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第四章
4-15 切ない夜
しおりを挟むユスティティアが変にキスケを避けていた日々は、カルディアのおかげで終わりを迎えた。
しかし、その理由は彼に明かされぬまま時だけが流れている。
それ故に、以前のような親密な関係性が消え去り、どこかよそよそしさを感じる間柄となってしまったのである。
コレにはキスケだけではなく、豆太郎とロワも困惑していた。
仲が悪いわけでは無い。
しかし、奇妙なラインを感じるのだ。
(本当に俺……何したんだろう……。ユティを怒らせるようなことをしちゃったんだよね)
心当たりの無いキスケは深い溜め息をつく。
こういう状況になってからというもの、彼は少し寝不足気味だ。
そんなキスケを気遣ってか、ロワも一緒になって起きている事が増えたのだが……眠気には逆らえなかった。
今も彼のベッドの上でお腹を上にして寝転がっている。
野生の尊厳などあったものではない。
魔物であったことなど忘却の彼方では無いだろうか。
お腹を見せて眠り、何か夢を見ているのかムニャムニャ言っているロワのお腹を撫でながら、キスケも天を仰ぐ。
(本格的に弱ったな……問いかけてもはぐらかされるし、無理矢理聞き出すのも……)
これが他人であれば言葉巧みに聞き出すことができただろうが、相手はユスティティアである。
今まで恋愛らしい恋愛をしてこなかった彼は、かなり慎重になっていた。
恋しい相手から避けられる事態に心を痛め、溜め息の回数ばかり増える。
「これが……切ないっていう感情なのかな……」
知識はあっても経験したことの無い感情に振り回されるとは思わず、彼は再び溜め息をつく。
彼は朝も早くから行動することが多いので、何とか眠らなければと瞼を閉じる。
(そういえば……ユティの心からの笑顔って……最近見てないな……)
ズキリと痛んだ胸を無視して、キスケは何度目になるか判らない溜め息をつく。
そして、無理矢理に寝るため自分へ眠りの魔法をかける。
こうでもしなければ眠れないのが異常事態なのだと気づかない彼は、そうして今日という日を終えたのであった。
◆◇◆◇◆◇
同時刻、隣の部屋で彼女は頭を抱えていた。
(どうしよう……どういう顔をして接して良いのかわからない……!)
カルディアとの会話から、変に避けることは辞めたユティであったが、キスケの行動の一つ一つを注視するようになった彼女は、自分がどれほど大切にされているか思い知ったのである。
先ずは声。
二人きりのときは、若干甘めになること。
これに気づいた時、ユスティティアは顔を真っ赤にしてその場から逃げ出した。
次に表情。
優しい好青年という表情が多い彼も、時々だがユスティティアにだけ見せる顔があることを知った。
それは、男の色気というものだろうか……本人は自覚していないようだが、確実に落としに来ていると考えるほど刺激的で「ヤバイ」と思えるものだ。
ユスティティアは逃走以外の術を持っていないのか、ここからも見事に走り去ったのである。
他にも色々あるが、常に二人きりの時に起こることだ。
それを理解してからは、出来るだけ二人きりの時間を減らした。
それが一番良いはずなのに――気づけば、二人きりになっている。
彼女は気づいていない。
姿を見れば自然と寄っていくし、何かあれば真っ先に声をかける相手はキスケなのだ。
心を許せば許すほど、シャノネアの存在が心に影を落とす。
「うぅ……そうだよね。王太子殿下よりも先生のほうがカッコイイし、素敵だし、大人だし……対応もスマートだし、理解もある。寄り添ってくれて、優しく微笑みかけてくれるだけでも貴重な存在なのに、戦闘力も申し分なく、それをひけらかすこともしない謙虚さが……。つまり、正反対だから惹かれても不思議じゃ無いわよね」
むしろ、惹かれない条件を探す方が難しい……と、ユスティティアは唸り始める。
眠っている豆太郎を指先で突きながら、彼女は「ふぅ」と溜め息をついた。
「最近……溜め息ばかりだなぁ」
本当は仲良くしたいし、もっと一緒にいたいのに……と、彼女の口から本音が漏れる。
だが、今はシャノネアの存在がチラついて、胸のモヤモヤが増すのだ。
それがとてもいけない感情のように感じたユスティティアは、キスケに幻滅して欲しくなくて避けてしまう。
いま嫌われたら、キスケがシャノネアのところへ行くような気がして恐ろしくなるのだ。
そんなときに思い出すのは、カルディアの「どうして嫌なんですか?」という言葉――。
「尊敬する先生をとられたくないって思うのは……変なのかな」
目を閉じてユスティティアは考える。
今でも夢に見るほど鮮烈な記憶として焼き付いているのは、彼女のピンチに駆けつけた彼の姿であった。
その時を思い出すだけで、胸が熱くなってしまう。
「命の恩人だし……信じてくれたし……大切にしてくれた。私のような出来損ないが……求めていい相手じゃない」
自ら発した言葉に傷つき、ユスティティアは唇を噛みしめる。
幼い頃から言われ続けた言葉だった。
その声や口調、トーンまでハッキリと思い出せる。
当時の彼女は、両親から洗脳されていたと言われても納得がいく生活を送っていた。
そんな時間が長ければ長いほど、気づけば聞くに堪えない言葉を何かの拍子に思い出し、心を蝕んでいく。
ユスティティアの両親やランドールにとって『何も出来ないユスティティア』が理想であったのだ。
ストレス発散し、心ない言葉をかけて自尊心を満たす。
そういうサンドバッグ的な存在――。
だが、今の彼女の現状を知れば、彼らは何を思うのだろうか。
おそらく、特に変わらないはずだ。
ありとあらゆる言葉での罵倒がエスカレートすることはあっても、優しく接し、大切にしようという考えには至らない。
生涯、自分たちが気持ちよく生活するためだけの道具として見られるのがオチである。
そう……それは、ユスティティアにも判っているのだ。
だからこそ、彼らに希望を抱くことは無いし、出来るだけ関わりたくない。
「これも……先生のおかげだよね……。大切にされているから気づけたことって多いなぁ」
ひとつひとつの行動に違いを感じ、キスケに感謝する日々。
だからこそ、ユスティティアにとってキスケは特別な存在である。
「困った……な。私……先生に何を望んでいるんだろう……」
キスケの事を思い出すだけで胸が温かくなった。
だが、今はそこに若干の苦さを伴う苦しみが含まれるようになったのだ。
「苦しい……なぁ」
見つからない答えも、この胸の苦しさも――そう考えていたユスティティアは、部屋の扉がいきなり開いた事に驚いた。
鍵はかけていなかったが、こんな夜更けに押しかけてくる者などいないはずだ。
驚き固まるユスティティアの目の前には、目を閉じてフラフラしているキスケの姿――。
「せ……先生?」
無言のまま、彼は彼女が横たわるベッドへ倒れ込む。
大きくたわんだベッドに驚いたが、幸いなことにスリープモードの豆太郎は気づかなかったようだ。
無意識なのか何なのか、ユスティティアだけは傷つけないよう綺麗に避けているところが見事としか言いようが無い。
もう、本能にでもすり込まれているのかと思えるほど、完璧な動きであった。
「あ、あの……先生?」
恐る恐る声をかけるが、起きる気配は無い。
深い眠りについているだけ……寝ぼけてやってきただけだと判断した彼女は、何とか彼の体の下から布団を引っ張り出して体にかける。
違う場所で寝ようかと考えていた彼女は、これは好機では無いかと感じてソッと身を寄せた。
キスケは眠っているから気づかない。
それが彼女の心に余裕を取り戻す要因となったのだ。
「先生……寝てるんですか?」
本当に眠っているのか確認してみるが、柔らかな寝息が聞こえてくるだけで、全く起きる気配は無い。
「…………えへへ」
横向きで寝ている彼の懐へ入る形で身を寄せたユスティティアは、キスケのぬくもりに自然と頬が緩むのを感じていた。
ペタペタと触れても起きる気配が無いのは、彼が眠りの魔法を自らにかけた為だろう。
この様子であれば、暫く起きることは無いという安心感からユスティティアの行動は大胆になる。
ピッタリと隙間を無くすくらい寄り添い、彼の腕を自分の体を包み込むように動かして落ち着く。
(不思議……ドキドキするのに落ち着くというか……守られている感じがする。悩みやモヤモヤなんて吹き飛びそう)
硬い胸板へ額を預け、キスケの体に自分の匂いをこすりつけるように密着する。
これがシャノネアへの対抗心であるということにも気づかず、ユスティティアは久しぶりに感じる大きな安堵感に包まれた。
「……ユティ」
眠っているはずのキスケから漏れ出た言葉に体が大きく跳ねたが、どうやら寝言のようだと知りホッと息をつく。
それと同時に、夢の中でも自分のことを考えてくれていることを知り、ユスティティアは頬を緩めた。
「私も……先生の夢を見たいなぁ……」
ここ最近の不眠症など嘘だったように襲ってきた眠気に彼女は目を閉じる。
そして、先程よりも強く抱かれる幸福感に心を満たして「ああ……やっぱり好きだなぁ……」と呟きながら、ユスティティアは眠りへ落ちるのであった。
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