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第五十六章

カーソンの森の中へ

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 その時、ビリーもまた『血の川』を見遣っていた。

『嫌な色を見せやがる。』

 ビリーはそう思うとカップの底に渦巻くコーヒーの滓を川に捨てた。

 後ろから所長が近づいて、

「縁起でもない色をしてやがる。俺の血は一滴たりとも流しやしないから機嫌を直してくれよ。」と

『血の川』に向かってそう戯言を言い放った。

 ビリーも所長も10年前の惨劇を思い出していた。

 内臓をすっかり喰い尽くされた仲間2人の屍をこの川原まで運んだ。

 仲間の屍は穴の空いた腹部から身体中の血をどくどくと滴らせ、その血は一筋となり川へ流れていた。

 ビリーと所長が獣道の入口に当たる橋桁にヘリで到着して、既に2日間が経っていた。

 ジョンとマリアがこの辺りに来るまで3、4日は掛かると読んでいた2人は、まだ悠然と構えていた。

 しかし、ビリーには気になる点があった。

 2人が通るであろう下流の方を双眼鏡で覗いても見えるのは巨石ばかりであった。

「馬で来るのは無理ですね。」

「いや、馬で来ないと山には登れない。」

 ビリーは川沿いから双眼鏡の向きを変え、左側の岩壁をレンズで辿った。

 岩壁が織りなす渓谷は途切れ途切れとなりクリスト山脈の高原地帯が垣間見れた。

「巨石を馬で越えられないとすると、一旦、高原地帯へ迂回し、橋桁の向う岸から川を渡って来るかもしれませんね。」

「俺ならそうする。カーソンの森は絶対に通らない。馬の蹄の消耗を考慮すれば、一旦、遠回りしてでも高原地帯へ向かう。」

「クリスト山脈の高原地帯の街か…、エンブトか…、そこで休憩するのか。」

「エンブトで張ってみるか?」

「いや、街中で救助って訳にはいかないでしょう。」

「それはそうだが、この獣道を通さないことが今回の任務だ。」

「俺の任務は違います。奴を連れ戻すまでが俺の任務です。」

「ビリー、まさか?」

 ビリーは笑みを浮かべてこう言った。

「そうですよ。所長、また、獣道に一緒に入りましょうよ!」と

 所長は頭を抱え、首を何度も振った後、ビリーに指をさして、怒鳴った。

「お前!何を考えてるんだ!2人を獣道に通して、その後、救助するなんて!まるで、博打だ!

 救助する前にピューマに喰われちまったらどうするんだ!

 俺はそんな博打には付き合いきれない!」と

 ビリーは所長の訴えを無視するかのように、煙草を咥え、火を付けると、こう言った。

「所長、御心配なく。一応、獣道に入る前にはヘリに乗るよう誘導はしますよ。

 しかし、獣道を通るか否かは本人達の自由。

 この獣道は決して通行禁止区域ではない。

 危ない道に過ぎない。」と

 所長は尚も納得出来ず、こう反論した。

「だから厄介なんだよ。この獣道は!

 ビリー、お前、俺に言ったよな!

 2人がヘリに乗らなかったら力尽くでも乗せると!

 そうするんじゃないのか?」

 ビリーは煙草を指で弾き捨て、所長を見遣るとこう言った。

「2人がヘリに乗ることに応じると思いますか?2人は神父と保安官の聖職を捨てた逃亡者ですよ。

 ライフルで脚を撃たれても応じませんよ。

 そんなこと、所長も最初から分かっていたんじゃないですか。」と

 所長は唾を吐き捨て、またも怒鳴った。

「くそぉ!こんなくだらん仕事は初めてだ!

 いや、仕事じゃないか…、

 分かったよ!付き合ってやる!

 しかしだ、ビリー!

 獣道の半分までが限度だ!

 それまで何とかしろ!」

 ビリーはにやけてこう言った。

「何とかしろと言われてもね。それはピューマに言ってくださいよ。」と

「くそぉ!お前は最低だ!くそぉ!」と

 所長はビリーに指をさし怒鳴り散らすと、少し落ち着いてこう言った。

「ビリー、その神父を連れ戻すにはそこまでしないと上手くいかないことは分かった。

 ただ、お前がそこまでするのは誰のためか、もう一度、確認しておく。

 ライフル銃を100発撃ち続けた少女のためで良かったよな。」

 ビリーは即答した。

「はい、そうです。」と

 それを確認すると所長はこう言った。

「ビリー、いいか!俺がお前にここまで協力するのは、お前のためだ!

 いいか!ビリー!

 その神父野郎を少女に引き渡した後、お前はその少女をものにしろ!

 これは俺の命令だ!」と

 そう言い放つと所長は散弾銃を握り、獣道の入口に銃口を向け、

「2人はピューマの囮か…、厄介な仕事を引き受けたもんだ。」と呟いた。

 その頃、ジョンとマリアは果てしなく続く岩だらけの川原を登り続けていた。

 馬にはマリアだけ乗り、ジョンはロープを掴み馬と一緒に歩いていた。

 次第に川原に転がる岩は巨大化して行き、馬は巨石を迂回するよう川の中を歩いたり、迫り出した森林と川原の境界を歩きながら前へと進んでいた。

「ジョン!あの岩は無理よ!」と

 馬の上からマリアが叫んだ。

 前方には直径2、3メートルはある巨大な岩が陣取り、行手を塞いでいた。

「川の中を回っていけるか?」

「駄目よ!川も滝のように段差になってるわ!」

 ジョンは一旦馬を休ませると、左側の森の中に入ろうとした。

「ジョン!待って!私も一緒に行くわ!」

 マリアがライフル銃を片手に駆け寄って来た。

「熊が居るのか?」

「ええ、貴方が襲われた小屋の森よりも危険よ。」

 ジョンはマリアからライフル銃を受け取り、マリアは拳銃を手に持ち、森へと入って行った。

 原生林に覆われた森の中は道らしき道は見当たらなかった。

 2人は川原に戻ると地図を広げた。

 マリアが地図上を指差しながら、

「ここが獣道。今、丁度、半分辺りまで来たわ。この先、巨石群で川原を登れない。
 森の中を抜けるのも危険だわ。」

 ジョンも地図を見ながら言った。

「向う岸に渡り、高原地帯を進むのはどうかな?かなり遠回りになるけど…」

 マリアは地図上の一点を指差し、

「そうね、一旦、ここまで戻り、川幅の狭い箇所から向う岸に渡り、クリスト山脈の麓の街、『エンブト』を目指して北上すれば、行けないことはないけど…」

「何か気掛かりなことがあるのかい?」

「うん、かなり目立ってしまうこと。この辺りで街らしき街はエンブトだけだから…」

「飛んで火に入る夏の虫か。」

「ええ、ビリーに見つかる危険性は高いわ。」

「折角、ここまで来て、捕まるのはごめんだ!」

「そしたら、森の中を進むしかないわ。」

「君はこの辺の森の中を通ったことはあるのかい?」

「無いわ。でも、父から聞いたことがあるの。此処よ、この辺り。此処まで入れば小径があるって。」

 マリアは憶測で地図上の指を北西に少しなぞった。

「どのくらいかな?5kmぐらい森の中ね?」

「何か目印はあるのかい?」

「分からないわ。
でも、父が言ってたのは、昔からこの辺りのカーソンの森はプロブロ族が道案内をしていたんだって。そのため部族独自で木を伐採し小径を整備していたと。」

「なるほど。地図には無い道か。」

「でも…」

「どうした?」

「でも、熊やピューマの生息地帯には変わりがないわ。」

 ジョンはマリアの言う小径を地図上でなぞり、指を北上させた。

「君の言う小径は獣道に突き当たるのか。」

「そうね。獣道の真ん中ぐらいに出そうね。」

「よし!小径から獣道へ抜けよう!」

「でも、熊やピューマが…」

「獣道の地点ほど標高は高くない。それに、従来から人が行き来していた道だ。獣道より危険性は少ないよ。」

「どちらが森林保安官か分からないわね。」

「いや、僕の推測は素人勘だ。行ってみないと分からないよ。ただ、安全な行路の方が発見されやすい。それには間違いがないよね、保安官さん!」

「それは間違いないわ。森の中なら見つからない。」

「よし!明るいうちに小径まで進もう!」

 2人はライフル銃と拳銃を握り、馬を引き連れ、カーソンの森へ入って行った。
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