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23・騒ぐ気持ち 後
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「アメリア様?」
駈け込んできたアメリアを見て、レオノーラが声をあげた。
「どうかなさったのですか?」
「―――いいえ、何でも」
真っ赤な顔で俯いて、アメリアは逃げるように階段を上がっていった。レオノーラはそれを見送って首をかしげる。
―――あら、ヴィルフリート様はどうしたのかしら?
そう思って庭のほうを窺っていると、ヴィルフリートが戻ってきた。
「ヴィルフリート様、どうかなさったんですか?」
思わず問うと、ヴィルフリートは困ったように首をかしげる。
「いや、なんというか……。どうも困らせてしまったらしい」
「何かおっしゃったんですか?」
「いや、言ったわけでは……。まあ大丈夫だろう」
ヴィルフリートの反応は鈍いというか、どうも歯切れが悪い。見るとほのかに耳元が赤くなっている。そのまま図書室の方へ向かっていくヴィルフリートを見送って、レオノーラはまた首をかしげた。
―――喧嘩でもなさったのかしら。
いまいち釈然としないまま、レオノーラは紅茶の用意を始めた。
アメリアは後ろ手にドアを閉めて、そのまま寄りかかって息をついた。
ヴィルフリートのそばに居るのがいたたまれなくて、部屋に逃げ込んでみた。けれど、もちろん何の解決にもなっていない。顔を上げて部屋を見回してみても、ベッドが目に入ると余計に落ち着かなくなる。それにこの部屋には、ヴィルフリートがいつ入ってくるか分からないのだ。
結局、身支度に使っている続き間の小部屋へ入っていき、化粧台の前に腰を下ろした。
目の前の鏡には、眉を下げた、我ながら情けない顔をした自分が映っている。その自分の顔すらまともに見られず、アメリアは両手で熱い頬を押さえた。
―――私、どうしてしまったの?
ヴィルフリート様がまともに見られない。それなのに気になって仕方がないなんて……。ヴィルフリート様に触れられると、飛び上がりそうになる。お顔を見る度に、こんなに胸が締め付けられるのでは……お話なんか出来ないではないか。
「アメリア様、お茶をいかがです?」
はっと顔を上げると、続き部屋の入口からレオノーラが笑いかけていた。
レオノーラは黙ってお茶を注ぎ、アメリアの前に差し出した。何気なくカップを口元へ運ぼうとして、アメリアはその香りにはっとする。カレンベルク家で唯一我儘を言って飲んでいた、花の香りのお茶だった。
「これ……」
「お気づきになりましたか?」
レオノーラが微笑んだ。
「アメリア様がお好きと聞いて、取り寄せました」
そう言えば初めて庭に出たとき、ヴィルフリートにそんな話をしたかもしれない。
「覚えていて下さるなんて……」
思いがけない心遣いに目を細め、アメリアはもう一度香りを吸い込んだ。
「アメリア様は、ヴィルフリート様をお嫌いですか?」
穏やかに尋ねられ、アメリアは戸惑いながらも答える。
「いいえ、そんなことはありません」
「では……?」
「……私は」
アメリアはカップを置いて俯いた。レオノーラは何も言わず、紅茶を継ぎ足す。
「お会いする前は『竜』としか知らずに……。恐ろしい方かと恐れていました。でも、ヴィルフリート様は優しい方だった」
「ええ」
「……」
黙り込んだアメリアの瞳が揺れている。レオノーラはそれ以上聞かずに立ち上がった。
「それだけ理解していただけているなら、心配いりませんわ。アメリア様、ゆっくり考えてごらんなさいませ」
そしてもう一度にっこり笑って、部屋を出て行った。
―――ヴィルフリート様は、優しい方だった。
せっかくの紅茶が覚めてしまったことにも気づかず、アメリアは考え込んでいた。
どんな恐ろしい姿をしているのだろう、そう考えて怯えながらここへやって来たのは全くの杞憂だった。確かに目や髪の色は、少し違っている。それでも「竜の特徴」というほど―――。
「―――あっ!?」
アメリアはふいに椅子から腰を浮かした。そのとき初めて気が付いたのだ。
―――ヴィルフリート様の、「竜の特徴」って……?
日常目に入る部分には、それらしい特徴はない。実際に閨を共にしていないので、知らなくても仕方ないのだけれど、その時のアメリアには、どうしてもそれが重要に思われた。
だからといって、ヴィルフリートに直接尋ねることは出来そうにない。何故知りたいのかと聞かれても、はっきり説明できるわけでもない。
―――「特徴」って、どんなものなのだろう?
見るからにというようなものではない、とギュンター子爵は言っていた。ほとんど分からない、と。それでも、想像もつかないのは落ち着かない。過去の竜たちがどんなだったのか、それだけでも知りたい。
その時思い出したのは、昨日図書室で見かけたあの本のことだった。―――あれになら、何か載っているかもしれない。
アメリアは思わず立ち上がり、部屋を出て行った。
そっと図書室の扉を開け、まずはいつもの長椅子を確かめる。ヴィルフリートの姿はない。
ほっとしたアメリアは、足早に例の本棚の前へ進んだ。アメリアには手の届かない棚に、その本は昨日のままに置かれていた。
手に取るには、梯子を使わなくてはならない。途端にヴィルフリートの姿を思い出し、アメリアは唇を噛んだ。
―――ヴィルフリート様は、読まないで欲しいとおっしゃった。私もそうするつもりだった。それなのにその翌日にそれを裏切ることになるなんて……。
本を見上げてためらい、立ち尽くしていると、後ろから声がした。
「アメリア?」
びくっとして振り返ると、手に大きな図版を持ったヴィルフリートが立っている。図版は図書室のもっとも奥に置かれている。長椅子にいなかったのは、それを取りに行っていたからか。
ヴィルフリートはアメリアの視線の先にあるものに気がついたらしい。
「……やはり、気になるか……?」
「―――ち、違います!」
ヴィルフリートには知られたくなかった。アメリアは再びヴィルフリートの前から逃げ出した。
駈け込んできたアメリアを見て、レオノーラが声をあげた。
「どうかなさったのですか?」
「―――いいえ、何でも」
真っ赤な顔で俯いて、アメリアは逃げるように階段を上がっていった。レオノーラはそれを見送って首をかしげる。
―――あら、ヴィルフリート様はどうしたのかしら?
そう思って庭のほうを窺っていると、ヴィルフリートが戻ってきた。
「ヴィルフリート様、どうかなさったんですか?」
思わず問うと、ヴィルフリートは困ったように首をかしげる。
「いや、なんというか……。どうも困らせてしまったらしい」
「何かおっしゃったんですか?」
「いや、言ったわけでは……。まあ大丈夫だろう」
ヴィルフリートの反応は鈍いというか、どうも歯切れが悪い。見るとほのかに耳元が赤くなっている。そのまま図書室の方へ向かっていくヴィルフリートを見送って、レオノーラはまた首をかしげた。
―――喧嘩でもなさったのかしら。
いまいち釈然としないまま、レオノーラは紅茶の用意を始めた。
アメリアは後ろ手にドアを閉めて、そのまま寄りかかって息をついた。
ヴィルフリートのそばに居るのがいたたまれなくて、部屋に逃げ込んでみた。けれど、もちろん何の解決にもなっていない。顔を上げて部屋を見回してみても、ベッドが目に入ると余計に落ち着かなくなる。それにこの部屋には、ヴィルフリートがいつ入ってくるか分からないのだ。
結局、身支度に使っている続き間の小部屋へ入っていき、化粧台の前に腰を下ろした。
目の前の鏡には、眉を下げた、我ながら情けない顔をした自分が映っている。その自分の顔すらまともに見られず、アメリアは両手で熱い頬を押さえた。
―――私、どうしてしまったの?
ヴィルフリート様がまともに見られない。それなのに気になって仕方がないなんて……。ヴィルフリート様に触れられると、飛び上がりそうになる。お顔を見る度に、こんなに胸が締め付けられるのでは……お話なんか出来ないではないか。
「アメリア様、お茶をいかがです?」
はっと顔を上げると、続き部屋の入口からレオノーラが笑いかけていた。
レオノーラは黙ってお茶を注ぎ、アメリアの前に差し出した。何気なくカップを口元へ運ぼうとして、アメリアはその香りにはっとする。カレンベルク家で唯一我儘を言って飲んでいた、花の香りのお茶だった。
「これ……」
「お気づきになりましたか?」
レオノーラが微笑んだ。
「アメリア様がお好きと聞いて、取り寄せました」
そう言えば初めて庭に出たとき、ヴィルフリートにそんな話をしたかもしれない。
「覚えていて下さるなんて……」
思いがけない心遣いに目を細め、アメリアはもう一度香りを吸い込んだ。
「アメリア様は、ヴィルフリート様をお嫌いですか?」
穏やかに尋ねられ、アメリアは戸惑いながらも答える。
「いいえ、そんなことはありません」
「では……?」
「……私は」
アメリアはカップを置いて俯いた。レオノーラは何も言わず、紅茶を継ぎ足す。
「お会いする前は『竜』としか知らずに……。恐ろしい方かと恐れていました。でも、ヴィルフリート様は優しい方だった」
「ええ」
「……」
黙り込んだアメリアの瞳が揺れている。レオノーラはそれ以上聞かずに立ち上がった。
「それだけ理解していただけているなら、心配いりませんわ。アメリア様、ゆっくり考えてごらんなさいませ」
そしてもう一度にっこり笑って、部屋を出て行った。
―――ヴィルフリート様は、優しい方だった。
せっかくの紅茶が覚めてしまったことにも気づかず、アメリアは考え込んでいた。
どんな恐ろしい姿をしているのだろう、そう考えて怯えながらここへやって来たのは全くの杞憂だった。確かに目や髪の色は、少し違っている。それでも「竜の特徴」というほど―――。
「―――あっ!?」
アメリアはふいに椅子から腰を浮かした。そのとき初めて気が付いたのだ。
―――ヴィルフリート様の、「竜の特徴」って……?
日常目に入る部分には、それらしい特徴はない。実際に閨を共にしていないので、知らなくても仕方ないのだけれど、その時のアメリアには、どうしてもそれが重要に思われた。
だからといって、ヴィルフリートに直接尋ねることは出来そうにない。何故知りたいのかと聞かれても、はっきり説明できるわけでもない。
―――「特徴」って、どんなものなのだろう?
見るからにというようなものではない、とギュンター子爵は言っていた。ほとんど分からない、と。それでも、想像もつかないのは落ち着かない。過去の竜たちがどんなだったのか、それだけでも知りたい。
その時思い出したのは、昨日図書室で見かけたあの本のことだった。―――あれになら、何か載っているかもしれない。
アメリアは思わず立ち上がり、部屋を出て行った。
そっと図書室の扉を開け、まずはいつもの長椅子を確かめる。ヴィルフリートの姿はない。
ほっとしたアメリアは、足早に例の本棚の前へ進んだ。アメリアには手の届かない棚に、その本は昨日のままに置かれていた。
手に取るには、梯子を使わなくてはならない。途端にヴィルフリートの姿を思い出し、アメリアは唇を噛んだ。
―――ヴィルフリート様は、読まないで欲しいとおっしゃった。私もそうするつもりだった。それなのにその翌日にそれを裏切ることになるなんて……。
本を見上げてためらい、立ち尽くしていると、後ろから声がした。
「アメリア?」
びくっとして振り返ると、手に大きな図版を持ったヴィルフリートが立っている。図版は図書室のもっとも奥に置かれている。長椅子にいなかったのは、それを取りに行っていたからか。
ヴィルフリートはアメリアの視線の先にあるものに気がついたらしい。
「……やはり、気になるか……?」
「―――ち、違います!」
ヴィルフリートには知られたくなかった。アメリアは再びヴィルフリートの前から逃げ出した。
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