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第7話 代筆屋
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王立第13孤児院を出たのは、ちょうど昼食の前だった。
僕のお腹がぐぅーっと鳴る。
(とりあえず孤児院長の予測から少しは外れたかな……)
王立第13孤児院を何らかの理由で強制的に去る者は少なくない。だがそのほとんどが、当てもない出立を嫌い、日付が変わるギリギリの深夜まで居座るのだ。
孤児院を出る直前に孤児院長に挨拶した際、彼はとても驚いた様子だった。僕も深夜までぐずって、孤児院長に泣いてすがるとでも思われていたんだろう。
僕は中央通りに並ぶ屋台の中で、串焼きを買う。ルヴィアとティエラ姉ちゃんと何度も来たことのある顔馴染みだ。だから8歳児とはいえぼったくられることもないし、金だけ持ち逃げされることもない。
淡白な鳥の串焼きを頬張りながら、中央通りの遥か彼方に見える王城を見上げる。
小高い丘の上に立ち、旧市街と新市街を見下ろす白亜の宮殿がそれだ。
王都は、大きく分ければ東西に区分される。東の旧市街と西の新市街だ。
旧市街にはスラムがあり、新市街には貴族の邸宅などがある。
旧市街と新市街の間には中央通りが走り、その先が王城になっている。逆方向に進めば城下町最大の城門、南門に出る。
王立第13孤児院は南門に近く、旧市街にギリギリ入るか入らないかという微妙な位置に建っていた。ちなみに王宮に近い北に行くほど地価は上がる。
中央通りには巡回する兵士がいて、旧市街にいる薄汚い人間が新市街に入るのを防いでいた。
旧市街の人間がうろつけるのは、中央通り――それも旧市街寄りが最西端だ。
僕の格好は、ルヴィアとティエラ姉ちゃんのおかげで、かなり小奇麗だった。新市街にも入れる。おそらく孤児院長やハーグウェイ家にとっては、勇者と聖女のご機嫌取りに使えるペットくらいの感覚だったのだろう。
だが今はそれがありがたい。
ルヴィアやティエラ、シンシアなどの年長者が行う買い出しにも積極的についていっていた僕は、迷うことなく新市街の中を歩く。
新市街でも中央通りに近い辺り、中小貴族の邸宅が立ち並ぶ区画で、目当ての店を見つけた。
粗末な木箱に、申し訳程度に白い布をテーブルクロス代わりにかけて、小さな花瓶に花を飾ってある。
最も目を引くのは、重ねられた粗末な羊皮紙と立てかけられた羽ペンとインク壺だろう。
さりがなく、羽ペンをペンスタンドに立てて目立たせているのは、彼女にとってそれが商売道具であり、商売のトレードマークだからだ。看板代わりとでも言おうか。
「おや? アルの坊やじゃないかい。どうしたんだい。お使いかい?」
包帯を右手と左目の辺りに巻いた怪しい格好の女に声をかけられた。包帯さえなければ、美しいとか、妖艶なとかいう形容詞をつけるべき女性だ。
異国情緒あふれる黒髪を肩口で切り揃え、前髪もまっすぐ揃っている。どこか幼い髪型にも見えて、年齢を一層わからなくさせていた。たぶん10代半ばくらいだと思う。15歳で成人と見なされるこの世界では立派な大人の女性だ。
「ツヅキさん、こんにちは」
「この代筆屋のツヅキに何か依頼ってわけじゃないんだろ? アルの坊やにゃ、代筆屋は不要だ」
「いいえ。依頼です。お金も少しですが持ってきました」
包帯に覆われていない右目がまん丸になる。驚いた様子だ。
彼女は、僕が王国の文字が読み書きできることを知っている。これでも前世では文系で、その手のことは得意だったのだ。
「珍しいねぇ……わけありかい?」
「うん」
僕は第13孤児院を追い出されたことを素直に話した。勇者ルヴィアと聖女ティエラの出立についても教えたが、そっちはどうやらすでに知っていた様子だ。
代筆屋ツヅキの仕事は、この辺にある中小貴族の邸宅で働く文字の読み書きできない使用人達の代筆が中心だ。たまに親元から送られてくる手紙を読んで欲しいと頼まれたり、貴族から渡された紙に読めない文字があるので読んでくれと依頼されたりする。
当然、読み書きできる僕が代筆屋に依頼など本来ならないはずだった。
僕はリュックから、巻いて紐で縛った状態の羊皮紙を3枚取り出して、ツヅキに差し出した。
「王宮、貴族院、孤児院統括本部の3か所に投書して欲しい」
ツヅキは動かない。
「ずいぶんと物騒な名が上がるねぇ……。孤児が王宮や貴族院、孤児院統括本部なんかになんの用だい? しかも、わざわざ巻いてあるってことは『中身は見るな』ってことかな?」
「……できれば、……でも、ツヅキさんの迷惑になる可能性もあるから、内容について話してもいいよ」
「いや。いい。……聞きたくないよ」
ツヅキは包帯の巻かれた右手を突き出した。
「代筆屋は、代筆した内容を記憶しないし、誰にもしゃべらない。これは最も重要なことさ」
「プライバシー保護のため?」
「ぷらいばしー? いんや、単純に命が惜しいからさ。……つまらんことを知って、――こうなる代筆屋は多い」
右手を水平に走らせて、首を切る仕草をする。
妙な好奇心を働かせて酷い目に遭ったという代筆屋の話は僕も聞いたことがあった。この代筆屋のツヅキの目や腕の包帯も、そういう好奇心が原因だと噂で聞いたことがある。
「じゃぁ……送ってくれるの?」
この異世界には郵便局などない。直接王宮や貴族院に赴くには、孤児という身分も、8歳という年齢も問題がありすぎる。
その点、代筆屋をここで長く営んでいる彼女なら、貴族にも伝手があったり、文を届けるノウハウを持っていたりするだろうと目をつけていたのだ。
「これは……ルヴィアとティエラの役に立つことかい?」
買い出しには3人で出ることが多かった。だからツヅキも2人と知り合いだった。
けど、僕が知る以外にも2人と何か接点があったのかもしれない。
「……うん。ルヴィアもティエラ姉ちゃんも喜ぶ結果になると思う。……そうなるように、僕も精一杯努力するよ」
真剣な気持ちをこめて語る。
こうしてツヅキとしゃべるのも今日が最後かもしれない。
僕が失敗した場合、この3枚の羊皮紙だけが、あの孤児院を改善する手掛かりになる。運が悪ければ王宮も貴族院も孤児院統括本部も動かないかもしれないが、やらないより遥かにマシだ。
せめて少しでも確率を上げるために3枚も〈複写〉したのだ。孤児院長室に隠されていた羊皮紙を。
「了解した。この代筆屋ツヅキ、承ったよ。……ほんじゃ、お代はその喜ぶ結果ってのになってから頂くよ」
「え?」
「孤児院を追い出されたんだろ? だったら金は大事にしな。もし、代筆屋をやりたいなら貴族様に口をきいてやってもいい。ただし、マージンは頂くよ。代筆屋ツヅキ2号店を出すんだからね」
「2号店なんだ」
「あぁ。強制だ」
ツヅキは笑う。
包帯をした右手で羊皮紙3枚を丁重に受け取ってくれた。そして生身のままの左手を伸ばして、僕の頭をなでてくれる。
ツヅキになでられたのは初めてだった。立ち上がると彼女は少しふらついた。いつも座ったままだったため、両足にも包帯が巻かれていることを初めて知った。
「だから死ぬなよ、アルの坊や。何をするつもりか知らないが、死ねばルヴィアもティエラも悲しむからな」
僕のお腹がぐぅーっと鳴る。
(とりあえず孤児院長の予測から少しは外れたかな……)
王立第13孤児院を何らかの理由で強制的に去る者は少なくない。だがそのほとんどが、当てもない出立を嫌い、日付が変わるギリギリの深夜まで居座るのだ。
孤児院を出る直前に孤児院長に挨拶した際、彼はとても驚いた様子だった。僕も深夜までぐずって、孤児院長に泣いてすがるとでも思われていたんだろう。
僕は中央通りに並ぶ屋台の中で、串焼きを買う。ルヴィアとティエラ姉ちゃんと何度も来たことのある顔馴染みだ。だから8歳児とはいえぼったくられることもないし、金だけ持ち逃げされることもない。
淡白な鳥の串焼きを頬張りながら、中央通りの遥か彼方に見える王城を見上げる。
小高い丘の上に立ち、旧市街と新市街を見下ろす白亜の宮殿がそれだ。
王都は、大きく分ければ東西に区分される。東の旧市街と西の新市街だ。
旧市街にはスラムがあり、新市街には貴族の邸宅などがある。
旧市街と新市街の間には中央通りが走り、その先が王城になっている。逆方向に進めば城下町最大の城門、南門に出る。
王立第13孤児院は南門に近く、旧市街にギリギリ入るか入らないかという微妙な位置に建っていた。ちなみに王宮に近い北に行くほど地価は上がる。
中央通りには巡回する兵士がいて、旧市街にいる薄汚い人間が新市街に入るのを防いでいた。
旧市街の人間がうろつけるのは、中央通り――それも旧市街寄りが最西端だ。
僕の格好は、ルヴィアとティエラ姉ちゃんのおかげで、かなり小奇麗だった。新市街にも入れる。おそらく孤児院長やハーグウェイ家にとっては、勇者と聖女のご機嫌取りに使えるペットくらいの感覚だったのだろう。
だが今はそれがありがたい。
ルヴィアやティエラ、シンシアなどの年長者が行う買い出しにも積極的についていっていた僕は、迷うことなく新市街の中を歩く。
新市街でも中央通りに近い辺り、中小貴族の邸宅が立ち並ぶ区画で、目当ての店を見つけた。
粗末な木箱に、申し訳程度に白い布をテーブルクロス代わりにかけて、小さな花瓶に花を飾ってある。
最も目を引くのは、重ねられた粗末な羊皮紙と立てかけられた羽ペンとインク壺だろう。
さりがなく、羽ペンをペンスタンドに立てて目立たせているのは、彼女にとってそれが商売道具であり、商売のトレードマークだからだ。看板代わりとでも言おうか。
「おや? アルの坊やじゃないかい。どうしたんだい。お使いかい?」
包帯を右手と左目の辺りに巻いた怪しい格好の女に声をかけられた。包帯さえなければ、美しいとか、妖艶なとかいう形容詞をつけるべき女性だ。
異国情緒あふれる黒髪を肩口で切り揃え、前髪もまっすぐ揃っている。どこか幼い髪型にも見えて、年齢を一層わからなくさせていた。たぶん10代半ばくらいだと思う。15歳で成人と見なされるこの世界では立派な大人の女性だ。
「ツヅキさん、こんにちは」
「この代筆屋のツヅキに何か依頼ってわけじゃないんだろ? アルの坊やにゃ、代筆屋は不要だ」
「いいえ。依頼です。お金も少しですが持ってきました」
包帯に覆われていない右目がまん丸になる。驚いた様子だ。
彼女は、僕が王国の文字が読み書きできることを知っている。これでも前世では文系で、その手のことは得意だったのだ。
「珍しいねぇ……わけありかい?」
「うん」
僕は第13孤児院を追い出されたことを素直に話した。勇者ルヴィアと聖女ティエラの出立についても教えたが、そっちはどうやらすでに知っていた様子だ。
代筆屋ツヅキの仕事は、この辺にある中小貴族の邸宅で働く文字の読み書きできない使用人達の代筆が中心だ。たまに親元から送られてくる手紙を読んで欲しいと頼まれたり、貴族から渡された紙に読めない文字があるので読んでくれと依頼されたりする。
当然、読み書きできる僕が代筆屋に依頼など本来ならないはずだった。
僕はリュックから、巻いて紐で縛った状態の羊皮紙を3枚取り出して、ツヅキに差し出した。
「王宮、貴族院、孤児院統括本部の3か所に投書して欲しい」
ツヅキは動かない。
「ずいぶんと物騒な名が上がるねぇ……。孤児が王宮や貴族院、孤児院統括本部なんかになんの用だい? しかも、わざわざ巻いてあるってことは『中身は見るな』ってことかな?」
「……できれば、……でも、ツヅキさんの迷惑になる可能性もあるから、内容について話してもいいよ」
「いや。いい。……聞きたくないよ」
ツヅキは包帯の巻かれた右手を突き出した。
「代筆屋は、代筆した内容を記憶しないし、誰にもしゃべらない。これは最も重要なことさ」
「プライバシー保護のため?」
「ぷらいばしー? いんや、単純に命が惜しいからさ。……つまらんことを知って、――こうなる代筆屋は多い」
右手を水平に走らせて、首を切る仕草をする。
妙な好奇心を働かせて酷い目に遭ったという代筆屋の話は僕も聞いたことがあった。この代筆屋のツヅキの目や腕の包帯も、そういう好奇心が原因だと噂で聞いたことがある。
「じゃぁ……送ってくれるの?」
この異世界には郵便局などない。直接王宮や貴族院に赴くには、孤児という身分も、8歳という年齢も問題がありすぎる。
その点、代筆屋をここで長く営んでいる彼女なら、貴族にも伝手があったり、文を届けるノウハウを持っていたりするだろうと目をつけていたのだ。
「これは……ルヴィアとティエラの役に立つことかい?」
買い出しには3人で出ることが多かった。だからツヅキも2人と知り合いだった。
けど、僕が知る以外にも2人と何か接点があったのかもしれない。
「……うん。ルヴィアもティエラ姉ちゃんも喜ぶ結果になると思う。……そうなるように、僕も精一杯努力するよ」
真剣な気持ちをこめて語る。
こうしてツヅキとしゃべるのも今日が最後かもしれない。
僕が失敗した場合、この3枚の羊皮紙だけが、あの孤児院を改善する手掛かりになる。運が悪ければ王宮も貴族院も孤児院統括本部も動かないかもしれないが、やらないより遥かにマシだ。
せめて少しでも確率を上げるために3枚も〈複写〉したのだ。孤児院長室に隠されていた羊皮紙を。
「了解した。この代筆屋ツヅキ、承ったよ。……ほんじゃ、お代はその喜ぶ結果ってのになってから頂くよ」
「え?」
「孤児院を追い出されたんだろ? だったら金は大事にしな。もし、代筆屋をやりたいなら貴族様に口をきいてやってもいい。ただし、マージンは頂くよ。代筆屋ツヅキ2号店を出すんだからね」
「2号店なんだ」
「あぁ。強制だ」
ツヅキは笑う。
包帯をした右手で羊皮紙3枚を丁重に受け取ってくれた。そして生身のままの左手を伸ばして、僕の頭をなでてくれる。
ツヅキになでられたのは初めてだった。立ち上がると彼女は少しふらついた。いつも座ったままだったため、両足にも包帯が巻かれていることを初めて知った。
「だから死ぬなよ、アルの坊や。何をするつもりか知らないが、死ねばルヴィアもティエラも悲しむからな」
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