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318. 無邪気な下僕
しおりを挟む「血筋?」
私がリシャール様の言葉を拾って聞き返すと苦笑された。
「今みたいに思い込んだら一直線! って所がフルールと同じ血を感じるよ」
「一直線……」
元気いっぱいに走り去っていったトリスタン。
(確かに、真っ直ぐ走っていましたわ?)
トリスタンの背中を思い出し、なるほど……と頷いた。
「もともとの性格に加えてフルールとの下僕ごっこで、更に似ちゃったのかな……」
「……トリスタンが元気いっぱいなのはとても喜ばしいことですが、私……一つ納得いきませんわ!」
「え?」
「何がだ? フルール」
リシャール様とお兄様が仲良く首を傾げています。
私は腕を組んでから文句を言った。
「もちろん! 先程からトリスタンが何度も私の目を覚まさせるって豪語していることですわ!」
「あ……」
「あ~……」
リシャール様とお兄様が気まずそうに顔を見合わせる。
「そんなに私、眠そうに見えますの!?」
「……え?」
「フルール? お前、何を言っているんだ……?」
二人が変な顔をしています。
「何って……私が眠そうだからトリスタンは目を覚ませと言っているのでしょう?」
シーン……
何故か部屋の中が静まり返り、リシャール様とお兄様がまた顔を見合わせた。
「……アンベール殿」
「すっかり忘れていた……フルールの恋愛思考回路は全滅していたんだった……」
二人は顔を見合せてうんうんと頷き合う。
先程から仲間はずれは酷いですわ~
「何でもかんでも脳内で恋愛思考に変換されるようなお花畑も困るが……」
「フルールは別の意味で素直すぎて厄介……と僕は思っている」
「リシャール様の言う通りです……」
(……??)
いったい二人は、この世の終わりのような顔して何を話しているんですの?
「えぇと? つまり、彼……トリスタン殿はフルールのような思考で脳内は恋愛脳のお花畑……?」
「やっぱり拗らせていたな……トリスタン」
二人は遠い目をしながら深い深いため息を吐いていた。
トリスタンの名前が聞こえた。
(それにしても、トリスタン……どこに何をしに行ったのかしら?)
指パッチンしていないから、三度目のおやつを取りに行った……ではないはず。
クッキーもジュースも、まだまだ山のようにある。
私は山になったクッキーを手に取り、モリモリ食べて満足してからお兄様に向かって言った。
「お兄様、どうしましょう。私、これからの子育てが心配になりましたわ」
「は? 子育て? おい、フルール。急に何を言いだした?」
私はふぅ、と息を吐く。
そこで、お兄様がハッとして私のお腹に視線を向けた。
「え? フ、フルール、ま、まさか子どもが……」
「そうではありませんわ!」
「ち、違うのか……」
全く、お兄様ったら!
話は最後まで聞いて欲しいですわね。
私は三本の指を立てる。
「ですが、私の野生の勘によると、三人は子どもを産む予定なんですの」
「は?」
お兄様が眉間に皺を寄せて怪訝そうな表情で私を見る。
「いやいや、待て待てフルール……なんでお得意の野生の勘でそんなことまで分かるんだよ!?」
「野生だからですわ」
「答えになってないっ!」
「お、落ち着いてくれ、アンベール殿。フルールの野生の勘は侮ってはいけない……君も分かっているだろう?」
「うっ……」
声を荒らげるお兄様をリシャール様が肩を叩いて優しく宥めています。
さすが、リシャール様ですわ。
少し落ち着いたお兄様はうーんと唸ったあと、口を開く。
「……それで? フルールよ。子どもが出来たわけでもないのになぜ、急に将来の子育ての心配を始めたんだ?」
「だって私、下僕の育て方を失敗した気がしますの」
私は扉の入口に目を向けて言った。
(トリスタン……)
「……いや、普通の人は下僕なんて育てない。もう前提がおかしいんだよ、フルール」
「それで昔、私はトリスタンに言ったことがありますの」
「人の話を聞けーー!」
お兄様がまた興奮している。
私はクスッと笑う。
今日のお兄様は元気いっぱいですわね!
「アンベール殿……落ち着いて! えっと、それでフルール? 君は彼に何を言ったの?」
「ええ───弟子入りを断念して下僕になることが決定したあと、この私があなたを立派な下僕に育ててさしあげますわ! って」
「……立派な、下僕……」
リシャール様が小さく呟き返す。
お兄様が頭を抱える。
「お前……一応侯爵家の跡取りに何を仕込もうとしていたんだ……!?」
「だって、子どもでしたし……とーーっても純粋なキラキラの目でお願いされましたのよ」
結果として、まさか離れて五年経った今も続いているのは誤算だったものの、トリスタンは見事、この指パッチン一つでおやつとジュースを貢がせるまでにはなりました……が。
(いったい今はどこに何をしに行ったの? 主人なのに分からないわ……)
これは主人失格───……
「ですから、これでは私の子育てはどうなるのかしらと思ってしまいましたのよ」
「───フルール、よく聞け」
「お兄様?」
お兄様がガシッと私の肩を掴む。
その目はメラメラ真剣です。
「大丈夫だ! フルール、お前の夫は誰だ?」
「え? リシャール様ですわ?」
「そうだ! リシャール殿は完璧な最高の夫なんだろう?」
私は力強く頷く。
ええ、とっても最高ですわ!
「フルールをコントロールし、迷子のフルールすら導けるリシャール様となら大丈夫だ!」
「お兄様……」
「公爵家の使用人だって優秀な人材が揃っているだろう?」
「それはそうですけど」
子育てにはもちろん使用人の手伝いは必要不可欠。
貴族は自分で子育てをしない人の方が多いことはもちろん分かっている。
でも、私はお母様みたいになるべく自分の手で子どもは育てたい。
「きっとフルールのハチャメチャは公爵家総出で止めてくれ……る、は……ず……」
「お兄様?」
気のせいかしら?
語尾が段々弱くなっていったような?
リシャール様も同じことを思ったようで不安そうな声を上げた。
「アンベール殿? なんで急に弱気になった!?」
「あ、いや……自分で口にしながらリシャール様とフルールの子どもを想像してしまった……ら」
「ら?」
「まあ!」
もう、お兄様ったら気が早いですわ?
しかし、なぜそんな弱気に? と、不思議に思っていたらお兄様がくっ……と辛そうに続ける。
「圧倒的にフルールの血が強すぎて、チビフルールにそっくりな子を想像してしまった…………くっ……そうしたらリシャール様も公爵家の面々も大変だなって思っ…………それが三人も! 俺は一人でも大変だったぁぁぁ……」
お兄様が膝から崩れ落ちる。
「ア、アンベール殿……」
「……お、お兄様?」
「チビフルールぅぅ……」
大変!
お兄様が妄想の世界にどっぷりはまって泣き出してしまいましたわ。
そんなお兄様を宥めようとした時、バーンッと扉が開いた。
「────フルール姉さん! お待たせしました!」
「トリスタン?」
「遅くなりました……ちょっと、手間取ってしまって……」
満面の笑顔でハァハァと息を切らして戻って来たトリスタン。
その手に持っているのは……
(飲み物?)
私は内心で首を傾げた。
「あなた、ジュースを取りに行っていたの?」
どこからどう見ても飲み物にしか見えない。
なぜ? 貢がれたジュースもまだまだたっぷりあるのに?
どうしてわざわざ? と不思議に思ったらトリスタンは笑顔で首を横に振る。
「違うよ! これはジュースじゃないよ?」
「ではなんですの?」
私が聞き返すと、トリスタンは部屋の中に入って来てテーブルの中央に飲み物の瓶を一旦置いた。
「留学中に父さんからの手紙に書いてあったことを思い出したんだ!」
「伯父様の?」
「……嫌な予感しかしない」
泣き止んだお兄様が身体を震わせる。
ちなみにですが、お母様の兄でありトリスタンの父親である伯父様はお母様とよく似ています。
豪快な性格だからこそ、あの時、オリアンヌお姉様を養子として迎えることを快く承諾してくれましたわ~
「トリスタン? 伯父様はなんて?」
「うん、その手紙では───フルール姉さんがお酒を飲んだ時のことを教えてくれたんだ」
シンッ……
一瞬で部屋が静まり返った。
「お酒を飲んだフルール姉さんは本能のままに行動するらしい……って書いてあったのを思い出したんだよ!」
「お酒……本能……」
……間違ってはいない、かしら?
「うん。だから、きっとお酒を飲んだらフルール姉さんも目が覚めるよね? そう思った! だから、これはお酒だよ!!」
トリスタンはとっても無邪気な笑顔でそう言い切った。
(な、なんですってーー!?)
びっくりして言葉を失っていたら、すかさずお兄様が叫ぶ。
「待て! わ、我が家の使用人が……フルールが今、来ていることを知っていて酒を持ち出すことを許したのか!?」
「あー、アンベール兄さん。それがさ……何でかなぁ? 凄いゴネられちゃったんだよ」
トリスタンがやれやれと肩を竦める。
「とっても怖かった……トリスタン坊ちゃんは我々を廃人にする気ですかーーって」
「……」
「あはは! 廃人って! きっと、僕のことを心配してくれたんだと思うけど、大袈裟だよね~」
「いや、そっちじゃないぞ……トリスタン……彼らはお前の心配をしたわけじゃ…………」
トリスタンはお兄様の言葉を遮ってにっこにこの笑顔で続ける。
「それでね? 飲むのは僕じゃなくてフルール姉さんだよって言ったら、ますますこの世の終わりみたいに泣かれちゃってさ……」
だから、戻って来るのに時間かかっちゃった、とトリスタンは笑った。
そして、お酒を手に取ってコップに注ぐ。
「そういうわけで───とりあえず、ちょっと強引だったけど持ってきたよ! さあ、フルール姉さん! これをグビッと飲んで早く目を覚まして?」
私に向かってお酒を持ってグイグイ迫ってくる下僕の顔はとっても純粋で子どものようにキラキラしていた。
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