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15.カナエの退院
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手術から六日後、カナエは無事に退院することになった。
執刀医であるショウタの診察を受けて、退院の許可が下りたのだ。
歩いて一階の診察室まで降りることができるほど回復したカナエを見て、母親は涙を流しながらショウタに礼を言っている。
ショウタは大げさに感謝されて少し恥ずかしかったが、充実感も覚えていた。
セイスケに拾われなければ山で死んでいた身が、こうして役に立ったことがショウタには喜ばしい。自分が生まれてきたことも、セイスケの行いも意味があったと思えるから。
「ショウタ先生。本当にありがとうございました」
カナエも頭を下げる。もうショウタの優しい笑顔を見ることができなくなるのかと思うと少し寂しい。
「元気になって良かったな。お大事に」
そう言って笑うショウタの笑顔を忘れることがないように、カナエはじっと見つめていた。
病院までタクシーを呼んでカナエと迎えに来た父親、そしてずっと付き添っていた母親が乗り込む。
「カナエ。ショウタ先生はミホと婚約しているらしいのよ」
車中で母親が看護婦に聞いた話をカナエに伝える。カナエは命の恩人であるショウタに好意を抱いているように母親には思えた。
カナエはミホとあまり仲が良くない。後でショウタとミホの婚約を知るより、早い時期に伝えた方が衝撃が少ないと母親は判断した。
「今回は、ショウタ先生もだが、ミホにも随分と世話になったから、その……」
カナエの父親は、妹が自殺した時、十四歳だった姪のミホを保護しなかったことを後悔していた。
あの時は妹を捨て愛人と逃げた義弟が許せなかった。しかも借金を妹に押し付けて。
だから、義弟の血を引くカナエに救いの手を差し出せなかった。
十四歳で働いている者も多いが、高等女学校に通っていたミホにとって風呂屋で働くことは随分と辛かっただろうとカナエの父親は思う。
父親は妻や子どもにも義弟のことを愚痴っていたので、カナエは盆に来るミホに嫌味を言うようになっていた。それを止めなかったことも後悔している。
学歴も職業も立派だと思っていた婚約者が詐欺師だったとわかって気落ちしているカナエが、帝国大学出身の医師であるショウタとミホの結婚を知れば、益々ミホをいじめるのではないかと父親は心配していた。
「心配しなくてもそれぐらいわかっているから。ねぇ、お父さん、快気祝いの会食を開いてもらえないかしら。ショウタ先生とミホと弟も呼びたいの」
カナエが手を合わせながら父親を見上げると、父親は思わず頷いてしまう。末娘にはどこまでも甘い父親だった。
「まさか、これってカナエの婚約者のことじゃないでしょうね?」
ショウタが出勤した後、朝食の後片付けをして、新聞を読んでいたミホが驚きの声を上げた。
新聞の地方欄には帝国大学出身の弁護士を詐称する結婚詐欺師が逮捕されたとの記事が載っている。
結婚詐欺の被害者は三人いて、その一人は二十歳の女性。父親が四百エンを詐欺師に貸していたらしい。
「どうした? ミホ姉ちゃん」
字の勉強をしていたミノルはカナエという言葉に反応した。ショウタを貶めたカナエをミノルは許していない。
「帝国大学出身の弁護士だと嘘を言って、女性からお金を騙し取る悪い人が捕まったんだって」
人口一万人ほどの町なので、帝国大学出身の弁護士の数は限られている。記事では被害者の名前は記載されていないが、カナエの可能性が高いのではないかとミホは心配していた。
「それ、絶対あの変な女の婚約者だな。いい気味だ」
ミノルは清々しい顔で笑っているが、病気になった直後に婚約者が詐欺師だとわかるとは、いくらなんでも気の毒過ぎてミホは笑うことができない。
警察官の聞き取り調査に立ち会ったショウタには守秘義務があり、カナエの婚約者が結婚詐欺師だったこをミホたちには伝えていない。ミホはカナエのことを心配しながらも、本人に確認するほど親しくもないので、確信が持てない状態で日々を過ごしていた。
数日後、郵便局員が封書を届けにきた。ショウタ宛の手紙は珍しくないが、ミホ宛の手紙が届いたのは初めてである。差出人を見ると伯父の名が記載されていた。
手紙の内容は、二週間後の日曜日のお昼にカナエの快気を祝う会食をするので、ショウタとミノルを連れて来て欲しいというものであった。
「来々週の日曜日に伯父の家でカナエの快気を祝う会食があって招待されたのだけど、ショウタさんとミノルも一緒に来て欲しいとのことなの」
帰宅したショウタにミホはおずおずと伝えた。カナエのことでショウタは不快な思いをしているのではないかと心配していた。
「ミホとミノルが行くのならば、俺も一緒だ。あの、その、一応、俺はミホの婚約者だし」
ミホとミノルに置いていかれるのはとても寂しいとショウタは感じていた。
「そうね。形だけだといっても、ショウタさんは、こ、婚約者だから一緒に行ってもおかしくないわよね」
ミホはショウタを残して参加したくはない。ショウタがとても寂しがり屋だと知っているから。
『一応とか、形だけとか、面倒だな。普通に婚約者でいいのに』
ミノルは二人がもどかしくて頭をかいていた。
「僕も一緒に行ってやってもいいけど、あの女、ショウタさんに酷いことを言うのではないか? 盆に鬼を連れてくるなとミホ姉ちゃんに言っていたから」
カナエの言葉をミノルは覚えているし許してもいない。
「心配しなくても、カナエさんも母親も謝ってくれたから、もうそんなこと言わないに違いない。それにな、それぐらいのことで怒っていたら、俺の弟なんかになれないぞ。もっと酷いこといっぱい言われるから」
鬼であるゆえに数々の暴言を浴びてきたショウタは、家族を切望しながら、鬼の妻になることでミホにも同じような目に遭わせるのではないかと思うと、正式な婚約を願えずにいた。
「そんなやつ、僕が怒ってやるから安心して。弟になったも平気だから」
ミノルには優しいショウタを貶めるようなことを言う人の気持がわからない。そんなやつに何を言われても、逆に怒ってやればいいと思っている。
「それでは、参加すると返事を出しておきます」
ミホは漠然とした不安を覚えていたが、従妹であるカナエの快気を喜ぶ気持ちに嘘はなかった。
執刀医であるショウタの診察を受けて、退院の許可が下りたのだ。
歩いて一階の診察室まで降りることができるほど回復したカナエを見て、母親は涙を流しながらショウタに礼を言っている。
ショウタは大げさに感謝されて少し恥ずかしかったが、充実感も覚えていた。
セイスケに拾われなければ山で死んでいた身が、こうして役に立ったことがショウタには喜ばしい。自分が生まれてきたことも、セイスケの行いも意味があったと思えるから。
「ショウタ先生。本当にありがとうございました」
カナエも頭を下げる。もうショウタの優しい笑顔を見ることができなくなるのかと思うと少し寂しい。
「元気になって良かったな。お大事に」
そう言って笑うショウタの笑顔を忘れることがないように、カナエはじっと見つめていた。
病院までタクシーを呼んでカナエと迎えに来た父親、そしてずっと付き添っていた母親が乗り込む。
「カナエ。ショウタ先生はミホと婚約しているらしいのよ」
車中で母親が看護婦に聞いた話をカナエに伝える。カナエは命の恩人であるショウタに好意を抱いているように母親には思えた。
カナエはミホとあまり仲が良くない。後でショウタとミホの婚約を知るより、早い時期に伝えた方が衝撃が少ないと母親は判断した。
「今回は、ショウタ先生もだが、ミホにも随分と世話になったから、その……」
カナエの父親は、妹が自殺した時、十四歳だった姪のミホを保護しなかったことを後悔していた。
あの時は妹を捨て愛人と逃げた義弟が許せなかった。しかも借金を妹に押し付けて。
だから、義弟の血を引くカナエに救いの手を差し出せなかった。
十四歳で働いている者も多いが、高等女学校に通っていたミホにとって風呂屋で働くことは随分と辛かっただろうとカナエの父親は思う。
父親は妻や子どもにも義弟のことを愚痴っていたので、カナエは盆に来るミホに嫌味を言うようになっていた。それを止めなかったことも後悔している。
学歴も職業も立派だと思っていた婚約者が詐欺師だったとわかって気落ちしているカナエが、帝国大学出身の医師であるショウタとミホの結婚を知れば、益々ミホをいじめるのではないかと父親は心配していた。
「心配しなくてもそれぐらいわかっているから。ねぇ、お父さん、快気祝いの会食を開いてもらえないかしら。ショウタ先生とミホと弟も呼びたいの」
カナエが手を合わせながら父親を見上げると、父親は思わず頷いてしまう。末娘にはどこまでも甘い父親だった。
「まさか、これってカナエの婚約者のことじゃないでしょうね?」
ショウタが出勤した後、朝食の後片付けをして、新聞を読んでいたミホが驚きの声を上げた。
新聞の地方欄には帝国大学出身の弁護士を詐称する結婚詐欺師が逮捕されたとの記事が載っている。
結婚詐欺の被害者は三人いて、その一人は二十歳の女性。父親が四百エンを詐欺師に貸していたらしい。
「どうした? ミホ姉ちゃん」
字の勉強をしていたミノルはカナエという言葉に反応した。ショウタを貶めたカナエをミノルは許していない。
「帝国大学出身の弁護士だと嘘を言って、女性からお金を騙し取る悪い人が捕まったんだって」
人口一万人ほどの町なので、帝国大学出身の弁護士の数は限られている。記事では被害者の名前は記載されていないが、カナエの可能性が高いのではないかとミホは心配していた。
「それ、絶対あの変な女の婚約者だな。いい気味だ」
ミノルは清々しい顔で笑っているが、病気になった直後に婚約者が詐欺師だとわかるとは、いくらなんでも気の毒過ぎてミホは笑うことができない。
警察官の聞き取り調査に立ち会ったショウタには守秘義務があり、カナエの婚約者が結婚詐欺師だったこをミホたちには伝えていない。ミホはカナエのことを心配しながらも、本人に確認するほど親しくもないので、確信が持てない状態で日々を過ごしていた。
数日後、郵便局員が封書を届けにきた。ショウタ宛の手紙は珍しくないが、ミホ宛の手紙が届いたのは初めてである。差出人を見ると伯父の名が記載されていた。
手紙の内容は、二週間後の日曜日のお昼にカナエの快気を祝う会食をするので、ショウタとミノルを連れて来て欲しいというものであった。
「来々週の日曜日に伯父の家でカナエの快気を祝う会食があって招待されたのだけど、ショウタさんとミノルも一緒に来て欲しいとのことなの」
帰宅したショウタにミホはおずおずと伝えた。カナエのことでショウタは不快な思いをしているのではないかと心配していた。
「ミホとミノルが行くのならば、俺も一緒だ。あの、その、一応、俺はミホの婚約者だし」
ミホとミノルに置いていかれるのはとても寂しいとショウタは感じていた。
「そうね。形だけだといっても、ショウタさんは、こ、婚約者だから一緒に行ってもおかしくないわよね」
ミホはショウタを残して参加したくはない。ショウタがとても寂しがり屋だと知っているから。
『一応とか、形だけとか、面倒だな。普通に婚約者でいいのに』
ミノルは二人がもどかしくて頭をかいていた。
「僕も一緒に行ってやってもいいけど、あの女、ショウタさんに酷いことを言うのではないか? 盆に鬼を連れてくるなとミホ姉ちゃんに言っていたから」
カナエの言葉をミノルは覚えているし許してもいない。
「心配しなくても、カナエさんも母親も謝ってくれたから、もうそんなこと言わないに違いない。それにな、それぐらいのことで怒っていたら、俺の弟なんかになれないぞ。もっと酷いこといっぱい言われるから」
鬼であるゆえに数々の暴言を浴びてきたショウタは、家族を切望しながら、鬼の妻になることでミホにも同じような目に遭わせるのではないかと思うと、正式な婚約を願えずにいた。
「そんなやつ、僕が怒ってやるから安心して。弟になったも平気だから」
ミノルには優しいショウタを貶めるようなことを言う人の気持がわからない。そんなやつに何を言われても、逆に怒ってやればいいと思っている。
「それでは、参加すると返事を出しておきます」
ミホは漠然とした不安を覚えていたが、従妹であるカナエの快気を喜ぶ気持ちに嘘はなかった。
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