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第十三章 グレンドルグ王国
13-18 知識・予防・栄養
しおりを挟む聖域化を成功させ、何とか一段落ついたところで、黒狼の主ハティが新たな依り代を手に入れていた事実に言及したベオルフ様は、渋い顔をする。
あの者が力を取り戻したという事は、それだけ犠牲が出ているということだ。
日本やリュート様の世界のように情報を簡単に入手し、管理できる世界では無いため、全く被害を出さないという確約は出来ない。
辺境や王都から遠い場所にある村は、どうしても目が届かないのだ。
そんな中で、宰相様から流行病の村があるという情報が出てきた。
おそらく……いや、十中八九、黒狼の主ハティの仕業である。
現時点で死者は出ていないとのことであった。
しかし、それも今だけの話だ。
詳しい報告書をしたためた資料を渡され、それを人型に戻ってから手に取り読み進める。
資料は、村々で起きている事を綺麗に判りやすくまとめられていた。
資料に書き記されている症状だけ見れば、インフルエンザによく似ている。
医療技術だけ見てみれば、この世界の技術はリュート様の世界よりも少し劣る程度だ。
しかし、大きく違うのはポーションの有無である。
それに、リュート様の世界は多少金額がかかるけれども、神殿で治療してくれる神官もいるのだ。
同じレベルだと言っても、大前提が違う。
「……色々とマズイですよね」
誰にも聞かれないように私は呟く。
おそらく、相手は病を意図的に創り出す知識を持つ。
ミュリア様が、その知識を持っているとは思えないが……万が一という事もある。
変なところで特化した知識を持つ可能性もあるのだから、完全否定は出来ない。
あの世界は良い意味でも悪い意味でも、情報が溢れていたのだから――
インフルエンザであれば、根絶することなど不可能だ。
毎年、型を変えて流行するし、そのワクチンを創る知識など、私は持ち合わせていない。
根絶が難しいなら、予防するしか無いのだが……。
病を予防するという考えを持たない世界に、『飛沫感染予防の知識』を説明しても、定着させることは難しいが、諦めて何もしないのは違う。
だからこそ、彼らに病に対する知識や予防方法を語った。
今は全て理解出来なくとも、いずれ、それを理解する日は来ると信じて……
「んー……致死力が高いウィルスを選ばなかったのは、秘密裏にしておきたかったからかな」
時空神様の言葉に、私は頷く。
「感染力が強い病ですし、弱い子供やお年寄りが亡くなっても不自然とは感じませんからね……他の病でも、犠牲になるのはお年寄りと子供ですから」
「ヘタに騒がれる病気は避けたってところだね。風邪と思って油断していると痛い目に遭うけど……」
「その可能性が高いです」
おそらく、黒狼の主ハティは必要以上にグレンドルグ王国の国力を疲弊させようと考えていない。
民の不安を煽り、戦争へ事を運べるようにしたい。ただ、それだけを考えているのだ。
あくまでも、戦争をする理由を探しているように感じるのは何故だろうか。
手っ取り早く人の命を刈り取るなら、病でも変わらないのに……?
そんな疑問が頭に浮かぶ。
もしかしたら、黒狼の主ハティが力を集めるのに、複雑な制約があるのかもしれない。
そう考えれば回りくどいやり方でも理解出来るというものだ。
まあ、黒狼の主ハティが陰険根暗粘着ストーカーだということを考慮すれば、ただ単に、そういうやり方が好みだという線も捨てきれないのだけれども。
ただ、確実に言える事は、黒狼の主ハティは……
「警戒されないように範囲を拡大している――つまり、完全に力をとりもどしたわけではないということだな」
私の考えを見透かしたようにベオルフ様が言い放つ。
何も言っていないのに、そこまで理解していた彼に驚きだが、ある意味、安心した。
知識など無くとも、それが危険なことなのだと理解している人がいるのだから。
「では……我が国に、また病が流行すると……?」
「おそらくは……」
宰相様の言葉に、ベオルフ様が神妙な顔で頷く。
そんな彼の横で資料を熟読して情報を収集する。
やはり、気になるのは『予防』と『衛生面』と『栄養』だ。
最低でも、その三つは何とかしたい。
しかし、すぐに改善できるものではないと理解している。
とにかく、私が持てる知識をこの場にいる人たちへ伝えようと腰にあるポーチからペンと紙を取り出す。
ふふふ……このペン、何を隠そう……リュート様とお揃いなのです!
しかも、とても書きやすくて重宝しているのですよ!
あ、違う。ペンの自慢をしたいわけではないのだと意識を切り替え、紙に注意事項を書いていく。
鼻や口を布で覆って飛沫感染を防いだり、衣類や布などを煮沸消毒したり、うがい手洗いの方法であったり……。
それら全てを文章で書き記し、さらに判りやすくなるようイラストを付け加えようとしたのだけれども、何故かベオルフ様に全力で止められた。解せぬ。
「まあ、ルナちゃんが書いている通りの対処法ができたら、そこまで深刻な被害は出ないだろうね」
時空神様からのお墨付きもいただけたので、大丈夫だろうと安堵する。
私が持つ知識は、一般的なものだ。
専門家が見たら、もっと難しいけれども的確なアドバイスを貰えたかも知れないという不安もあったので、少しだけ自信を持つことが出来た。
「ウィルス性の病気はこんなもんだよ。しかも、接触と飛沫感染がメインだから、注意していればどうってことはないし、対処はしやすいでしょ」
「本当は、栄養のある物を食べられるように出来たら良いのですが……」
そう、一番の問題はコレだ。
栄養不足からくる免疫の低下である。
王都から遠い村はその日を暮らすだけで精一杯なのだ。
満足な食事も出来ず、いつもひもじい思いをしている。
炊き出しなどをしたところで一時しのぎにしかならず、根本的な解決にならない。
彼らが自らの手で収穫し、いつでも食べられる環境――日本やリュート様の世界では当たり前の事が、この世界では、こんなにも難しいのだ。
どうするべきか……どうすれば、人々がお腹いっぱいに食べられるのか――
「それならば、僕の作ったパンの実を食せば良かろう」
その答えを出したのは、オーディナル様だった。
ノエルと紫黒をあやしながら、オーディナル様は真っ直ぐに私とベオルフ様を見つめる。
気づかなかったのか? ……そう、問いかけるような表情だ。
確かに、パンの実はアリだ。
辺境であれば……いや、人の少ない場所ほど、パンの実は多い。
もしかしたら、万が一を考えてオーディナル様が、そのようにしていたのかもしれないと考えると、やはり凄い神様なのだと実感することが出来る。
「その手がありましたね。しかし……ズルイのですよ、とても簡単に美味しいパンが作って食べられるのですから。私たちは手間暇かけて……いえ、今考えるべき事ではありませんね」
普段、私たちがどれほど手間暇をかけて、そのレベルになるよう頑張っていると思うのか……と、不平不満を言いたいところだ。
しかし、今回は助かった。
パン作りを知らない人でも、粉を振って丸めて焼くだけで、そこそこのものが出来上がる。
そんなチート級の木の実である、パンの実を使わない手は無い。
「パンの実ロナ・ポウンを使ったパンのレシピは簡単で良いですね。殆ど捏ねる必要もありませんし、発酵しなくても何とかなりそうですもの」
「うむ。それが良い点だろう?」
「さすがはオーディナル様なのです」
「もっと褒めても良いぞ? 僕の愛し子が褒めてくれると嬉しくて仕方ないな」
「主神オーディナル、締まりの無い顔はやめてください。威厳に関わります」
全く……私とベオルフ様だけの時なら良いですが、他の方々もいるのですよ?
メッ! と注意したら、オーディナル様は思いのほかシュンとしてしまった。
少し言い過ぎた……かも?
いえ、今はそれどころではありません!
「オーディナル様。パンの実を実際に使ってパン作りを試してみたいのですが……」
「そうかそうか! 勿論、食べても良いのだろうな」
「あ、はい、勿論です。味見をして感想を聞かせてください」
「よし! 何が必要だ? 僕に遠慮無く言いなさい。全て叶えよう!」
「嬉しいのはわかりますが、とりあえず落ち着いてください」
いきなりテンションの上がったオーディナル様を、今度はベオルフ様が注意する。
そんな彼の横顔を見ながら、私はふむ……と頷く。
「ベオルフ様は、私と一緒に作りましょう!」
「……そうだな」
ふふふ、これで準備万端ですよ!
オーディナル様が創ってくださったイメージが最悪になっている、パンの実。
それがまさか、自分たちの計画を妨げるとは、黒狼の主ハティも予想できなかったはず。
チート級の木の実である、パンの実を使い。簡単で失敗無く、手軽に栄養が取れるレシピとなれば、アレしかない。
うふふ……と笑う私の耳に、ラハトさんの声が聞こえる。
「結局さ……どっちもルナティエラ様にかかったら、締まりの無い顔になるんじゃねーかよ。どっちもウキウキじゃねーか」
何気なくベオルフ様とオーディナル様の顔を見ると、確かに似たような表情をして、やる気に満ちあふれている様子だ。
うんうん、やはり、好転する一手となる可能性があると知れば嬉しいですよね!
えへへーと笑いかける私に、ベオルフ様は目を細める。
さて……黒狼の主ハティが驚くような料理を作って、この世界の人たちにも食べて貰いましょう。
グレンドルグ王国の食改革始動です!
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