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第十章

偉大なる摂理と切ない願い

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 10月、台風災害による道路封鎖も解け、久住の麓における生活基盤、インフラ整備にも復興の兆しが見え始めていた。

 良いか悪いか、ジョンの馬での送迎も必要がなくなり、ジョンと浩子の楽しみが一つ無くなってしまった。

 その頃、ジョンの心の葛藤である『神への対峙』は、佳境を迎えており、ジョンの焦りは、日常生活の中に、特異な行動を強いるようになっていた。

 ジョンは、日中は教会行事、聖書の読解、日曜ミサの為の説教の準備をし、その時間の合間に牛達の放牧を行っていたが、

 早朝の放牧が終わる頃、ジョンは馬に乗り、小1時間の行程を経て、久住の麓に広がる産山高原の丘に登り、『神と対峙』するのが慣わしとなっていた。

 この日もジョンは栗毛の馬に乗り、まだ、交通量の少ない国道422号線を大分県と熊本県の県境まで進み、途中、左に降る里道に入り、放牧地帯を南下し、産山高原の誇るヒゴダイの花街道を突き進んだ。

 標高800mの高原地帯はすっかり秋化粧が整い、早くも所々にコスモスの花が疎らに咲き、芒の草も朝風に吹かれ、気持ちよさそうに、俵な髪の毛をほどかすかのように靡いていた。

 産山のヒゴダイ公園の前を通過して、山道に入り、一旦、杉林の森林の中を抜け、三本松が目印の別れ道で左標識の『産山登山口』を選択し、馬を進めた。

 既に辺りの明かりは曙光から陽光に成長し、綺麗なオレンジ色の光線が、杉林の中に生い茂る草花の朝露に反射し、辺り一面を宝石色に輝かせていた。

 登山道のつづら道の小道から左の高原地に向かうと右手に阿蘇の五山が間近に見えて来て、小山の丘陵を駆け登るとそこが目的地の丘であり、眼下には、産山高原がパノラマのように広がっていた。

 ジョンはこの景色が唯一、自身が生まれたアリゾナ州のメサから見下ろす荒野に近いと思っていた。

 砂漠と高原の色彩の違いはあるものの、大地と太陽のみが司る古来的な景観とその匂いが同じであった。

 ジョンは馬の手綱を観光案内板の柱に結ぶと、崖縁まで歩み進んだ。

 太陽は早くも東南の方角にかすかに見える祖母山の上に顔を出していた。

 ジョンは大きく深呼吸をし、改めて、緑の大地、産山高原を見下ろし、そして、神に対して恐れることなく物申すのであった。

・・・・・・・・・・・・・・
『この地は古来から何も変わっちゃいない。

 人類の不自然、不条理かつ非道な戦争の影響も受けず、

 愚かな人種差別、身分差別、貧富の差、宗教論争、そんな小さな保身に揺さぶられることなく、

 自然の理に忠実に古来何万年前から存在し続けている。

 神はこの大地のように、恒久的に無用な変化を一切断じた創造物をお造りになりながら、

 かたや、宇宙時間では、瞬時に過ぎない次元の存在でありながら、幼稚な進化に一喜一憂する愚かな人類をお造りになった。
 
 その小生物たる人類が自然を不自然にし、さらには同種の中でも争いと格差を設けたがる。

 『神の子』、『時代の寵児』、『選ばれし人々』…、全く無意味だ。

 愚かな人間が神の名を利用するなど、淺ましいにも程がある。

 神よ、何故、そんな輩の存在をお許しになるのですか…

 神への信仰と正義とは別物なのですか…

 せめて、幸運と不運とをお造りになったのであれば、同じ分量を各人に配分して頂きたかった。

 人類が道具を持ち生態系の頂点に立ってから、幸福な時代は果たして、存在したのですか?…

 誰もが主の仰る『心の平和』を感じる事ができる時代があったのですか?…

 私は主を慕い、イエスを模倣し、神に過去の憐れみを任せ、現在の苦悩を祈りにより和らげ、未来の摂理を委ねる覚悟はあります。
 
  しかし、私の過去は憐れみという言葉で表現するには程遠い品物であります。

 屍の母胎の『へそ』の緒で生き延び、インディアンと白人の混血児、神の冒涜の生き証、異端の賤しき者とされながら、生き抜いて来ました。

 その反面、白い肌を持っただけで、神の子孫であるとし、甚だ不条理な解釈のもと優越的な人生を送っている者たちがいます。

 また、その中にも、何も信仰心もなく、理性もなく、思いやりもなく、ただただ、欺瞞に満ちた野心と狡猾な保身のみを内心に秘めた輩が、

 『我が人生に悔いはなし』と平穏無事に人生を全うしてしまう。

 私は殉教者です。

 この不条理を認知していても、決して公言することができません。

 妬むことも、ひがむことも、恨むこともできません。

 さらに!

 万人を愛さなければならないのです。

 それが、悪人であっても…、隔たりなく愛さなければならない…。

 隔たりなく…

 その反面、個別の愛は大罪として禁じられ戒められてる…

 これが不条理以外の何と言えますか!

 今の私は、『心の平和』を見出すことができません。

 しかし、神よ、この私の心の乱れは、不自然なのでしょうか?

 これが不自然と仰るならば、私は生を失いたくなってしまいます。

 せめて、今世を全うするため、ほんの小さな過ちだけはお許しになさってください。

 人を愛する事、その愛する人を求める事、そして、その愛する人と共に人生の山と谷を登り下る事…

 小さな、ちっぽけな過ちではないでしょうか!

 決して、不貞な行為ではありません。

 自然の愛です。

 それこそ、正に『心の平和』の愛です。

 お願いします。

 私は異端者になっても、貴方の、主の子として祈りを続けますから…』
・・・・・・・・・・・・・・

 ジョンは、神への小さな通告を終えると、徐に馬の方に歩いて行き、祖母山の上に出た太陽の方角に馬を向かわせた。

 その帰り道

 清々しさとは程遠い、暗鬱な気持ちを隠すため、偽りの神父の仮面を被り直し、浩子の牧場に帰るのだった。

 厩舎に着き、馬に飼葉を与え、鞍と腹帯を外し、ブラシで馬を磨いた後、厩舎の閂をかけ、外に出た。

 その時、

「ジョン、おはよう!」と

 浩子の声が眩しい朝日と共に聞こえた。

 ジョンが額に手を翳し、その方向を見遣ると、浩子は洗濯物を干していた。

 ジョンは思わず息を飲んだ。

 その姿は、太陽光線を浴びて、身体の線をくっきりとジョンの視界に表出していた。

 衣服から透けて見える、すらりとした長い脚、スレンダーではあるが柔みのある身体の線。

 ジョンには、浩子の姿が、恰も裸体のビーナスのように、神秘的に映り、

 一瞬、

 ジョンの全身全霊は、快感という電流によって痺れ果てた。

 そして、ジョンは痺れた心でこう思った。

『僕が彼女を救うんではなく、僕が彼女に救われているんだ。』と

 ジョンは、再度、神父の仮面を脱ぎ捨てた。

 さらにはカウボーイの仮面も脱ぎ捨てるよう、デンガロハットも放り投げ、

 ジョン・プラッシュと言う、一人の単なる男性に身を落とし、

 ゆっくり、ゆっくり、浩子の元に笑顔で歩み寄ると、心の中で叫んだ。

『愛してるよ。君は俺だけのものだ。』と
 
 
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