上 下
85 / 117
第二章

28話

しおりを挟む
 視界に広がったのは知らない部屋。でもこれはこの世界のものじゃない。前世の私がいた世界と同じ世界にあったものなのだろう。でも、この部屋が自分のいた場所ではないこと、ましてや、部屋の隅で蹲っているこの人が自分ではないことは分かる。彼女から感じ取れる感情はひたすらに救われることのない孤独だった。寂しいという言葉も忘れてしまったような、涙すらも枯れてしまったような絶望的なまでの孤独だった。俯いたままの彼女をじっと見つめていると不意に彼女が顔を上げた。視線が合いそうになった瞬間に意識が浮上する。その途中で思った。これは夢なのか、それとも……。




 ハッとして目が覚めた。ここは、どこだろう。辺りは真っ暗で何も見えない。ただ、窮屈な感覚から自分が椅子に座らされて手足を縛られていることは容易に分かった。そしてようやく暗闇に目が慣れてきた頃、コツコツと響く靴の音が自分の方に近づいてきていることがわかった。

「……オルコックさん?」

「もう目が覚めたか」

 いつもの彼女とは違う低いトーンの声が聞こえてくる。次第に見えてきたその瞳に光はなかった。もしかしてこれが……「澱み」?だとしたら、彼女の名前を呼ぶのは間違っているのかもしれない。

「……あなたを、なんとお呼びすればよろしいかしら?」

「好きにしろ。お前に何と呼ばれても私はどうも思わない」

 その口調は男性のそれだ。表情はよく見えないけれど、ひしひしと伝わってくるのは嫌悪感。それはひどく居心地が悪かった。

「貴方が望むのは何?私を殺したいのではないの?」

 単刀直入に言うと彼はその瞳を歪ませた。

「最終的には殺してやる。だがな、私はお前みたいな奴が嫌いなんだ。気持ちが悪い。だからお前に少しくらい傷をつけないと私の気が済まないんだよ」

「私を傷つけるってどうやって?」

「さあな、それをお前が知っては意味がないじゃないか」

 やはり一筋縄ではいかないらしい。でもきっと傷つけるというのは物理的ではないのだろう。だとしたら少し心構えをしておかないと。耐えられた分だけ、きっと時間稼ぎができる。あの時もそうだった。5年前に攫われた時だって、時間を稼いでギリギリのところで助けに来ていただいたのだ。今は信じるしかない。そしてできるならば自分でも突破口を探そう。






「……お前に、昔話をしてやろう」

「昔話……?」

 少し間を開けて呟かれた言葉に、私は訝しみながらも拒否をすることは状況からしてできなかった。すると彼はゆっくりと口を開く。

「孤独のまま、愛に飢えた人間がある日死んだ。そして、その人間は奇跡的に自分が愛されることを確約された世界に生まれ変わった。どうだ、こんなことをされたら、その世界に縋らずにはいられないだろう?」

 行く先なくふらふらと辺りを歩き回りながら彼が言う。問うような口調でありながらもこちらの返事を求めていないことがわかるので私は黙って聞いた。少し心の奥がざわつくのを感じながら。

「だからその人間は懸命に生きた。例え絶望することがあっても、幸せになれることだけは確約されているのだから。なのに……」

 彼がこちらに近づいてくるのが分かる。そしてふっと笑って目の前にやってくると、するりと私の顎に手を添えた。

「壊されたんだよ、その確約も。死んでいるはずの人間にな」

 紡がれていく言葉に私は大きく目を見開いた。その瞬間、暗闇のような瞳にじっと見つめられて私は体が固まったように身動きが取れなくなる。彼はその反応を楽しむようにしてから払うように顎から手を離した。

「なあどう思う?可哀想な可哀想なリリー・オルコックを。お前に全てを狂わされた哀れな少女を。突き落としたお前はどう思う?」

 それはまるで耳に流し込む毒のようだった。私の感情が叫び出しそうになるのを知っていて煽るように声音を操っている。

 今彼の口から出てきた言葉は全てあまりにも残酷だ。今まで知らなかった事実が大きな衝撃を与えながらも、その核は残酷さで染まっていた。私がここにいることが悪いことだと、あの日捨てた考えをもう一度呼び戻してしまいそうになるくらいには。だから私は目を閉じる。瞼の裏に、あの日私を救ってくれたラナの笑顔を、そして背中を押してくれた言葉と共に見えたルーク様の背中を、頭の中にはもらったたくさんの言葉たちを、何度も何度も再生した。この毒に負けてはいけない。耐えろ、もらった優しさと勇気で。証明しろ、私がここにいるのは何一つ悪いことではないのだと。飲まれては、いけない。震える唇を一度強く噛んで息を吸い、口を開く。

「私が、生きていたことで、オルコックさんを傷つけていたことは否定しません。彼女が受けた傷自体は、変えようのないものだから。でも、ここはシナリオ通りの世界ではない。みんな生きているのだから。だから、私が生きていることは悪ではない。彼女が今苦しんでいるのならば私は彼女の手を取りましょう。彼女の幸せを共に探しましょう。それは生きている人間にしかできないことだから。私はそれを懸命に行使して、彼女に孤独を忘れさせてみせるわ」

 自分自身に湧き上がりそうな感情に言い聞かせるように、そして今聞こえているのか分からない彼女に誓うように、ゆっくりと言葉を吐いた。途中、何の感情からか分からない涙が頰を伝った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

仲良しな天然双子は、王族に転生しても仲良しで最強です♪

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:887pt お気に入り:305

大好きなお姉さまは悪役令嬢!?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:97

貴方は好きになさればよろしいのです。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:951pt お気に入り:2,832

腹黒上司が実は激甘だった件について。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:859pt お気に入り:139

処理中です...