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三章 呪い
第33話 首の紐
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「何者か!」
突然、前を行くリーシアが固い声を上げる。
廊下の先には白い大男が立っていた。
「ルシア。俺だ、ロージフだ」
「ロージフ様、いくらロージフ様でもこの時間に出入りしていい場ではございませんよ、わきまえてください」
「ルシアに話がある」
「今は叶いません。お引き取りください」
ロージフが珍しく引き下がらない。
「ジルコワルの所へ行ってはいけない。やつは――」
「ロージフ様!」
「リーシア、いいわ」
――そう言うと、リーシアが頭を下げて後ろに控えた。
「ルシア、ジルコワルは……、あれは戦地で女を襲っている」
「ジルコワルがロクでもない男なのは何となく知ってるわ」
「ではなぜ――」
「あんたはどうなの?」
「俺?」
「私、このままだとジルコワルに流されてしまいそうなの。理由はわからない、でも誰も止めてくれないならそうなってしまう」
「やめておけ、ジルコワルはよくないことを考えている」
「うん、それも知ってる」
「ではなぜだ」
「あんたは私に何をくれる? 兄からも、ミルーシャからも、貰った温もりは全部偽りだった!」
「それは…………」
「そんなものならジルコワルがくれる甘い言葉と煌びやかな生活の方がずっといいの! そう思ってしまうの!」
んむ――と、ロージフは考え込む。ロージフはいつもそうだ。兄みたい。
ジルコワルが何か企み、そして悪いことをしているのは何となく知っている。
彼の周りにはあまりにも富が集まり過ぎている。それも異常なくらい。
彼が女好きなのも知っている。アイシスは間違いなく彼と閨を共にしている。
おそらくエリン姉さまも…………。
彼の甘いマスクの下の嫌らしさは、女を襲っていたとしても別段不思議ではない。
兄だって…………それは変わらなかったもの。
「俺にはやれるものはあまりないな」
はぁ――と、ロージフの返答に諦めのような溜息をついてしまう。けれど――。
「――だからルシアよ、お前を俺にくれ」
なぜだろう、求められるのは悪い気がしなかった。
自分の価値を認めてくれているような気がしたからなのか。
何よりこの、口数は少なくて一見、唐変木のようだけれど、思っていたよりもいい男に身を委ねた方が安心できる気もした。
私が右手をそっと差し出すとロージフは大きな手で私の手を取る。
傍に控えていたリーシアはロージフに頭を下げると、私たちの前に立って歩き始める。
月明かりの下、私たちは同じ廊下を引き返していった。
◇◇◇◇◇
翌朝、ロージフの腕の中で私は目覚めた。
あの後の二人の間で起こったことについては、彼に言ってやりたいことが山ほどあった気もするが、今は声にならなかった。何故って、言い表しようのない幸福と安らぎに包まれていたから。それにいつぶりだろう。こんなにすっきりと頭が冴え渡ったのは。
代わりに無口なロージフが口を開く。
「ルシア、お前を守ってやる。何があろうとも必ず」
何から守ろうというのか。相変わらずおかしな事ばかり言うロージフ。
ただ、そんな言葉がちょっぴり嬉しくなった私は声を含み切れず笑ってしまう。
彼は再び、力強く抱きしめてくれた。
ロージフは朝のうちに私の部屋を去っていったが、私はと言うと気怠さの中、なんとなくこのベッドから抜け出せないでいた。リーシアには職務のことは休ませてもらうと伝えてもらい、食事もとらずに四の鐘まで昨日の余韻にふけっていた。
遅くに起き出してきた私は、リーシアに普段よりもゆったりめの服を着させてもらい、体調を気遣われた。普段と比べると、ずいぶんとしおらしくなったと思われたのではなかろうか。リーシアは私に食べたいものは無いかとか、ベッドで食事されますかとか普段にも増して甘やかしてきてくれた。
◇◇◇◇◇
五の鐘を半刻ほど過ぎた頃、いつものようにジルコワルがやってきた。
「如何いたしましょう?」
珍しくリーシアが伺いを立ててきた。
「――実は、今朝もお見えになられたのですが、私の裁量でルシア様は体調がすぐれないとお断りさせていただいておりました」
「そう。――ううん、それでよかったわ。ありがとう」
リーシアは一瞬、目を丸くしたけれど、すぐに柔らかい表情で返した。
「ではお断りいたしましょうか?」
「いいわ、通して。ただ、お茶は要らないから」
リーシアは同じく柔らかい笑顔で頷いた。
リーシアに通されたジルコワルが部屋に入ってくる。
「ルシア、体が優れないと聞いた。大丈夫かい?」
「ええ、おかげさまで」
ジルコワルは一瞬、怪訝な顔をしたけれど、すぐに元の表情に戻り、手にした花束を差し出してきた。
「甘いものでもと思ったが、食べられないと困る。こちらにした」
「ありがとう。お見舞いとしてなら受け取らせてもらうわ」
「ん?」
さすがのジルコワルでもその言葉の意味が通じたのだろうか。
「私、ロージフとお付き合いさせていただくことになったの。だからもう部屋に来るのは遠慮してね」
「は!?……いま、なんと?」
「だから、これから先、ジルコワルを部屋に入れることはできないって言ったの。いい大人なんだからわかるでしょう? 用があるなら執務室で伺うわ」
ジルコワルは目を見開き、口元だけで歪んだ笑顔を作る。
彼は自分の髪を撫でつけていた。
「ハハ……冗談だろう? ルシア」
「冗談では無いわ。本当のことよ。伝えたかったことはそれだけ。悪いけど、長居してもらうことはできないの。お花ありがとう」
顔をひきつらせたジルコワルはリーシアに促されて部屋を出て行った。
その日以降、ジルコワルが部屋を訪れることは無かった。
代わりにロージフが朝食と夕食にはできるだけ顔を出してくれるようになった。
彼は何も与えることができないと言っていたけれど、十分すぎる物を与えてもらっていたと思う。
ジルコワルとの接触が無くなったため、宴の回数が極端に減った。仮にあったとしてもジルコワルの代わりに、ロージフにエスコートして貰った。素朴な男であるロージフは煌びやかな世界とは無縁の男だったけれど、現実味の無い白い瞳や髪は、巨躯もあってか誇らしく見えた。
だから彼さえ居てくれれば十分、十分だったはずなのに――。
――この豪奢な首飾りを捨てられないのは何故!?
リーシアにも言われた。
他の男からの贈り物を身に着けるのは勧められないと。
わかっている、わかっているのにそれだけはやめられなかった。
--
鐘は『かみさまなんてことを』と同じく、夜明けの鐘が一の鐘、正午の鐘が四の鐘、日没の鐘が七の鐘で、その間を三等分した約二時間ごとに鐘が鳴るのが一般的です。一刻は約30分で鐘の音の間を四等分した時間です。2時間単位のいわゆる時代劇なんかの辰刻は、一時という単位にして分けてあります。
突然、前を行くリーシアが固い声を上げる。
廊下の先には白い大男が立っていた。
「ルシア。俺だ、ロージフだ」
「ロージフ様、いくらロージフ様でもこの時間に出入りしていい場ではございませんよ、わきまえてください」
「ルシアに話がある」
「今は叶いません。お引き取りください」
ロージフが珍しく引き下がらない。
「ジルコワルの所へ行ってはいけない。やつは――」
「ロージフ様!」
「リーシア、いいわ」
――そう言うと、リーシアが頭を下げて後ろに控えた。
「ルシア、ジルコワルは……、あれは戦地で女を襲っている」
「ジルコワルがロクでもない男なのは何となく知ってるわ」
「ではなぜ――」
「あんたはどうなの?」
「俺?」
「私、このままだとジルコワルに流されてしまいそうなの。理由はわからない、でも誰も止めてくれないならそうなってしまう」
「やめておけ、ジルコワルはよくないことを考えている」
「うん、それも知ってる」
「ではなぜだ」
「あんたは私に何をくれる? 兄からも、ミルーシャからも、貰った温もりは全部偽りだった!」
「それは…………」
「そんなものならジルコワルがくれる甘い言葉と煌びやかな生活の方がずっといいの! そう思ってしまうの!」
んむ――と、ロージフは考え込む。ロージフはいつもそうだ。兄みたい。
ジルコワルが何か企み、そして悪いことをしているのは何となく知っている。
彼の周りにはあまりにも富が集まり過ぎている。それも異常なくらい。
彼が女好きなのも知っている。アイシスは間違いなく彼と閨を共にしている。
おそらくエリン姉さまも…………。
彼の甘いマスクの下の嫌らしさは、女を襲っていたとしても別段不思議ではない。
兄だって…………それは変わらなかったもの。
「俺にはやれるものはあまりないな」
はぁ――と、ロージフの返答に諦めのような溜息をついてしまう。けれど――。
「――だからルシアよ、お前を俺にくれ」
なぜだろう、求められるのは悪い気がしなかった。
自分の価値を認めてくれているような気がしたからなのか。
何よりこの、口数は少なくて一見、唐変木のようだけれど、思っていたよりもいい男に身を委ねた方が安心できる気もした。
私が右手をそっと差し出すとロージフは大きな手で私の手を取る。
傍に控えていたリーシアはロージフに頭を下げると、私たちの前に立って歩き始める。
月明かりの下、私たちは同じ廊下を引き返していった。
◇◇◇◇◇
翌朝、ロージフの腕の中で私は目覚めた。
あの後の二人の間で起こったことについては、彼に言ってやりたいことが山ほどあった気もするが、今は声にならなかった。何故って、言い表しようのない幸福と安らぎに包まれていたから。それにいつぶりだろう。こんなにすっきりと頭が冴え渡ったのは。
代わりに無口なロージフが口を開く。
「ルシア、お前を守ってやる。何があろうとも必ず」
何から守ろうというのか。相変わらずおかしな事ばかり言うロージフ。
ただ、そんな言葉がちょっぴり嬉しくなった私は声を含み切れず笑ってしまう。
彼は再び、力強く抱きしめてくれた。
ロージフは朝のうちに私の部屋を去っていったが、私はと言うと気怠さの中、なんとなくこのベッドから抜け出せないでいた。リーシアには職務のことは休ませてもらうと伝えてもらい、食事もとらずに四の鐘まで昨日の余韻にふけっていた。
遅くに起き出してきた私は、リーシアに普段よりもゆったりめの服を着させてもらい、体調を気遣われた。普段と比べると、ずいぶんとしおらしくなったと思われたのではなかろうか。リーシアは私に食べたいものは無いかとか、ベッドで食事されますかとか普段にも増して甘やかしてきてくれた。
◇◇◇◇◇
五の鐘を半刻ほど過ぎた頃、いつものようにジルコワルがやってきた。
「如何いたしましょう?」
珍しくリーシアが伺いを立ててきた。
「――実は、今朝もお見えになられたのですが、私の裁量でルシア様は体調がすぐれないとお断りさせていただいておりました」
「そう。――ううん、それでよかったわ。ありがとう」
リーシアは一瞬、目を丸くしたけれど、すぐに柔らかい表情で返した。
「ではお断りいたしましょうか?」
「いいわ、通して。ただ、お茶は要らないから」
リーシアは同じく柔らかい笑顔で頷いた。
リーシアに通されたジルコワルが部屋に入ってくる。
「ルシア、体が優れないと聞いた。大丈夫かい?」
「ええ、おかげさまで」
ジルコワルは一瞬、怪訝な顔をしたけれど、すぐに元の表情に戻り、手にした花束を差し出してきた。
「甘いものでもと思ったが、食べられないと困る。こちらにした」
「ありがとう。お見舞いとしてなら受け取らせてもらうわ」
「ん?」
さすがのジルコワルでもその言葉の意味が通じたのだろうか。
「私、ロージフとお付き合いさせていただくことになったの。だからもう部屋に来るのは遠慮してね」
「は!?……いま、なんと?」
「だから、これから先、ジルコワルを部屋に入れることはできないって言ったの。いい大人なんだからわかるでしょう? 用があるなら執務室で伺うわ」
ジルコワルは目を見開き、口元だけで歪んだ笑顔を作る。
彼は自分の髪を撫でつけていた。
「ハハ……冗談だろう? ルシア」
「冗談では無いわ。本当のことよ。伝えたかったことはそれだけ。悪いけど、長居してもらうことはできないの。お花ありがとう」
顔をひきつらせたジルコワルはリーシアに促されて部屋を出て行った。
その日以降、ジルコワルが部屋を訪れることは無かった。
代わりにロージフが朝食と夕食にはできるだけ顔を出してくれるようになった。
彼は何も与えることができないと言っていたけれど、十分すぎる物を与えてもらっていたと思う。
ジルコワルとの接触が無くなったため、宴の回数が極端に減った。仮にあったとしてもジルコワルの代わりに、ロージフにエスコートして貰った。素朴な男であるロージフは煌びやかな世界とは無縁の男だったけれど、現実味の無い白い瞳や髪は、巨躯もあってか誇らしく見えた。
だから彼さえ居てくれれば十分、十分だったはずなのに――。
――この豪奢な首飾りを捨てられないのは何故!?
リーシアにも言われた。
他の男からの贈り物を身に着けるのは勧められないと。
わかっている、わかっているのにそれだけはやめられなかった。
--
鐘は『かみさまなんてことを』と同じく、夜明けの鐘が一の鐘、正午の鐘が四の鐘、日没の鐘が七の鐘で、その間を三等分した約二時間ごとに鐘が鳴るのが一般的です。一刻は約30分で鐘の音の間を四等分した時間です。2時間単位のいわゆる時代劇なんかの辰刻は、一時という単位にして分けてあります。
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