僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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 後に明かされたところによると、美ヶ原先輩が舞姫になる話は、美鈴が湖校撫子部を見学した去年五月の時点で既に交わされていたと言う。美ヶ原先輩は美鈴を一目見るなりその驚嘆すべき身体能力を見抜き、そしてそれは美鈴も同じだったため、二人は意気投合し様々なことを語り合った。その折、巫女が足らず美鈴がいつも一人で奉納舞をしていることを知った美ヶ原先輩は、ためらいつつも協力を申し出てくれた。それがアルバイト巫女の仕事ではないことを旧家のお嬢様の先輩は知っていたが、小学生の美鈴一人の肩にその責務がのしかかっていることに、胸を痛めてくれたのである。感動した美鈴は祖父母にすぐそれを告げ、美鈴に負けぬほど感動した祖父母は先輩とご両親へ謝意を述べ、先輩は舞姫になる道を歩み始めた。報酬の発生する正式な仕事なので教育AIにその旨を伝えたところ、「湖校の最寄りの神社で湖校生が巫女神楽をするのですから私が協力して当然です」と嬉しげに言い、学校の施設を練習場所として提供する等々の様々な便宜を図ってくれたと言う。それを知った途端、額を地にこすり着けて今すぐ咲耶さんにお礼を述べたいという気持ちが噴出してきて、僕は非常に苦労してしまった。
 という幾つもの感謝があったし、僕一人だけが事情を知らないなんてのは慣れっこだったので僕は少しも不満を感じていなかったのだけど、それでも美ヶ原先輩は気が咎めていたらしく、真摯な詫びの言葉をかけてくれた。煌びやかな舞衣に身を包む年上のお姫様に頭を下げられたのが僕一人だったら、パニックを免れなかっただろう。だが今回は、僕の隣に藤堂さんもいた。しかも、
「まったく、俺にも今朝まで秘密にしやがって」
 と不平を述べた藤堂さんの顔がこれ以上ないほどフニャフニャになっていたと来れば、パニックなど二の次なのである。僕は皆と一緒に、身をよじって笑うことができたのだった。
 ともあれ、僕の記憶にある限りウチの神社で初めて催された舞姫二人による奉納舞は大成功を収め、皆が皆「こんな舞は初めて見た」と驚きの声をあげていた。それは、まごうことなき真実だった。輝夜さんと昴以外に、美鈴と同レベルの神楽を舞える人がこれほど近くにいたのは、奇跡に等しかったのだ。将来を嘱望されたバレリーナであると共に、幼少のころから和の所作を修めてきた美ヶ原先輩だからこそ、宗教論争に伴い宮内庁が総力をあげて創った新神楽を、八か月という破格の短期間で習得する事ができたのである。
 一般的に優れたバレリーナは、どんなダンスも踊れると言われていた。舞踊として最も過酷な要求を突き付けてくるクラシックバレエを習得するためには体をクラシックバレエ用の体に造り変えねばならず、そしてその体と磨き抜かれたバレエ技術をもってすれば、どんなダンスも踊れたのである。それは新神楽にも当てはまり、というか新神楽最大の特徴である「ゆっくり飛ぶ蝶の動き」は、クラシックバレエ特有のしっとりした身体操作を土台にしたと言われていた。ただここが難しく、かつ素晴らしいところなのだが、新神楽は純粋なダンスではなかった。ダンスの起源とされている「神に捧げる民族舞踊」に基づくなら、新神楽はその直系の後継者なのだろうが、現代口語としては純粋なダンスに分類できなかった。なぜなら宮内庁は新神楽を、和の所作と舞踊の融合と定義していたからだ。つまり、優れたバレリーナ並みの身体能力を有する和の所作の熟達者だけが、新神楽を舞うことができたのである。
 そして美ヶ原先輩は、その条件を満たしていた。長屋門のある広大な日本家屋に生まれ、幼少のころから親戚の主催する撫子教室に通っていた先輩は、思うままに振る舞うだけで和の所作の体現者になれた。同時に先輩は、親戚の主催するバレエ教室で幼少の頃から技を磨いてきた、将来有望な若手バレリーナでもあった。然るに先輩はあれほどの短期間で、新神楽を習得できたのである。
 いや、それだけではない。それだけでは、平均二年の練習期間を八か月に短縮してしまった仕組みは説明できない。宮内庁のSランクAIが試算した、通常の半分でしかない練習期間一年という予想を、更に四か月も短縮した仕組み。それは先輩が湖校入学時に直面した、人生の岐路にあったのである。
 二年前の四月、湖校に入学した美ヶ原先輩は、撫子部に入部すればバレリーナを諦めねばならず、ダンス部に入部すれば撫子教室を辞めねばならないという、人生の岐路に立たされていた。幸い藤堂さんの助力により先輩は進むべき道を見定められたが、人とはもろいもの。十二歳の少女が、バレリーナとして歩んだかもしれない人生を完璧に忘れるなど、できなくて当然だったのである。しかし先輩はその一年後、出会った。撫子教室もバレエ教室も大好きだった自分を活かせる、新神楽を舞う舞姫としての道に、先輩は出会ったのだ。そのとき先輩が何を思ったかを、僕は知らない。だが、藤堂さんにすらそれを秘密にしていた事と、SランクAIにも予測不可能だった上達速度が、僕にある確信を抱かせてくれた。それは、宇宙の創造主が美ヶ原先輩に手を差し伸べてくれたんだろうな、という確信だった。
 それを胸に、空へ問いかけてみる。 
「それで、合っていますか」
 すると、
  ――今はナイショにしておこう
 空間は、歳の近い友人のような茶目っ気たっぷり声を、降ろしてくれたのだった。

 同日、午後一時五十分。
 舞姫たちが二度目の奉納舞をする、十分前。  
「こどもの日を祝う奉納舞ですから、お子さんたちは最前列の椅子に座ってください」
「そのほかの椅子は、お年寄りやお体の不自由な方へ譲ってください」
 境内に集まった二百を超える人達が心地よく巫女神楽を観られるよう、僕らは力を尽くしていた。
 仮にそれが僕一人の仕事だったなら僕はきっと精根尽き果て、その後の数時間を休憩に充てねばならなかっただろう。けど僕には、大勢の仲間がいた。巫女装束に身を包む女の子たちが、
「椅子に座るみんなの中で、椅子を譲ってもいいという元気で優しい子がいたら、お姉さん達に言ってね」
 と言うや、年長の男の子たちは「はいっ!」「はいっ!」と競うように手を挙げ、お年寄りや体の不自由な人のもとへ駆け寄き、自分から進んで席を譲っていた。また、
「神楽の最中に具合が悪くなったら、俺達に言ってください」
 と片膝付いた男子に声を掛けられるや、椅子に腰かけるお歳をめしたご婦人達は、
「あらやあねえ、そんな歳じゃないわよ」「でもどうしましょう、心臓がドキドキするわ」「水も滴るイケメンぞろいだからねえ」「長生きはするものじゃ!」「「「あ~はっはっはっ!!」」」
 てな具合に、若さをたちまち取り戻していた。僕一人では到底無理でも皆がいてくれたお陰で、地域の人達がどっと押し寄せた境内を、賑やかさと礼節を両立させた最高の空気で満たすことができたのである。
 だが、明日は違う。僕らは明日のことを考えると、肌を伝う冷や汗を感じずにはいられなかった。
 ここに集まった二百を超える人達の大部分は、神社の徒歩圏に住んでいる、いわゆるご近所さんだ。散歩がてら参拝することを日課にしている近所のお年寄りが、大祭の日でもないのに巫女神楽が行われているのを、四時間前に偶然見かけた。美鈴を孫のように可愛がってくれているそのおじいさんは、奉納舞の様子を大興奮で友人知人に話した。美鈴に孫娘の愛情を注いでいるお年寄りは大勢いたことも手伝い、その話は御近所全体へ素早く広がって行った。そんな地域の動向を複数のHAIが美夜さんに伝え、それに危惧を覚えた美夜さんが通産省のSランクAIに奉納神楽の情報規制を訴えてくれたから、観覧者を二百人程度に抑えることができたのだ。そしてこれこそが、冷や汗を感じずにはいられない理由だった。たった一人の目撃者が四時間足らずで二百人以上に増えたなら、明日は一体どうなってしまうのか。そのことに、僕らは寒気を覚えていたのだ。
 しかし蓋を開けてみると、心配する必要など何もなかったのである。

 翌日の、午前九時五十分。
 美夜さんによると、奉納舞の手伝いをしてくれている人達は、二百人をゆうに超えていた。
 譲るべき人へ席を譲れた自分に誇りを感じた昨日の子供達が、今日初めて神社を訪れた子供たちの世話を、率先して引き受けてくれていた。
 我が子のその姿に胸を熱くした親御さん達が、交通誘導等の様々な仕事を買って出てくれていた。
 美ヶ原先輩と美鈴が奉納舞をするなら当然とばかりに撫子部の全員が手伝いに来てくれたし、同じく美鈴のためなら当然とばかりに新忍道部も総出で駆けつけてくれたし、友人知人もどしどしやって来てくれた。それら大勢の人達のお陰で、千人を超える観覧者が詰めかけた奉納舞を、午前も午後も粛々と執り行うことができたのである。集まった人々は新神楽はもちろん、地域の人達と大勢の若者が率先して働く姿に感銘を受けたらしく、人々が去った後の境内にはゴミ一つ落ちていなかった。
 その境内へ、僕は一人手を合わせ祈った。
 ここに足を運んだ今日という日が、皆の幸せの糧となりますように。

 手伝いに来てくれた人達へお菓子と飲み物を振るまい、お礼と感謝を述べた。
 こちらこそ良い経験ができた、また来るねと皆さん口々に言って、それぞれの場所へ帰っていった。
 先輩方二人と仲間たちは、最後の神事が終わるまで引き続き神社を手伝ってくれた。
 そして午後五時半、僕らは全員で夕ご飯の食卓に着いた。
 いつになくニコニコ顔の祖父が音頭をとり、皆で「いただきます」と声を揃えようとした。
 とその時、
 パ~ン パ~ン パ~ン
 クラッカーの小気味いい音が台所に弾けた。
 何事かと思い周囲を見渡した僕は、目をむいた。
 台所にいた全員が、あろうことか僕に顔を向けていたのである。
 いえこのクラッカーは僕の悪戯いたずらではありません信じてください、という訴えが口を突きかけたまさにその寸前、耳に皆の声が届いた。それは、
「「「お誕生日おめでとう!!」」」
 という、忙しくもあり楽しくもありそして何より幸せだった三日間を過ごしたせいで完全に忘れていた、僕の誕生日を祝う言葉だったのである。
 その後、どんな時間を過ごしたかを僕はあまり覚えていない。それでも、
「三日間に渡るサプライズ誕生会、大成功だったよな!」
「ほんと、大成功だったよね!」
「「「ね~~!!」」」
 と、さも嬉しげに話す皆の様子だけは、朽ちる事のない永遠の輝きとして、心に刻み込まれているのだった。
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