や崩れ落ちるように下馬して、両手をついた。

 「報告を!」

 むせて咳き込むたびに、ささった矢が大きく揺れる。傷口を抉り、さぞ痛いだろう。手当してあげたいし、労ってやりたい。
 けれど、その暇は今はない。一応急所は外れているようだし、浅手と思われる。だから私はあえて強く先を促した。

 「急げ、何があった?」
 「奴ら、狂っております!!」

 ざわ、と、兵士達がどよめいた。

 「なぜそう思う?理由は」

 すかさず、鋭く、沈着な声がかけられた。
 オルギールの居住まい、声による冷却効果は絶大なものがある。
 伝令にもそれは伝わったらしい。
 項垂れかけていた彼は、必死にオルギールを振り仰ぎ、震える声を振り絞った。

 「両翼は壊滅しておりますのに。……大将格のいる本隊は異常です。片腕を、片足を失っても、どれほど酷い斬撃を受けていても、攻撃をやめないのです!!息絶えるまで。……まるで、痛みを感じないかのように」

 ゾンビみたいだ。

 私は眉を顰めてひとりごちた。
 しかし、次の瞬間の彼の言葉によって、私も、取り巻く兵士達も、慄然とさせられることになる。

 「皆、口々に申しております!!……‘トゥーラ姫を狙え’と」
 「私!?」

 一斉に兵士達が振り向き、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。
 そうやって動揺をごまかしたけれど、正直、うそ寒い。

 「まあ、こちらの大将を狙う、というのは、間違ってはいないけれど」
 「そのようなものではございません!」

 言っているうちに、どんどん頭が冷えてきたらしい。伝令は勢いよく頭を振った。
 じれったそうに。見たままが伝わっていないことをもどかしく感じているかのように。

 「奴ら、投降の呼びかけなどに応えるわけもなく。ひたすら、我らの本陣を、恐れながら閣下を目指しております!!死を恐れぬ、ではなく、まるで死してなお閣下のお命を狙おうとする様子に、味方も恐慌をきたしております!!」
 「劣勢となっているの?」
 「ただいまは、まだ。しかし、潮目が変わりかねない凄まじい光景にて」
 「先鋒が押され気味ということだな」

 オルギールが後を引き取って、わずかに頷く。

 「閣下」

 親指で、くい、と面頬を上げ、秀麗な面を晒しながら、オルギールは私を振り返った。

 「お供しますゆえ、すぐに離脱を」
 「ちょっと待って!!」

 思わず、オルギールに食って掛かった。
 なんてこった。なんでそんなに決断が速いんだ。
 いや、戦場では即断即決は必要なのはわかる。
 けれど。

 「強力な暗示でもかけられてるんでしょ!?そんなもの」
 「暗示か薬物か。原因はともかくとして」

 オルギールは、平時よりは少しだけ早口に言った。
 それでも、私に向けられた瞳は、私にしかわからない程度にだけれど、甘く、優しい。

 「統制のとれない狂兵ほど扱いに困るものはありません。閣下さえ離脱されれば、味方は安心して戦えるというもの。奴らも目的を失いましょう」
 「快勝、それも圧倒的勝利は目前!!なのに、私には逃げろと!?」
 「戦に勝ってもあなたを失っては意味がない。おわかりになりませんか」
 「そのとおりです、閣下!!」

 この報せをもたらした伝令も、首がきしむほど力強く頷き、同調した。
 それをきっかけに、私を守る兵士達も口々に言う。

 「閣下、大佐殿とともに離脱を」
 「退却ではございません。後始末は我らにお任せあれ」
 「大佐殿の仰る通りです。どのような大勝利も、閣下がご無事であってこそ」

 唇を噛んだ、そのとき。

 わあああ!っと一際大きな怒号と喊声が、我々の近くで聞こえた。
 敵が、迫っている?

 「──閣下!!」

 味方の兵を左右に散らしながら、アルフが馬を駆って現れた。
 先鋒をかって出ていた彼は、激戦の証か、全身に返り血を浴びて鬼神のようだ。
 奇襲攻撃のときの怪我は、大丈夫なのだろうか。
 あまりの凄まじい姿に、彼のことが心配になってしまう。

 「まだいたのか、閣下!」

 声がこもるのが嫌なのか、彼も面頬を上げ、戦いの興奮にぎらつく紅玉の瞳を私に向けた。

 「早く離脱を!!敵の本隊、全員狂ってやがる!俺らが宥めちゃいるが、味方も浮足立ってる!!」
 「でも、リリー隊長」
 「でもじゃねえ!勝ってるうちに、早く!」
 「くっ……」

 話はわかる。理解できすぎて腹立たしいくらい。
 でも、くやしい。ろくに、私自身、戦わないままなんて……

 私は押し黙り、アルフは誰か早く閣下を連れ出せと騒ぎ。

 ──と、そこへ。

 始めはかすかに、そのうちにだんだん力強さを増して、朗々と響き渡る、角笛の音。

 「なに、これ?」

 怪訝な顔をしたのは私だけだった。
 緊張と恐怖に青ざめた兵士達の顔に、みるみるうちに生気が漲るのがわかる。

 「援軍だ!」
 「グラディウスの援軍が到着した!!」
 「グラディウス、万歳!!」
 「皆、持ち場につけ!!」

 グラディウスの兵として、何度も戦っている兵士達には、聞きなれた味方の角笛だったのだろう。
 狂兵どもなど、蹴散らしてくれよう、と、もう一度兵士達の目に覇気が宿る。

  じゃあ、私、離脱の必要ないじゃない?

 そう言おうとして顔をあげると、私を見つめるアルフと目が合った。
 戦いの最中。あくまでも鋭い瞳だけれど、彼の表情は、オルギール同様、優しい。
 噛んで含めるように、言葉を紡ぐ。

 「援軍は、来た。でも、合流までの間も惜しい。……お姫様は離脱だ」
 「なんでそんなこと決めつけるのよ!!」

 司令官は私だ。それに、過保護すぎる。
 激しく抗議しようとした矢先、 

 「閣下」

 静かなテノールが、不意に近づいたと思ったら。

 オルギールが私の真横に馬を寄せてきて、長身を傾けるが早いか、有無を言わさず私を抱え上げ、ステラから引き離してしまった!

 「ちょっと!!オルギール!」
 「失礼、リヴェア様」

 がちゃがちゃ!と具足を鳴らして暴れて振りほどこうとする私を悠々と抑え込み、自分の鞍の前に私を乗せると、オルギールは吐息がかかるほどの距離に美麗な顔を近づけた。
 
 思わず、兵士達の眼前でくちづけされるのかと身構えると──

 「私の姫君。しばし、お休みを」

 私にだけ聞こえる声で囁かれ、私がその意味を問い返す前に。
 
 下腹に、鈍い、強い衝撃が与えられて。……極めて不本意ながら、私はオルギールの腕の中で意識を手放した。
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