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河西の離宮

食事の行方②

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 長生殿にある姫君の居室まで戻った白狼と周は、銀月の卓に拝借した財布を出した。

「これは、なんですの……」

 翠明という古参の侍女頭に髪を結わせていた銀月の目が、財布を前に細められた。姫君の装いの上、既に化粧まで済ませているので口調も姫君を装っている。やや声が低いところを除けばどこからどう見ても可憐な少女の姿ではあるがその眼光はやはり鋭い。

「朝市で拝借したやつと、同じ織物じゃねえかな、これ」
「確かにそう、ですわ。これをどこで?」
「ついさっき、厨房近くでちょいとな」

 指先をくいっとやって見せると、銀月はなるほどとまた財布に目を落とす。なぜスったかは問われない。傍らの周はなんだか申し訳なさそうだが、白狼は気にしないことにして続けた。

「持ち主の顔もばっちり見た。こないだも妙に甲高い声だと思ったんだよ、あいつで間違いない」
「宦官、ですわね。周?」
「光禄寺録事の陳該殿でした。三年ほど前に帝都から河西に赴任になったとは聞いておりましたが、しかし……」

 なにか言い淀む周は卓上の財布を見てまた首を傾げた。

「どうしたんだよ、おっさん」
「おっさんと呼ぶなと言ったろう」
「周、お続けなさい」
「は……。陳殿は確かにこちらの離宮に属する膳部の役人ではありますが、こんな上等な織物の財布を持てるほどの地位ではないのです。従九品の身ですし、その……大それたことをするような野心も無いような俗物で」
「頭悪そうだったもんな、あのおっさん」
「う……」

 別に自分のことを貶められたのではないはずなのに、なぜか周が呻く。

「周、そなたのお知り合い?」

 不審に思ったのだろう、銀月が問えば周は小さく頷いた。

「この世界に入りたての若い頃、少し世話になりました」

 その相手を俗物と言うのは、まあ確かにいささか心苦しいのは理解できる。しかし周がそういうのであれば大した人物ではないのだろう。もちろん白狼は間違いなくあの男だと確信していた。

「市にはもう一人一緒に来てたんだ。けどそっちの方が立場は下っぽかった。財布を持ってたやつは見つけたんだし、捕まえていろいろ吐かせればいいんじゃねえの?」
「もう一人?」
「食材の目利きをしてる風で、行商とも顔見知りとかなんとか。そいつがどこにいるかも、陳とかいうやつを締めれば分かるだろ?」

 体格上、荒事は避けたい白狼だが今回は周という腕っぷしの強い護衛もいることだし、なんだったら白狼が財布をチラつかせて追い詰めたっていい。
 なんで八角、いやシキミという毒を持っていたのか、実際に離宮の膳に混ぜたのかどうかなど、ああいった弱い者いじめが好きそうな奴は意外と自分がやられることを想定していないからちょっと脅せばすぐ喋るに違いない。
 そう踏んだ白狼であったが、銀月の思惑は違ったらしい。人差し指を唇にすっと押し当て声を潜めた。

「従九品ほどの下級な役人であれば、実行犯かどうかも怪しいな。シキミの流通経路についても、一昨日の毒見女官が死んだ件でも、捕らえて糾弾したところで事を企んだ奴のところまではたどり着かぬだろう」
「え?」
「御意。おそらく、捨て駒でしょう。いくらで買われたのか、あるいは何も知らずに片棒を担がされたか……。地方の一役人ならば切り捨てるのは造作もないことかと」

 だろうな、と銀月は頷いた。

「しばらく泳がせるか」

 結い上げられた髪に、翠明によっていくつか簪をさされた銀月が呟いた。呟きに合わせて白い真珠がゆらゆら揺れる。儚い、病弱な姫君の完成というわけだ。扇で顔を隠せば、これを誰が少年だと思うだろう。
 しかしそんな外見とは裏腹に銀月は厳しい声で周へ命令した。

「白狼のもう一人いたという情報も気になります。今日の朝餉以降、その陳を見張っておきなさい。陳に接触する者がいたらすぐに知らせるよう」
「御意」

 拱手した周は見張りに行くのだろう、早速退室していったが白狼は納得ができなかった。目の前に犯人につながると思しき人物がうろうろしているのである。とっ捕まえたほうが早い。

「そんなのまだるっこしいだろう、あいつに吐かせた方が早いって」

 卓越しに銀月へ食って掛かる。銀月の後ろに控えていた翠明が、ぎょっとしたように目を見開いた。
 しかし銀月は気にした様子もない。ちょっとあたりを見回して人の気配がないことを確認すると、卓を挟んで白狼に向かい合った。

「この財布とシキミ見せつけてさ、なんだったらちょっと痛い目みればああいうやつはすぐ喋るに決まってる」
「白狼や。そなた、悪事を働くときに自分が罪に問われないようにするにはどうするとお思い?」
「え?」
「人を使うんだよ」

 にやりと口元だけで銀月が笑う。

「身の丈に合わない財布の件も含め単独犯とは考えにくい。たとえ上位の者が絡んでいたとして、陳が喋ったとしても知っている情報などごくわずかだろうし、そんなものはすぐ切り捨てられて黒幕まではたどり着かん。何も知らされていない可能性だってある。少しでも情報を集めるほうが先だ」
「でもよぉ」
「シキミ自体も禁制品だ。どういった経路で国内に流通しているのかも知りたい。離宮内には間違って持ち込まれたのかもはっきり分からないうちは下手に動かぬ方が良い。まあ、おそらく私を殺すつもりなのであろうがな」

 ぐぬぬと白狼は唸った。銀月のいうことはいかにも尤もである。
 卓に手をつき銀月を睨んでいた白狼に、翠明が大きなため息を吐いた。そしておもむろに自身の扇子を畳むと、卓に付いたままの白狼の手の甲をぴしゃりと打った。

「うわっ!」

 驚いて仰け反れば、呆れた表情の翠明と目が合う。食って掛かろうとした白狼だったが、年嵩の侍女頭の表情が母親のそれに似ていて怯んだ。

「姫様にむかって、全くなんという無礼な口の利き方を……」

 呆れたような翠明に、銀月は良いといって小さく首を振る。昨晩の秘密の会話を経てから、銀月自ら免礼とするとお墨付きをもらっているのだ。侍女頭ごときにとやかく言われることではない――と思っていたのもつかの間だった。

「白狼にそういったものを強制するつもりはない。付け焼き刃で下手に上手くやろうとしてもきっと口が回らず失敗するだろうからな。人前でむやみに話すなよ?」
「ですが、これでは帝都に連れ帰った時が心配ですわ。人目がここの比ではありません」
「そこらへんの教育はおいおいやっていこう。翠明に任せる。そなたなら、問題なかろう」
「御意」
「……へ?」

 二人のやり取りの意味が分からず、白狼は二人の間できょろきょろするしかできなかった。

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