竜王の花嫁は番じゃない。

豆狸

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第二話 娘じゃない、婿じゃない、父親じゃない。

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 メルクーリ伯爵令息ミハリスは、クリストポロス王国の王都にあるロウンドラス公爵家の応接室で不安げな溜息をついた。
 彼の隣に座っていた恋人のコラスィアが微笑んで、そっと体を寄せてくる。

「大丈夫よ、ミハリス。もし本当のことに気づかれたって、全部お義姉様のせいにすればいいだけよ。竜王の花嫁になりたがったお義姉様が、私に魔結晶を作らせて指輪にして身に着けていたんだって」

 竜人はつがいを魔力で感知する。
 自分の体に流れる魔力と相性が良い、補う性質の魔力を持つものをつがいとして求めるのだ。

「……」
「もうミハリスってば! アタシがあんなトカゲ男の花嫁になっても良かったって言うの?」
「……」
「なによ? 言いたいことがあるなら言えば?」

 大暴走スタンピード討伐の戦勝パレードで王都の上空を飛んでいた黄金の竜は、人間が太刀打ち出来る存在には見えなかった。鱗だらけの竜人達の尻尾の一撃でさえ人間の命を簡単に奪うだろう。
 小心なミハリスが強大な竜王への不安を口にする前に、応接室の扉が開いてロウンドラス公爵が現れた。
 ソファで抱き合うような格好のふたりを見て、瞳に嫌悪の情を浮かばせる。

「今日はわざわざ来てもらってすまなかったな、ミハリス」
「いえ……」
「君とシンシアの婚約解消については、竜王陛下のほうからメルクーリ伯爵家に賠償がある。そちらについては兄君のゲオルギウス殿に承認を得ている。今日君に来てもらったのは婚約解消の書類に署名をもらうためだ」

 シンシアが竜王のつがいだったということで書類の提出なしでの婚約解消が特例で認められたものの、ふたりが婚約をして解消したという事実自体は国の記録として残さなくてはいけない。
 代筆ではいけないということで、ミハリスはロウンドラス公爵の目の前で署名した。
 纏わりつくコラスィアのせいで少し線が歪んでしまったけれど、公爵はそれで良しとした。やるべきことが終わったのを見て、コラスィアが甘えた声を上げる。

「ねえ、お義父様」
「だれのことだ」
「え……」

 返って来た冷たい声にコラスィアは狼狽えた。
 ミハリスも驚いた顔になる。

「コラスィア……だったか? お前は私が跡取りを作るために娶った女の連れ子に過ぎない。私はお前を養女にした覚えなどない。私の娘はシンシアだけだ」
「そんな……っ! お母様が言ってたわ。お義父様は私を養女にしてくださるって」
「それはあの女が跡取りを産んだらの話だ。跡取りの異父姉であるお前を私の養女にして、しかるべきところへ公爵家から嫁がせる予定だった。しかしあの女は三年経っても跡取りを産まなかった」
「それは……お義父様が大暴走スタンピード討伐で忙しかったから」
「そうだな。だが契約は契約だ。それにお前の母親は、私の筆跡を真似て公爵家の資産を勝手に散財していた。証拠は掴んだので騎士団に引き渡し済みだ。お前は関わっていなかったようだが、もうこの家にいる資格はない。さっさと出て行くがいい」
「お義父上」

 ミハリスの叫びに、ロウンドラス公爵の瞳が昏く煌めいた。

「君は我が家の婿ではない。……妻が亡くなって何年も後添いを拒んでいた私が、いきなり跡取りを求めてあの女を娶ったのはなぜだと思うかい?」
「え?」
「三年前、先の大暴走スタンピードでメルクーリ伯爵……君の兄君ゲオルギウス殿が重傷を負ったからだよ。彼が亡くなるか戦えない体になれば、君が家を継ぐことになる。そうなったとき、ひとり娘では嫁ぐことが出来ないからね。シンシアは……とても君を愛していたんだ」

 ゲオルギウスが奇跡的な回復を遂げたので、自分の行動は無駄になったと公爵は笑う。

「それどころか君はそこのアバズレに篭絡されて、うちの娘を捨てたんだ」
「……」
「酷いわ、お義父様」
「黙れ、お前は私の娘ではない。さっさと出て行かないと叩き出すぞ。どうやら私にあの女を押し付けて来た分家の種のようだが、夫人の実家の後ろ盾がなければやっていけないあの男がそれを認めるわけがない。つまりお前はただの平民だ。なんなら母親と一緒に我が家の身代を揺るがしたということで、私がここで切り捨てても良いのだぞ」

 ロウンドラス公爵が腰の剣に手をかけたので、さすがのコラスィアの顔も青くなる。

「ひっ!」
「貴様も出て行け、ミハリス。十年前の大暴走スタンピードで我が妻と共に戦い、残念ながら亡くなられてしまった貴様のご両親は立派な方々だったのだがな。まあメルクーリ伯爵家の将来については心配する必要はないだろう。大暴走スタンピードに立ち向かったこともない出来損ないの貴様と違って、ゲオルギウス殿は立派な騎士だ」

 視線の圧に押されて、ミハリスは立ち上がった。
 コラスィアも拗ねたような顔で立ち上がり、ロウンドラス公爵を睨みつけた。
 ──が、睨み返されると慌てて部屋を出て行った。自室として与えられていた部屋へ行って私物を持ち出すのだろう。

「……私は父親失格だ」

 ひとり残されたロウンドラス公爵は溜息をついた。
 三年前のものが終わって半年で始まった大暴走スタンピード討伐で手いっぱいだったとはいえ、もっと早くあの親娘を追い出しておけば良かったと、心から思う。
 彼は王家と話をつけて、第三王子を養子にしていた。数日後に正式な手続きをして彼に公爵家を譲渡し、以降はただの騎士として生きるつもりだ。最愛の妻が亡くなった時点でそうしていれば良かったかもしれない。

「そうしていれば……」

 どこにも所属していないただの騎士ならば、竜王のつがいだなんて言われてもシンシアを連れて逃げることが出来た。愛しい娘が真に愛する相手と結ばれるのを助けることが出来た。
 国に縛られる公爵家でさえなければ──そこまで考えて、ロウンドラス公爵は首を横に振る。
 シンシアは婚約者のミハリスを愛していた。メルクーリ伯爵家の次男はロウンドラス公爵家にでなければ婿入りすまい。婚約を結んだこと自体が間違いだったのだ。最後まで自分は竜王のつがいではないと呟いていた娘を思い、彼はこれまでのすべてを悔やんだ。
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