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第四章

4-14 出口の見えない迷宮

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 人々に【呪われた島イル・カタラ】と呼ばれる場所に誕生した村、レイ・ドラークの朝は早い。
 寝ぼけ眼のユスティティアは、ノロノロとベッドから起き上がって身支度を調える。
 部屋の外へ出て階段を下りると真っ直ぐに厨房へ向かう。
 朝食の準備をしている最中にキスケが大あくびをしているロワを連れてやってくる。
 早朝の冷たい空気を身に纏って現れた彼は、既に一仕事した後であることをユスティティアは知っていた。

 いつもであれば満面の笑みで出迎えるところだが、彼女はシャノネアの影が見え隠れする現状に戸惑っている最中である。
 どこかぎこちない笑みを浮かべ、朝の挨拶を交わす。

「お、おはようございます」
「おはよう……体調が悪いんじゃないのかい? 顔色が……あまり良くないようだけど……」
「え? あ、だ、大丈夫ですっ!」

 額に触れて熱を測ろうとしていた彼の腕をすり抜け、ユスティティアは朝食を皿へ盛り付ける。

(……ん? 今……避けられた?)

 気のせいだろうか……と、キスケは首を傾げながら彼女の準備した食事をテーブルへ運ぶ。
 ユスティティアの変化を敏感に察知したキスケは、できるだけ刺激しないように様子を窺う。
 一定の距離までは普通なのだが、そのラインを越えると過剰に反応して距離を取る。
 
(意識している……という感じでもないよね。俺……何かした?)

 前日の記憶を探っても、彼女の機嫌を損ねるようなことはしていないと断言できる彼は途方に暮れた。
 原因がわからないということは、解決策が見いだせないのだ。

(直接聞いても、この様子だと誤魔化しそうだよね……)

 なるべく何時お通りに接しながらも、微妙な変化に気づいているロワと豆太郎に視線を送る。
 彼らも心当たりが無いのだろう。ぷるぷると左右に首を振った。
 戸惑うキスケたちをよそに、ユスティティアは厚切りのパンと目玉焼きを添えたプレートへ、トロトロに溶けたチーズをかけた。
 生野菜のサラダと厚切りパンと目玉焼きにたっぷりチーズをトッピングしたモーニングプレート、そこへフルーツヨーグルトを追加して、彼女は満足げに頷く。

「今日はチーズをたっぷり食べたい気分だったんですよ」

 その声はいつも通りの彼女だが、目の奥の光が揺れる。
 それに気づかないほど、キスケは鈍感な男ではないし、無理矢理にでも原因を暴こうとするほど無神経でも無かった。
 
「美味しそうだね」

 いつも通りを望むのなら、原因を探りながら彼女の望むように振る舞おうと、ショックを受けていた彼も何とか頑張って穏やかな声を出す。
 
「昔の記憶にあったメニューなので、朝から手作りしちゃいました」
「あ……そっか。いつものように、コンロに任せなかったんだね」
「レシピにない料理は手作りするしかありませんから」
「朝からご苦労様。トロトロのチーズが美味しそうだね」
「絶対に美味しいですよー! チーズが冷たくならないうちに食べましょう!」

 極上の笑顔で労って貰ったからか、少しだけ元気になったユスティティアは彼の背中を押してダイニングへ向かう。
 静観していた豆太郎とロワも、食欲を刺激する匂いと共に移動して、チョコンとお行儀良く椅子に座る。
 テーブルに並んでいる朝食を食べ始めるが、いつもより静かだ。
 キスケはロワと豆太郎の面倒を見ながら、もそもそ食事を勧めるユスティティアをチラリと見た。
 美味しい物が大好きなユスティティアの食は進んでいないようで、更に心配になったキスケは天を仰ぐ。

(これは重症だな……何が原因なんだろう)

 珍しく静かな朝食の時間に戸惑いを隠しきれないキスケたちは、終始俯きがちのユスティティアを心配げに見つめるのであった。


 ◆◇◆◇◆◇
 

 気まずい朝食から三日が経った。
 その間も、ユスティティアは意識していないようだが、キスケを避ける行動が目立った。
 普段おおらかで、何事にも動じないようになった村人も、これには言葉を失い右往左往していたのである。
 日に日に元気が無くなるユスティティアとキスケに、この村の一大事だと騒ぎ出した村人達は、何とか原因を探ろうとしていた。

 そんな中、ユスティティアと行動を共にすることが多いカルディアは、無言で彼女の行動を観察する。
 いつもは好奇心でめまぐるしく色を変える瞳も、どこかを見つめたまま動かない。
 ただ、ボンヤリとして時間だけが過ぎ去っていく。

「ユスティティア様。何かあったのですか?」
 
 最後の丸薬を梱包し終えたカルディアは、全く動かずにボーッとしているユスティティアに声をかけた。
 だが、反応は無い。
 心ここにあらず……といった様子である。
 いつもであれば意欲的に動き、無理矢理休憩を取らせるよう動く彼女だが、ここ数日は全くといっていいほど作業が進んでいない。
 さすがのカルディアも、このままはマズイと考え、先程よりは大きめにユスティティアの名を呼んだ。

「ユスティティア様!」
「は、はいっ!?」
「……もうお昼ですよ」
「……え?」

 カルディアの声で覚醒したユスティティアは、慌てて時間を確認して愕然としている。
 手元の薬草や米は、新たな調味料や酒にしようと準備した物だが、いずれも手つかずのままだ。

「え……わ、私……ぼーっとしているにもほどがあるでしょっ!?」

 自分でツッコミを入れてから、彼女はガックリと肩を落とす。

「はぁ……何やってんだろう……」
「悩み事……ですよね?」
「んー……ま、まあ……そうなるの……かな」

 ユスティティアは手を動かして、日本酒とみりんを造るための材料をセットしていく。
 日本酒は好評で、シッカリと仕込んでおかなければすぐに無くなりそうな勢いで毎日消費している。
 できれば焼酎や梅酒など、他のお酒にも手を出したいと考えていたユスティティアは、その熱意を思い出せないでいた。

「話してみるとスッキリするかもしれませんよ? 先生に相談してみてはいかがですか?」
「ダメ! キスケ先生はダメなの!」
「……先生がらみですか」
「うぐっ」

 隠し事ができないなぁ……と苦笑しながら、カルディアはユスティティアのそばへ腰を下ろす。

「何を悩んでいらっしゃるのでしょうか。私で良ければ聞きますし、先生にも内緒にしますよ」
「……本当に?」
「先生に聞かれても話さないと約束します」
「…………」

 カルディアの言葉にユスティティアは迷いを見せる。
 ここ数日の間、ずっと考えていた彼女は出口の見えない悩みに疲れていたのだろう。
 戸惑いながらも誰かの意見を聞きたいのか、自分の悩みを口にした。
 
「先生が……一人で島の外へ行った日があったでしょう?」
「はい。すぐに帰ってきましたが……何かあったのですか?」
「……先生から、シャノネアさんの匂いがしたの」

 カルディアは、ユスティティアの言葉から色々と察して深く頷く。

「つまり、シャノネアさんが次に先生を奪いに来たと思っているわけですね?」
「……かも……しれないと……」

 ユスティティアの悩みを聞いたカルディアは、「あり得ない」と断言したかった。
 前の婚約者であるランドールとキスケは全く違うし、ランドールは婚約者であったがユスティティアに好意を持っていなかった。
 スタートラインから違う二人を比べるのはどうなのだろうと考えつつも、同列に見られているキスケが不憫で成らない。
 そう考えてしまうほど、キスケは彼女に深い感情を抱いていると、この村の誰もが知っていた。
 他の女性が口説いたとしても、キスケは靡かないとカルディアは断言できるし、彼の言動の全てにユスティティアへの愛情が溢れている。
 気づいていないのはユスティティアだけだ。
 だから、これは荒療治になるが良い機会だと、カルディアは厳しいことを言う覚悟を決める。
 大好きな二人だからこそ、幸せになって欲しいからこそ、早く気づいて欲しいと考えていたのだ。

「でも……現状で、キスケ先生がシャノネアさんを好きになっても、問題になりませんよね」
「え?」
「だって、ユスティティア様は先生を尊敬しているだけで、恋人でなければ許嫁でもないのですから」

 カルディアの言葉を聞いたユスティティアは愕然とした様子で彼女を見つめ返す。
 次の言葉が出てこないのだろう。
 ただ目を大きく見開いて、何かを探しているようであった。

「どうして嫌なんですか?」

 呆然とする彼女に、カルディアは問いかける。
 
「どうして……?」
「どうして、何も手に着かなくなるほど悩むんですか?」
「…………」
「何故、泣きそうな顔をしているのですか?」

 カルディアの質問に、何一つ答えられずにいたユスティティアは唇を噛みしめる。
 彼女の言葉を頭の中で繰り返し、胸は痛くなるのに言葉が見つからず、頭痛が酷くなっていく。
 心に残るのは焦燥感のみ。
 何故……どうして――と、自らも問いかけるが、答えは見つからなかった。

 そんなユスティティアを静かに見つめていたカルディアは、優しく諭すように語る。

「ユスティティア様……尊敬している相手に、そこまでの執着を見せる人は……いないとは言いませんが、稀です」
「執着?」
「だって、奪われたく無いんですよね? ずっと、側に居て欲しいんですよね?」
「……側には……いてほしい」
「どうしてですか?」

 優しい口調だった。
 カルディアの柔らかく優しい声に、ユスティティアは迷子になった幼子のような頼りなさを覚えた。
 見つからない答えを探して迷い込んだ迷宮の出口は見つからず、更に悩みが深くなるような感覚に襲われる。
 そんな時、側にいて欲しいと願うのはキスケであるということだけは変わらない。
 ただそれだけが、今の彼女の救いであった。

「ユスティティア様……キスケ先生をシッカリと見ていてください。先生の言葉や行動を当たり前だと思わないでください。その一つ一つに込められた想いを見定めてください。そして、その時に自分の心が何を感じているのか……。そこも注意してあげてください。深く考えず、余計な事を考えず、どう感じているのかを……」

 カルディアの言葉に、ユスティティアは小さく頷く。
 キスケの全てが当たり前だと考えたことは無かったが、それに対して感じている自分の心に鈍感であったと気づいたからだ。
 自分の感情を後回しにして生きてきた彼女にとって、これは大きな一歩であった。

「それと……シャノネアさんは、そこまで悪い人ではない気がします。私たちを、あの燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストから助けてくれた人ですから」
「……そう……なの?」
「はい。もしかしたら、それが関係しているかもしれません。あの後、先生だけ残りましたから」
「確かに……」

 ユスティティアは、幾分マシになった顔色で様々な事を考え始めたようだ。
 本当なら「そんなことは絶対に無い」と言って安心させた方が良かったのかも知れない……と考えていたカルディアは、小さく首を横に振る。

(違う……きっと……これは、ユスティティア様が自ら気づいていくことだわ)

 ランドールが長年与え続けて根付かせてしまったネガティブ思考を、長い時間をかけて変えていくと覚悟を決めて挑み続けているキスケを見ていたから、そう思えたのだ。
 ユスティティアの心に歪みを残さぬよう、優しく包み込み、自分の気持ちを押しつけすぎないよう適切な距離を出来るだけ保ちながら接する。
 それがいかに難しいことか、カルディアは知っていた。
 だからこそ、二人の行く末を信じることが出来たのだろう。
 この二人であれば、遠くない未来に最高の答えを出してくれる。
 愛情深い二人のことだから間違いないと、ユスティティアの様子がおかしくなってからも、変わらず愛情を注ぎ続けるキスケの姿を思い浮かべた。

(きっと、大丈夫。ユスティティア様が落ち込みすぎたときに、私たちが手を差し伸べれば良い。あとは、先生がユスティティア様を包み込んでくれるはず)
 
 丁度そのタイミングで、ユスティティアから変に避けられて精神的なダメージでボロボロになりながらも、彼女への気遣いや愛情が目減りするどころか更に深まっているキスケと、そんな彼を心配して付き添っているソータというコンビがやってくる。
 おそらく、昼食を誘いに来たのだろうと察したカルディアは、二人を優しく出迎えるのであった。

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