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回顧⑤
しおりを挟むしかし不思議なもので、フランツに執着しないと決めてから、彼が公爵邸に帰って来る機会が増えた。
そして彼は、遠慮がちにマルセルの顔を見てはまた家を出て行く。
そんなことを繰り返していくと、最近では顔を見ても必要最低限のことしか口にしなくなっていた私たちだったが、今日はマルセルがあんなことをしたとか、こんなものを食べるようになったというようなことを、少しずつだが会話するようになっていった。
子はかすがいというが、その通りだったのかもしれない。
男と女としてはどうしようもない溝ができてしまったが、私さえこの関係に納得し、受け入れることができれば、家族として新しい関係を再構築できたのかもしれない。
けれど、そんな風に割り切ることなんて、私には到底できなかった。
だって、まだフランツを愛していたから。
彼と過ごす時間が増えるほど、それを痛感させられた。
『なにごともなく健やかに育ってくれているのは君のおかげだ……ありがとう』
躊躇いがちにだが、ねぎらいの言葉をかけられるたび、もしかしたら愛を囁いてくれるのではと期待してしまう。
優しい顔でマルセルと接する姿を見れば、その顔を私にも向けて欲しいと願ってしまう。
一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、もっともっと、と欲張りになってしまう。
そして多くを望んだ先にはまた、終わりのない拷問のような苦しみが待っているのだ。
だから、家族として過ごす時間は嬉しい反面、とても苦しかった。
けれどそんな日々も、突然終わりを告げた。
マルセルが、事故に遭ったのだ。
それはマルセルの三歳の誕生日だった。
夕方には親族が一堂に会し、盛大な宴が行われる予定で、公爵邸には朝から人の出入りが多かった。
私は朝から搬入予定の品々が記されたリストの束を抱え、家令たちと一緒に招待客を迎えるための準備に奔走していた。
宴にはフランツも参加すると言ってくれたから、張り切っていたのだ。
『奥様!』
邸内の準備もひと段落して、そろそろ身支度に取り掛かろうとしていた時だった。
マルセルの乳母が真っ青な顔で息を切らし走って来た。ただならぬ様子に私も彼女に駆け寄った。
『も、申し訳ございません!マルセル様の姿が見当たらないのです!』
『なんですって!?侍女たちも、なにをしていたの!』
乳母は今夜の宴に備え、マルセルを早めに昼寝させようと、昼食前に外遊びをさせていたそうだ。
乳母も侍女も、庭園は慣れた場所だと油断していたのか、彼女たちが僅かに目をはなした隙にマルセルは姿を消したと。
三歳のマルセルは好奇心旺盛で、目に映ったものをすぐに追いかけるし、知らない場所でも臆せず駆けだしていく。
けれど近くに大人の目があるのに、たった三歳の子がそれを出し抜くことなんてできるものだろうか。
城内の人間をすぐさま呼び集め、混乱する頭で必死に探したが、ついにその日、マルセルが見つかることはなかった。
そして、今日は出席すると言っていたフランツの姿もどこにもなかった。
なぜフランツは帰って来てくれないのだろう。
不安で不安で、身が千切れそうな思いだった。
そして一睡もできず夜を明かした私に、早朝、城へやってきた急使が告げたのは、身なりのいい幼子の遺体が城下を流れる川の下流で見つかったという残酷なものだった。
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