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25 亡霊の噂
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天幕に戻ると、俺は顔面から寝台に倒れ込んだ。
無言で横に腰掛けたセルジュが、お願いする前に俺の後頭部を撫で始める。……よく分かってるじゃないか。
「……ファビアン様、もしお嫌でしたら」
「嫌だって言ってやめたら、俺のせいで国民が更に死ぬとか言われるんだろ? もう分かってるよ」
「……お労しい」
セルジュの声は抑揚があまりなくて感情が伝わりにくいけど、撫でる手は柔らかくて優しい。
と、掠れるような声で囁いた。
「私は貴方の盾です。貴方がどこに向かおうが逃げようが、ずっとお側にいて守りますから」
「セルジュ……?」
枕から顔を出して、俺を撫でているセルジュを見上げた。セルジュはにこりともせずに、相変わらず渋い顔のまま俺を撫でているだけだ。
「貴方の敵討ちの相手が誰であろうと、私は最期まで貴方と共におります。そのことをお忘れなきよう」
「う、うん……?」
よく分からなくて、でもとりあえず俺の側にいてくれるって言われているのは理解できた。だから俺は再び枕に顔を押し付けると、優しいセルジュの手の温もりを感じることだけに意識を集中していった。
◇
おかしなことが起き始めたのは、それからしばらくしてからだ。
「砦に兵の霊が彷徨っている」と噂が立ち始めたのだ。まあこれだけ連日死人が出ていれば、死霊のひとりやふたりは彷徨いていてもおかしくない。
「俺さあ、魔法使えないから死霊系の退治は無理なんだよなあ」
しかめっ面になっている隊長たちに言ったけど、そういうことじゃないらしい。じゃあ何だ。
髭面の筋肉隆々の隊長のひとりが、小声で教えてくれた。
「それが、どうもラザノ司令官の周辺に亡霊が出没しているらしく」
亡霊とは、魔物化した死霊ではなく、無念を抱えて昇天できない霊魂のことを指すらしい。
「本人は何て?」
「見えてないので気にしないそうです」
「うわー剛気」
俺が茶化すと、隊長たちも苦笑で返してくれた。皆、何となくラザノとは親しくなれない感じらしい。分かる。すごく分かる。
「でもさ、だったら別に放っておいてよくない? だってさ、悪さする訳でもないし、ラザノに憑いてるだけだろ?」
「それはそうなんですが、実は亡霊が着ている軍服に問題がありまして」
「軍服?」
髭もじゃ隊長の言うところによると、ラザノの周辺に出没している亡霊は、敵国じゃなくてヒライム王国の軍服を着ているらしい。
「しかも、門番が持つような槍を持っているそうで。自国の兵の亡霊に取り憑かれている司令官ですと、兵たちの士気にも関わりまして」
「……は? 門番?」
一瞬で低くなった俺の声にビビったらしい髭もじゃ隊長が、怯えた顔をしつつぶるりと巨体を震わせた。
◇
その日の夜。
「俺の目に見えない可能性もあるから、セルジュもしっかり見ててくれよ」
「心得ました」
俺たち二人は、司令官室になっている大天幕の入り口に立っていた。
「いくぞ!」
「はい」
果実酒が入った酒瓶をセルジュに持たせて、俺は天幕の中に向かって声を掛ける。
「あー、ラザノ司令官? いる?」
すると、中からラザノの声が返ってきた。
「ファビアン様ですか? どうぞお入り下さい」
「あ、じゃあ失礼しまーす」
天幕の入り口の布をめくり中に入ると、持ち込まれた小さめの執務机で何やら書き物をしているラザノがこちらを見返す。ぱっと見、怪しい影はない。
「あの、ラザノ司令官にこれを持ってきたんだ」
なんだ、ただの噂か、と思いながらセルジュを振り返り、酒瓶を渡すように目で指示する。
「前線は緊張するかなと思って、寝酒にどうぞ」
「これはこれは、わざわざありがとうございます」
細目をニタリとさせて、ラザノが酒瓶を受け取った。こういう笑い方なんだろう。
「どう? 少しは慣れた?」
多少は会話をしないと、と話題を振ると、ラザノは眉を垂らして苦笑する。
「いえ、なかなか。日中は戦っていた場所で寝るというのは難しいものですね」
「まあ、慣れるまではね」
と、ラザノの背後がふわりと揺れた気がして、目線を上げた。
そこに浮遊するものを見て、目を大きく見開く。
「……ファビアン様? どうされました?」
不審げに尋ねられて、俺は慌てて身体の前で手を振った。
「ううん、ちょっと疲れてぼんやりしちゃっただけだから! ごめんごめん!」
半透明の揺れる影が、俺の前に立つ。だめだ、今は泣いちゃだめだ。ラザノに怪しまれてしまうから。
「――ファビアン様は連日の戦で疲れておいでなのです。一日でもいいので、休める日があるといいのですが」
言葉を失いかけている俺の代わりに、セルジュが会話を引き受けてくれた。
ラザノが、大仰に驚く。
「なんと……剣聖様はこれまで一日も休みなく戦ってこられたのですか? ならば明日は一日、何卒お休み下さいませ」
「でも」
「ありがとうございます、そうさせていただきます」
俺の言葉を遮ったセルジュが俺の肩を掴んだ。
ラザノがニタリと笑う。
「剣聖ファビアン様には、これから沢山活躍していただかねばなりませんからね。明日は私めに任せていただき、休暇をお楽しみ下さい」
「では、今夜はこれにて失礼致します」
セルジュは有無を言わさず俺の肩を押すと、反転して天幕を出て行こうとする。
……俺の横には、槍を持った半透明の兵士がついてきていた。
無言で横に腰掛けたセルジュが、お願いする前に俺の後頭部を撫で始める。……よく分かってるじゃないか。
「……ファビアン様、もしお嫌でしたら」
「嫌だって言ってやめたら、俺のせいで国民が更に死ぬとか言われるんだろ? もう分かってるよ」
「……お労しい」
セルジュの声は抑揚があまりなくて感情が伝わりにくいけど、撫でる手は柔らかくて優しい。
と、掠れるような声で囁いた。
「私は貴方の盾です。貴方がどこに向かおうが逃げようが、ずっとお側にいて守りますから」
「セルジュ……?」
枕から顔を出して、俺を撫でているセルジュを見上げた。セルジュはにこりともせずに、相変わらず渋い顔のまま俺を撫でているだけだ。
「貴方の敵討ちの相手が誰であろうと、私は最期まで貴方と共におります。そのことをお忘れなきよう」
「う、うん……?」
よく分からなくて、でもとりあえず俺の側にいてくれるって言われているのは理解できた。だから俺は再び枕に顔を押し付けると、優しいセルジュの手の温もりを感じることだけに意識を集中していった。
◇
おかしなことが起き始めたのは、それからしばらくしてからだ。
「砦に兵の霊が彷徨っている」と噂が立ち始めたのだ。まあこれだけ連日死人が出ていれば、死霊のひとりやふたりは彷徨いていてもおかしくない。
「俺さあ、魔法使えないから死霊系の退治は無理なんだよなあ」
しかめっ面になっている隊長たちに言ったけど、そういうことじゃないらしい。じゃあ何だ。
髭面の筋肉隆々の隊長のひとりが、小声で教えてくれた。
「それが、どうもラザノ司令官の周辺に亡霊が出没しているらしく」
亡霊とは、魔物化した死霊ではなく、無念を抱えて昇天できない霊魂のことを指すらしい。
「本人は何て?」
「見えてないので気にしないそうです」
「うわー剛気」
俺が茶化すと、隊長たちも苦笑で返してくれた。皆、何となくラザノとは親しくなれない感じらしい。分かる。すごく分かる。
「でもさ、だったら別に放っておいてよくない? だってさ、悪さする訳でもないし、ラザノに憑いてるだけだろ?」
「それはそうなんですが、実は亡霊が着ている軍服に問題がありまして」
「軍服?」
髭もじゃ隊長の言うところによると、ラザノの周辺に出没している亡霊は、敵国じゃなくてヒライム王国の軍服を着ているらしい。
「しかも、門番が持つような槍を持っているそうで。自国の兵の亡霊に取り憑かれている司令官ですと、兵たちの士気にも関わりまして」
「……は? 門番?」
一瞬で低くなった俺の声にビビったらしい髭もじゃ隊長が、怯えた顔をしつつぶるりと巨体を震わせた。
◇
その日の夜。
「俺の目に見えない可能性もあるから、セルジュもしっかり見ててくれよ」
「心得ました」
俺たち二人は、司令官室になっている大天幕の入り口に立っていた。
「いくぞ!」
「はい」
果実酒が入った酒瓶をセルジュに持たせて、俺は天幕の中に向かって声を掛ける。
「あー、ラザノ司令官? いる?」
すると、中からラザノの声が返ってきた。
「ファビアン様ですか? どうぞお入り下さい」
「あ、じゃあ失礼しまーす」
天幕の入り口の布をめくり中に入ると、持ち込まれた小さめの執務机で何やら書き物をしているラザノがこちらを見返す。ぱっと見、怪しい影はない。
「あの、ラザノ司令官にこれを持ってきたんだ」
なんだ、ただの噂か、と思いながらセルジュを振り返り、酒瓶を渡すように目で指示する。
「前線は緊張するかなと思って、寝酒にどうぞ」
「これはこれは、わざわざありがとうございます」
細目をニタリとさせて、ラザノが酒瓶を受け取った。こういう笑い方なんだろう。
「どう? 少しは慣れた?」
多少は会話をしないと、と話題を振ると、ラザノは眉を垂らして苦笑する。
「いえ、なかなか。日中は戦っていた場所で寝るというのは難しいものですね」
「まあ、慣れるまではね」
と、ラザノの背後がふわりと揺れた気がして、目線を上げた。
そこに浮遊するものを見て、目を大きく見開く。
「……ファビアン様? どうされました?」
不審げに尋ねられて、俺は慌てて身体の前で手を振った。
「ううん、ちょっと疲れてぼんやりしちゃっただけだから! ごめんごめん!」
半透明の揺れる影が、俺の前に立つ。だめだ、今は泣いちゃだめだ。ラザノに怪しまれてしまうから。
「――ファビアン様は連日の戦で疲れておいでなのです。一日でもいいので、休める日があるといいのですが」
言葉を失いかけている俺の代わりに、セルジュが会話を引き受けてくれた。
ラザノが、大仰に驚く。
「なんと……剣聖様はこれまで一日も休みなく戦ってこられたのですか? ならば明日は一日、何卒お休み下さいませ」
「でも」
「ありがとうございます、そうさせていただきます」
俺の言葉を遮ったセルジュが俺の肩を掴んだ。
ラザノがニタリと笑う。
「剣聖ファビアン様には、これから沢山活躍していただかねばなりませんからね。明日は私めに任せていただき、休暇をお楽しみ下さい」
「では、今夜はこれにて失礼致します」
セルジュは有無を言わさず俺の肩を押すと、反転して天幕を出て行こうとする。
……俺の横には、槍を持った半透明の兵士がついてきていた。
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