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しおりを挟むシュルト様との関係は今のところ誰にもばれてはいないようだったが、私はいつも怯えていた。
抱かれた翌日は体中が熱を持っているような気がしてふわふわとする。眠気が酷くて授業を受けるもやっとだ。
救いなのが卒業式が近い事もあり、周囲のみんなはどことなく浮足立っている。
だから私の態度がどこかおかしくてもあまり気にされていない様子だ。
「アルリナ、申し訳ないのだけれど…」
「いいわ、代わりに運んでおくわね」
友人に頼まれたのは授業で使った資料の返却。
返却場所の資料室は教室から少し遠い。彼女は急いでいきたい場所があり、教師から言いつけられたその用事が億劫だったのだろう。ちらちらと救いを求めるような視線に自分から微笑みかけ、彼女の仕事を肩代わりした。
「ありがとう」
花がほころぶように微笑んだ彼女はとても美しかった。
走り出したいのを必死で我慢しているような足取りで向かう先は恋人の元だ。
婚約者であり相思相愛の相手。喜びを隠しきれていない背中が羨ましくてずるいと思った。
そんな友人を送り出した私にも卑怯な部分はある。
資料室は生徒会役員室のすぐそばだ。
「ばかね、私」
あんなに酷い事をされ続けているのに、彼の、シュルト様の顔が見れる場所に行きたくてしょうがない。
ほんの少しだけ横顔を見れれば満足なんだ。元から恋に恋していた。今ならわかる。でももうこれは習慣のようなものだ。
教室群から切り離された別棟の最上階。資料室は一番奥で、生徒会室は一番手前だ。
わざとゆっくり歩いて部屋の前を横切れば、まるで待ち構えていたかのようにドアが開け放たれていた。
努めて冷静な顔をしそこを横切る。
あの日、ここでうっかり物音さえ立てなければもっと簡単に終わっていたかもしれない私とシュルト様の縁。
複雑な気持ちを抱えながら通り過ぎる瞬間に生徒会室の中を見た。しかしそこには誰もいない。無人の空間に虚しさがこみ上げる。
しかし不用心ではないだろうか。生徒会室と言えば色々な書類がある場所だ。
せめて資料を置いた帰りにドアだけでも閉めておくべきかもしれないと考えながら私は奥の資料室へと向かう。
紙とインクの匂いで満たされた資料室は静かだ。所定の場所に返すべきものを置く。これで私の仕事は終わり。
戻ろうと部屋を出ようとした時、扉の向こうで声が聞こえた。
聞き間違うはずもない、シュルト様の声だ。もう一人は男子生徒のようだが誰だろう。聞き覚えがあるような気がするがはっきりしない。
出て行く勇気が持てず、もたもたと扉の前にしゃがみ込む。
シュルト様ともう一人は廊下で話し込んでいる様子で動く気配がない。私はじっと息を殺して彼らの会話に聞き耳を立てた。
はしたなく卑しい行為だとわかっているのに止められない。
「…………しておけよ」
「わかっている。お前こそ…………守れ………だ」
途切れ途切れの言葉はあやふやで形にならない。少しだけ声を潜めたやり取りに、きっと大切な話をしているのだという事でだけはわかった。
僅かに聞き取れるシュルト様の声。
思い返せば私と彼はほとんど会話らしい会話などした事が無かった。
最初に出会ったあの日、私は物語の中の王子様に出会ったのだと確信した。
幼い憧れと勝手な恋だ。名乗った彼の名前を何度も呼び、必死であとをついて回った。
どんなに話しかけても少しだけ困ったような顔をしてすぐにどこかに行ってしまう彼はまるで魔法のような存在で、余計に私を引き付ける。
「シュルト様」
シュルト様は私から逃げるように早足だったのに、幼い私はそれに気が付かずにその後を追う。
不意に立ち止まったシュルト様の背中に勢いを殺し損ねた私は思い切りぶつかった。ぐらりとバランスを崩した身体は倒れ込み、すぐそばにあった花壇へと沈む。
びりり、と嫌な音がしてドレスのスカートが破れたのが分かった。そして鋭い痛み。焼けるような痛みに、私は声を上げて泣いたのだった。
あの時、シュルト様はどうしていただろうか。よく思い出せない。
数日後、シュルト様のお父様が我が家にやってきて婚約の話を持ち出したと後で聞いた。
両親ははじめ、そこまでしていただかなくても大丈夫だと固辞したそうだ。
怪我と言っても足でドレスで隠せば目立たない。運よく綺麗な1本筋の怪我なのでそこまで醜いものにはならないし、良い医者や薬もこれから探せばなんとかなるから、と。
しかしシュルト様のお父様は私との婚約を強く望んだ。医者も「一生残るかもしれない」と口にした事により、両親は身分差の婚約を了承したのだ。
以来、月に1度はかならずシュルト様との面会の時間が設けられた。
テーブルを挟んで向かい合わせに座って、楽しげに会話をする両親たち。
私は必死にシュルト様に声をかけ、自分の好きなものや、嬉しかったこと、悲しかったことを口にした。
しかしシュルト様は私を見ない。時折「ああ」とか「ふん」といった短い相槌を返すだけ。
子供心に気が付いていた。嫌われているのだと。
それでも私はシュルト様が好きだったのだ。
綺麗な横顔、王子様みたいに凛とした姿。私とは会話をしてくれなくても、大人に交じって難しい話を議論している賢い姿。
遠くで見ているだけで胸がいっぱいになる位素敵だと信じていた。
こっそりシュルト様のお母様からもらった姿絵を部屋に飾っていた。
本物はもっと素敵なのにと思いながらも、その絵に話しかける事で私は妄想の中のシュルト様と会話をした。
なんと愚かで幼くて馬鹿な恋だろう。
もっと早く諦めていればよかった。もっと早く彼を嫌いになっていればよかった。
「遊びはほどほどにしておけよ」
どこか面白がるようなはっきりとしたその言葉に沈みかけていた意識が浮き上がる。
それはシュルト様のものではないもう一人の声だ。それにシュルト様は何と答えたのだろう。
聞きたくてドアに耳を張り付けるが、もう物音はしなかった。
人の気配がない事を確かめながらそっとドアを薄く開く。
無人の廊下が視界に入った。
生徒会室のドアもしっかりと閉まっている。
ほっと息を吐きだしながら資料室から外に出る。
気持ち足音を押さえながら素早く廊下を歩き、生徒会室を横切ろうとしたその時だった。
ギ、と音がして扉が開く。
駆け抜けてしまえばよかったのに臆病な私は足を止めてしまった。
「お前」
他の誰でもないシュルト様が驚いた顔で私を見ている。
私も息を止めシュルト様を真正面から見た。
お互い言葉を発せずにただ呆然と廊下の中央で見つめ合う。
「どうした。何かあったのか」
生徒会室から声がする。先ほどの話し相手だろうか。
「……大丈夫だ。何もない」
「そうか?」
「ああ。ではまた」
シュルト様はそう中に声をかけると後ろ手でドアを閉める。
重たいその音が私の心すら凍らせていくようだった。
扉が閉まると同時にシュルト様が私の腕を掴んで、さっき出てきたばかりの資料室へと引きずり込む。
ドアに鍵をかけ、奥まった場所まで来てしまうともう外の気配は何も聞こえない。
カーテンがかけられているため薄暗い室内は落ち着かない。
シュルト様の顔もはっきり見えなくて、いつもよりずっと怖かった。
「何をしている」
冷えた声には怒気が混じっている気がした。
「あの、資料を、返しに」
「いつからだ」
「…………さっき、です」
「嘘だな。俺はつい先ほどまで廊下で立ち話をしていた。その間にお前が通ったならば気が付いたはずだ。何を聞いたアルリナ」
顎を掴まれシュルト様と強引に向き合わされる。
冷たい瞳が怖い。顎を掴む指の力が強くて痛い。
「な、なにもきいてませんっ」
「ならばなぜ目をそらす。正直に言え」
「本当に、何も聞いていないんです!!」
正確には聞こえなかったのだ。シュルト様が何かを喋っている声という事だけはわかった。しかし内容ははっきりとしない。
それを伝えたいのに顎に食い込んだ指の力のせいで上手く喋れない。
睨みつける様な視線が怖くて言葉が喉に張り付いてしまう。
「ゆるしてください」
いつもとは違う恐怖で勝手に涙が滲んだ。恐怖で強張った指先が冷えて痛い。
「いいや、駄目だ。何を聞いたか正直に話すまでは許さない」
鋭くもぎらついたシュルト様の瞳が私の身体を舐めるように動いて、綺麗な唇を舌が舐めるのが嫌でも視界を埋める。
ああ、と確信とも呼べる予感に身体が震えた。
「壁に手を付け」
結局、私はシュルト様の言いなりになるほかないのだ。
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