束縛フィアンセと今日も甘いひとときを

さとう涼

文字の大きさ
32 / 59
7.マリッジブルーに悲しく揺れる

032

しおりを挟む
 料亭という場所は生まれて初めて来たのだけれど、別の意味でも緊張していた。
 しっとりと落ち着いた建物は伝統を感じさせ、格式高い。足を踏み入れると、緊張がさらに増した。

「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。日比谷様は先にお着きになりまして、部屋でお待ちです」

 女将さんに出迎えられ、もうすでに航たちが到着していることを知る。
 わたしたちは時間より少し早めに着いたのだけれど、それより早く来てくださっていることに両親は恐縮していた。
 でもたぶんそういう気遣いなのだと思う。わざわざ遠くから来るうちの両親を迎えてくださろうとしているのだろう。

 続けて仲居さんが部屋へ案内してくれた。長い廊下からは日本庭園が望める。昼間なのに凛とした静けさが広がっていた。
 ここが東京だなんて忘れてしまいそう。時間がゆったりと流れ、ここだけ別世界のようだった。

 するとそこへ長身の男性が立ちはだかった。庭園に見とれていたため、それが誰なのかすぐにわからなかった。「美織」と名前を呼ばれ、ようやく航だと知った。

「あら、航くん!」

 母が声を弾ませた。
 母は航をとても気に入っている。結婚報告のために帰省したときも、これでようやく正式に息子になるのだと大喜びだった。父も、交際の挨拶のために実家にまで来てくれた航の誠実さを当時から高く評価していて、わたしにはもったいない彼氏だと言うほどだった。

「今日は遠いところからお越しくださってありがとうございます」

 航は両親に向かって軽く頭をさげる。それからわたしに視線を移すと、悲そうな面持ちになった。
 航のこんな顔は、これまで一度も見たことがない。怒ったり、ふてくされたりすることはあっても、こんな絶望したような顔は初めてだった。
 どうして航が傷ついているの? 泣きたいのはこっちなのに。

「みお──」

 わたしは、わざとそっぽを向いた。

「早く行こう。お待たせしちゃ失礼だよ」

 わたしは両親に向かってそう言うと、案内をしてくださっている仲居さんに目くばせした。
 航はなにか言いたげだった。謝ろうとしていたのか。それとも、この場は大人の対応をしようと言いたかったのだろうか。
 言われなくてもそうするつもり。これから約二時間。とりあえず大人の振る舞いをして、この場をやり過ごすしかないと思うから。



 広々としたお座敷に通されると、挨拶を交わし席につく。
 外観や玄関もさることながら、このお座敷も重厚感があって上品で風情もある。
 この料亭は航が選んだ。本店は京都にあって、仕事ではもちろん、日比谷家がプライベートでもよく利用しているそうだ。

 うちの両親と航のご両親は初対面。航のお父様がこちらの緊張を和らげるように言ってくださった。

「堅苦しいのは抜きにしましょう。今日はおいしい料理を味わいながら、親睦を深められればと思っております。箱崎さんは、ビールはお好きですか?」
「ええ、アルコールならなんでも。昼間から飲めるとは、うれしい限りですね」
「ということは、かなり飲める口ですな。でしたら、今度ゆっくり飲みましょう、ふたりで」
「いいですね、ぜひ」

 いきなり父親同士、妙に意気投合している。
 航のお父様が仲居さんにビールを持ってくるように頼み、それからみんなで乾杯した。運ばれてきたお料理を頂きながら、航は時折うちの両親に話題を振り、場を盛りあげていた。

 けれど和やかな雰囲気のかたわらで、わたしは航と目を合わせることをせず、ひたすらお料理を食べていた。話題に応じて笑顔を作り、話しかけられたときだけ愛想よく受け答えする。
 たぶんうまく演じられていると思う。自分でもたいしたものだと思った。このまま無事に終えることができる……。そう思っていたら、ちょっとしたハプニングが起こった。

「ところで美織さん、今日は婚約指輪をしていないのね。航からは美織さんに贈ったって聞いていたんだけど」

 航のお母様の突然の振りに、ギクリと肩が上下する。
 今日のこの場に欠かせなかったダイヤモンドの婚約指輪なのに、すっかり頭から抜け落ちていた。
 航の顔を見るのが怖い。なるべく考えないようにしていたのに、マンションでのシーンが呼び起こされて、再び、駅のホームで言われた雫さんのセリフが頭のなかで鳴り響く。

「あの、えっと、指輪は……」

 なんて答えればいいのだろう。正直それどころではなくて、うまい返しが思いつかない。あれこれ言い訳せずに、忘れましたと言ってしまおうか。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

美しき造船王は愛の海に彼女を誘う

花里 美佐
恋愛
★神崎 蓮 32歳 神崎造船副社長 『玲瓏皇子』の異名を持つ美しき御曹司。 ノースサイド出身のセレブリティ × ☆清水 さくら 23歳 名取フラワーズ社員 名取フラワーズの社員だが、理由があって 伯父の花屋『ブラッサムフラワー』で今は働いている。 恋愛に不器用な仕事人間のセレブ男性が 花屋の女性の夢を応援し始めた。 最初は喧嘩をしながら、ふたりはお互いを認め合って惹かれていく。

エリート役員は空飛ぶ天使を溺愛したくてたまらない

如月 そら
恋愛
「二度目は偶然だが、三度目は必然だ。三度目がないことを願っているよ」 (三度目はないからっ!) ──そう心で叫んだはずなのに目の前のエリート役員から逃げられない! 「俺と君が出会ったのはつまり必然だ」 倉木莉桜(くらきりお)は大手エアラインで日々奮闘する客室乗務員だ。 ある日、自社の機体を製造している五十里重工の重役がトラブルから莉桜を救ってくれる。 それで彼との関係は終わったと思っていたのに!? エリート役員からの溺れそうな溺愛に戸惑うばかり。 客室乗務員(CA)倉木莉桜 × 五十里重工(取締役部長)五十里武尊 『空が好き』という共通点を持つ二人の恋の行方は……

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

天才小児外科医から溺愛されちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
天才小児外科医から溺愛されちゃいました

あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~

けいこ
恋愛
密かに想いを寄せていたあなたとのとろけるような一夜の出来事。 好きになってはいけない人とわかっていたのに… 夢のような時間がくれたこの大切な命。 保育士の仕事を懸命に頑張りながら、可愛い我が子の子育てに、1人で奔走する毎日。 なのに突然、あなたは私の前に現れた。 忘れようとしても決して忘れることなんて出来なかった、そんな愛おしい人との偶然の再会。 私の運命は… ここからまた大きく動き出す。 九条グループ御曹司 副社長 九条 慶都(くじょう けいと) 31歳 × 化粧品メーカー itidouの長女 保育士 一堂 彩葉(いちどう いろは) 25歳

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

処理中です...