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27.警告
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ミノルの夏休み最終日、ミホと二人で商店街へ買い物に来ていた。ショウタは病院勤務日なので一緒ではない。
「やっぱりショウタさんがいないと、あまり買い物できないな」
ミノルはため息をつきながらミホが手に持った荷物を見ていた。
荷物持ちとしては最高性能を誇る力持ちのショウタである。彼がいないと、ショウタの胃袋を満足させるほどの食材を持つのは大変であった。
それでも、ミホは御用聞きに頼まず、自分の目で確かめて食材を選ぶため市場に足を運んでいる。少しでも安くていいものをショウタに食べて貰いたいとの思いで頑張っているのだ。
「お嬢さん、鬼の生態についてお話を聞いていただけませんか?」
後ろから突然声をかけられミホが振り向くと、セイスケと同年輩の男性が立っていた。
「そう言うの、結構ですから」
少しきつめにミホが断る。
この周辺ではミホは借金のために鬼に売られ愛人になっていると噂されていた。噂を流しているのはミホが勤めていた風呂屋の女将である。ミホを追い出したと客に非難されたくないので、ミホは極道に連れて行かれて鬼に売り飛ばされたと説明していた。
『鬼は乱暴だから気をつけろ。怒らせては駄目だかなら』
『鬼なんかに売られて可哀想に。壊されないよう気をつけてね』
親切ごかしにそう助言してくる者がいる。ショウタを貶められたような気がして、その度ミホは反論するがただの強がりだと思われていた。
『借金の金額はいくらなんだ。その金を払ってやるから私の妾にならないか? 鬼の愛人よりはましだろう?』
中にはそう言ってくる老齢の男性もいた。なぜ優しくて強くて格好良いショウタと張り合えると思ったのか、ミホは呆れて物が言えない。
ミホに声をかけた男性もそのような目的かもしれないと思うと、思わずきつめの声が出てしまうミホだった。
「少しだけでいいのです。駅前のできたばかりのパーラーにでも行きませんか? 美味しいアイスクリームを食べることができるのですよ」
男性は諦めずにミホを誘う。
「私はショウタさんと愛し合っていますから婚約したのです。私は買われたわけではありません」
往来で愛し合っている発言はさすがに恥ずかしいが、ショウタの名誉は守らなければならないとミホは言い放つ。これで男は諦めるだろうと思った。
「知っていますよ。鬼はただ一人の女性を愛し抜く生き物ですから。愛人など絶対に持たないでしょう。だからこそ、聞いて欲しいことがあるのです。貴女とショウタさんのためですから」
男性の目はとても真摯で、ミホは思わず頷いていた。
「ミホ姉ちゃんに変なことを言うなよ」
ミノルも男を警戒していたが、美味しいアイスクリームに負けて、真新しいパーラーに行く事になった。
帝都の有名な店を真似てできた駅前のパーラーは、値段がかなり高いこともあって、客は富裕層の妻らしい高級な着物を着た女性の三人連れだけだった。
四人がけのテーブルに案内されたミホは、アイスクリームの値段が五十センと知り、男についてきたことを後悔していた。ミノルの分と合わせて一エン。ミノルの学費を貯めておきたいミホにとって、かなりの出費である。
「アイスクリームを三つ頼む」
男はミホの逡巡を無視してさっさと注文してしまう。
ミホはため息をつくが、
「ここのアイスクリーム、美味しかったら、今度ショウタさんと一緒に来ような」
無邪気に喜んでいるミノルを見て、せっかくなので自分も味わおうと思っていた。
「随分と前のことなのだが、この地方の山中に研究施設があって、鬼が囚われていた」
注文を聞いて店員が離れていくと、男は話し始めた。
「なぜ、そんな山の中に作ったの?」
ミホは男の話の意図がわからず黙っていたが、ノルは疑問を口にする。
「あまり人の多いところでは彼の能力の精度が落ちてしまうことがわかったので、静かな山中に研究所を作った。それにな、鬼を拘束し続けて人を憎むようになれば、人を傷つけてしまうかもしれないと上層部は考えて、彼が逃げ出した時、被害を最小に抑えるために人のいない場所を選んだ」
「鬼は人を傷つけたりしない! 僕が住んでいたいた町の鬼も。ショウタさんだって」
両親に放置されていたミノルを度々助けていた鬼の妻は、鬼は強さと共に優しさを持って産まれてくると言っていた。ミノルはその言葉を信じている。
「そうだ。鬼は人を傷つけることを非常に恐れる。凄まじい力を持ちながら人と共存するためにそのような性質を獲得したのだろう。普通の状態の鬼が人を傷つけることはない。それは確かだ」
アイスクリームが運ばれてきたので、男は言葉を切った。
ミホは未だに男の意図を計りかねていた。
「鬼が理性を手放した時、甚大な被害が出る。その研究施設では二十人以上の者が鬼に殺された。彼らは銃を持っていたのにも拘らずね」
男はゆっくりと顔を上げてミホを見つめた。
「だから? その鬼が人を殺したからって、ショウタさんも人を殺すと言いたいのですか? 人殺しをする人もいるけれど、全ての人が人殺しなわけではありませんでしょう?」
懸命に命を助けようとしている優しいショウタのことを、鬼だからというだけで人殺しのように言われてミホは我慢できない。
「鬼は自分が傷つけられても理性を保つ。薬物にも耐えてみせる。しかし、愛する者を傷つけられた時、鬼は理性を失ってしまううんだ。そして、本能のまま破壊活動をしてしまう。ショウタさんだって同じだ。研究所の鬼は妻を殺されて壊れてしまった」
男はとても辛そうだとミホは思った。
「私を脅して、結婚を止めさせたいのですか?」
男の考えを知りたいと思い、ミホはそう訊いてみる。
「いいや、貴女に自分の身を大切にして欲しいと伝えたかっただけです。貴女が傷つけられるとショウタさんが壊れてしまう。そうなると、ショウタさんが直接殺す人に加えて、ショウタさんが医者として救ったであろう命も失われることになる。だから、貴女には危険な目に遭わないように気をつけて生活してほしいのです」
男があまりに真剣なので、ミホは馬鹿なことだと捨て置くことができなかった。
「大丈夫だって。ミホ姉ちゃんは結構強いし、僕だって守るよ。ショウタさんを人殺しになんてさせない。なっ、ミホ姉ちゃん」
ミノルは鬼の性質について鬼の妻から教えられていた。
「そうですね。これまで以上に慎重に生活して、自分の身を守るようにします。ショウタさんのために」
そうミホが言うと、男は嬉しそうに笑った。
「それと、鬼は嫉妬で息子を殺すなんて馬鹿な噂を信じていはいけませんよ。鬼ほど子どもを大切にする生き物はいませんからね」
「そんな馬鹿な噂は聞いたことがありません。聞いていても絶対に信じませんけれど」
ショウタが子どもを嫉妬で殺すなんて、想像するほうが難しいとミホは思う。
それを聞いて男は安心したように立ち上がる。
店員を呼んで料金を支払おうとするので、ミホは慌てて財布を取り出した。ショウタから預かっている食費ではなく、自分のお金を入れている方である。
「私が誘ったのですから、この料金ぐらいは支払わせてください」
男が財布から壱エン札を出そうとしたミホを止めた。
「でも、おごっていただく理由がありませんから」
今日初めて会った見知らぬ男である。ミホにはおごられる理由はない。
「婚約祝いとでも思ってください。ショウタさんと幸せになってくださいね」
そう言ってさっさと男は精算を済ませてしまった。
「あの、研究所の鬼さんって、もしかしたらショウタさんのお父さんではないですか?」
ショウタは記憶を失った状態で山奥の温泉のところに捨てられていて、親を探したが見つけることができなかったと、ミホはセイスケから聞いていた。
ミホがそう訊くと男は曖昧に笑う。
「知らない方が幸せなことがありますからね」
男はそう言ってパーラーを出ていった。
ミホは少し溶けているアイスクリームを食べ始める。ミノルは既に完食していた。
「やっぱりショウタさんがいないと、あまり買い物できないな」
ミノルはため息をつきながらミホが手に持った荷物を見ていた。
荷物持ちとしては最高性能を誇る力持ちのショウタである。彼がいないと、ショウタの胃袋を満足させるほどの食材を持つのは大変であった。
それでも、ミホは御用聞きに頼まず、自分の目で確かめて食材を選ぶため市場に足を運んでいる。少しでも安くていいものをショウタに食べて貰いたいとの思いで頑張っているのだ。
「お嬢さん、鬼の生態についてお話を聞いていただけませんか?」
後ろから突然声をかけられミホが振り向くと、セイスケと同年輩の男性が立っていた。
「そう言うの、結構ですから」
少しきつめにミホが断る。
この周辺ではミホは借金のために鬼に売られ愛人になっていると噂されていた。噂を流しているのはミホが勤めていた風呂屋の女将である。ミホを追い出したと客に非難されたくないので、ミホは極道に連れて行かれて鬼に売り飛ばされたと説明していた。
『鬼は乱暴だから気をつけろ。怒らせては駄目だかなら』
『鬼なんかに売られて可哀想に。壊されないよう気をつけてね』
親切ごかしにそう助言してくる者がいる。ショウタを貶められたような気がして、その度ミホは反論するがただの強がりだと思われていた。
『借金の金額はいくらなんだ。その金を払ってやるから私の妾にならないか? 鬼の愛人よりはましだろう?』
中にはそう言ってくる老齢の男性もいた。なぜ優しくて強くて格好良いショウタと張り合えると思ったのか、ミホは呆れて物が言えない。
ミホに声をかけた男性もそのような目的かもしれないと思うと、思わずきつめの声が出てしまうミホだった。
「少しだけでいいのです。駅前のできたばかりのパーラーにでも行きませんか? 美味しいアイスクリームを食べることができるのですよ」
男性は諦めずにミホを誘う。
「私はショウタさんと愛し合っていますから婚約したのです。私は買われたわけではありません」
往来で愛し合っている発言はさすがに恥ずかしいが、ショウタの名誉は守らなければならないとミホは言い放つ。これで男は諦めるだろうと思った。
「知っていますよ。鬼はただ一人の女性を愛し抜く生き物ですから。愛人など絶対に持たないでしょう。だからこそ、聞いて欲しいことがあるのです。貴女とショウタさんのためですから」
男性の目はとても真摯で、ミホは思わず頷いていた。
「ミホ姉ちゃんに変なことを言うなよ」
ミノルも男を警戒していたが、美味しいアイスクリームに負けて、真新しいパーラーに行く事になった。
帝都の有名な店を真似てできた駅前のパーラーは、値段がかなり高いこともあって、客は富裕層の妻らしい高級な着物を着た女性の三人連れだけだった。
四人がけのテーブルに案内されたミホは、アイスクリームの値段が五十センと知り、男についてきたことを後悔していた。ミノルの分と合わせて一エン。ミノルの学費を貯めておきたいミホにとって、かなりの出費である。
「アイスクリームを三つ頼む」
男はミホの逡巡を無視してさっさと注文してしまう。
ミホはため息をつくが、
「ここのアイスクリーム、美味しかったら、今度ショウタさんと一緒に来ような」
無邪気に喜んでいるミノルを見て、せっかくなので自分も味わおうと思っていた。
「随分と前のことなのだが、この地方の山中に研究施設があって、鬼が囚われていた」
注文を聞いて店員が離れていくと、男は話し始めた。
「なぜ、そんな山の中に作ったの?」
ミホは男の話の意図がわからず黙っていたが、ノルは疑問を口にする。
「あまり人の多いところでは彼の能力の精度が落ちてしまうことがわかったので、静かな山中に研究所を作った。それにな、鬼を拘束し続けて人を憎むようになれば、人を傷つけてしまうかもしれないと上層部は考えて、彼が逃げ出した時、被害を最小に抑えるために人のいない場所を選んだ」
「鬼は人を傷つけたりしない! 僕が住んでいたいた町の鬼も。ショウタさんだって」
両親に放置されていたミノルを度々助けていた鬼の妻は、鬼は強さと共に優しさを持って産まれてくると言っていた。ミノルはその言葉を信じている。
「そうだ。鬼は人を傷つけることを非常に恐れる。凄まじい力を持ちながら人と共存するためにそのような性質を獲得したのだろう。普通の状態の鬼が人を傷つけることはない。それは確かだ」
アイスクリームが運ばれてきたので、男は言葉を切った。
ミホは未だに男の意図を計りかねていた。
「鬼が理性を手放した時、甚大な被害が出る。その研究施設では二十人以上の者が鬼に殺された。彼らは銃を持っていたのにも拘らずね」
男はゆっくりと顔を上げてミホを見つめた。
「だから? その鬼が人を殺したからって、ショウタさんも人を殺すと言いたいのですか? 人殺しをする人もいるけれど、全ての人が人殺しなわけではありませんでしょう?」
懸命に命を助けようとしている優しいショウタのことを、鬼だからというだけで人殺しのように言われてミホは我慢できない。
「鬼は自分が傷つけられても理性を保つ。薬物にも耐えてみせる。しかし、愛する者を傷つけられた時、鬼は理性を失ってしまううんだ。そして、本能のまま破壊活動をしてしまう。ショウタさんだって同じだ。研究所の鬼は妻を殺されて壊れてしまった」
男はとても辛そうだとミホは思った。
「私を脅して、結婚を止めさせたいのですか?」
男の考えを知りたいと思い、ミホはそう訊いてみる。
「いいや、貴女に自分の身を大切にして欲しいと伝えたかっただけです。貴女が傷つけられるとショウタさんが壊れてしまう。そうなると、ショウタさんが直接殺す人に加えて、ショウタさんが医者として救ったであろう命も失われることになる。だから、貴女には危険な目に遭わないように気をつけて生活してほしいのです」
男があまりに真剣なので、ミホは馬鹿なことだと捨て置くことができなかった。
「大丈夫だって。ミホ姉ちゃんは結構強いし、僕だって守るよ。ショウタさんを人殺しになんてさせない。なっ、ミホ姉ちゃん」
ミノルは鬼の性質について鬼の妻から教えられていた。
「そうですね。これまで以上に慎重に生活して、自分の身を守るようにします。ショウタさんのために」
そうミホが言うと、男は嬉しそうに笑った。
「それと、鬼は嫉妬で息子を殺すなんて馬鹿な噂を信じていはいけませんよ。鬼ほど子どもを大切にする生き物はいませんからね」
「そんな馬鹿な噂は聞いたことがありません。聞いていても絶対に信じませんけれど」
ショウタが子どもを嫉妬で殺すなんて、想像するほうが難しいとミホは思う。
それを聞いて男は安心したように立ち上がる。
店員を呼んで料金を支払おうとするので、ミホは慌てて財布を取り出した。ショウタから預かっている食費ではなく、自分のお金を入れている方である。
「私が誘ったのですから、この料金ぐらいは支払わせてください」
男が財布から壱エン札を出そうとしたミホを止めた。
「でも、おごっていただく理由がありませんから」
今日初めて会った見知らぬ男である。ミホにはおごられる理由はない。
「婚約祝いとでも思ってください。ショウタさんと幸せになってくださいね」
そう言ってさっさと男は精算を済ませてしまった。
「あの、研究所の鬼さんって、もしかしたらショウタさんのお父さんではないですか?」
ショウタは記憶を失った状態で山奥の温泉のところに捨てられていて、親を探したが見つけることができなかったと、ミホはセイスケから聞いていた。
ミホがそう訊くと男は曖昧に笑う。
「知らない方が幸せなことがありますからね」
男はそう言ってパーラーを出ていった。
ミホは少し溶けているアイスクリームを食べ始める。ミノルは既に完食していた。
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