バーテンダーは夜を隠す~ 昼間に営業する不思議なバーは夜の闇を晴らす ~

北きつね

文字の大きさ
5 / 29
第二章 リニューアル

第二話 希望

しおりを挟む

 女性は、店に入るなり、カウンターに座った。
 マスターが目を向けるが、女性は気にした様子は見せない。

「マスター。おすすめを頂戴」

 マスターは、女性をちらっとだけ見て、頷いて、ゴールドラムとレモンジュースをシェイカーに注ぎ込み、オレンジキュラソーとアロマティックビターを入れる。シェイクしてグラスに注ぎ込んで、カットオレンジを添えた。

「カサブランカです」

「ありがとう」

 女性は、カサブランカをゆっくりと喉に流し込んで、目を閉じる。

「マスター。同じものをお願い」

「かしこまりました」

 店の中には、マスターがシェイクする音だけが響いている。
 女性は、マスターの手元を見ながら、”甘く切ない思い出”を感じている。

「カサブランカ。甘く切ない思い出」

「そうね。思い出なのよね」

 女性は、マスターが置いたグラスを持ち上げて、一気にカサブランカを煽る。
 一度に飲み干すには、度数が強いカクテルだが、女性は”切ない”思い出を忘れるために、喉を熱くしたかった。

「チェイサーです」

 マスターは、女性の前にチェイサーを置いた。
 女性は、マスターの優しさを感じながら、熱くなった喉を冷やすために、チェイサーを流し込む。

「マスター。あの人・・・。結婚だって・・・。私の前で、笑いながら・・・。私に、結婚式に来てくれだって・・・。笑っちゃうよね。自分が捨てた女を・・・。捨てたことさえも忘れているのよ?」

 マスターは話を聞きながら、ペルノを用意する。

「もう一杯、飲まれますか?」

「お願い」

「かしこまりました」

 シェイカーに、ペルノとオレンジキュラソーとアンゴスチュラ・ビターズを入れてシェイクする。
 クラッシュアイスを入れたタンブラーに、シェイクした液体を注ぎ込む。冷えたソーダで満たして、軽くステアをした。

「キス・ミー・クイックです」

「?」

「幻の恋を飲み干してください」

「そうね。あの人は、幻」

「違います。恋が幻だったのです」

「マスター。私、どうしたら」

「私にはわかりません。でも、せっかく来てくれと言っているのです。幻を確認してみるのもいいと思いますよ?」

「そうね・・・。私は、確かに、あのに恋をした。でも、幻だったのよね」

「どうでしょう。私にはわかりません。それを決めるのは、あなたではないのでしょうか?」

「ありがとう・・・。彼女の幸せな顔を見てくる。マスター。帰ってきたら、マスターのおすすめを飲ませて!」

「お待ちしております」

 キス・ミー・クイックを飲み干した女性は、店から出ていく。来たときとは違って、前を向いて歩いていけるようになっている。

 マスターは時計を確認する。
 店を閉めるのにはまだ時間が早い。

 マスターのスマホに、一つのメッセージが届いた。

”夜に行く”

 マスターは、メッセージを読んでから、ため息を吐いて、店じまいを始める。
 何時に来るかわからない客を待つためだ。

 バーシオン。
 始発から昼過ぎまで営業する変わったバー。夜の街で働く人たちが、心を癒やすために訪れる店。

 深夜2時。
 バーシオンの扉を叩く音が店内に響く。

 1人の男と、1人の女性が扉を開けて店に入ってくる。

「マスター。僕には、ジンバックを、彼女にはダイキリをお願い」

「ジンバック?」

「ジンリッキーでもいいよ」

 男は、マスターに笑顔を向ける。マスターは、手で合図して二人を座らせる。
 マスターは座った二人の前にコースターを置いた。

 ちらっ女性を見て、ホワイトラムとライムジュースとシュガーシロップを氷が入ったミキサーに注いだ。ミキサーでシャーベット状にしたダイキリを、大きめのシャンパングラスに移して、カットしたライムとミントの葉を添える。太めのストローを挿して、女性の前に出す。

「フローズン・ダイキリです。こちらの方が、気にしないで楽しめると思います」

 男が注文したダイキリでは、ショートグラスを持ち上げて、首筋を見せなければならない。深夜だと言っても、夏が近づいている時期にマフラーをしている女性は珍しい。

「ありがとうございます」

 うつむきながらマスターに謝意を伝えた。

「さすがは、マスター!それで、僕のジンバックは?」

「ライムでいいな?」

「任せるよ」

 ドライ・ジンとレモンジュースを、氷を入れたロンググラスに注いで、ジンジャエールで満たす。軽く見るビルドしてから、ライムを添える。

「ジンバック。辛口で作った」

 男はグラスを持ち上げて、女性の前に置かれたフローズン・ダイキリに軽く合わせる。

「マスター。彼女の希望を探してよ」

 男の言葉で、テーブルの上に重ねられていた手を少しだけ動かした女性は、初めて顔を上げて真っ直ぐにマスターを見る。

「希望?」

「そう、奪われた希望を探し出して欲しい」

「子供・・・。私の子供・・・。希望」

 女性は呻くように呟いて、フローズン・ダイキリを手に持った。

「おい。大丈夫なのか?」

 マスターは、男に確認をする。男は、大丈夫だとポーズで示すだけだ。

「ふぅ・・・。それで?」

「情報は、これ、それから、これは、別口での依頼」

「は?」

「あとで見てよ」

「わかった」

「僕は、彼女を送っていくよ。表に、足が来ているはずだから・・・」

「わかった」

 男と女性がドアから出ていくのをマスターは見送った。
 階段を上がる足音が店まで聞こえてきてからマスターは、渡された資料の紐をほどいた。

 10分ほど経って、裏口から男が店に入ってきた。

「マスター。何か飲ませて」

 マスターは、カラント・ウォッカとオレンジジュースを氷が入ったグラスにそそぎ、ビルドを行う。液体が混ざりあったのを確認して、グレナデン・シロップを鎮める。

「カラント・サンライズ」

「希望。誰にとっての希望なのだろうね」

「・・・」

「マスター。資料を読んでくれた?読んでくれたから、これなのでしょう?」

 男は、グラスを持ち上げる。

 マスターは、資料を2つに分ける。

「返したのに、奪うのか?」

 資料には、女性の事情が書かれている。女性に子供を帰すのは、それほど難しくはない。旦那の所にいる子供は、虐待されている可能性が書かれている。そのために、児相のフリをして忍び込めばいいと資料には書かれている。
 しかし、女性に子供を返した後で、女性から子供を奪い返す必要がある。これが二つ目の依頼だ。旦那の所ではなく、女性の両親の元に届けるのだ。

 女性に”子供を託せない”というのが両親の考えだ。
 ”託せない”。この言葉を、両親が口にした。マスターは、女性にも両親にも子供を渡すのを躊躇ってしまっていた。

「マスター?」

「・・・」

「彼女には、希望が必要だけど、両親にも希望は必要だよ?」

「両親の希望?」

「そう、”娘と孫と一緒に暮らす”と、いう希望くらいは持っていいいと思わない?」

「そうか・・・」

 マスターは、文章を眺めながら、男の話を吟味する。

「わかった。サポートを頼む」

「了解。話は通しておくね」

 マスターは、カウンターに3つのグラスを置いた。
 カラント・サンライズを作って、3つに分ける。

「・・・」

 中央のグラスを残して、マスターと男はグラスを持ち上げる。

「希望を」

「誰にとっての希望なのか・・・」

 二人は、各々の気持ちを口にしてから、カラント・サンライズを喉に流し込む。




 マスターは、男が運転する小型車で、冬には雪が降り積もる場所に来ている。
 新幹線が開通したばかりの都市は、これからの発展を期待する雰囲気がある。

 マスターは、車から降りて、車により掛かるようにして、新幹線の改札を見つめている。マスターから、50メートルくらい離れた改札の前では、小学校に上がる前くらいの男の子が、老夫妻に手を握られて、改札を見つめている。

 東京発の新幹線がホームに滑り込んできた。子供は、真剣な表情で改札から出てくる人を見つめている。
 15分くらいして改札から出てくる人も少なくなっていた。子供は目的にしていた人物を見つけたのだろう。老夫婦の手を振り切って、1人の女性に駆け寄る。

 女性は、新幹線を降りてから不安で押しつぶされそうだった。ホームのベンチで、不安な気持ちが消えるのを待っていた。しかし、時間が立て不安は消えるどころか増大した。女性は、階段を降りて、改札に向かう。顔が上げられなかった。怖い。何もかも失う可能性を考えるだけで震えてきた。

 改札を出て、足に抱きついてきた男の子を見て、手荷物を床に落としてしまった。
 両手で男の子を抱きしめて、流れ出る涙を止めることができないでいた。老婦人は、にこやかな笑顔で女性と子供に近づいて、床に落としてしまった荷物を持ち上げて、女性を立たせた。

 マスターは、女性が立ったのを見つめてから、助手席に戻った。
 男は、マスターの顔を見つめる。

「これから、大変だろうな」

「そうだな。でも、もう大丈夫だろう」

「そうだね。もう、夜に怯えないでくれるだろうね」

「あぁ」

 マスターは、目をつぶって、助手席を倒した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...