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第10話 追憶 2
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3歳になると、かなり念入りに天与を検査される。
天与とは神の領分。それを検査するのは、なかなか難しいらしい。仮に赤ん坊に行うと、天与を失ったり、命を落としたりする危険があるらしい。
僕は天与がゴミとバレた。
バレてしまった。
天与ランクF-。両方とも。〈解読〉も〈複写〉も天与ランク最低だった。
「おまえ、最低ランクな」
と暗に言われたときは、正直心の底からショックを受けた。覚悟していたにも関わらず。
僕以外にも王立第13孤児院に3歳児はいたが、ランクFは自分だけだった。
孤児院長は見たこともないほど冷たい目を僕に向けたあと、「いつ捨てるか」と独り言ちた。おそらく聞こえたのはすぐそばにいて見上げていた僕くらいだろう。
彼は周囲の人間には、孤児院を運営をするくらい篤実な人間と思われている。外部の者がいる場で、口に出したのはそばには僕しかいなかったためだろう。僕相手なら――3歳児相手なら聞こえてもどっちでも構わないと思ったに違いない。
赤ちゃんの頃から続けていた〈解読〉と〈複写〉の訓練を僕はまだ続けていた。3年間、1日も休まずに。
おそらく数日後か、数週間後か、もっと先かはわからないが必ずこの孤児院を追い出されるようになるだろう。だからこそ必死にスキルを磨いていた。
役立つかどうかだって?
わかるわけがない。
そう。未来なんて、誰にもわからないのだ。
それをその日――、もう正直どうしようもねえな、と若干諦めそうになっていたとき知った。
「何書いてるの?」
地面に書いた五言律詩に影が落ちる。
突然、「国破山河在」から5行目の「烽火連三月」の辺りまで小さな影が落ちた。影には馬の尻尾のような長い髪があって、「鳥驚心」と書いた辺りでかすかに風に揺れている。
「杜甫の『春望』」
「トホ? シュンボーって何? そもそもそれって文字なの? 絵なの? それとも記号?」
しゃがみ込んでいた僕は顔を上げた。
つり目がちの紫水晶のような瞳が爛々と輝いている。
「ねぇってば!」
「君は男の子なの? 女の子なの? どっちなの?」
ゲンコツが落ちてきた。
「女の子よ! 女の子っ!」
薄い胸を張る。
「これでも5歳の中じゃ発育がいいほうだって言われてるんだからっ!」
確かに身長は高いほうかもしれない。だが悲しいかな。胸は彼女の期待を大きく裏切っていた。年齢を考えれば当然だろう。
僕の哀れみの視線を敏感に感じ取った乱暴な女の子が、さらにゲンコツを落とそうとしてきたので、僕は慌てて答えた。
「文字だよ! 言葉だよ!」
「それが……あなたの〈解読〉や〈複写〉の力なの?」
その返事にちょっと驚く。
確かに僕の天与は有名だ。悪い意味で。天与2つ持ちも珍しければ、その天与が両方とも最低ランクだというのも大変珍しいのだ。
ついでにいえば、もうすぐこの第13孤児院を追い出されるだろうということでも有名だった。
「……うん。よく知ってるね」
「あなたは、知ってる?」
ずっと強気だった幼い紫水晶の瞳が揺れる。
「何を?」
3歳児らしい無遠慮さで聞く。こういうとき子供は便利だ。
「……あたしの天与」
知らない。正直そう答えても良かったのだが、ちょっとだけ頭を巡らせる。
最低でも彼女は僕より上のランクだろう。この孤児院に無能はいない。
「F-よりは上だよね」
「そうね」
当たり前のことを言うと、彼女は力なく頷き、しゃがみ込んだ。
そして「山」の字を指で何度もなぞり始めた。その漢字を気に入ったらしい。確かにちょっと面白い形をしている。
僕は彼女が答えないと知ると、作業の続きに戻った。
〈複写〉の訓練だ。
地面に木の棒で書かれた杜甫の『春望』が、隣にそっくり写し取られる。
まだコピー機のようにとまではいかないが、かなりの速度だ。
みるみる複雑な漢字が綺麗に、地面に溝によって描かれていく。
「……これが……〈複写〉……」
興味深そうに女の子が、僕の手元の地面を見つめている。手を地面に向けている僕は、ちょっと上機嫌になって頷く。
「そう。これが〈複写〉だ」
5つ年上の8歳のガスロなどは、僕が〈複写〉の練習をしていると馬鹿にして、地面を踏みつけてきたり、背中を蹴飛ばしてきたりする。他の孤児達だって嫌がらせこそしてこないが、馬鹿にした視線を投げかけてくる者は少なくない。
こんなふうに感心した様子を見せてくれる相手は初めてだった。
「……ずいぶん、早くなったんだね」
「えっ?」
少女の思わぬ言葉に僕は驚く。〈複写〉が五言律詩の最後の一節で思わず止まる。
「前にここで見かけたときは、今の倍くらいかかってた」
そうかもしれない。彼女がいつ見たのか知らないが、〈複写〉が今の速度になるまでにずいぶんと時間がかかった。今なら手書きより明らかに早い速度を維持できるが、最初の頃は口にペンをくわえて書いたほうが早いような遅々とした速度だったのだ。
そう考えて、僕は気づいた。
彼女が感心していたのは、僕の〈複写〉のスキル自体ではなく、それを努力して向上させたことに対してだったのだ、と。
天与とは神の領分。それを検査するのは、なかなか難しいらしい。仮に赤ん坊に行うと、天与を失ったり、命を落としたりする危険があるらしい。
僕は天与がゴミとバレた。
バレてしまった。
天与ランクF-。両方とも。〈解読〉も〈複写〉も天与ランク最低だった。
「おまえ、最低ランクな」
と暗に言われたときは、正直心の底からショックを受けた。覚悟していたにも関わらず。
僕以外にも王立第13孤児院に3歳児はいたが、ランクFは自分だけだった。
孤児院長は見たこともないほど冷たい目を僕に向けたあと、「いつ捨てるか」と独り言ちた。おそらく聞こえたのはすぐそばにいて見上げていた僕くらいだろう。
彼は周囲の人間には、孤児院を運営をするくらい篤実な人間と思われている。外部の者がいる場で、口に出したのはそばには僕しかいなかったためだろう。僕相手なら――3歳児相手なら聞こえてもどっちでも構わないと思ったに違いない。
赤ちゃんの頃から続けていた〈解読〉と〈複写〉の訓練を僕はまだ続けていた。3年間、1日も休まずに。
おそらく数日後か、数週間後か、もっと先かはわからないが必ずこの孤児院を追い出されるようになるだろう。だからこそ必死にスキルを磨いていた。
役立つかどうかだって?
わかるわけがない。
そう。未来なんて、誰にもわからないのだ。
それをその日――、もう正直どうしようもねえな、と若干諦めそうになっていたとき知った。
「何書いてるの?」
地面に書いた五言律詩に影が落ちる。
突然、「国破山河在」から5行目の「烽火連三月」の辺りまで小さな影が落ちた。影には馬の尻尾のような長い髪があって、「鳥驚心」と書いた辺りでかすかに風に揺れている。
「杜甫の『春望』」
「トホ? シュンボーって何? そもそもそれって文字なの? 絵なの? それとも記号?」
しゃがみ込んでいた僕は顔を上げた。
つり目がちの紫水晶のような瞳が爛々と輝いている。
「ねぇってば!」
「君は男の子なの? 女の子なの? どっちなの?」
ゲンコツが落ちてきた。
「女の子よ! 女の子っ!」
薄い胸を張る。
「これでも5歳の中じゃ発育がいいほうだって言われてるんだからっ!」
確かに身長は高いほうかもしれない。だが悲しいかな。胸は彼女の期待を大きく裏切っていた。年齢を考えれば当然だろう。
僕の哀れみの視線を敏感に感じ取った乱暴な女の子が、さらにゲンコツを落とそうとしてきたので、僕は慌てて答えた。
「文字だよ! 言葉だよ!」
「それが……あなたの〈解読〉や〈複写〉の力なの?」
その返事にちょっと驚く。
確かに僕の天与は有名だ。悪い意味で。天与2つ持ちも珍しければ、その天与が両方とも最低ランクだというのも大変珍しいのだ。
ついでにいえば、もうすぐこの第13孤児院を追い出されるだろうということでも有名だった。
「……うん。よく知ってるね」
「あなたは、知ってる?」
ずっと強気だった幼い紫水晶の瞳が揺れる。
「何を?」
3歳児らしい無遠慮さで聞く。こういうとき子供は便利だ。
「……あたしの天与」
知らない。正直そう答えても良かったのだが、ちょっとだけ頭を巡らせる。
最低でも彼女は僕より上のランクだろう。この孤児院に無能はいない。
「F-よりは上だよね」
「そうね」
当たり前のことを言うと、彼女は力なく頷き、しゃがみ込んだ。
そして「山」の字を指で何度もなぞり始めた。その漢字を気に入ったらしい。確かにちょっと面白い形をしている。
僕は彼女が答えないと知ると、作業の続きに戻った。
〈複写〉の訓練だ。
地面に木の棒で書かれた杜甫の『春望』が、隣にそっくり写し取られる。
まだコピー機のようにとまではいかないが、かなりの速度だ。
みるみる複雑な漢字が綺麗に、地面に溝によって描かれていく。
「……これが……〈複写〉……」
興味深そうに女の子が、僕の手元の地面を見つめている。手を地面に向けている僕は、ちょっと上機嫌になって頷く。
「そう。これが〈複写〉だ」
5つ年上の8歳のガスロなどは、僕が〈複写〉の練習をしていると馬鹿にして、地面を踏みつけてきたり、背中を蹴飛ばしてきたりする。他の孤児達だって嫌がらせこそしてこないが、馬鹿にした視線を投げかけてくる者は少なくない。
こんなふうに感心した様子を見せてくれる相手は初めてだった。
「……ずいぶん、早くなったんだね」
「えっ?」
少女の思わぬ言葉に僕は驚く。〈複写〉が五言律詩の最後の一節で思わず止まる。
「前にここで見かけたときは、今の倍くらいかかってた」
そうかもしれない。彼女がいつ見たのか知らないが、〈複写〉が今の速度になるまでにずいぶんと時間がかかった。今なら手書きより明らかに早い速度を維持できるが、最初の頃は口にペンをくわえて書いたほうが早いような遅々とした速度だったのだ。
そう考えて、僕は気づいた。
彼女が感心していたのは、僕の〈複写〉のスキル自体ではなく、それを努力して向上させたことに対してだったのだ、と。
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