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「今度はっ、ちゃんとしますから。だから、どうかこのままここに置いてください」
 頭を下げ、懇願する。
 するとラウス様は温かい手を乗せて、ゆっくりと撫でてくれた。
「昨日は少しやりすぎた。自分でも抑えきれず……謝るのは俺の方だ。すまなかった、モリア。頭をあげてくれ」
 顔を上げれば、ラウス様が深く頭を下げていた。
「そんな、悪いのは私で!」
「女性を気遣えないのは男の落ち度だ。こんな俺だが、これからも隣にいてくれるか?」
「もちろんです!」
 カリバーン家に来てからというもの、サンドリア家との違いがあり過ぎて軽くカルチャーショックを受けることもあるけれど。それでも全力で役目を真っ当させていただくつもりだ。
 そういえば馬車の中でもラウス様は「隣にいてくれ」と言っていたが、私は護衛役も兼ねているのだろうか?
 小説の中ではよく身分の高い人が寝室の扉の外で使用人や騎士を待機させておくシーンとかはあるけど、同じベッドで警護させるなんて聞いたことがない。だがあくまで私の読んできた小説は創られた話がほとんどだった。だけど現実世界は違うのかもしれない。性欲発散する相手と護衛を兼ねることでハニートラップを避けられるとか、私が知らないだけで意味があるのかも。
 直接的にお前の役目は護衛であると言われてはいないものの、もし護衛の役を任されていたのだとしたら初日から気を失った私は使用人失格の烙印を押されてもおかしくはない。詳しい業務内容が説明されなかったから、なんて子どもみたいな言い訳はまかり通らないであろう。
 なのにラウス様は寛大なお心で、許してくださった。
 この失態を何とかカバーするためには、それ以上にカリバーン家のために役に立つ他ないのだろう。

「昼夜ともに尽くさせていただきます」
 胸の前で手を固めて、宣言すればラウス様は顔を抱え込んでしまった。
 私、なにか変なことを言ってしまったのだろうか?
 わざわざ宣言するなんて、と呆れられたのかもしれない。顔色を窺うように顔を覗き込めば、唯一確認出来た耳は赤く染まっていた。どうやら昨晩の疲れが出てしまっているようだ。昨日来たばかりで、使用人の制服さえ頂けていない私はカリバーン家に出入りしている医師がいるのかさえも把握していない。だが風邪なら早く対応した方がいいし……。
 布団から出たばかりの私が身にまとっているのは、見覚えのないネグリジェ。レースで花柄があしらわれているのはとても可愛らしいが、夜にお相手を誘うためなのか、肌が透けて見えてしまう部分も多い。大事な部分はしっかりと隠れているが、それ以外の場所に刻まれたラウス様の所有印はバッチリと見えてしまう。こんな格好で部屋の外に出るのは恥ずかしい。けれどラウス様の体調不良と、失敗してばかりの新人である私の羞恥心を天秤にかけたら圧倒的に前者が勝った。
 屋敷の風紀を乱してしまうのは心苦しいが、この姿は後で詫びればいいだろう。

「私、ハーヴェイさん呼んできますね!」
 ラウス様に向かって宣言し、ドアへと手をかける。けれど私がドアを開くよりも先にラウス様が私の身体に覆い被さった。ドアに手をついた彼の下に収まった私には影が落ちる。
「ラウス様?」
「その格好で外に出す訳にはいかない」
 後回しでいい、なんて公爵家では許されないのだろう。
 どんなに体調が悪くても、品位を大切にする。その心意気こそがカリバーン家が社交界でも一目を置かれる理由なのだろう。部屋を見回し、昨日着ていた服をとりあえず探したがそれらしき物は見当たらない。替えの服もない。
 ラウス様の部屋で抱かれて、服は私が寝ている間にでも回収されてしまったのだろう。服がなければ部屋の外に出ることも叶わない。だがこのままだとラウス様の体調が……。どうにか服を手に入れなければならないと俯きながら考える。ウンウン唸る私の上では未だにラウス様が影を作っている。ドアも押さえられて、とおせんぼされている状態だ。
 服を手に入れれば、ラウス様も認めてくださるはず……と考えて、ハッと良案が頭を過った。

「あの、ラウス様……」
「なんだ?」
「制服を、頂けませんでしょうか?」
「は? 制服?」

 この状況――制服をいただく絶好のチャンスではないか!
 なにも服はドレスでなくともいいのだ。ただこの、人目にさらすのを憚られる服装でさえなければいい。昨日のドレスなら後で探せばいい。あれは一張羅で、何より動きづらい。これから仕事をする上で明らかに不便なのだからそう急いで探すこともない。

「はい、制服です!」
 身体を反転させて、狭い場所でラウス様を見つめて『制服』を強調するように繰り返す。私の勢いに押されるようにラウス様は手を離し、代わりに顎に手を伸ばす。

「制服、制服か……。使用人用のならあるが、モリアのは……」
 ここまで言ったら『ない』と言われたようなものだ。肩と同時に気分も頭も垂れ下がる。
 仕立て屋でドレスを買おうとすると大体の場合、既製品の中に私の身体にピタリと合うものはない。既製品に少し装飾品を付けてもらったりするだけのお姉様たちとは違い、オーダーメイドのものを注文するか、ツーサイズほど上のサイズのドレスを買って裾や袖を直してもらう手間とお金が余計にかかる私は『モリアの栄養は全部胸にいったのかしらね……』とよくお姉様たちから苦笑いをされるほどだ。そんな私は普段着も大きめのサイズを買わないと入らない。背は小さいのに大きな服を着なければならない私は側から見ればさぞかしアンバランスに映ることだろう。『完璧である』と社交界、それも下級貴族が集まる夜会ですら噂されるカリバーン家の使用人ともあろうものがそんなことを許す訳がないのだろう。
 不便に思うこともあれ『ないよりはあった方が断然いい』と断言するお兄様たちの言葉を信じて暮らしてきた。
 確かに顔つきが地味な私にとって特徴はないより一つでも多くあった方がいいのだが、今となってはその唯一ともいえる外見的特徴はない方が便利だ。着ることのできる制服がないなんて使用人としてやっていく自信がどんどんなくなっていく。少しでもなくならないものかと服の上から両手を胸にあてて押しつぶす。
 いや、この言い方だと使用人としてもまだ認められていないのかもしれない。
 私の立ち位置ってなんなんだろう……。
 隣にいろって言われたからには、一生この部屋から出るなと言われることはないだろうけど。まさか二日目で服に困ることになるなんて想像もしていなかった。前途多難すぎる。目の前が真っ暗になった私に、ラウス様は慌てたように「制服はないが、代わりにモリアのために用意したドレスがある!」と元気付けてくれた。
「本当ですか!」
「あ、ああ」
 まさか昨日の今日でわざわざ普段着を仕立ててくれているとは思わなかった。嬉しさのあまり、ラウス様の両手を包みながら「ありがとうございます、ありがとうございます」と子どものようにお礼を繰り返して告げる。さすがは上級貴族様だ。いつだってその行動は私の想像の遙か上を行く。これで制服は手に入らずとも、家から新たな服が送られてくるまでの間、唯一所有している服で過ごし続けることは回避されたのだ。
 それにいざとなったらその用意された服の上からエプロンか何かを着ければ、多少見た目が悪くとも裏方なら何とかやり過ごせるかもしれない。
 暗くなりつつあったこれからの生活に一筋の光が差し込んできたようだ。
 それからすぐにラウス様は使用人を呼びつけて、部屋へとドレスを持ってくるように指示を出してくれた。

 あれ? なんで使用人の私が主人に気を使って貰っているんだろう?
 ただでさえラウス様は体調が悪いのに!
 やらかしに気づいた私がその場でパタパタと行ったり来たりと不審な行動をしていると、部屋へと戻ってきたラウス様は不思議そうに「モリア?」と首を傾げた。
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