『110号室の秒針 —父と僕の4年間—』

『110号室の秒針 —父と僕の4年間—』

110号室の窓は
午後になると
白すぎる光を部屋に流し込む

その光の中で
父は
止まった壁時計を見ない

代わりに
銀色の懐中時計を
掌にのせる

カリ
カリ
カリ

乾いた音が
部屋の四隅に跳ねる

僕はその音を
廊下の向こうで聞いている

エレベーターの扉が閉まる音よりも
契約書にサインするペンの音よりも
あのゼンマイの音のほうが
ずっと重い

四年

平均値という言葉が
僕のポケットの中で
冷たい

月額二十四万
五年でいくら
残債はいくら

数字は
正しい

正しすぎて
父の体温を削る

110号室は
四畳半

机と
ベッドと
小さなクローゼット

それだけ

かつて父の書斎にあった
八畳の本棚は
もうない

けれど

父の背筋だけは
まだ
曲がらない

「長い合宿だ」

そう言って
笑う

その笑いの奥で
秒針が
かすかに震える

カリ
カリ

あの日
僕は初めて
その時計に触れた

父の指より
少し強く回した

音が
深くなった

責任とは
重さではなく
音なのだと
そのとき知った

三年目の冬

窓の外で
木々が裸になる

父の声が
少しだけ
遠くなる

「健一」

僕の名を呼ぶ声が
風に混じる

110号室の空気は
消毒液の匂いと
夕暮れの影で
満ちている

僕は
数字を
もう数えない

代わりに
音を聞く

カリ
カリ
カリ

止まらない限り
父は
ここにいる

四年目の春

桜が咲く

花びらが
窓に触れ
静かに落ちる

父の胸は
浅く上下する

僕は
時計を握る

「鳴らすのは、生徒だ」

父はそう書いた

ならば
僕が鳴らす

カリ

指が震える

秒針が
ゆっくりと
前へ進む

父の時間が
僕の中へ流れ込む

四年は
長くなかった

短くもなかった

ただ

110号室の空気の中で
父と僕が
同じ音を聞いた
時間だった

カリ
カリ
カリ

秒針は
まだ
回っている

父の中で
ではなく

僕の中で


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