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5、ヒロインが瞳に浮かべていいのはハートだけ
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「なんと、まちまち荘に吹雪先生が帰っていらっしゃったんですか。それはぜひ取材をさせていただかねば」
翌日、食料品の買い出しに出かけたわたしは、商店街で友人の椿に出会った。
「まちまち荘じゃなくて、宵待荘ね。それから吹雪じゃなくて、伊吹」
「細かいことなどいいのです。ロマンスをこの目で見られるのですから」
あー、参ったなぁ。
わたしは空を見上げた。
なんでわたしの愛情は、周囲の人間すべてに筒抜けなんですかね。
たしかにババ抜きでも、勝ったためしがありませんけどね。
「ロマンスって、いつの言葉よ。椿」
「古びたまちまち荘で再会した二人。しばらく会わない間に、大人になった沙雪に戸惑う吹雪先生。少女から大人へ……ドキドキですね」
椿は人通りの多い商店街で、くるくると回った。
さらさらのボブカットは揺れているのに、夏場に不似合いな赤のベレー帽はびくともしない。
なんでもマンガ家になるための、願掛けの帽子なんだって。わたしにはよく分からないけど。神聖なものらしいよ。
回るのに飽きたらしい椿は、うっとりと目を輝かせている。
きっと妄想の世界に入ってるんだよ。そっとしとこうね。
「あ、キュウリが安い。一袋に三本入って九十八円かぁ。うーん、ばら売りだと一本で三十五円だから、三本で百五円。差額は七円ね。だけどばら売りのほうが、鮮度がいいかも」
八百屋に駆け寄ったわたしは、頭の中の算盤を弾く。こういう時って『ご破算で、ねがいましてはー』って声が聞こえる気がするの。
「相変わらず、計算が速いですね」
いつの間にか、椿がわたしの肩ごしにのぞき込んでいた。
「もう妄想はいいの?」
「妄想、ノー! 想像と言ってください。プロットを考えていたんです」
「はいはい」
「沙雪、主婦みたいな行動は、少女マンガの主人公としては失格ですよ。やはり吹雪先生のことを考えて、甘くて苦しい気持ちになるには、手にはキュウリではなくマカロンを持っていただきたいです」
「マカロン限定なの? わたし、揚げパンがいいな。油たっぷりで、砂糖もたっぷりの」
「揚げパン、ノー!」
またダメ出しされてしまった。
「じゃあ、せめてスコーンくらいで手を打ちましょう」
お、それいいね。
さっくりと割ったスコーンに、たっぷりのクロテッドクリームと、ジャムをぬって。
考えてきただけで、お腹が鳴りそう。
「秋になったら、カフェで出していいかも」
今は小麦粉がちょっとお高くて、バターもお高い。でもここは材料をケチっちゃだめなのよね。
宵待カフェは、ゆったりとした時間を過ごしてもらう場所なんだから。
「沙雪。目の中に¥のマークが見えています」
「え、そう?」
「ダメですよ。ヒロインが瞳に浮かべていいのは、ハートだけです」
椿、恋愛マンガにしか興味ないのかな。
ふと思いついたわたしは、尋ねてみた。
「この花の湿原町って、あやかしが出るんだって?」
「そう言いますね。私はオカルトは詳しくないので、よく知りませんが。ただ湖や湿原に引きずり込む妖怪の話は子どもの頃に、よく聞かされましたね。木道を歩く時は気を付けろって教訓も兼ねていると思いますが」
「なぁんだ。教訓か」
それなら怖くないわ。
これから塾だという椿とは、すぐに別れた。マンガ家になるには知識が必要。そのためには勉強は必須なんだって。
椿はいつか本当に夢を叶えるかも。
「ただなぁ、絵柄がすんごく古くさいのよね。たぶん参考にしているマンガが、何十年も前のなんだろうな」
歩きながら、ときどきくるりを回転する椿の背中を見送っていると。
いったい彼女の頭の中で、わたしと伊吹先生はどうなってるのかと心配しちゃうよ。
買い物を終えたわたしは、何度も立ち止まりながら家路についた。
ちょっと買いすぎたみたい。荷物は袋二つで。ビンに入った炭酸水や、牛乳もあるから重くって。
「沙雪、まだこんな所にいたのか。なかなか帰ってこないと思ったら」
低くて渋い声を聞くだけで、胸がとくん、と音を立てる。
椿、今ならわたしも目にハートが浮かんでるよ。きっと。
「ほら、荷物を貸してみろ。持ってやるから」
午後の陽射しが、逆光になって伊吹先生を照らしている。背後からの光に、なんかきらめいて見えるよ。
椿と会話してたから、わたしも少女マンガ風の恋愛モードになってるのかも。ときめきスイッチが、入っちゃった?
どこにあるのか、知らないけど。
翌日、食料品の買い出しに出かけたわたしは、商店街で友人の椿に出会った。
「まちまち荘じゃなくて、宵待荘ね。それから吹雪じゃなくて、伊吹」
「細かいことなどいいのです。ロマンスをこの目で見られるのですから」
あー、参ったなぁ。
わたしは空を見上げた。
なんでわたしの愛情は、周囲の人間すべてに筒抜けなんですかね。
たしかにババ抜きでも、勝ったためしがありませんけどね。
「ロマンスって、いつの言葉よ。椿」
「古びたまちまち荘で再会した二人。しばらく会わない間に、大人になった沙雪に戸惑う吹雪先生。少女から大人へ……ドキドキですね」
椿は人通りの多い商店街で、くるくると回った。
さらさらのボブカットは揺れているのに、夏場に不似合いな赤のベレー帽はびくともしない。
なんでもマンガ家になるための、願掛けの帽子なんだって。わたしにはよく分からないけど。神聖なものらしいよ。
回るのに飽きたらしい椿は、うっとりと目を輝かせている。
きっと妄想の世界に入ってるんだよ。そっとしとこうね。
「あ、キュウリが安い。一袋に三本入って九十八円かぁ。うーん、ばら売りだと一本で三十五円だから、三本で百五円。差額は七円ね。だけどばら売りのほうが、鮮度がいいかも」
八百屋に駆け寄ったわたしは、頭の中の算盤を弾く。こういう時って『ご破算で、ねがいましてはー』って声が聞こえる気がするの。
「相変わらず、計算が速いですね」
いつの間にか、椿がわたしの肩ごしにのぞき込んでいた。
「もう妄想はいいの?」
「妄想、ノー! 想像と言ってください。プロットを考えていたんです」
「はいはい」
「沙雪、主婦みたいな行動は、少女マンガの主人公としては失格ですよ。やはり吹雪先生のことを考えて、甘くて苦しい気持ちになるには、手にはキュウリではなくマカロンを持っていただきたいです」
「マカロン限定なの? わたし、揚げパンがいいな。油たっぷりで、砂糖もたっぷりの」
「揚げパン、ノー!」
またダメ出しされてしまった。
「じゃあ、せめてスコーンくらいで手を打ちましょう」
お、それいいね。
さっくりと割ったスコーンに、たっぷりのクロテッドクリームと、ジャムをぬって。
考えてきただけで、お腹が鳴りそう。
「秋になったら、カフェで出していいかも」
今は小麦粉がちょっとお高くて、バターもお高い。でもここは材料をケチっちゃだめなのよね。
宵待カフェは、ゆったりとした時間を過ごしてもらう場所なんだから。
「沙雪。目の中に¥のマークが見えています」
「え、そう?」
「ダメですよ。ヒロインが瞳に浮かべていいのは、ハートだけです」
椿、恋愛マンガにしか興味ないのかな。
ふと思いついたわたしは、尋ねてみた。
「この花の湿原町って、あやかしが出るんだって?」
「そう言いますね。私はオカルトは詳しくないので、よく知りませんが。ただ湖や湿原に引きずり込む妖怪の話は子どもの頃に、よく聞かされましたね。木道を歩く時は気を付けろって教訓も兼ねていると思いますが」
「なぁんだ。教訓か」
それなら怖くないわ。
これから塾だという椿とは、すぐに別れた。マンガ家になるには知識が必要。そのためには勉強は必須なんだって。
椿はいつか本当に夢を叶えるかも。
「ただなぁ、絵柄がすんごく古くさいのよね。たぶん参考にしているマンガが、何十年も前のなんだろうな」
歩きながら、ときどきくるりを回転する椿の背中を見送っていると。
いったい彼女の頭の中で、わたしと伊吹先生はどうなってるのかと心配しちゃうよ。
買い物を終えたわたしは、何度も立ち止まりながら家路についた。
ちょっと買いすぎたみたい。荷物は袋二つで。ビンに入った炭酸水や、牛乳もあるから重くって。
「沙雪、まだこんな所にいたのか。なかなか帰ってこないと思ったら」
低くて渋い声を聞くだけで、胸がとくん、と音を立てる。
椿、今ならわたしも目にハートが浮かんでるよ。きっと。
「ほら、荷物を貸してみろ。持ってやるから」
午後の陽射しが、逆光になって伊吹先生を照らしている。背後からの光に、なんかきらめいて見えるよ。
椿と会話してたから、わたしも少女マンガ風の恋愛モードになってるのかも。ときめきスイッチが、入っちゃった?
どこにあるのか、知らないけど。
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