君と暮らす事になる365日

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「よく考えれば、おれ、小学校もヨリちゃんのおかげで卒業できたような物だった。忘れてた」

「お前ほど手間のかかる同級生はほかにいなかったな」

依里がつい苦笑いを漏らす。この男は学校嫌いもいい所で、依里が手をつないで引っ張って行かなければ、絶対に登校しないレベルで嫌がったのだ。
この男の大好きなじいちゃんとばあちゃんは、それもやむなしと思っていて、その理由は晴美があまりにも整った顔立ちだったからである。
これだけ整った、異国風の顔立ちの、お人よしで騙されやすく、人を傷つけられない男の子供時代は、分かりやすくいじめられっ子だったのだ。
田舎もいいとこと、外国の血を引く人間なんて滅多に見ないという環境で、晴美は何かといじめられ続けてきたのである。
幸いと言うべきか、依里がいたから、そこまで酷い事は起きなかったし、晴美を盛大に傷つけると、依里が出て来てコテンパンにしてしまう、というのも知られていたため、触らぬ神に祟りなし、の扱いの事だった事もある。
いじめられっ子と、それを守っている幼馴染。
その関係が、当時の晴美と依里の関係性だった。
さらに中学に入ってからは、その見た目の良さの結果、年頃の女子たちが裏できゃあきゃあ騒ぎ、それを不愉快に思った男子生徒たちから何かと仲間外れにされてきた晴美は、小学校中学校と楽しい学校の思い出など、何一つない生活だったわけだ。

「おれ中学時代の終わりまでの記憶、ほとんどないから忘れてた」

「忘れたままでも大丈夫だぞ、お前は何も変わらない」

晴美はストレスのあまり覚えていない事が多いが、依里はそれを守っていた側なので、色々覚えている事もある。
だが晴美の心が、それに耐え切れなくて忘れているなら、それでいい、と思っているのだ。
さてそんな事を言った後、晴美は彼女の見た目が、普段お目にかからないほど整えられている事実に気付いたらしい。
上から下まで眺めまわし、左右に首を振って髪型を見やり、言う。

「ヨリちゃんデートだったの?」

瞬く瞳が不思議そうに揺れて、どうしてそんなことをするの、と言いたげな捨てられそうな仔犬の眼が、依里を見やる。
そして依里の不義理を責めるような発言をするかに思われた、その時だ。

「いた!! 本店から出て行ったなんて、信じられない!!」

「お客様、落ち着いてください!」

何やらエントランスの入り口付近で揉め事が起きていたらしい。依里は後ろから聞こえてきた、乱暴なヒールの音が、こちらにまっすぐ向かってきているのに気が付いた。
そしてそちらを見る事になっている、晴美は、何の感情も浮かんでいない顔だ。知り合いでもないんだろう。
そんな事を思ったのだが、しかし。

「晴美! あなたのせいで私の人生大なしよ! 責任取って結婚しなさい!!!」

金切り声が思いっきりわめきたて、晴美の方は言われても思い出せない顔だ。
依里はそこで声の主を見るために振り返った。
そこに立っていたのは、なるほど、可愛い系女子を目指しているであろう、なかなかかわいい女の人だった。
茶色に染められた髪の毛、緩く巻いた髪型、睫毛を長くする目を印象付ける化粧、尖り気味のアヒル口、というのか、流行った事がある可愛い女性の化粧に、衣装はそれなりに高級感のある、それでいて華やかな格好だ。
総合的に言って間違いなく、可愛い女の人が、今は小さなハンドバッグを肩にかけた状態で、怒りに満ちた顔で、全てを台無しにしていた。
こんな知り合いいたのか、と依里が晴美を見やった時だ。

「思い出せないや、おれの知り合い? 誰?」

明らかにお前の知り合いなんだろうよ、と誰もが思う状況なのに、晴美は全く思い出せない顔をしていた。
これは依里も覚えがある。依里はその肩を叩いた。

「お前、捨てられた相手の記憶消去するの相変わらずだな、本当に覚えてないのか」

「おれの事いらないって言った人かな、やっぱり。思い出せないんだよね、何かで思い出せるかな、って思ってたんだけど、何にも思い出せない」

晴美は興味のない事、忘れていい事に関しては本当に思い出せなくなるほど忘れる。それは彼の人生経験の結果なのだが、それはさておき。
晴美は目を瞬かせて、なんとか記憶の底をさらおうとしている。
しかし、そんな男の、真面目に思われない態度は、その可愛い女の人を強烈に怒らせたらしい。

「信じられない!!! 彼女の事も忘れるとか、どんな神経してんのよ!!! あんたのせいで、こっちは人生滅茶苦茶にされたのに!! 最低! 下種!!」

「おれ友達少ないから、友達は大事にしているんだけど……女友達で、君みたいな人いたかなあ……?」

「お前はちょっと黙ってろ、話がややこしくなるのが目に見えてる」

依里は手の甲でその男の口を叩いた。晴美はそれでむう、と口を閉ざす。
彼女はその間にも足音高く近づいてきて、晴美の前まで来る。
そしてびしっと指を突きつけ、怒鳴った。

「あなた、同棲していた彼女の顔まで忘れるの!」

「それっていつまで?」

依里が問いかけると、彼女は依里を見やって、鼻で笑った。確かに彼女の方が、女性的な可愛らしさがあるだろう。間違いない。見た目で優位に立ったと思っている彼女が、言う。

「この前まで同棲していたのよ!」

「よし、晴美、キーワードは私の家に転がり込む前の同居人だ」

依里が小さな声で晴美に囁くと、晴美の目が瞬き、ああ! と合点した顔になった。

「ああ! 二股かけてたあの子か! どうしたの、おれじゃなくて本命彼氏を選んでたでしょ、おれが迫ってきて仕方なく、って本命彼氏に泣きついてたじゃない」

「きいいいいいい!」

晴美の思い出し方も悲惨だったらしい。彼女の顔が怒り以外の何物でもなくなり、そろそろ場所変えないとな、と思っていた依里とは違い、彼女は隠す事などないらしい。

「あんたのせいで、私がメシマズだって、彼氏に文句言われるようになったのよ! あんたのせいよ! お弁当だって、作ってあげたおかずだって、みんなみんな、『この前よりおいしくない、というかまずい』って言われるのよ!!」

「だって君と一緒にいた時、おれがご飯関係は全部やってたよ。朝から晩まで、お弁当だって。夜食だって、ローカロリーなおやつだって」

「私のご飯がまずいわけないじゃない! あんたが彼の味覚を壊したのよ! 今まで料理してたのがあんただって知って、彼、『別れよう。さすがにこんな食事を作る人と将来を思い描けない』っていうのよ!!! あんたのせいよ! 彼氏に捨てられたのはあんたのせいなんだからあんたが責任取って私と結婚するのよ!」

「はちゃめちゃな理論だな……」

依里がぼそっと言った時だ。言うなよ、言うなよ、と思っていた事を、晴美はあっけらかんと言ったのだ。

「おれはおれを捨てる人と一緒にならないよ、おれ今の方が楽しいし幸せだもの」

「きいいいいいいいいいいい!!」

サルの悲鳴のような声も二回目か、なんて依里は思ったのだが、その彼女は怒りに任せて、持っていたハンドバックを振り回し始めた。
流石に警備の人がやって来るのだが、晴美が一歩引くのと、依里が一歩前に進むのはほぼ同時だった。
依里は一歩踏み込み、彼女に迫り、腕を一閃させる。手刀が彼女の手首を打ち据え、彼女の手からハンドバッグが飛んで行った。さっとそれをキャッチする晴美。対して依里は、打ち据えるやいなや、彼女の足を自分の足で素早く払った。
そんな事されると思っていない相手が、盛大に転がる。転がったと同時に依里は、相手を押さえ込んだ。
ちょうどその時警備の人が走り寄り、後は警備の人がやってくれるらしい。
痛みにうめいた後も、彼女はぎゃんぎゃんと晴美に対して恨みの言葉を放っていたが、裏まで連れて行かれてしまえば、多少は静かになるだろう。
依里が手の埃を払うと、晴美がのんびりと言った。

「ヨリちゃん流石。腕上げた?」

「腕はなまった。何年も叔父さんの所行ってないから」

「大鷺」

そんな会話をした時である。そこまでかやの外扱いであった、晴美の上司が彼に声をかけたのだ。

「お前は厨房に戻れ、厨房の方もお前がいた方が仕事がはかどるだろう」

「はい、料理長。じゃあねヨリちゃん。あ」

ひらりと手を振った晴美が、思い出した顔で、柳川達の方見やった。
そして真面目な顔になり、一度深く頭を下げ、言う。

「お騒がせして申し訳ありません、申し訳ありませんが、失礼いたします」

なんだ、あいつも多少は普通の事が出来るようになったのか。
感心した依里とは違い、料理長らしき上司は、ため息をついていた。
そして上客である柳川の祖母と妹の方に向き直り、深く頭を下げた。

「このたびは大変申し訳ありません、不快なものを見せてしまいまことに申し訳ありません。あ奴にきつく言っておきますので、どうかお許しを」

「……彼、さっきの女の人と恋人だったの?」

柳川の妹が、小さな声で言う。料理長はなんとも言えないという顔だ。

「プライベートな事は、申し訳ありませんが、何とも……」

「でも別れたのよね、だったらいいわ」

「そうねえ、別れた相手が復縁を迫って来るなんて、予測しないですものね。それも彼を捨てたのでしょう、捨てられた方が、迫られるなんて滅多にありませんわ」

昼ドラを見たみたい、と柳川の祖母が笑う。もしかして一連の事が面白かったのだろうか……?
彼女の顔を見ていると、そんな気がして来る依里である。

「二度目はやめてちょうだい、食事の後に見てもいいのは一回だけよ」

しかしぴしゃりというのは寛容な言葉であり、料理長は深く頭を下げていた。
そして、柳川はしばらくそれを見ていたのだが、依里に問いかけた。

「あなたは、お強いんですね……」

「そこまででもありませんよ」

依里としては事実であるため、謙遜でも何もない。実家暮らしの叔父の強さはずば抜けているし、その門下生たちも強いし、上には上がいっぱいいる。
それに自分が一番強いと言えた時期は、高校時代なのだ。あれから体力も機敏性も落ちている。強いとはとてもいいがたい。
そんな考えの依里の言葉を聞き、柳川は言う。

「いいえ、あの場であんなに颯爽と動けるなんて、滅多な事ではできませんよ」

確かに女性がいきなり発狂してハンドバッグ振り回すなんて、ないもんな。
とは、さすがに言わなかった依里だった。
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