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30.ケイト帝国大学

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 ケイト帝国大学付属病院の特別室に、セイスケの妹シミズフミが入院していた。その部屋には長兄のイチノスケ、フミの夫のシミズカズマ、そして、主治医のクボタが顔を揃えている。

「明日の朝にセイスケとその養子がやって来る。あの養子は医師として凄まじい能力を持っているんだ。あいつならばフミの病気を治せるかもしれない。診察を受けてみろ」
 イチノスケはフミに反論を許さないとでもいうような命令口調でそう言った。
「セイスケ兄さんの養子って、あの鬼でしょう? 鬼に体を診てもらうなんて嫌よ!」 
 それでも、腹部の痛みをこらえながらフミは異を唱えた。

「フミは死にたいのか?」
 イチノスケは苛立ちながらフミを見た。下痢と便秘を繰り返し、下血が止まらない。最近は食欲もなくフミは随分とやつれてしまっている。 
「そんなことないわよ。でも、鬼なんかに私の病気が治せるもんですか! 鬼が医者になるなんて、何かの間違いだわ」
 フミは生きたいと強く願っていた。長女が妊娠中で、三ヶ月もすれば孫が産まれる予定である。長男の結婚も控えてた。初孫を腕に抱きたいし、結婚式にも出席したい。だからこそ、粗野な鬼の診療など受けたくないとフミは思う。


「鬼のショウタは私の教え子なんですよ。彼がこの大学を受験すると決まった時、貴女のように鬼を医者にすべきでないと考える者も多く、かなりもめました。絶対に入学を認めてはならないと強固に主張する先生もいました。結局、学長は彼の成績に関しては全て八掛けにすることで皆を納得させたのです。普通なら六十点をとれば可のところを、彼は七十五点以上とらなくてはならない。それでも、ショウタは全ての単位を取得して医師試験に合格してみせた。彼はおだやかで優しく、そして、とても努力家だ。私は彼の師であることを誇りに思っています」
 クボタは数年前のことを思い出していた。確かにショウタは異形の鬼であるが、優秀な医師であることに間違いはないと自信を持って言えるクボタだった。


「でも……、私はあの子に酷いことを言ったのよ。今更頭を下げるなんて嫌」
 言葉もろくに喋ることができない、真っ黄色の髪に角の生えた鬼の子をセイスケから養子にすると言われて、血に誇りを持っていたフミは鬼などを一族に迎え入れることは我慢できないと思った。

 反論もできない小さな子どもに、鬼であることを口汚く罵った。
 行く宛もない鬼の子に出ていけと頬をぶった。
 今更命乞いなどできないとフミは思う。

「フミ、僕は君に生きていて欲しい。実家から遠く離れたケイトまで嫁に来てくれて本当に感謝している。古い家のしきたりに苦労させたと思う。だから、これからもっと楽しいことを経験して欲しい。そのお医者様には、僕がいくらでも頭を下げるから、だから、診てもらおう」
 フミの夫のカズマは、そっとフミに手を握り、穏やかにそう言った。

「わかった。あの鬼に頭を下げたらいいんでしょう」
 フミは唇を噛んでそう言った。



 翌日の日曜日の朝、セイスケとショウタはフミとミノルもケイト帝国大学へ連れて行くことにした。
「大学の近くにとっても美味い豆大福を売っている店があって、人気があるので午前中に売り切れてしまうんだ。そこへ寄っていってもいいかな?」
 校門近くでタクシーを降り、付属病院の方へ行こうとしたセイスケをショウタが止めた。甘い物好きのショウタは、遅くまで勉強していて疲れた時、朝の講義の前に豆大福を買いに走っていた。いつでも行列ができている人気店だ。

「僕も食ってみたい」
 ミノルは目を輝かせた。
「ちょっと興味があるわね」
 朝食を食べたばかりだけれど、一つぐらいは食べてみたとミホも思った。


 予想通り、店の前には行列ができていた。しばらく待ってようやくショウタの順番が来る。
「三十個ください」
「そんなに買うんですか?」
 ショウタが頼んだ豆大福の数に驚くミホ。
「恩師が好きだから」
 そう言って嬉しそうにショウタは豆大福を受け取とった。


 ケイト帝国大学の敷地は広大である。校門を入った途端、ミノルは目をキラキラさせて辺りを見回していた。
「あっちの方に付属博物館がある。ミノルなら絶対に楽しめると思うんだ。昼までそこにいてくれるかな。昼になったら迎えに行くから、学食で一緒に昼を食おうな。安くて量も多いから満足するぞ」
 ショウタが指差した方には大きくて美しい建物があった。
「ショウタさんは?」
 ショウタは一緒でないのかと不思議に思い、ミノルはショウタを見上げた。
 
「私の妹が病気なので、ショウタと一緒に病院の方に行ってくる。もしかしたらショウタに手術を頼むかもしれない。そうなれば、午後は二人で観光しておいてくれ。済まないな。明日はショウタを解放できるようにするから」
 セイスケがミホとミノルに頭を下げた。ショウタのために来てもらった二人だが、ショウタにフミの手術を頼むことになると、放っておくことになってしまうので、セイスケは心苦しく思う。

「ケイトには疫病消滅の神様がいる大きな神社があるんだって。尋常小学校で習ったよ。僕、そこでセイスケ先生の妹さんの病気が治るように祈ってくる。ねっ、ミホ姉ちゃん」
 ミノルは博識のセイスケのことをとても尊敬している。そのセイスケの妹が病気だと聞いて、自分も何かしたいとミノルは思った。
「もちろんよ。一緒に行ってみましょう」
 ミホもセイスケの妹の病気が良くなることを願った。

「二人ともありがとうな」
 フミがショウタに何を言ったか知れば、ミノルとミホはフミの病気が治ればいいと思ってくれないだろうなと考えながら、再びセイスケが頭を下げた。


 手を振って付属博物館の方へと歩いていくミノルとミホを見送って、ショウタとセイスケも付属病院の方へ向かった。
「ショウタ。本当に済まない」
 過去のフミの言動を知っていながらここへ連れて来たことを、セイスケはショウタに謝った。母とフミの行いはセイスケも許せないと思う。それでも、妹への情は捨てきれない。
「絶対に認めてくれないだろうけれど、お義父さんの妹なら、俺にとっては叔母さんだから。見舞うのは当然です。たとえ本人から診療を拒否されても、お義父さんが治療を望むなら、俺は全力を尽くしますから」 
「望まぬ者を治療する必要はないと教えたはずだが」
 それだけは譲れないとセイスケは思う。
「今回だけは教えを破ります。だから、俺の力を頼ってください」
 ショウタは頭を下げた。恩人であるセイスケに少しでも恩を返す機会を逃したくはない。

「私はショウタを息子にすることができて本当に良かったと思う。鬼であるとか、凄い能力を持っているとかは関係ない。もちろん、君の凄い力や努力は誇らしく思うが、それは、親は子が優秀であることを誇るのは当然だからだ」
 ショウタはセイスケに命を救われたと思っているが、セイスケもまた、ショウタに救われたのだった。 
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