【完結】王甥殿下の幼な妻

花鶏

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第三章 幼な妻の里帰り

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 アルムベルク領は王弟家の長男であるマティアスが統治官として収められているが、今は王都から派遣されたハーマン男爵が領主代行を務めている。
 ゆくゆくはマティアスが赴任するか、王弟家縁の別の者が統治官を継いで赴任することになっていた。

 到着から一夜明けて、初日はハーマン男爵と領地視察の予定だ。
 男爵の息子が、挨拶だけ随伴したリリアを物欲しそうな目で見ていたのが不愉快で、エルザを供につけて早々に帰らせた。

 ハーマン男爵が個人的に懇意にしている資産家を紹介されるだけという、午前中の実のない視察を終えて昼食の為に大通りに出る。午後はハーマン男爵の屋敷で歓迎の宴を開くと言われて、マティアスはうんざりしていた。

 アルムベルクの中心街には大通りは一本しかなく、距離もないため荷物がなければ徒歩が基本である。諂う男爵の言葉を聞き流しながら歩いていると、騒つく人々の視線の先に数人の薄汚れた男たちが群がっていた。

「生意気な目をしやがって、この黒猿が!」
「お前ら異国人のせいで、俺らの仕事が減ってるんだ」
「そうだ、国に帰れ!」

 男たちは無抵抗の相手を何度も足蹴にする。周囲の人々は眉を顰めるものの、自分が巻き込まれる訳にはいかないと顔を背ける。蹴られているのは褐色の肌の外国人であることもそれに拍車をかけているようだった。

「何をやってる!」

 マティアスの大声に男たちが振り向く。初めは威勢よく睨んできたが、マティアスの身なりにたじろいで慌てて駆け去る。

「殿下、お気になさることではありません。下々の喧嘩ではありませんか。そんな事より、これから向かう食堂は、碌な食べ物のないアルムベルク領に私が招致した料理店でして」

 ハーマン男爵を押し退けて、マティアスは倒れた男を引き起こす。小柄な、まだ年若い青年だった。

「殿下、マティアス殿下。
 そんな汚い異国人に触っては御身が穢れます」

 臭いものを見るように言うハーマン男爵に、マティアスは眉を顰めた。

「別に、貴方に触れとは言わない。俺は食事は良いので、ここで別れよう。ご苦労だった」
「そんな、殿下。王都でのことでお話が―――」
「必要な話なら、要件をまとめて届けてくれ。夜に確認しておく」

 マティアスは縮こまったまま動かない青年を抱えて、急ぎ足で歩き出す。診療所のようなものが何処かにあるのかもしれないが、全く土地勘がない。宿に戻れば手当もできるだろうし、医者をよんでもらうこともできるだろう。
 マティアスとて万人を助けることは出来ないが、あんな理不尽な暴力を受けた人間には、差し伸べる手があっても良いと思う。

「あの、下ろしてください」

 角を曲がった辺りで、腕の中から少し訛った言葉が聞こえた。

「助けてくれてありがとうございます。
 大丈夫なので、下ろしてください」

 褐色の肌の青年は大きな黒い瞳でマティアスを見ていた。

「もうすぐ宿だ、大丈夫でも手当をしてから帰るといい」
「いえ、手当も要りません。反撃すると面倒なのでじっとしてただけで、割と平気です」

 マティアスの腕から降り、何度かぴょんぴょんと跳ねて見せる。

「ね?」
「………そうか。大丈夫なら、良かった」

 確かに、抱え上げた身体は細身であったが、粗末な服の下には鍛えた筋肉の感触があった。
 褐色の肌に真っ黒の瞳。明らかにヴィリテの人間ではない容姿だが、大陸共通語ではなく、少し訛っている以外は流暢なヴィリテ語を話す。

「いつもはああいうのからは逃げるんですけど、荷物が重くて捕まっちゃいました。荷物、取りに戻らなきゃ」
「荷物があったのか。気づかなかった。さっきの男たちが戻ってると面倒だろうから、俺が取ってこよう。荷物は何だ?」

 そう言うマティアスに、青年はにこりと笑う。

「良い人。何かお礼したいけど、お兄さんお金持ちみたいだし、僕はお金ないから、残念」
「気にするな。大したことではないから出来るだけだ」

 青年に言われて取ってきた麻袋の山は、軍の訓練で鍛えているマティアスが持っても相当に重かった。

「………これを、一人でどこまで運ぶんだ」
「えっと、あと五件に配達。重いでしょう、ごめんなさい」
「………半分持つ。
 終わったら、奢るから、美味い昼食のとれる店を教えてくれるか」

 青年は目を丸くする。

「お礼、出来ることないよ?」
「お礼なら、道中、この街のことを教えて欲しい。
 その為に来たのに、あまり有用な情報が貰えなくて困っていた」
「僕、外国人だから、知らないこと多いけど、それでもいい?」

 交渉が成立して、二人で街道を歩く。

 青年はムクティと名乗り、マティアスにアルムベルクについて知っていることを整然と語った。
 国の中での位置に始まり、地理、気候、政治的地位、産業から流通などのリリアからも聞いていた情報から、治安、文化、川の氾濫や今年の収穫、街の要人の事件、最近の金回りのいい業種まで、ただの荷運びの青年とは思えない情報量にマティアスは目を見張る。
 最後の配達が終わり、ムクティの馴染みの店で香草の香りの強い麺を平らげた頃には、マティアスはそこそこアルムベルクに詳しくなっていた。

「貴方は、さては賢いな……?」
「ははっ、なにそれ?
 お兄さん、面白いね!」
「そういえば、名乗っていなかったな。
 俺はマティアスという。昨日王都から来た」

 マティアスの自己紹介に、ムクティは目を丸くした。

「………もしかして、国王陛下の、甥の……?」
「物知りだな」
「こんなところで、護衛も付けずに、何をしてるんですか」
「俺一人なら、一人の方が身軽で良い」
「……いやぁ、最近山の民が荒れてるから、気をつけた方がいいですよ」

 山の民というのは、キルゲス族などのヴィリテ王国と北の国々との国境付近に棲む民族の総称で、国の庇護にも入らない代わりに国からの支配も受けない。
 北国からの侵略の盾にもなるので、ヴィリテ王国としては見て見ぬふりをしている人々であった。

「………そうかぁ。
 お兄さんが、マティアス殿下……
 思ってたのと、全然違うなあ」
「思ってたの?」
「リリアを迎えに来た人たちもそこそこ失礼だったから、旦那さんもほどほどにクソかと思ってたなっ」

 ムクティは白い歯を見せてにっこりと笑った。

「…………もしかしてリリアに、俺が豊満な女性が好みの色情狂だと教えたのは、貴方か」


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