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下天の幻器(うつわ)編
第二十話「小さな勇気」後編(改訂版)
しおりを挟む第二十話「小さな勇気」後編
「そこまで意志が固いのならば、この道己、もうお止めはしませんが……」
あくまで我を通す未熟な主君の言を、南阿の知恵袋と言われた名将は渋々と受け入れる。
「猪親様、今回の策の要はあくまで広小路砦へ向かわれた鈴原様の背後に敵軍を辿り着かせぬこと。この一点に尽きます」
そしてその整った髭の風格在る男、有馬 道己は我を通す主君に念入りに確認する。
「わ、わかってる!そんなこと……逃げて迷い込んで来る敵を全部撃退すれば良いんだろっ!?」
砦を攻めている味方が追い落とした、森に逃げ来る敵を潜めた伏兵によって各個撃破する……
道己の確認は、重責を買って出た経験の無い主君に対する気遣いの進言だったが……
それさえもを気持ち良く思わない若輩者、伊馬狩 猪親は鬱陶しそうにそれを聞き流そうとする。
「それは少々違います、猪親様。最優先は他所で戦っているお味方の広小路砦攻略部隊が背後を突かせぬ事」
有馬 道己は静かに首を横に振る。
「だ、だから!それが……」
「敵を”殲滅する”必要は無いのです。猪親様の伏兵部隊は地の利有れど数には劣ります。無理な封鎖や追撃は自軍の被害を広げるだけで将たる器の者のすることではありません」
作戦の真意を理解していないと言われ反論しようとする主君に、丁寧に説明を続ける忠臣。
「け、けど、それじゃぁ作戦が……」
「作戦、そう大事なのは作戦行動全体の成功です。森で大凡の戦力を削ぐことが出来れば、敵は背後を突くにも纏まった戦力無く断念するしかなくなります。さすれば敵軍の将は砦攻撃を諦め、本軍である那古葉城への合流を余儀無くされるのです」
「う……」
――”囲師には必ず闕き”
それは、目前の忠臣……
有馬 道己から教練で何度も何度も教えられた兵法の基本であった。
抑も、今回の戦場でもその為に那古葉城への道は態と手薄にしているのだった。
「呉々も一時の優勢に酔い、大局を見誤りませぬよう。あくまで冷静に指揮官たるご判断を……」
「わ、わかってるよ、そんなことっ!!」
――
―
――そ、そうだ、ここは無理に防ぐ必要は無いんだ……
闇夜に沈む深い森の中で――
部下である岡 伊蔵が率いる強襲歩兵部隊が蹴散らした敵部隊残党の一部が予期せぬ奮闘を見せた!
そしてその一部が後方で隊を構えていた伊馬狩 猪親の伏兵部隊本体へと迫り来る状況の中、猪親は本作戦前に有馬 道己と交わした言葉を思い出し……
「よ、避けるんだっ!!か、構わないから敵に道を空けるんだよっ!!」
いいや!都合の良い解釈に勝手に脳内変換してから慌てて行動に移る!
「は、はやく!はやく道を空けるんだよっ!!」
猪親は上ずった声で周りの兵達に向けて叫び散らし、直ぐに自身も逃げるように大きく左に馬を急かす!
「わ、若様っ!?」
それは有馬 道己の教えを無視し、勝手に解釈した全くの愚行!
「くっ!散開!!兵を左右二手に分けて敵をやり過ごすぞ!!」
凡そ操兵とは思えぬバタバタとした指示と将である自身が真っ先に尻に帆を掛けて逃げる様な無責任な行動に、副官である武知 半兵は戸惑いを隠せなかったが……
それでも彼は百戦錬磨、白閃隊の副長を務めた男だ。
なんとか兵達への指示を軌道修正し、そして無様なりにも隊としての体裁を保って未熟すぎる主君の児戯の如き命令を形にする。
オオオオオオオオッッ!!
ドドドドドドドッ!!
「くっ!」
「うわっ!」
必死の形相で伊馬狩 猪親の本隊が開いた中央を突破して行く数十騎の旺帝軍とそれに半ば蹴散らされながらも回避する南阿の伏兵部隊。
「う、うぅぅ」
――け、決して怖いから退くわけじゃないからなっ!!
あくまでこれは作戦だと、
そう自身で心に念じながら、這々の体で回避する伊馬狩 猪親の手綱を握る手には汗がビッショリで、鐙を踏む足はガクガクと震えていた。
「ぎゃあぁぁっ!」
「う、うわぁぁっ!」
「いやぁぁっ!!」
だが、旺帝軍が突破していった向こうで……
数十メートルほどの先の闇で……
兵士とは明らかに違う叫び声が幾つも木霊する!
「な、なんだ!?え?え?」
猪親は混乱するが、それが一体何であるかは直ぐに判明した。
「ひぃぃっ!お助けをっ!!」
「ぎゃぁぁっ!ひぃぃ!」
その通り道の先には、運の悪いことに炎に巻かれて避難する村人の集団が存在したのだ。
「あ……あれ?な、なんで旺帝軍が……自国の民を……お、おい!?」
猪親は混戦の中でなんとか自身の傍へ駆けつけて来た副官の武知 半兵に問う。
「混乱しているのでしょう。散々に撹乱され分断された結果である決死の敵軍突破……今の奴等には目の前の者は全て障害物にしか見えてないでしょう」
震える声で余裕無く問う主君に対し、戦場では有り得ることだと言わんばかりに冷静な答えを返す副官。
「……では若様。そろそろ我々も隊を編成し直して直ぐにこの場を撤収致しましょう。これまでで敵の砦から出陣した兵達には殆どダメージを与えましたから」
「…………」
しかし、伊馬狩 猪親には副官の声は届いていなかった。
「若様!!夜闇の森は危険です!敵軍の残兵が同様に狂乱状態に陥っている場合もありますし、ここは迅速に兵を纏めてこの場を撤収……」
「…………」
再度の催促……
だが、猪親にはやはりその助言は届かなかった。
――その時……
半ば放心状態の彼に届いていたのは……
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっーーーー!!」
「こ、子供が!子供には手を出さないでぇぇぇっ!!」
そう遠くない先の闇から届く阿鼻叫喚。
「だ、だれかぁぁっ!!」
女であろうと子供であろうと誰彼構わぬに行われているであろう地獄絵図を容易に想像させる悲鳴の伝播だった。
「僕が……安易に避け……逃げたから……」
呆然と闇を見据えたままの猪親がボソリと呟く。
「気に病むことはありません、戦場では希に有ることです。見捨てても若様の武名に傷がつくことはありません。寧ろ放置する方が旺帝軍の名を貶める事に役立つことになるかと」
「武名……傷……僕の?……旺帝の……」
その時、伊馬狩 猪親は戸惑いながらも自身に問う。
――敵の名を貶める?
それはこの惨状の言い訳になるのだろうか?
――いや、抑もこれは僕が招いた地獄……
「…………」
そんな事を考える伊馬狩 猪親の手綱を握る手には、先程までとは比べ物にならぬほどの震えと汗……
――いいや!そんなことより……
「………………な……るのか?」
「は?」
相変わらず聞き取りにくい細くて震えた声に、副官の武知が聞き直す。
「た、民を捨て置いて……ぶ、武名など成るのか!?」
そしてそう叫んだ声は、この戦場で初めて彼が放った彼自身の声だったろう。
「若様?」
相変わらず手の震えは止まらない。
鐙を踏む足はもう制御できぬほどガクガクと……
――じゃちっ!
若輩で浅はかな伊馬狩 猪親にも確かに退けぬものはある!
「ぼ、僕……私は!南阿の大英雄、伊馬狩 春親が嫡子じゃっ!」
ヒヒィィーン!
同時に、竦んで震えていた足は自馬の横腹を勢いよく蹴り飛ばした!
「南阿が掲げるのは”一領具足”!!なら”民は国”じゃき!!これを守らんでなにを護るがじゃっ!!」
悲痛な悲鳴が飛び交う闇の先に――
ダッ!!
うら若き乙女のような青白い顔立ちの少年が駆る馬は一直線に飛んで消える!!
未熟で臆病な子供は――
この遠く離れた異国の地にて初めて自身の意志で戦場に立つことになったのだ。
「わ、若様っ!?……………ちっ!今さら安っぽい英雄心を!!」
一瞬、呆気にとられた副官の武知 半兵だが、直ぐに状況を把握して苛つきながらそう吐き捨てる。
「伸太郎は伊蔵の隊と残った兵を纏めて速やかに撤収に移れ!俺はあの考え無しのバカ若様を連れ戻す。三、四騎ほどついて来い!」
とは言え、白閃隊の中に在っても徹底した現実主義者である武知 半兵。
一見、薄情なほど合理的である彼のような人物が居てこそ隊は過酷な任務でも被害を最小限に留めてきたとも言え、そして反面しっかりと成すべき事を心得ているからこそ世間知らずのお嬢様が率いていたこの白閃隊を組織の中で長らえさせて来た。
だから副官の職務上もこの先の隊の立場上も、これを見殺しにするわけにはいかないと……武知 半兵は心情とは裏腹に数騎の兵を引き連れて先走った考え無しの主君を追って闇に突入して行く。
――
ギャリィィーーン!
「うっ!うわっ!!」
ドサリッ!!
その闇の中で……
混乱する旺帝軍残兵と逃げ惑う民の中に勇んで飛び込んだは良いが、猪親は早々に斬りつけてきた刃に押されて乗馬から振り落とされていた。
「う……うぅ」
控えめな瞬きである今夜の星光が鬱蒼と生い茂る木々で遮られ、殆ど先が見えぬ視界の中で確かに彼は女の悲鳴を聞いた。
そして後は闇雲に、縺れる黒い塊の方へと駆けつけ――
強引にその間に割り込んだのだったが……結果がこれだ。
「きゃぁぁっ!」
どうやらその隙に女性は逃げることに成功したようで幸いだった。
「ふぅ、これで…………っ!?」
落馬し泥だらけになった猪親は闇の中、大凡の感覚でそれを知り得て取りあえず一息つこうとしたが……
「こ、こいつ、敵だ!」
ジャキ!
「ぬぅ、臨海の将軍か……」
シャラン!
――それはあまりにも甘かった!
いつの間にか、尻餅を着いたままの猪親を三人……
いや、四人の旺帝兵士が抜き身の刀を手に手に囲んでいたのだ。
「う!……ちが……ぼ、僕は南阿の代表……伊馬狩……」
怯んで咄嗟に立ち上がれない猪親は、それだけ言い返した所でゴクリと唾を飲み込む。
「…………」
四人の兵士達は全員が全身ドス黒い返り血に塗れ、そして最早会話を交わせる状態で無い血走った両眼で自分を見下ろしていたのだ。
「ひっ!」
慌てて手にした抜き身の刀を前に構える猪親だが、その刀はさっきの暗闇から受けた一撃でポッキリと折れている。
「臨海軍……殺す」
「この侵略者め!」
「うう、うがが!!」
「死ねっ!」
殺意に囲まれ、金縛りに遭ったかのように恐怖で動けない猪親。
地面に尻を着いたまま、折れた刀を握りしめる伊馬狩 猪親に対し、血に餓えた四人の兵士達が一斉に襲い掛かるっ!
「う、うわぁぁぁっ!!ひぃぃぃっ!!このっ!このぉぉっ!!」
ブンッ!ブンブンッ!!
腰を抜かし、泣きながら手にした”折れた刀”を振り回す!
「う、うわぁ!このっ!このぉぉっ!!」
ブンッ!ブンッ!!
恐怖で目を閉じたどうしようも無い状態にて、半狂乱で矢鱈滅多らに振り回す猪親だが……
勿論そんな滅茶苦茶な方法で身を守れるわけも無い。
ザシュ!
「ぎゃっ!」
ドシュ!
「うっ!」
シュバ!
「ぐはっ!」
ズドォッ!
「はがぁっ!」
――
「……………………う、うぅ」
――てっきり自分は死んだと……
ある意味確信した伊馬狩 猪親が固く閉じた目を少し開けたその場には――
「え?え?ええっ!?」
物言わぬ骸になった四人の旺帝兵士が転がっていた。
「あ……あぅ……こ、これは……」
そしてその骸の傍らには――
「……」
「……」
全身をスッポリ覆い隠す黒い布きれの様な衣装の二人が!
その手に新鮮な朱を滴らせた刀を握って立っていたのだ。
――だ、だれ?だれなんだよぉぉ!?
混乱と恐怖の涙でクシャクシャになった情けない表情の猪親と視線が合った謎の二人は……
――女性?……女の刺客?
猪親が全身をヒラヒラした黒装束に身を包んだ二人が女だと気づいた理由はその瞳だった。
ほぼ目の周りだけしか露出していない衣装だが、至近で見上げた猪親にはその露出した瞳からそれが若い女だとわかる。
「……」
「……え?」
そしてその瞳が心配ないとばかりに、自分に伝える様に細められた。
――ま、まさか?助けてくれた?ええ!……あ……
「若様ぁぁ!!ご無事ですかぁぁっ!!」
――っ!?
恐らく僅かの間だけ対峙していた謎の黒装束の女達は、猪親を助けに来ただろう武知 半兵と数騎の兵士達の到着と共にスッと森の闇に溶けるように消えてしまったのだ。
「あ……あれは……」
半ば放心状態であったとはいえ、それを目の当たりにした猪親の記憶に残ったのは――
黒装束の背に、見えにくい黒い糸で小さく入った刺繍。
――”刀身と桔梗の花”
「…………」
ドドドッドドドッ!!
「若様ぁぁっ!!」
そして――
部下が駆けつけても未だ腰を抜かしたままの惚けた少年の股間はビッショリと濡れ……
「…………う……うぅぅ」
少々鼻を突く匂いが充満していた。
第二十話「小さな勇気」後編 END
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