花倉の乱 ~今川義元はいかにして、四男であり、出家させられた身から、海道一の弓取りに至ったか~
【あらすじ】
今川義元は、駿河守護・今川氏親の四男として生まれ、幼くして仏門に入れられていた。
しかし、十代後半となった義元に転機が訪れる。
天文5年(1536年)3月17日、長兄と次兄が同日に亡くなってしまったのだ。
かくして、義元は、兄弟のうち残された三兄・玄広恵探と、今川家の家督をめぐって争うことになった。
――これは、海道一の弓取り、今川義元の国盗り物語である。
【表紙画像】
Utagawa Kuniyoshi, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
今川義元は、駿河守護・今川氏親の四男として生まれ、幼くして仏門に入れられていた。
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