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34. あなたの望むこと
しおりを挟む「……ふっ……ふ」
「もう! リシャール様。笑いすぎですわ!」
「いや……うん、ごめ……でも、コロール……」
夕食の後、部屋まで戻ろうと手を繋いで歩いているのだけど、私の横でずっとリシャール様が笑っている。
いえ、笑い転げている!
「残念ながら、コロールへの改名は断念しましたのよ?」
「ふっ! わ、分かっているよ……分かっている……うん」
お兄様だけじゃない。
お父様とお母様にも必死に止められたわ。
「───皆、笑い死にする危険があるんですって」
「ゴフッ……う、うん……だろうね……コロコロ……コロール……くくっ」
よっぽど面白かったのか、リシャール様の笑いは止まる気配がない。
私の部屋に着いたけれど、笑いが止まらないリシャールさまを一旦休ませることにした。
「お水です」
「──ありがとう」
水を手渡すと、受け取ったリシャール様はグビっと一気に飲み干した。
なんて豪快!
「笑いすぎて喉がカラカラだった」
「そんなに!?」
コップをテーブルに置きながらそう言ったので驚いた。
そんなリシャール様の隣りに腰をおろしながら私は訊ねる。
「コロール……語呂もだけど、何より想像したらものすごくフルールが可愛くて」
「か、可愛い、ですか?」
胸がドキッとした。
そういえば、丸くなった私も可愛いだろうなって言っ……
「いつも元気いっぱいに走り回っているフルールが、元気いっぱいにコロコロ転がるのかと思うと……さ……くくっ……」
「リシャール様!」
何を想像しているのかと思えば!
コロコロ転がる私……コロコロ……コロ。
「フルール?」
「……」
「おーい、フルール?」
突然、黙り込んだ私の目の前でリシャール様が手のひらをヒラヒラさせている。
「……」
「……フルールさ、もしかしてちょっと転がるのも楽しそうね? とか考えていないか?」
ギクッと身体が震える。
「リシャール様ったら! 何を言っているのかしら。そ、そそそんなことは……」
「あるんだね?」
「……」
またまた黙り込んだら、リシャール様はハハハと声を立てて笑った。
そして、腕を伸ばしてギュッと私を抱きしめる。
「フルールのことだから、どこまでも元気いっぱいに転がっていきそうだ」
「ふふ。お兄様には、淑女はどこ行った! と怒られそうですわ」
そう言ったらリシャール様は想像したのか「確かに」と笑う。
「元気いっぱい走り回っていても転がっていても、僕としてはフルールがここに戻って来てくれたらそれでいい」
「ここ?」
私が顔を上げるとリシャール様と目が合う。
そして、あの国宝級の笑顔で優しく微笑んだ。
「ここ──僕の腕の中だよ」
「まあ!」
私もつられて笑う。
「そんなの当然です! だってもう私の居場所は……」
「……居場所は?」
「……」
私は少し照れながらリシャール様の耳元に口を寄せて囁いた。
「あなたの……リシャール様の隣です」
「……フルール!」
近い距離で私たちの目が合う。
「……」
「……」
ドキドキと胸が高鳴るのを感じながら、私はそのままそっと瞳を閉じた。
そして、程なくして唇に柔らかいものが降ってくる。
(幸せ……)
大好きな人とのこんな他愛のない会話と甘い時間……
これ以上の幸せなんてどこにもない。
心の底からそう思えた。
(だから、私は何処までもあなたに着いていくわ。リシャール様……)
そう。
この先のあなたがどんな決断をくだしても───……
「……大好きですわ、リシャール様」
「僕もだよ、フルール」
チュッ……
私たちの甘い時間はこの後もしばらく続いた。
「───と、いうことは王女殿下は、ベルトラン様にかなりお怒りなのね?」
「ああ。何でも我が家からの二度目の手紙が届いたあと、ベルトランを呼び出してどういうことか事情を問い詰めたらしい」
ベルトラン様はこんなにも浮気者なんですよ~
という証拠と共に送った手紙。
王女殿下がどこまで信じてくれるかは分からなかったけれど、仕事で王宮に行っていたお父様が仕入れた話によるとどうやら二人の真実の愛は本当に崩れ始めたらしい。
「思っていた以上に崩れるのが早かったですね、お父様」
「最初から脆かったのだろう? 筋を通さずにことを進めようとしたからこうなるんだ」
確かに。
王女殿下もベルトラン様も、それぞれリシャール様と私に筋を通してきちんと婚約を解消してから話を進めていれば、ここまでの慰謝料金額に膨れ上がったり騒動にはならなかったでしょうに。
「つまり……それだけ、リシャール様が優秀だということですわね?」
「うん?」
「私はともかく、少なくとも王女殿下の婚約解消はリシャール様に非があることにでもして破棄にしないと、きっと周りからは認められなかったのでは? だからあんな手段を……」
「ああ……なるほど」
お父様も頷いた。
「と言っても、モンタニエ公爵はリシャール様の価値を分かっていらっしゃらない様子でしたし、きっと王女殿下も当たり前すぎて分かっていなかったような気はしますけれど」
「だが、きっとそれも関係がギクシャクし始めた理由の一つなのだろう」
「そう思います」
「全く人騒がせで迷惑な…………真実の愛ってなんなのだろうな?」
ため息と共にそんな愚痴をこぼすお父様に向かって私はにっこり笑って言う。
「あら、そんなの決まっていますわ!」
「決まっている?」
私は大きく頷いた。
「──真実の愛? そんなもの単なる浮気の言い訳です!」
キッパリと言い切った私の顔をお父様は目を丸くして見ていた。
そうして、真実の愛とやらで結ばれるはずのベルトラン様と王女殿下の関係がどうやら危ういらしい。
そんな話とともに聞こえて来たのが、モンタニエ公爵家の話───……
「───思った通り、せっせと噂好き令嬢たちが世間に広めてくれたようで、遂に皆様の知る所となったようですわね」
「公爵家を不安視する声があちこちで上がっていると俺も友人から聞いたよ」
仕事の合間の休憩時間。
私とお兄様がそんな話をしていると、リシャール様がため息を吐いた。
「父上───あの人がどんな顔をして今、怒鳴り散らしているのか想像がつくな……」
「自分が悪いくせに人に当たるのは最低ですわね」
「本当に」
リシャール様はそう頷くと遠い目をした。
「……」
(……薄々、感じてはいたけれど、やっぱりそうよね?)
私は自分の野生の勘を信じる!
「───リシャール様。好きにしていいんですよ?」
「え?」
リシャール様は驚いた顔で私の顔を見返す。
その瞳は大きく見開かれているので、動揺していることが窺える。
(この反応……間違いない!)
「リシャール様には今、望んでいることがあるのでしょう?」
「……っ!」
私のその言葉にリシャール様はぐっと息を呑んだ。
「フルール……どうして」
「もちろん、いつもの野生の勘ですわ!」
「や……せい……」
私が自信満々に答えると、リシャール様は面食らった表情になり、お兄様は無言で頭を抱えた。
「──そうですわね……あなたの望んでいることが叶った時、私はあなたの隣りに立つのには相応しくないと周囲に言われることでしょう」
「え、いや? そんなことは……」
「ですが、私はそんな周囲の言葉なんて全く気にしませんわ!」
「……え?」
リシャール様が不思議そうな顔で私を見る。
「相応しくないと言うのならそんなの認めさせるまで。負けず嫌いの血が騒ぎます!」
「……野次馬の血の次は負けず嫌いなのか……濃いな」
「──お兄様? 何か言いまして?」
「い、いや!」
私がすかさずお兄様を睨みつけると、慌てたお兄様が全力で首を横に振る。
「ですから、リシャール様! 私はあなたと生きていくためなら立派な公爵夫人にだってなってみせます!」
「フ、フルール……」
私はリシャール様の両手をギュッと握る。
「あなたの望んでいること。それは──腑抜けの父親───愚かな公爵たちを追い出して、モンタニエ公爵の座を奪い取りたい、ですわよね? リシャール様」
「───っっ!」
リシャール様の顔が、どうしてそれを……と言いたそうな表情になった。
だから、野生の勘よ!
私は大きく胸を張って笑顔で宣言した。
「それがあなたの望みなら、もちろん私はどこへでも着いていきますわ!」
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