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22・騒ぐ気持ち 前
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翌朝、アメリアが目を覚ますと、ヴィルフリートはいなかった。昨夜は考えに耽ってしまい、なかなか寝つかれなかった。そのせいで、いつもより目覚めが遅くなってしまったらしい。おそらくアメリアを起こさぬように、ヴィルフリートはそっと出て行ったのだろう。
急いで身支度を済ませて髪を梳いていると、ノックの音がしてレオノーラが入ってきた。
「アメリア様、おはようございます。どこかお体でも?」
「おはようございます。ごめんなさい、ちょっと寝つかれなかっただけなんです」
レオノーラはほっとしたように微笑んだ。そのままアメリアの手から櫛をとって、綺麗に結い上げてくれる。
「ならばようございました。お食事はいつも通りに召し上がれますか?」
「はい。ありがとうございます」
そのままレオノーラと連れ立って食堂へ向かう。するとレオノーラが思い出したように尋ねた。
「アメリア様は、かなり器用でいらっしゃいますね。伯爵家のお嬢様にしては、たいがいのことをご自分でお支度なさっていらっしゃる」
確かに貴族の娘の中には、箱入りに育てられ、リボンひとつでさえも侍女に結ばせる娘もいると聞く。アメリアはカレンベルク家を思い出して、淋し気に笑った。
「……なるべく自分でしたかったのです」
まさか自立を目指していたとは言えないが、それでもレオノーラも、義父カレンベルク伯爵の噂くらいは聞いていたのかもしれない。
「それは良いお心がけですわ」
そう言っただけで、それ以上を問おうとはしなかった。
「おはよう、アメリア」
食堂へ入って行くと、いつもと変わらぬヴィルフリートが笑顔を向けてきた。ところが彼を見た瞬間に、アメリアは昨日の口づけを思い出し、咄嗟に俯いてしまった。
「……アメリア?」
不思議そうな声に、アメリアは慌てて顔を上げて挨拶をする。
「……おはようございます。ヴィルフリート様。すみません、今朝は遅くなりまして」
「いや、何ともないのならいいんだ」
向かいに座るヴィルフリートの顔を、アメリアは何故かまともに見られない。
ヴィルフリートは、最初からアメリアへの想いを隠そうとしていない。そもそもそれが竜の「番」というものだ。
それなのに自分ときたら、口づけひとつですっかり混乱し、そのうえ今度こそ抱かれるのかと、おかしいくらい緊張してしまった。変に意識しすぎている自分が恥ずかしい。
いったいどうしたというのだろう……?
「アメリア?」
「えっ」
俯いて紅茶のカップを手に考え込んでいたアメリアが慌てて顔を上げると、ヴィルフリートが不思議そうに見つめている。
「……あ、すみません。今、何と?」
「ああ、うん。昨日の続きが読みたいなら、図書室で過ごそうかと聞いたんだが」
「図書室……? はい、―――あ、いいえ!」
ぼんやりとおうむ返しに返事をしかけたアメリアは、途中ではっとして首を振った。
―――図書室は、無理。また昨日みたいなことになったら、私……!
ヴィルフリートはますます不思議そうな顔をした。たまたまポットを持って入って来たレオノーラも、アメリアを見ている。
「なら、散歩にでも行こうか」
「―――はい、ヴィルフリート様」
本当は、しばらく一人になりたかった。でもそんなことを言うわけにはいかない。自分はヴィルフリートの「番」なのだから。
ひとたび春が訪れると、花が開くのは早い。ほんの数日前に比べてもさらに新しい、アメリアの見たことのない花がいくつも咲き始めていた。それが良かったのか。アメリアは朝よりは落ち着いて、どうにか自然にヴィルフリートと会話ができていた。
それでも、ヴィルフリートが足元の花を見下ろして説明したり、あるいは遠くの景色を眺めたりすると、いつの間にかその横顔を見てしまい、言いようのない気持ちになってしまう。
「アメリア、こっちだ。おいで」
初めて見るロックガーデン風の小道のそばで、ヴィルフリートがそう言って、アメリアに手を差し出した。無邪気ともいえるその顔を見て、アメリアは動きを止めてしまった。
―――どうしよう、ヴィルフリート様の手を取れない。
ヴィルフリートは首を傾げる。
「どうした? この先は石段があるから」
「は、はい」
昨日までに手を取られたことが、全くないわけではない。なのにどうしてしまったのだろう?
アメリアはきゅっと口を結んで息を一つ飲み込み、おずおずとヴィルフリートの手を取った。
そっと握り返す、ヴィルフリートの掌が温かい。今まで意識したことはなかったが、その手の大きさに、アメリアは思い知った。彼が自分を求めてやまない「男」であることを。
ところどころにある石段を上り、小道をたどりながら、アメリアはヴィルフリートの話が半分くらい耳に入ってこなかった。繋いだ手や、ときおり触れる肩。その度に、なぜかどうしても気になってしまう。
「ああ、やはりもう咲いていたか」
そう言ってヴィルフリートが足を止めたので、アメリアははっと我に返った。見ると薄桃色の細長い花が、溢れるように咲いている。
「君は花の蜜など吸ったことはないだろうね」
「花の、蜜ですか?」
微笑んで頷きながら、ヴィルフリートがぷちんとその花を摘んだ。それをアメリアの口許へ差し出す。
「口を開けて」
「え」
半ば開いていた唇に、柔らかな花びらが差し込まれた。
「―――吸ってごらん?」
おそるおそる口を閉じて、そっと吸ってみる。ヴィルフリートはアメリアの反応を期待するように、楽しげに瞳をきらめかせていた。それがまるで少年のようで、アメリアは今日初めて自然に笑うことができた。
「甘いです、ヴィルフリート様」
「だろう? 子供のころ、よくここで蜜を吸っては怒られたものだ」
「え、なぜ怒られるんですの?」
するとヴィルフリートがくしゃりと笑って、花を振り返った。初めて見る無防備な笑顔に、またしてもアメリアの胸がきゅっと締め付けられる。
「庭師が呆れるほど、花がなくなったからね」
そう言ってヴィルフリートは振り向き、アメリアと目が合った。その金色の瞳が一瞬見開かれ、ふっと翳る。
―――白い手が伸びて、アメリアの頤をつまんだ。
「アメリア」
囁くように名を呼びながら、ヴィルフリートが唇を合わせる。
何度も確かめるように角度を変えては繰り返され、アメリアは引き寄せられるままにヴィルフリートの胸に抱かれていた。
「ん……!」
そっと合わせ目を探るように、ヴィルフリートの舌が唇を割った。はっと息を吸い込んだ拍子に舌が入り込んだ。ごく浅く遠慮がちに、それでも舌の先が口の中をさまよう。
ヴィルフリートが、そっと唇を離した。
「……甘いな」
アメリアの顔が真っ赤に染まった。
「……ヴィルフリート様、私……、お先に失礼を……!」
「アメリア?」
するりと腕をすり抜けて、アメリアは小走りに行ってしまった。
急いで身支度を済ませて髪を梳いていると、ノックの音がしてレオノーラが入ってきた。
「アメリア様、おはようございます。どこかお体でも?」
「おはようございます。ごめんなさい、ちょっと寝つかれなかっただけなんです」
レオノーラはほっとしたように微笑んだ。そのままアメリアの手から櫛をとって、綺麗に結い上げてくれる。
「ならばようございました。お食事はいつも通りに召し上がれますか?」
「はい。ありがとうございます」
そのままレオノーラと連れ立って食堂へ向かう。するとレオノーラが思い出したように尋ねた。
「アメリア様は、かなり器用でいらっしゃいますね。伯爵家のお嬢様にしては、たいがいのことをご自分でお支度なさっていらっしゃる」
確かに貴族の娘の中には、箱入りに育てられ、リボンひとつでさえも侍女に結ばせる娘もいると聞く。アメリアはカレンベルク家を思い出して、淋し気に笑った。
「……なるべく自分でしたかったのです」
まさか自立を目指していたとは言えないが、それでもレオノーラも、義父カレンベルク伯爵の噂くらいは聞いていたのかもしれない。
「それは良いお心がけですわ」
そう言っただけで、それ以上を問おうとはしなかった。
「おはよう、アメリア」
食堂へ入って行くと、いつもと変わらぬヴィルフリートが笑顔を向けてきた。ところが彼を見た瞬間に、アメリアは昨日の口づけを思い出し、咄嗟に俯いてしまった。
「……アメリア?」
不思議そうな声に、アメリアは慌てて顔を上げて挨拶をする。
「……おはようございます。ヴィルフリート様。すみません、今朝は遅くなりまして」
「いや、何ともないのならいいんだ」
向かいに座るヴィルフリートの顔を、アメリアは何故かまともに見られない。
ヴィルフリートは、最初からアメリアへの想いを隠そうとしていない。そもそもそれが竜の「番」というものだ。
それなのに自分ときたら、口づけひとつですっかり混乱し、そのうえ今度こそ抱かれるのかと、おかしいくらい緊張してしまった。変に意識しすぎている自分が恥ずかしい。
いったいどうしたというのだろう……?
「アメリア?」
「えっ」
俯いて紅茶のカップを手に考え込んでいたアメリアが慌てて顔を上げると、ヴィルフリートが不思議そうに見つめている。
「……あ、すみません。今、何と?」
「ああ、うん。昨日の続きが読みたいなら、図書室で過ごそうかと聞いたんだが」
「図書室……? はい、―――あ、いいえ!」
ぼんやりとおうむ返しに返事をしかけたアメリアは、途中ではっとして首を振った。
―――図書室は、無理。また昨日みたいなことになったら、私……!
ヴィルフリートはますます不思議そうな顔をした。たまたまポットを持って入って来たレオノーラも、アメリアを見ている。
「なら、散歩にでも行こうか」
「―――はい、ヴィルフリート様」
本当は、しばらく一人になりたかった。でもそんなことを言うわけにはいかない。自分はヴィルフリートの「番」なのだから。
ひとたび春が訪れると、花が開くのは早い。ほんの数日前に比べてもさらに新しい、アメリアの見たことのない花がいくつも咲き始めていた。それが良かったのか。アメリアは朝よりは落ち着いて、どうにか自然にヴィルフリートと会話ができていた。
それでも、ヴィルフリートが足元の花を見下ろして説明したり、あるいは遠くの景色を眺めたりすると、いつの間にかその横顔を見てしまい、言いようのない気持ちになってしまう。
「アメリア、こっちだ。おいで」
初めて見るロックガーデン風の小道のそばで、ヴィルフリートがそう言って、アメリアに手を差し出した。無邪気ともいえるその顔を見て、アメリアは動きを止めてしまった。
―――どうしよう、ヴィルフリート様の手を取れない。
ヴィルフリートは首を傾げる。
「どうした? この先は石段があるから」
「は、はい」
昨日までに手を取られたことが、全くないわけではない。なのにどうしてしまったのだろう?
アメリアはきゅっと口を結んで息を一つ飲み込み、おずおずとヴィルフリートの手を取った。
そっと握り返す、ヴィルフリートの掌が温かい。今まで意識したことはなかったが、その手の大きさに、アメリアは思い知った。彼が自分を求めてやまない「男」であることを。
ところどころにある石段を上り、小道をたどりながら、アメリアはヴィルフリートの話が半分くらい耳に入ってこなかった。繋いだ手や、ときおり触れる肩。その度に、なぜかどうしても気になってしまう。
「ああ、やはりもう咲いていたか」
そう言ってヴィルフリートが足を止めたので、アメリアははっと我に返った。見ると薄桃色の細長い花が、溢れるように咲いている。
「君は花の蜜など吸ったことはないだろうね」
「花の、蜜ですか?」
微笑んで頷きながら、ヴィルフリートがぷちんとその花を摘んだ。それをアメリアの口許へ差し出す。
「口を開けて」
「え」
半ば開いていた唇に、柔らかな花びらが差し込まれた。
「―――吸ってごらん?」
おそるおそる口を閉じて、そっと吸ってみる。ヴィルフリートはアメリアの反応を期待するように、楽しげに瞳をきらめかせていた。それがまるで少年のようで、アメリアは今日初めて自然に笑うことができた。
「甘いです、ヴィルフリート様」
「だろう? 子供のころ、よくここで蜜を吸っては怒られたものだ」
「え、なぜ怒られるんですの?」
するとヴィルフリートがくしゃりと笑って、花を振り返った。初めて見る無防備な笑顔に、またしてもアメリアの胸がきゅっと締め付けられる。
「庭師が呆れるほど、花がなくなったからね」
そう言ってヴィルフリートは振り向き、アメリアと目が合った。その金色の瞳が一瞬見開かれ、ふっと翳る。
―――白い手が伸びて、アメリアの頤をつまんだ。
「アメリア」
囁くように名を呼びながら、ヴィルフリートが唇を合わせる。
何度も確かめるように角度を変えては繰り返され、アメリアは引き寄せられるままにヴィルフリートの胸に抱かれていた。
「ん……!」
そっと合わせ目を探るように、ヴィルフリートの舌が唇を割った。はっと息を吸い込んだ拍子に舌が入り込んだ。ごく浅く遠慮がちに、それでも舌の先が口の中をさまよう。
ヴィルフリートが、そっと唇を離した。
「……甘いな」
アメリアの顔が真っ赤に染まった。
「……ヴィルフリート様、私……、お先に失礼を……!」
「アメリア?」
するりと腕をすり抜けて、アメリアは小走りに行ってしまった。
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