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本編第四章:魔物暴走編

第七十九話「宮廷料理長への指示」

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 五月一日午前六時頃。
 宮廷料理長ユアン・ハドリーは宮廷書記官長アンドレアス・リストン伯爵に呼び出された。
 ハドリーも魔物暴走スタンピード発生のことはもちろん知っており、国王を始め、重臣たちが徹夜で協議を行っているため厨房で待機し、適宜夜食などを作っている。
 しかし、このタイミングで呼び出された理由が分からなかった。

(朝食の準備であれば侍従から伝えればよいだけだ。もしかしたら、王都から脱出するという話になったのか? いや、それならば私だけでなく、王宮で働く者たち全員に伝えるはずだ。どのような用件なのだろうか……)

 呼び出される理由が分からず、不安を抱えながら書記官長室に入っていく。リストン伯は文書にサインをしており、ハドリーに気づかない。

「お呼びとのことですが」とおずおずと切り出すと、小柄なリストン伯が顔を上げた。

「うむ。忙しいところ済まぬな」といい、

「先ほどグリーフ迷宮で発生したスタンピードが終息したと連絡が入った」

 その言葉にハドリーは心から安堵する。
 グリーフ迷宮までは直線で僅か六十キロメートル。迷宮から溢れ出た魔物を王都で迎え撃つことになるが、兵力が足りず、王都が蹂躙されるのではないかと噂されていたためだ。

「それはおめでとうございます」と頭を下げるものの、自分が呼び出される理由が分からない。

「そなたに宴の準備を頼みたい」

「宴でございますか。なるほど」と納得する。スタンピードが収まった祝宴を開くということなのだと理解したためだ。

「魔王アンブロシウス陛下と側近の方に対し、感謝の意を示す宴となる。夕方にはアンブロシウス陛下一行は王都に到着される予定だ。人数はとりあえず十名程度の少人数とし、明日以降に大々的な祝宴を行うこととなった……」

 ハドリーは身が引き締まる思いでリストン伯の言葉を聞いていた。

(アンブロシウス陛下はナレスフォードでハイランドの料理人の料理を食べている。その際、ボーデン料理長やデービス料理長の料理に感動されたと聞いた。美食の都の料理人として、それに負けぬようにせよということか。それにしても時間が無いな。今日の宴もそうだが、明日の規模によっては今日も徹夜になる……)

 ハドリーはそんなことを考えながらリストン伯の言葉を聞いていた。

「……明日は百人規模となるが、それよりも重要なことがある」

「重要なことでございますか?」

「本日の宴には非公式だが、ゴウ・エドガー殿とウィスティア・ドレイク殿が出席される」

「エドガー殿が……あの天才、マシュー・ロスが教えを乞いたいと言わしめた美食家のエドガー殿が……」

「その通りだ。アンブロシウス陛下がハイランドの料理に感動したという話は聞いておるな」

「はい。聞いております」

「その時の料理はエドガー殿が差配したものなのだ。アンブロシウス陛下は料理の味もさることながら、酒との組み合わせの妙、演出などにもいたく感動されたとランジー伯殿より報告を受けている。つまり、今回の宴ではそのエドガー殿を唸らせ、更にアンブロシウス陛下にも我が国が美食の国であることを認識してもらわねばならんのだ」

「は、はい。いつも通り、全力で当たらせていただきます」と言って頭を下げる。

「まだ発表はされておらぬが、今後、アンブロシウス陛下は今回のスタンピードで得た膨大な資金を我が国に投資し、魔王国に美食と酒の文化を定着させたいとお考えだ。その額は我が国の国家予算を遥かに超える膨大なものだ。そなたにプレッシャーをかけることになるが、ここでアンブロシウス陛下を失望させるようなことがあってはならん」

 ハドリーは目の前が暗くなる気がしてきた。魔王を満足させるだけなら何とかなるかもしれないが、ハイランドで受けた感動を超える必要がある。

「これは極秘の話だが、エドガー殿は我が国にとって最重要人物となった。これはアンブロシウス陛下よりもという意味だ」

「そ、それはどのような……」

「仔細は機密ゆえ話せぬが、エドガー殿が我が国に残ってもらうことこそが、今回の宴の最大の目的と言ってもいい。料理長もそのことを念頭に今宵の宴の料理を作ってもらいたい」

 ハドリーは眩暈で倒れそうになっていた。

(相手は高級食材を惜しげもなく提供できる美食家だ。それだけではない。あの知識の豊富さは恐らく流れ人。それも伝説の料理人、ジン・キタヤマと並び称されるであろう存在……その美食家にどのような料理を出せばよいのだ……)

 もちろん、料理人として腕には自信があった。美食の都、ブルートンで宮廷料理長にまで上り詰めた実績は誇るに足るものだとハドリーも思っている。
 しかし、今回の相手は異常なまでの知識とここ数日、腕のいい料理人が高価な食材を惜しげもなく使った料理を食べている。

「何を出せば……」という言葉が思わず口を突く。

 リストン伯は料理長にプレッシャーを掛け過ぎたと後悔する。

「そなたにできねば、今のブルートンにできる者はおらぬ。全力を尽くしてくれればよい結果が生まれるはずだ。必要なものは何でも使ってよい。これは陛下のご意向でもある」

「分かりました。では、早速準備にかかります」

 そう言ってハドリーは書記官長室を出ていった。
 その背中には哀愁のようなものが漂っており、リストン伯は大きな不安を抱いた。

(私の不安を正直に言葉にし過ぎたようだ。しかし、言ってしまったものは仕方がない。陛下に報告して対応策を考えた方がよさそうだ……)

 普段は沈着冷静なリストン伯だが、今回の一連の騒動でいつもの冷静さを失っていた。


 リストン伯はハドリー料理長と別れた後、国王の執務室に向かった。
 国王アヴァディーンは徹夜明けであるにもかかわらず、未だに宰相ジャーメイン・ドブリー侯爵と協議を行っている。

「料理長の様子はどうであった」と国王が問うと、リストン伯は「申し訳ございません」と謝罪し、

「危機感を煽り過ぎました。動揺させてしまったようです」

 と言って料理長との会話について説明する。

「仕方あるまい。料理長が手を抜くとは思えぬが、実際、我が王国が飛躍するか、他国に飲み込まれるかという瀬戸際なのだ。卿の言は何も間違ってはおらぬ」

 国王の言葉に宰相も「陛下のおっしゃる通り」と同調し、

「料理長は意外に肝が据わっている。今頃はやる気になっておろう」

 リストン伯はその言葉に頷くと話題を変えた。

「グリーフに派遣する方は決まりましたでしょうか」

 国王と宰相の協議は今からグリーフに派遣する使者の人選だった。

「余が行くしかあるまい」

「しかし……」とリストン伯は言おうとしたが、国王はそれに先んじて話を続ける。

「アンブロシウス陛下のこともある。陛下に対し、王国として誠意を見せねばならぬ。それに迷宮出口で戦ってくれた兵や探索者シーカーたちに余自らがねぎらいの言葉を掛けるべきであろう」

「確かにそうではございますが、陛下のご親臨しんりんとなれば、準備時間が足りませぬ」

 国王が行事に出席する場合、受け入れ側の安全を確認した上で近衛騎士である白騎士団百名と文官五十名程度が付き従うことが通例だ。しかし、白騎士団の主だった者はグリーフに派遣されるか、避難民たちの誘導に駆り出されており、王宮を守るごく少数しか残っていない。
 また、文官たちも騒動が収まったとはいえ、各地への連絡や避難民の帰還など事後処理が山のように残っており、余剰人員は皆無という状態だった。

「此度は特別なのだ。余と白騎士数名で十分である。その分、帰還する民を乗せてやるべきであろう」

「避難民の帰還に魔導飛空船を使うとおっしゃられるのですか。急ぎ避難する場合は民の命を優先することに異を唱えるつもりはございませんが、避難民の帰還に多大なコストが掛かる飛空船を用いることは王国の財政によいこととは思えません」

 魔導飛空船は大量の魔力結晶マナクリスタルを消費する。特に王家所有のグローリアス号は貴重な高レベルの魔物のマナクリスタルを消費するため、計画的な運用が必要だった。
 そこで宰相が話に加わる。

「エドガー殿たちの活躍のお陰でマナクリスタルの備蓄は未だかつてないほどの量となっている。当面、魔導飛空船の運用に制限は不要なのだ」

「それであれば転移魔法陣をお使いになるべきではありませんか? 王都とグリーフの間は安全な航路ではございますが、護衛の魔術師が確保できない状況で、もしものことがあれば取り返しがつきません」

 王都ブルートンと迷宮都市グリーフは直線距離で六十キロメートルほど。高速船であるグローリアス号であれば一時間で移動できる。しかし、低いながらも山地を越えるため、不測の事態が起きないとも限らないとリストン伯は主張した。

「その点は問題ない。既にスタンピード中に何度も往復をしている。それに今回はアンブロシウス陛下をお迎えするという目的もある。余が向かうことが最もよい方法なのだ」

 その言葉でリストン伯も認めるしかなかった。

「それよりもそなたには今宵の晩餐と明日の祝勝会の準備をしてもらわねばならぬ。それに今日の夕方には魔王軍の主力がここに到着することになっておる。その受け入れも考えてもらわねばならぬのだ」

 魔王軍の主力約一万五千は四天王の“魔将軍ルートヴィヒ”と“魔獣将ファルコ”が指揮を執り、一日三百キロほどの速度でブルートンに向かっていた。魔王の予想では早ければ午後四時頃、遅くとも夜になる前には到着するとのことで、ここで受け入れる必要があった。

 この他にも昨日到着したハイランドの竜騎士団三百名ほどがいた。竜騎士たちはその特性からグリーフには派遣されず、ブルートンの守備を担当することとなっていたため、ここに残っていたのだ。

 ブルートンは人口三万五千人ほどの都市で、その人口の半数近い数の軍隊が駐屯することになる。
 幸い、ブルートンの郊外には広大な土地があり、受け入れ自体は可能だが、水や食料の調達、近隣住民への通達など、やることはいくらでもあった。

「これは本来ランジーがやるべきことだが、彼には他に重要な仕事を与えておる」

 レスター・ランジー伯爵は内務卿、すなわち内政の責任者であり、物資の調達などは彼の職責となっている。

「重要な仕事とは魔王国との共同事業のことでしょうか」

「そうだ。エドガー殿が来るまでに叩き台程度は作っておかねばならん。ここにおらぬのも、その作業に入っているからだ」

 リストン伯はその仕事の重大さに戦慄にも似た感情が湧き、ブルッと震えた。もし自分に与えられたらと考えたためだ。

「ランジーの報告では魔王軍の軍紀は思った以上に厳正だが、見た目が恐ろしい。そのため、王都の民たちが恐れる可能性がある。トラブルが起きぬように頼んだぞ」

 リストン伯は思った以上の大仕事に身震いするが、

「身命を賭して当たらせていただきます」と頭を下げる。

 リストン伯はすぐに国王の執務室を後にし、自らの部下を集めた。

「既に聞いている通り、グリーフ迷宮で発生したスタンピードは完全に終息した。今宵は陛下とアンブロシウス陛下の宴がある。また、明日の正午を目途に祝勝の式典を行うこととなった……」

 そこで文官たちはゴクリと息を呑む。この短時間で、かつ限られた人員で可能なのかという考えが頭を過ったのだ。

「急いでいる理由は今日の夕方頃に魔王軍の主力一万五千が到着するからだ。魔王軍の軍紀は厳正であると聞いているが、中にはキメラなどの魔物もいる。無用なトラブルを招かぬようできる限り早く友好的な雰囲気を作らねばならぬ」

 文官たちも魔王軍が援軍に来ることは知っていたが、自分たちが生きるか死ぬかという状況であったため、実際に何が起きるか全く考えていなかった。そのため、今になって巨大な兵力が王都に駐屯することの大変さに気づいた。

「祝勝の式典は形式ばる必要はない。場所とスケジュールなどの素案を早急に作成してほしい。魔王軍の受け入れについてだが、郊外の草原に駐屯してもらうことになる。食料と水の手配を直ちに行ってほしい。民間から有志を募っても構わぬ。但し、事情はよく説明しておいてくれ」

 リストン伯は文官たちに指示を出すと、自らも執務室でペンをとって計画案を作り始めた。
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