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28.セイスケの苦悩

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 ある晴れたうららかな金曜日の午後、セイスケが院長を務める中央病院クシナカ分院に一本の電話がかかってくる。
 それは、セイスケの長兄、イチノスケからであった。

『妹のフミの具合が非常に悪いんだ。私たちでは手の施しようがない。セイスケのところの鬼は腹の中が見えるそうではないか。一度その鬼にフミを診てもらいたいのだが。できれば、手術も頼みたい。フミは今ケイト帝国大学の付属病院に入院している』
 イチノスケは早口にそう言った。
 
 セイスケは将軍家の御典医を務めていたサエキ家の三男である。セイスケ誕生の四年後にサエキ家唯一の女の子である長女のフミが産まれた。サエキ家の人々は女の子の誕生を喜び、フミをとても大切にしていた。

 ショウタを養子にするとセイスケが決めた時、強固に反対したのは母親と古都ケイトの名家に嫁ぐことが決まっていたフミだった。
 母とフミの二人はセイスケがいない間にまだ幼いショウタに向かって、鬼をサエキ家に入れる訳にはいかない、鬼など汚らわしいから出て行けと暴言を吐いていた。

 記憶を失って言葉もままならない幼いショウタには、頼る者はセイスケしかいなかった。絶対的な信頼を寄せている養父の家族から与えられる否定の言葉は、ショウタにとってとても辛かったはずだ。
 俯いて唇を噛みながら涙をこらえているショウタがとても哀れだったことをセイスケは忘れていない。


「フミは鬼のショウタの診察を受けることを納得しているのか?」
 セイスケは受話器に向かってそう訊いた。
『診察の時には麻酔をかければフミは拒否できない。もちろん、手術の時は麻酔をするだろうから問題はない。フミに知らせなければいいだけだ』
 イチノスケは治療する医師がショウタであることを隠しておこうとしていた。

「それでは駄目だ。フミがショウタの治療を望まなければ、診察や手術を受けさせる訳にはいかない」
『フミを見殺しにするつもりか? それでも兄なのか!』
 電話口でイチノスケが怒鳴っている。
「ショウタは手術をする機械ではない。フミは優秀な医師の治療を受けているのだろう。それでも治せないのであれば、それは寿命だと思う。もちろんショウタならば治すことができるかもしれない。しかし、ショウタの時間は有限なんだ。ある患者を治療をすれば、他の患者の治療ができなくなる。鬼の治療を拒む者を診ることはするな、その時間を求める者に与えよと、私がショウタ教えた。たとえ家族でもその教えを違えさせるつもりはない」
 鬼だからというだけで、ショウタの診察を拒む患者は多数いた。中央病院の院長であったセイスケは、そのような患者は他の医師に任せていた。
 
『わかった。フミは私が説得する。とにかく急いでいるのだ。なるべく早く鬼を連れてケイトまで来て欲しい』
 イチノスケはそう言って電話を切った。

 セイスケはとても悩んでいた。
 まだ幼かったショウタは、母とフミに責められて家を出ていこうとした。自分がセイスケの傍にいることで迷惑をかけると思ったのだろう。
 セイスケは彼の家出を必死で止めて、セイスケもショウタと一緒に暮らしたいと思っていると説得を続け、ショウタをナルカの家まで連れ帰った。それ以来、セイスケは帝都のサエキ家の屋敷にショウタを連れて行ってはいない。

 フミに会わせることで、ショウタに辛い思いをさせるだろうとセイスケは思う。
 それでも妹を見捨てることができなかった。
 セイスケは電話機の発電レバーを回す。

「ショウタ。妹が病気になった。一緒にケイトまで行ってもらえないだろうか」
 セイスケは言いにくそうに受話器に話しかけた。
『それならば、明日休暇を申請します』
 ためらいもなくショウタは即答する。
「いや、明日は土曜日で午後から休みだろう。月曜日は秋分の日で休日なので、ミホさんやミノルも連れて行ってやろう。午後の汽車の切符を四人分手に入れておく。今夜二人に話しておいてくれ」
 尋常小学校も土曜日は午後から休みで、秋分の日は休日だった。
 午後一番の汽車に乗れば、夜にはケイトに着く。もし、フミがショウタの診察を拒むのであれば、観光だけして帰ろうとセイスケは思っていた。
『わかりました。ミホとミノルには伝えておきます』
 ショウタはミホとケイトへ行けることが嬉しいのか明るい声で答えた。


 その夜、帰宅したショウタはミホとミノルにケイトへ行くことを伝えた。
「ケイトって、ショウタさんが通っていた帝国大学がある所なんでしょう? ショウタさんが住んでいた町へ行くんだ。とっても楽しみ」
 汽車に乗ると聞いて、ミノルはとてもはしゃいでいた。
「俺は大学内の寮に住んでいたし、勉強ばかりしていたから、観光地へあまり行ったことがない。だから、案内はできそうにないけどな」
「ケイトって古い町で、観光地がいっぱいあるって尋常小学校で習ったよ。勉強ばかりでしていたなんてもったいないな」
 ミノルは夜逃げを繰り返す両親のせいであまり学校へ通っていなかった。それでもミノルは勉強は好きだ。夏休みにはショウタに勉強を教えてもらっていたミノルは、尋常小学校では他の児童より進んでいるぐらいで、教師に褒められている。
 しかし、勉強の他のことももっと知りたいとミノルは思っている。

「俺は鬼で初めてケイト帝国大学に合格したからな。俺が医師試験に合格しなかったら、俺だけではなくて後に続く鬼まで医師になる能力がないと思われてしまうから必死だった」
「何だか大変だったんだな」
 おそらくショウタの勉強は楽しいばかりではなかったのだろうとミノルは思う。
「入学試験を受けさせてもらうだけで大変だったぞ。入学を認めてくれた学長のためにも頑張ろうと思っていた。今思えば、凄く肩に力が入っていたような気がする」

 二人の会話に口を挟まず聞いていたミホは、昼を食べる間もなく汽車に乗ると聞いて、ショウタのためにたくさんのおにぎりを用意しておこうと思っていた。
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