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後編

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 どうしてこんな素敵な人が、お姉様に紹介されるの?
 金髪碧眼で、涼やかな目に優しくたたえられる微笑。
 ローゼンベルク公爵の嫡男で、お名前はアンセルム様、お年は二十歳。
 私と同い年じゃない! お姉様より三つも下!!
 お姉様にはこんななよっちい人、似合わないわよ! 私の方が絶対に合うんだから!!

 お姉様とアンセルム様は会った瞬間から意気投合していたみたいだった。
 でも、お姉様のことを一番に考えているとは限らない。
 どれだけ顔が良くても、すぐ別の女に鼻の下を伸ばす男はそこら中にいる。
 見ていなさい、私が化けの皮を剥いでやるんだから。そして私のものにしてやるんだから!

「アンセルムさまぁ!」

 私はいつものように、二人でデートしている間に入ってアンセルム様の腕をとった。そして胸をぎゅうっと押しつける。

「……イズベル」

 悲しそうなお姉様の声。
 待っていて、今すぐこの人の本性を暴いて、引き離してあげるから!

「ねぇ、アンセルム様? お姉様と喋っていても面白くないでしょう? お姉様ったら、本当に無口でつまらない女だから! うふふ」

 むぎゅむぎゅ。これでもかと私は胸をアンセルム様の腕に擦り付ける。

「……イズベル。ルクレティアはとても話題の豊富な人だよ。たしかに無駄なことは話さないが、知識があり、己の見解もしっかり持っている。話していて飽きない人だ」
「な……っ!」

 わかっている……お姉様の良さを……!
 そうなの、お姉様は聞き上手で私と違って頭も良くて、必要な時に必要な情報をくれるのよ!
 本当に素晴らしい人なの!!

「でもぉ。お姉様ってば、顔はいいけど胸が……ぷぷ。ほら、私みたいに挟んであげられないでしょお?」

 ぐりぐり。私の自慢の胸の谷間へ、アンセルム様の腕をジャストフィットさせる。

「やめてくれないか。君が女性だから突き飛ばせないだけだ。そんな行為は、僕を不快にさせるだけでしかない」
「なな……っ」

 なんですって!? そんなこと言われたの、初めてよ!
 鼻の下チェック! 伸びてない!! 私の胸に挟まれて、伸びてないですって!?

「それに、好きになるのに胸の大きさなど関係ない。出会ったばかりだけど、僕はルクレティアの聡明さと優しさに惚れているんだ」
「惚れ……」

 惚れてくれているんだ。お姉様のいいところを理解して。
 でも悪いところも丸ごと愛さなければ、意味がないのよアンセルム様!!

「お姉様はこう見えて、無精ですわよ! 手紙の返信はいつも時間が掛かっておりますし!」
「きっと一文字一文字、心を込めて書いているんだろう」
「令嬢なのに、草花が好きで泥まみれになって庭をいじっていますのよ?!」
「心の優しい人は草花が好きだと聞く。ますます愛おしいよ」
「えーとえーと、他にもお姉様には色々ダメダメなところが──」
「それも丸ごと、全部愛せると僕は断言できる」
「……!!」

 全部、丸ごと……?
 お姉様は感激のあまり、口元を押さえている。
 こんな素敵な人に、こんなに想われているお姉様が……羨ましい。ずるい。
 先に紹介してもらっていたなら、この愛を私が独占できたのに……!

「ずるいわ……ずるいわ、お姉様! こんな素敵な人の心を奪うなんて!! いつものように私にくれるわよね!?」

 欲しい。アンセルム様が、どうしても。

 私は、ずっとお姉様の幸せを願ってきた。
 お姉様が初めて恋をして付き合った男。そいつが浮気をし、いとも簡単にお姉様を捨てたあの日から。
 そんな男に二度と引っかからないように、私は五年もの間、ずっとお姉様を守り続けてきたのよ。
 お姉様にふさわしい、素晴らしい相手が見つかる時まで……そう思っていたのに。

 アンセルム様は、まさに理想の相手。
 だけど私だって、アンセルム様がいいの!!
 本当に心の底からずるいと思ったのは、今日が初めてよ!!

「お姉様は優しいもの! 私が欲しいと言ったものは、今まですべてくれたでしょう!? 私にアンセルム様をくれるわよね!!」
「イズベル……」
「ほら、アンセルム様! お姉様もかまわないって……」
「いやよ、イズベル! アンセルム様だけは、絶対に譲れない!」
「……お姉様?」

 私はポカンとお姉様を見つめた。
 お姉様が拒否を示すなんて、初めてのこと。それも、こんなに大きな声を上げるなんて。

「アンセルム様から離れて、イズベル! いくらあなたでも、彼だけは奪わせない!」

 お姉様の燃えるような瞳。
 こんな目ができる人だったの……?
 私は言いなりになったかのように、自然とアンセルム様から距離を置いていた。
 どうしよう……お姉様が、真剣に怒っている。
 私……お姉様に嫌われてしまうの……?

「ルクレティア」
「アンセルム様」

 二人はまるで恋人のように見つめ合っている。
 ……いいえ、恋人なんだわ。
 愛し合っているんだ。私なんかが入り込む余地がないくらいに。
 きっと、私に紹介してもらっていたとしても、アンセルム様の優しい瞳は引き出せなかった。
 こんな欲にまみれた私が、人に愛されるわけがなかったんだ。

「もう邪魔しないで、イズベル」

 どぐっと心臓を握り潰されるような言葉に、息ができなくなる。
 お姉様に、邪魔だと言われた。
 ずっと邪魔だと思われていたんだわ……。

「行きましょう、アンセルム様」
「そうだね」

 ああ……景色が歪んで見える。
 お姉様とアンセルム様が、仲睦まじく遠ざかっていく。

 お姉様にふさわしい人が現れたなら祝福しようと……ずっとそう思っていたのに。
 きっと嫌われたわ。
 お姉様にも、アンセルム様にも……!
 大好きなお二人に、私は……!!

「う、うあああ、ああああああああ!!」

 ああ、これは私に対する罰なのね。
 ずっとずっと、お姉様のものを奪い続けてきた、罰。
 お姉様は私に奪われるたび、傷つき苦しんでいたのだから。そんなことをし続けた私が今、同じ目に遭っているのだわ。
 ああ、受け入れなきゃいけないとわかっていても、苦しいものは苦しい!
 アンセルム様を手に入れられず、お姉様には嫌われて……
 悲しい……苦しい! 誰か助けて──!!

「泣きすぎだ、イズベル嬢」

 へたり込んで大泣きする私に、誰かが話しかけてくる。

「あああ、ああああああああん!!」
「……落ち着け」

 ポンと頭に手を置かれて、子どもにするように優しく撫でられる。
 低くて、安心できる声だった。

「うううーーッ、ふうううーー~~っ」
「よしよし」

 少しずつ落ち着いて視線を地面から上げると、そこには難しい顔をして眉間に皺を寄せているエドガー様の姿があった。
 なんだ、エドガー様だったのか……私服だったから気づかなかったけど、道理で安心すると思った。

「立てるか」
「う、ぐすっ」

 エドガー様に手を差し伸べられて、私は引っ張られるように立ち上がる。
 ドレスの裾についた土を、エドガー様が軽く払ってくれた。

「ざまあないって思ってるんでしょ……自業自得だって……!」
「……いや?」

 少し落ち着いても、涙だけはひっきりなしに出てきてしまう。

「どうしてあんな素敵な人、私に紹介してくれなかったのよ……ずるいわ……!」
「ルクレティア嬢の恋人を探していると言っていたのは、イズベル嬢だろう」
「でも、でも! あんな素敵な方なら、私が欲しかったんだものーー!!」
「いつものように奪えなくて泣いているのか」
「そうよ! どうして本当に欲しい人に限って振り向いてくれないの……! お姉様も諦めてくれないのよ……!!」
「おい、もう泣くな」

 また大声を上げそうな私を見て、エドガー様が困りきった顔をしてる。
 きっとあきれたんだわ。逆の立場だったら、私だってあきれるもの。

「もう人のものを奪おうとするのはよせ」
「奪いたくて奪ってたんじゃないわよ……っ」
「ああ」

 ……ああ?
 エドガー様の言葉に、私は眉を顰めながら彼を見上げた。

「エドガー様に、なにがわかるっていうの」
「ルクレティア嬢がろくでもない男と付き合うのを阻止するために、奪っていたんだろう」

 当然のように答えたエドガー様に、私は目を広げた。

「……知ってたの?」
「いや。最初はただの嫌がらせをしているのかと思っていたんだが……捕まえる男、全員が本当にろくでなしばかりだったから、さすがにな」
「でも、ポイ捨てはやめろっていつも止めていたじゃない」
「当たり前だ。イズベル嬢に危険が及ぶのには変わりない」

 いつもと変わらない生真面目な顔で、まっすぐ見つめられた。
 私の涙はいつの間にか止まっていて、微かにひっくと喉がなるだけだ。

「心配……してくれてたの?」
「いつもそう言ってただろう」
「どうして?」
「気のある女が危険なことをしているのを、放っておけなかった」

 ……ん? 気の……ある……女……って、私……?

「えええーーーー、エドガー様って、私のことが好きだったの!???」
「叫ぶな、さすがに恥ずかしい」

 手で覆うように口元を隠して、そっぽを向くエドガー様。
 え、顔真っ赤なんだけど? この無愛想男が?
 やだ、ちょっとかわいいかもしれない。

「そ……っか。ふふ。うん、嬉しい」

 なんだろう。人に想われるって、思えば初めてだけど。
 こんなに、こんなに嬉しいものだったんだ。
 相手がエドガー様だからかな。

「あの二人が真剣に付き合えば、もうイズベル嬢が危険を冒す必要はないな?」
「ええ……。もうお姉様のものを奪うのはやめるわ。アンセルム様のことも諦める」

 私が宣言すると、エドガー様が優しく目を細めた。
 やだなに、こんな顔もできる人だったの?!
 ……ずるいわ。たったそれだけで私の心を奪っていくなんて!

「どうした?」
「な、なんでもないわ!」
「そうか、なら一緒に来てくれ。今から会う約束をしている人がいるんだ」
「え?」

 ……なぜ私が一緒に行かなきゃならないの?
 よくわからないけど、エドガー様に手を取られてしまい、そのまま連れて行かれてしまった。
 入ったお店は高級レストランで、そこにいる人たちを見て私は逃げ出したくなる。

「イズベル」
「お、お姉様……」

 それに、もちろんアンセルム様もいる。
 き、気まずい!! 気まず過ぎる!!

「私、帰る……っ」
「まぁ座れ。いいか、アンセルム」
「え? あ、ああ。びっくりしたけどかまわないよ」

 アンセルム様に許可をもらったエドガー様は、私をひょいと持ち上げて椅子に座らせられた。
 うう。どうしてこんなことに。

「どうしてイズベルがここに……?」
「道端で泣いていたのを拾ってきた」

 合ってるけど!! 猫みたいに言わないで!!

「泣いて……? イズベルが?」
「ああ。どうやらアンセルムに本気だったらしい」

 ちょ、なに言い出すのよ!
 合ってるけど、合ってるけど!!
 お姉様には知られたくないのよ!!

「ふん、まさかそんなこと、あるわけじゃないでしょう! いつものようにお姉様をからかって、悔しがるところを見てやろうと思っただけよ!」
「イズベル嬢、いつまでそんなことを言ってるつもりだ」
「本当のことよ! 男を奪ってポイ捨てして、お姉様を傷つけて! 私はお姉様に嫌われ……」

 ぽろりと止まっていたはずの涙が溢れる。

「やだ……お姉様、嫌わないでぇ……」

 ふえんと情けなく漏れる声と共に、本音が飛び出す。
 嫌われても仕方ないことを続けていたのは私。嫌わないでなんて、虫が良すぎるってわかっているけど……。
 お姉様に嫌われて生きていくなんて、耐えられない……!!

「イズベル……嫌うわけがないじゃない」
「……ほんとう?」

 思いもかけない言葉に、私はずるっと鼻をすすった。
 どうして? 私、お姉様にいっぱい酷いことしたのに……。

「私のためにしてくれていたことだって、気づいてたの」
「え……?」
「今まで嫌な役目をさせたわ……みんなすぐあなたになびいていくのを見て、自分の男性を見る目のなさにどれだけ落ち込んだことか……」

 お姉様が落ち込んでたのは、そういう理由?!

「お陰で真剣に想ってくれている人は誰なのか、私が本気で愛する人は誰なのか、浮き彫りになったわ。ありがとう、イズベル」

 なんだ……お姉様は気づいてたんだ。
 私の思惑なんか、全部。

「そしてアンセルム様を渡せなくて、ごめんなさい」

 申し訳なさそうに頭を下げるお姉様。
 私はようやく口元に笑みを乗せることができた。
 だって、お姉様にふさわしい方をずっと探していたんだもの。
 悲しかったけれど、嬉しいのも確かなの。

「いいの。お姉様が幸せになれるなら、それで!」
「イズベル……ありがとう……!」

 お姉様にお礼を言われる日が来るなんて。
 良かった……やっぱり私のお姉様は世界で一番よ!!

 出てきたポトフを食べ終えると、私とエドガー様は一足先にお店を出た。
 どうやらこのまま家まで送ってくれるらしい。

「よかったな、イズベル嬢」

 エドガー様の言葉に、私の心はポトフよりも透き通っていく。

「ええ。ありがとう、エドガー様」
「これでようやく自分のことを考えられるんじゃないか?」

 そうだわ。私は十五歳の時から、一週間と空けずにできるお姉様の新しい恋人を奪うのに必死で、誰ともお付き合いなんてしたことがなかった。
 気づけば私ももう二十歳なのよね。

「そうね。いい人がいれば……」
「俺ではだめか?」

 ドクッと勝手に心臓が躍る。

「……お姉様が公爵家の嫡男であるアンセルム様の元に嫁がなければいけなくなるなら、私は婿養子を取らなければいけなくなるわ」
「俺は次男だ、問題ない」
「えっと」
「問題あるか?」
「ない、けど……!」

 な、なによ、無愛想人間のくせに……!
 こんな時の嬉しそうな顔は、反則じゃない?!

「し、仕方ないわね……考えてあげてもいいわよ!」
「そうか」
「なによ、もっと嬉しそうな顔しなさいよ」
「イズベルが嬉しそうな顔してくれたならな」

 ちょ、いきなりイズベル呼びとか……許可してないわよ?!

「お、少しは嬉しそうだな」
「そんな顔、してないわ!」
「はははっ!」

 私はエドガー様の背中をバシッと叩く。
 するとエドガー様は目がなくなるんじゃないかってくらいに、幸せそうに笑った。
 その横顔は、陽の光に照らされてキラキラと輝いて見えて──

 私の胸は、誰よりもときめいていた。
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