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下天の幻器(うつわ)編
第五十六話「師弟」
しおりを挟む第五十六話「師弟」
「それでは正統・旺帝が陽子に睨まれるだろう?」
”中立”という理解できない判断をした正統・旺帝の使者に俺は思わずそう言っていた。
「それが最も国益になると判断した。勿論、最終的な判断は燐堂 雅彌だ」
穂邑 鋼の返答に俺は頭を抱える。
――確かに、我が臨海にとって敵に回られないというのはこの上ない
旺帝を制した陽子の新政・天都原による”暁”東部での存在感は、最早突出している。
その威光にて”奥泉”も動かざるを得なくなり、陽子からの要請通りに兵を出して侵攻して来ていた”北来”撃退に協力したと聞いている。
可夢偉連合部族国にしてみれば、旺帝侵攻を唆した張本人が、最後の最後で美味しい所だけをかっ攫い、そして用がなくなれば北の地へと退却らされるという。到底納得の出来ない結末だが……
旺帝との激戦で痛手を負った可夢偉連合部族国では現在の新政・天都原に抗うには根本的に兵力が足らなさ過ぎる。
――紗句遮允、お前の今の気持ちは俺は痛いほどわかるぞ……
長年、あの可愛いんだけど性悪の暗黒姫に利用され続けた鈴原 最嘉だからこそ……
――あ、あの悪女……超可愛いんだけどぉぉっ、くそ!
あ?ええと、つ、つまりだ。
現在の情勢で暁東部において新政・天都原に、京極 陽子に抗える勢力は殆どなく、敢て挙げるならば、中・東部にそれなりの勢力を擁する我が臨海だけといえる。
辺境の”恵千”と大都市とはいえ那古葉との二領だけの正統・旺帝が反抗できる相手では到底無いのだ。
ならばこそ!”中立”など温い返事を返したなら、今後……
新政・天都原が我が臨海を打ち倒し、暁の東側を完全に掌握した後で、必ず冷遇……いや、場合によっては難癖つけられて領地を没収されるのもあり得るだろう。
――”黄金竜姫”がいくら従姉妹だからって手加減は無い!
嘗て俺の部下である宗三 壱が起こした反乱事件に対する対応への、俺への指摘でもそれは十分に解ることだが、陽子は生粋の現実主義者であるのだ。
――それを予測できない”黄金竜姫”と”独眼竜”じゃないだろうに
「本当は戦争自体を止めたいところだが……鈴原 最嘉にも京極 陽子にも譲れないものがあるのだろう?そういうのは俺も理解出来るからな。まぁ、言っても無駄だろうが”ほどほど”にしておけよ」
自分達のことは棚に上げて、俺にそう笑う偽眼鏡男に俺はため息を吐いていた。
「ああ、そう言えば話は変わるが……穂邑の”機械化兵”も”絡繰り籠手”も”麟石”という希少鉱石を利用した独自開発の”波動エネルギー”で動く代物だったよな?」
そのことについては、それこそ言っても無駄だろうし、我が臨海にも得な話だからこれ以上突っ込んでも仕方が無いと、俺が話題を突然転換した事に、偽眼鏡男はぱちくりと間抜けな顔になるが、その後直ぐに頷いた。
「そうだが?急に科学にでも目覚めたか?鈴原」
――確かに学問は嫌いじゃ無いが、
偽眼鏡男みたいなディープな世界へ潜るほど酔狂でも無いし、そんな暇も無い。
「いや、ちょっと最近思い当たる節が幾つかあってな、時間はそんな取らせないから、さわりの部分だけでも教えてもらえないか?できるだけ簡潔に」
「さわり?量子物理学の?それとも素粒子関連か?」
なんとも急な問いに不思議そうにしながらも律儀に応じる穂邑。
「両方だ。二十分、いや十五分くらいで頼む」
「鈴原、お前なぁ、科学をなんだと……」
――
と呆れながらも、穂邑は懇切丁寧かつポイントを押さえた非常に解りやすい解説を俺に教授してくれたのだった。
「と、十五分じゃこんなもんだな」
――キッカリ十五分。流石だ!
「ああ、それなりに概要は理解はできたよ、助かった」
非常に有意義な時間だったと俺は大満足だったが、隣の真琴は難しい顔で”うんうん”と終始頭を抱えて唸っていて、雪白に至っては途中から窓から外を見て鼻唄を歌う始末だ。
「そうか?それじゃ、俺は行くけどな」
穂邑 鋼はそう言うと背を向け――
「俺に……俺と雅にとってお前達二人は恩人であり、なんていうか……”友人”みたいな存在だと、だからどっちも死なない結果が望ましいと思っている」
「……」
――本当に”お人好し”な連中だ
とてもこの血で血を洗う戦国の世で生き残ってきた君主とその第一の家臣とは思えない甘さだ。
最終的にそういう心地よい甘さを残して去った正統・旺帝の使者、穂邑 鋼。
――その気持ち、素直に礼を言うよ穂邑。だが俺は……俺と陽は……
――
―
「最嘉さま、佐和山 咲季が謁見に……」
俺は副官である真琴の声で我に返る。
「ああ、そうだったな。入れろ」
――此処は戦国世界
時間的には、あの近代国家世界の一件から既に二ヶ月と少し経っていた。
「……」
「……」
許可を得てから玉座の間に入ってきた、くせっ毛のショートカットにそばかす顔の快活そうな顔立ちの少女は、いつになく神妙な面持ちで頭を下げると玉座に座した俺を見る。
――相変わらずの叡智を秘めた瞳
――可能性の瞳だ
俺は彼女と初めて会ったときの事を思い出しながら声をかける。
「今日はもう臨海の客将、佐和山 咲季でなく王族特別親衛隊、八十神 八月としての謁見か?」
彼女の行動予定を読み当てているだろう俺の言葉にも全く慌てること無く、落ち着いた表情で少女は再び頭を下げる。
「いえ、今、この時は未だ臨海の将としてです。ですが……」
――なるほど
俺と陽子の戦いが始まる前に別れの挨拶に来たのか。
俺はそれも咲季らしいと納得しながら言葉を返す。
「律儀な性分だな、黙って消えないと捕縛されるか殺されると思わなかったのか?」
勿論そんなつもりは毛頭無い。
そして俺の心中を理解してだろうか、彼女は少しだけ口元を綻ばせてから答えた。
「短い間でしたがお世話になりました。学ばせて頂いた数々の貴重な経験と知識は必ず先生に満足頂けるよう精進して、ご覧に入れます」
「ふ……はは」
俺も思わず微笑んでしまう。
それはつまり――
”戦場”にてという、皮肉でも何でも無い本当に真面目な彼女らしい師に対する一番の言葉だと思ったからだ。
「そう言えば、お前のお仲間で正反対の行動に出た奴を捕らえているが、面倒なので一緒に連れ帰ってくれるか?」
「えっ?」
打って変わった突然の申し出に、今度はそばかすの少女も驚いた様子だった。
そしてその流れを察し、側近の真琴が直ぐに指示を出して”その人物”を連れて来させる。
「あ、亜十里さん!?……っ!!」
後ろ手に拘束された、後ろ髪をアップに纏めた赤い眼鏡の少し小柄な女を見た咲季は思わずそう叫んだ直後、迂闊にも名を口にしてしまったことに気づいて慌てて自らの口を塞ぐ。
「ああ、別にかまわないぞ、咲季。もう面は割れてる。こいつの姓名は弐宇羅 環。六神道系の東外、つまり隠術に通じ体術を基本とする”武”を修めた輩で……京極 陽子の 王族特別親衛隊が十枚目、”十倉 亜十里”だよな?」
「…………」
俺の問いかけに、同じ”王族特別親衛隊”である佐和山 咲季は黙ったままでチラリと拘束された赤い眼鏡の女を見る。
「うぅ……面目ない」
そして情けない顔で視線を下げる赤眼鏡の……”十倉 亜十里”嬢
この十倉 亜十里は、見た目では想像し難いが素手による古流組み打ち術を極めた闘士でかなりの戦士だったそうだ。
俺が”奥泉訪問をする前に、宮郷 弥代が旧赤目領土で静養中だった鈴原 真琴を訪ねた際、ティーセットを運んできた給仕と出会った。
その時、弥代は退室しようとした給仕とぶつかりそうになる。
お互いが避けようとして、つい同じ方向へ動いて微妙な感じになるアレだ。
実はこの一連の動きは弥代が仕組んだもので、相手の足運びや視線の微妙な配り方、佇まいで見事に間者であると見破ったということだ。
だが俺は弥代から情報を伝えられるまでも無く”それ”を知っていた。
我が優秀なる諜報部隊からの報告から、知った上で泳がせていたのだ。
と言えば体裁は整うかもだが実際は……
後に、この烏峰城に居る俺の元を訪れた弥代に厳しく釘を刺される事になる!
――”愛しい暗黒姫様に対する処置は甘々ねぇ”……と
何時も気怠げな宮郷 弥代とは思えない鋭い視線で刺された俺は、内心で少々ビビってしまったものだった。
そして――
かなりの手練れであるこの十倉 亜十里は自国と臨海の戦が始まる流れを受けて早々に脱出しようとしていた様だが、俺は先手を打った。
捕縛に向かわせたのは”蜻蛉部隊”。
言わずと知れた花房 清奈を隊長とする特務諜報部隊。
実は清奈さんは元々は東外の門下生で、この間者とは同門にあたる。
――”それは臨海王様の……いえ、直接対応する陛下の部下の力量によりますが?まぁ東外を出奔する以前の彼女というなら私の記憶では分家では随一だったかと”
七峰宗都、”鶴賀”領にある七峰総本山”慈瑠院”で、俺に弐宇羅 環、つまり十倉 亜十里の実力を聞かれた東外 真理奈は、怪訝そうな顔をしながらも貴方の部下程度に由緒ある六神道が”武”に携わった者の相手ができるのかしら?
と、透けて見えそうな含みのある悪い笑みを浮かべたものだが……
残念、その俺の部下が花房 清奈だとは思ってもみなかったのだろう。
――なんせ清奈さんは、医療技術に勝るとも劣らないほど素手格闘においては桁違いの天才だからなぁ
俺は”うんうん”と心の中で独り納得しながら、唖然としたままの二人に視線を戻す。
「てな訳で、連れて帰ってもらえるか?」
「………………………………よろしいのですか?先生」
暫し考えた後、俺に向け咲季はそう聞いた。
――ふむ、これはつまり
せっかく捕らえた間者をそのまま帰すという、その行為自体に対してよりも……
隠密部隊である”蜻蛉”……いや、その隊長である花房 清奈の実力を知った者をこれから敵対する陽子の元へ返しても良いのか?という意味だろう。
「ああ、かまわないぞ」
だが俺は怪訝そうにする咲季にアッサリそう告げる。
「…………」
そう、その顔だ!
開戦の直前でわざと情報を与える!
”漏洩”では無く”供与”
これにこそ意味があるのだ。
我が臨海と陽子の新政・天都原との戦いは総力戦になるだろう。
そして戦力比は大雑把に見積もって二対三。
もちろん俺が”二”だ。
新たに、油断ならない部隊と人物が在るという情報を直前に相手に与え、そしてそれに対策を打たなければならない状況にさせ……上手くいけば兵力を多少分散させられるかもしれない。
そういう思惑のために敢えて開示した俺の行為を、俺の下で学んできたこの佐和山 咲季……いや王族特別親衛隊、八十神 八月なら察しただろう。
「そう……ですか」
「ああ」
「ありがとうございます」
俺のニヤけ顔に対し、そばかす顔の少女は暫し考える仕草をした後で笑った。
――ほぅ?
少し予想外の反応に俺が感心していると、少女は続ける。
「では、ささやかなお礼ですが、我が”王族特別親衛隊”、恐らく先生は略全てのメンバー情報を取得済みと思いますが、未だ得ていないだろう情報……人物の情報を、」
――!
「士官名は”十二支 十二歌”。言うまでもありませんが”王族特別親衛隊”十二枚目の将で隊内三番目の実力者ですが、その癖のある戦い方は異質そのもの。”千変万化の寝子”若しくは”堕天星”という異名を持つ……戦士としてはある意味一番やっかいな強者です」
「十二支…… 十二歌」
――確かに俺の情報に無い人物だ
「ちょ、ちょっと!八月っ!!」
拘束されたままの十倉 亜十里なる女が軍事機密に類する情報をペラペラと話す咲季の行為に騒ぎ出すが……
――開戦の直前でわざと情報を与える!
”漏洩”では無く”供与”
これにこそ……
――以下略
実に効果的!見事な意趣返しに俺は単純に感心する。
「ははっ、やるようになったな佐和山 咲……いや、八十神 八月」
「いえ、先生のご指導の賜です!」
思わず笑みがこぼれる俺に、咲季は本当に嬉しそうに笑った。
「ははは」
「ふふ……」
そして、そばかす少女の笑顔に僅かに影が差す。
「本当に……未知の体験ばかりでした」
同じような微笑み、でもどこか違う寂しげな微笑みの咲季。
――そばかす少女は
幼少の頃、古くさい風習ばかりの貧村を出たくて一生懸命に学問に務めた。
”女なんかに”学問”は必要ない、嫁いで一生尽くせば良い!”
何度も何度も諭され、押さえ込まれ、時には殴られて彼女は育った。
”村から出たってお前なんかが上に行けるかよ!召し抱えられるわけないだろうが!”
”咲季、アンタまたそんな大それた夢を……”
だけど、諦められなかった少女。
――見上げて手に入る視界は小さい、そこに立ってこそ周りに世界は広がるの……
それはある書物で感銘を受けた言葉。
だからその場所を目指した少女。
けれど直ぐに世界の広さに圧倒され、到底適わない才能を知って……
――
「鈴原 最嘉様。私は貴方という師に出会えて本当に幸福でした」
そう、”食わせ物””詐欺師”巷で色々と揶揄される破天荒な英雄に出会って彼女はわかった。
――私が見るのは”世界”じゃ無い……それは”私自身”
必死に修めた学問に囚われず、寧ろ一度全てを忘れて私を確認する。
知識はそうして自分に溶け込んでこそ本当に自分の世界になる。
――枠から解き放そう!”あのひと”のように!
「……」
――ドクンッ!
咲季の胸はこの瞬間、嘗て抱いた時のように高鳴っていた。
――わたしは……
――わたしは、やはり”鈴原 最嘉”に認められたいのだと!
最後に咲季は深く深く頭を下げた。
澄んだ叡智が見て取れる瞳を煌めかせ、ギュッと胸の前の拳に力を込めた”籠の中”だった少女。
小さい”しがらみ”の檻の中から、彼女が羽ばたけるのは未だ小さい空――
「……うん!」
だけどその小さい空は遙か彼方、どこまでもどこまでも空へとつながってゆく……
こうして”籠鳥恋雲”のそばかす少女は顔を上げて歩き出す。
望んだ空を舞って、ずっとずっと――
――
―
「ちょっ!ちょっとぉぉーー!!忘れてる!?十倉 亜十里!忘れてますよぉぉっ!!ふぇぇーーーんっ!!」
手枷のままの同僚を忘れて……
「ご、ごめんなさいっ!!亜十里さんっ!!」
第五十六話「師弟」 END
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