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二章 帰還
第15話 峠越え 2
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「だ、団長! 約束も取り付けずにいきなり乗り込むのはやめてください!」
領主の屋敷に着くや否や、乗り込もうとする私をミヘイユが止める。
「うっさいわね、もうあんたの団長じゃないって言ってるでしょ」
「赤銅じゃないなら余計にダメです!」
そんなやり取りをしていると、騒ぎを聞きつけたのか屋敷の戸が開く。
まあ、その前に馬車の到着を耳にしたらしい侍女がこちらを覗いていたのだけど。
「やあこれはこれは、ルシアじゃないか」
そう言って出てきたのはなんとジルコワル。あのエリン姉さまに言い寄る、いけ好かない聖戦士。兄はこいつの存在に苛ついていたけれど、私も嫌い。
「何であんたがここに居るのよ?」
「辺境の視察は私の重要なお役目だからね」
今は青鋼は王都に居るはず。動いたという話は聞いていない。
「あんた一人なの? 青鋼やエリン姉さまは?」
「ああ、そうだよ。エリンは王都だ。それよりも君こそ一人なのかね?」
こいつがエリン姉さまを呼び捨てにするのは以前から気に入らなかった。私のこともそうだけど。
「どういう意味かしら? 連れは居るけれど?」
「ああ、そうだったね。まあどうぞ、用があって来たのだろう? 少し遅いが夕食を取っていた所だ」
私とギードラは広間に通された。ミヘイユは一旦、宿舎に帰るという。
ミヘイユに礼を言い、ここで別れた。
広間には領主を含めて貴族が何人か、それからそのお供が居た。それからルハカ。彼女はもともと生まれは地方領主なのでそれほど地位は低くないはずなのに、もともと内向的なところがあり、慣れた赤銅ではともかく、こういう場では小さくなっていた。
「皆さん、席を外して失礼いたしました。ご紹介いたします。この地を守る赤銅の元団長であり女神の加護を頂いた魔術師でもある、ルシア・ルトレック様です」
おお――と、声を上げる貴族たち。私は軽く挨拶だけしてさっさとルハカの隣に席を用意してもらい腰を下ろす。座るなり私は小声でルハカに話しかける。
「どういうことよ? なんでこんなに貴族たちが集まってんの?」
「ルシア……ごめんね。一緒に行けなくて……」
ルハカは兄を探して城を飛び出した時のことを言っているのだろう。
「そっちはもういいから。質問に答えて」
「よくないよ。私もお兄さんのことは心配だったんだけど……」
「あんたにも事情があったんでしょ。それで?」
「あ、うん。新しい領地の有効活用とかで視察に……」
「それはいいけど、峠を放置して何やってんの? 領民が困ってたわよ」
「ロデンが団長に就いてから赤銅を自由に動かせなくて。今も貴族の護衛で……」
「貴族なんて放っておいても護衛が付くでしょ……まったく」
「ルシア、どうぞ冷めないうちに召し上がってくれたまえ」
ジルコワルが私たちに声を掛けてくる。
確かにお腹は空いていた。
テーブルには大きな肉の塊やパン、それから目の前にはスープが。
私は肉とパンを取り分けてもらう。
「あら、このスープおいしいわね」
その言葉に反応し、笑顔を向けてきたのはジルコワル。
「そうだろう。実は故郷の希少な香辛料が入って来ていてね。高価なのだがこの機会にぜひ皆さんに知ってもらおうと振舞ったのだよ。この辺りの小麦のスープやソースによく合うと思わないか?」
ジルコワルは小さな麻袋を取り出し、披露するように見せてくる。
どうしてか、その麻袋の口を縛る白い紐が美しく輝いて見えた。
麻袋の口を開けると、煌めく黄金のような種が。
そして確かに、清涼感のある香草か何かのような香りがする。それがややすればもったりとした印象の小麦粉のスープに軽やかさと華やかさを添え、別次元の料理に変えていた。
「なるほどね。あんたは嫌いだけどこのスープは悪くないわ」
「ルシアは相変わらず手厳しい」
ジルコワルが冗談めかして周囲に笑いかける。
こいつは兄と違って口が上手いので余計にイライラする。
姉さまはなんでこんな奴を傍に置いておくのか。
◇◇◇◇◇
「はぁ? ルハカを団長に戻せないってどういうことよ?」
夕食後、私は領主に文句をつけていた。もちろん赤銅の人事の話だ。
館を訪れていた貴族たちは赤銅の団員の護衛の下、宿へと帰っていっていた。
「どうもこうもない。赤銅の人事は陛下より任されておる」
「ルシア、君はもう赤銅を離れたんだ。権限はない」
「私、一応まだこれでも加護持ちなんですけれど?」
「勇者では無いんだ。加護にそこまでの力はないよ」
「同じ女神様の加護なのに?」
「どこの女神様のどんな加護だろうが同じだ。勇者だけが国王と同じ権限を持てる」
ジルコワルの言う通りなのだろう。目の前の領主は私の事を舐め切っている。
どこの小娘が――とでも思っているのだろう。
いっそ屋敷ごと消し飛ばしてやろうか……。
「はぁ……でもどうすんの? 赤銅が動かないから東の峠なんて封鎖されてたわよ」
「それについては感謝している」
「フン、峠なぞ、視察団が帰るときに掃除すればいいだけだ」
領主はついさっきまではニコニコと丁寧な態度で私に接していたのに、私が人事に文句をつけ始めた途端、この有様だった。姉さまにちょっかいをかけていたあの息子を思い出す。
「いいわ、明日には立つから私はもうこの領地のことも赤銅のことも知らない」
「元魔王領に行くのならやめたほうがいい」
「どうしてよ?」
「西の領地の境界には今、竜が出る」
「竜ですって?」
「ああ、神出鬼没の尾根をひとつふたつ越えるような大蛇が現れて領地を荒している」
「そんな大きな竜が神出鬼没なわけないでしょ。馬鹿馬鹿しい」
片眉を上げたジルコワルは私の傍でいくらか俯き声を下げてくる。
「中々に厄介なのだ。もし、君が討伐してくれるなら赤銅の人事についても陛下に提言しておこう。私にはそれだけの力がある」
私はさっとジルコワルから距離を取る。
「いいわ。もし居たらついでに排除しておいてあげる」
私はその後、ルハカに宿舎の空き部屋を宛がってもらい、ギードラと共に一晩を明かした。
◇◇◇◇◇
翌日、ルハカに出立を告げて領都を後にした。
幽霊馬を召喚し、ギードラを後ろに乗せて東西を結ぶ街道へと向かう。幽霊馬は普通の馬とは違って少々無理をさせても平気な上に食事も水も取らない。ただそれだけの差で一日の行軍距離は人を二人載せても倍以上に伸びる。魔力を上手に使え、大量の飼葉も必要としない我々人間の方が馬よりも行軍距離は長いのと同じ理由だ。
そして夕方には兄たちに追いつくことができた。
「なるほど、その大蛇だろうな」
「見たんですか?」
兄の率いる馬車の一団は、領地端の町の近くで野営していた。
「夜になると火を吐きながら山を這い回るらしいんだ。その炎が尾根ひとつくらいを越えて連なってるのが実際に見えた」
兄たちは近くの町でも情報を集めていた。峠周辺に現れ、ときおり麓まで降りてきて畑や民家を燃やすそうだ。町の方でも木を切り出してきて、その場しのぎの防壁を築いたりしているらしい。近くの集落から人も集まっていた。
「そんなのに襲われたら馬車はひとたまりもありやせんぜ」
フクロウの一人が言うが、その通りだろう。
「兄さん、何人か集めてその大蛇を討伐しましょう!」
「ああ。協力してくれるか?」
「もちろんです!」
「よし、じゃあガネフ。火力になる魔術師とそれを守れるだけの戦士、あと弓が使える物を何人か揃えてオレとルシアとミルーシャを援護させろ。残りは馬車を守れ」
「ちょ、ちょっと兄さん、ミルーシャを連れて行くんですか?」
「ああ」
「大丈夫ですよ、ルシア。オーゼは人使いこそ荒いですが、死なせるようなことはさせません」
「ミルーシャがそんなことになったら困るんだけど!」
「まあ! そんな風に想ってくださると頑張りがいがあります」
私はうっかりそんなことを口走ってしまったけれど、優しい――母のような――彼女をそんな危険な目に遭わせたくなかった。それなのに、ミルーシャは当然のように行く気でいた。
--
スープの香草っぽい風味はタラゴンをイメージしています。
ホワイトソースやシチューにタラゴンを入れると、途端に味が変わりますね。
尤も、タラゴンは種で増やすより地下茎で増やした方が楽で新芽も美味しいですし、種を料理に使うことはありませんが。
領主の屋敷に着くや否や、乗り込もうとする私をミヘイユが止める。
「うっさいわね、もうあんたの団長じゃないって言ってるでしょ」
「赤銅じゃないなら余計にダメです!」
そんなやり取りをしていると、騒ぎを聞きつけたのか屋敷の戸が開く。
まあ、その前に馬車の到着を耳にしたらしい侍女がこちらを覗いていたのだけど。
「やあこれはこれは、ルシアじゃないか」
そう言って出てきたのはなんとジルコワル。あのエリン姉さまに言い寄る、いけ好かない聖戦士。兄はこいつの存在に苛ついていたけれど、私も嫌い。
「何であんたがここに居るのよ?」
「辺境の視察は私の重要なお役目だからね」
今は青鋼は王都に居るはず。動いたという話は聞いていない。
「あんた一人なの? 青鋼やエリン姉さまは?」
「ああ、そうだよ。エリンは王都だ。それよりも君こそ一人なのかね?」
こいつがエリン姉さまを呼び捨てにするのは以前から気に入らなかった。私のこともそうだけど。
「どういう意味かしら? 連れは居るけれど?」
「ああ、そうだったね。まあどうぞ、用があって来たのだろう? 少し遅いが夕食を取っていた所だ」
私とギードラは広間に通された。ミヘイユは一旦、宿舎に帰るという。
ミヘイユに礼を言い、ここで別れた。
広間には領主を含めて貴族が何人か、それからそのお供が居た。それからルハカ。彼女はもともと生まれは地方領主なのでそれほど地位は低くないはずなのに、もともと内向的なところがあり、慣れた赤銅ではともかく、こういう場では小さくなっていた。
「皆さん、席を外して失礼いたしました。ご紹介いたします。この地を守る赤銅の元団長であり女神の加護を頂いた魔術師でもある、ルシア・ルトレック様です」
おお――と、声を上げる貴族たち。私は軽く挨拶だけしてさっさとルハカの隣に席を用意してもらい腰を下ろす。座るなり私は小声でルハカに話しかける。
「どういうことよ? なんでこんなに貴族たちが集まってんの?」
「ルシア……ごめんね。一緒に行けなくて……」
ルハカは兄を探して城を飛び出した時のことを言っているのだろう。
「そっちはもういいから。質問に答えて」
「よくないよ。私もお兄さんのことは心配だったんだけど……」
「あんたにも事情があったんでしょ。それで?」
「あ、うん。新しい領地の有効活用とかで視察に……」
「それはいいけど、峠を放置して何やってんの? 領民が困ってたわよ」
「ロデンが団長に就いてから赤銅を自由に動かせなくて。今も貴族の護衛で……」
「貴族なんて放っておいても護衛が付くでしょ……まったく」
「ルシア、どうぞ冷めないうちに召し上がってくれたまえ」
ジルコワルが私たちに声を掛けてくる。
確かにお腹は空いていた。
テーブルには大きな肉の塊やパン、それから目の前にはスープが。
私は肉とパンを取り分けてもらう。
「あら、このスープおいしいわね」
その言葉に反応し、笑顔を向けてきたのはジルコワル。
「そうだろう。実は故郷の希少な香辛料が入って来ていてね。高価なのだがこの機会にぜひ皆さんに知ってもらおうと振舞ったのだよ。この辺りの小麦のスープやソースによく合うと思わないか?」
ジルコワルは小さな麻袋を取り出し、披露するように見せてくる。
どうしてか、その麻袋の口を縛る白い紐が美しく輝いて見えた。
麻袋の口を開けると、煌めく黄金のような種が。
そして確かに、清涼感のある香草か何かのような香りがする。それがややすればもったりとした印象の小麦粉のスープに軽やかさと華やかさを添え、別次元の料理に変えていた。
「なるほどね。あんたは嫌いだけどこのスープは悪くないわ」
「ルシアは相変わらず手厳しい」
ジルコワルが冗談めかして周囲に笑いかける。
こいつは兄と違って口が上手いので余計にイライラする。
姉さまはなんでこんな奴を傍に置いておくのか。
◇◇◇◇◇
「はぁ? ルハカを団長に戻せないってどういうことよ?」
夕食後、私は領主に文句をつけていた。もちろん赤銅の人事の話だ。
館を訪れていた貴族たちは赤銅の団員の護衛の下、宿へと帰っていっていた。
「どうもこうもない。赤銅の人事は陛下より任されておる」
「ルシア、君はもう赤銅を離れたんだ。権限はない」
「私、一応まだこれでも加護持ちなんですけれど?」
「勇者では無いんだ。加護にそこまでの力はないよ」
「同じ女神様の加護なのに?」
「どこの女神様のどんな加護だろうが同じだ。勇者だけが国王と同じ権限を持てる」
ジルコワルの言う通りなのだろう。目の前の領主は私の事を舐め切っている。
どこの小娘が――とでも思っているのだろう。
いっそ屋敷ごと消し飛ばしてやろうか……。
「はぁ……でもどうすんの? 赤銅が動かないから東の峠なんて封鎖されてたわよ」
「それについては感謝している」
「フン、峠なぞ、視察団が帰るときに掃除すればいいだけだ」
領主はついさっきまではニコニコと丁寧な態度で私に接していたのに、私が人事に文句をつけ始めた途端、この有様だった。姉さまにちょっかいをかけていたあの息子を思い出す。
「いいわ、明日には立つから私はもうこの領地のことも赤銅のことも知らない」
「元魔王領に行くのならやめたほうがいい」
「どうしてよ?」
「西の領地の境界には今、竜が出る」
「竜ですって?」
「ああ、神出鬼没の尾根をひとつふたつ越えるような大蛇が現れて領地を荒している」
「そんな大きな竜が神出鬼没なわけないでしょ。馬鹿馬鹿しい」
片眉を上げたジルコワルは私の傍でいくらか俯き声を下げてくる。
「中々に厄介なのだ。もし、君が討伐してくれるなら赤銅の人事についても陛下に提言しておこう。私にはそれだけの力がある」
私はさっとジルコワルから距離を取る。
「いいわ。もし居たらついでに排除しておいてあげる」
私はその後、ルハカに宿舎の空き部屋を宛がってもらい、ギードラと共に一晩を明かした。
◇◇◇◇◇
翌日、ルハカに出立を告げて領都を後にした。
幽霊馬を召喚し、ギードラを後ろに乗せて東西を結ぶ街道へと向かう。幽霊馬は普通の馬とは違って少々無理をさせても平気な上に食事も水も取らない。ただそれだけの差で一日の行軍距離は人を二人載せても倍以上に伸びる。魔力を上手に使え、大量の飼葉も必要としない我々人間の方が馬よりも行軍距離は長いのと同じ理由だ。
そして夕方には兄たちに追いつくことができた。
「なるほど、その大蛇だろうな」
「見たんですか?」
兄の率いる馬車の一団は、領地端の町の近くで野営していた。
「夜になると火を吐きながら山を這い回るらしいんだ。その炎が尾根ひとつくらいを越えて連なってるのが実際に見えた」
兄たちは近くの町でも情報を集めていた。峠周辺に現れ、ときおり麓まで降りてきて畑や民家を燃やすそうだ。町の方でも木を切り出してきて、その場しのぎの防壁を築いたりしているらしい。近くの集落から人も集まっていた。
「そんなのに襲われたら馬車はひとたまりもありやせんぜ」
フクロウの一人が言うが、その通りだろう。
「兄さん、何人か集めてその大蛇を討伐しましょう!」
「ああ。協力してくれるか?」
「もちろんです!」
「よし、じゃあガネフ。火力になる魔術師とそれを守れるだけの戦士、あと弓が使える物を何人か揃えてオレとルシアとミルーシャを援護させろ。残りは馬車を守れ」
「ちょ、ちょっと兄さん、ミルーシャを連れて行くんですか?」
「ああ」
「大丈夫ですよ、ルシア。オーゼは人使いこそ荒いですが、死なせるようなことはさせません」
「ミルーシャがそんなことになったら困るんだけど!」
「まあ! そんな風に想ってくださると頑張りがいがあります」
私はうっかりそんなことを口走ってしまったけれど、優しい――母のような――彼女をそんな危険な目に遭わせたくなかった。それなのに、ミルーシャは当然のように行く気でいた。
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スープの香草っぽい風味はタラゴンをイメージしています。
ホワイトソースやシチューにタラゴンを入れると、途端に味が変わりますね。
尤も、タラゴンは種で増やすより地下茎で増やした方が楽で新芽も美味しいですし、種を料理に使うことはありませんが。
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