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第1章

第3話 偽聖女の烙印を押されたあの日

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 二ヵ月、いや三か月ほど前。
「理不尽だ」と叫んでも、味方はいなかった。
 世界の常識など、その世界が異なれば意味は無いと、その日、私は思い知った。

「聖女適正判定の結果、サナ・イチジョウの魔力はゼロ。よってクデール法国からの即刻国外追放を命じる!」
(は。はあああああああああああああああああああ!?)

 勝手に異世界に呼びつけておきながら、あまりにも身勝手な発言に、今まで愛想笑いを貼り付けていた口元が強張った。
 この白い法衣を着た連中は異世界転移させておきながら、自分たちの過失に対してあまりにも無責任すぎる。
 ぐっと、怒りを押し殺しながら、大人の対応をすべく笑顔を貼り付け直す。

「……私がこの国に不必要なのはわかりましたので、元の世界に返して頂けませんか?」

 そう口にすれば、眉目秀麗な男たちが侮蔑の顔で私を見返す。
 さらさらの金髪に空色の美しい瞳、彫刻のように美しい青年はクデール法国の第一王子セレスタン・オベール・フォル・グノン。その脇に控えているのは灰色の長い髪に、葡萄色えびいろの双眸のミステリアスな雰囲気を纏った偉丈夫、大司教ナルシス・オードランだ。

 他にも聖騎士団と近衛兵がずらりと控えており、その誰も彼も顔面偏差値が高い。高すぎる。
 そんなイケメン集団から冷ややかな視線どころか、侮蔑の眼差しを向けられるのは結構キツい。私の主張は極々当たり前で、当然だというのに「非常識だ」と言わんばかりに睨み付けてくる。
 私以外に、この世界に転移させられた可愛い系の女子高生と美人名カジュアルOLは、私を助ける素振りなどない。誰だって自分の身が可愛いのだ。

「そんなに嫌なら速攻で国外追放にしてやる。おい、近衛兵!」
「ハッ!」
「幸いにも聖女様を迎えるこの神殿は、国境周辺にあります。一刻も経たずに、この国に出られますよ。よかったですね」

 王子がクソなら、大司教もクソだ。
 どうやらこの国は外見こそ偏差値が高いが、人間として最低最悪の連中だ。もういっそイケメン滅びろ――と呪った。

 キャッチ&リリースという扱いで、私は関所から放り出された。一応私の持っていた鞄もあるが、女性一人を放り出す神経のヤバさに引いた。

 この世界が異世界(?)であるのは服装や建造物でなんとなく察したが、言葉は通じるし、文章も日本語が書かれているように見えるので不便はない。
 もっともいきなりつまみ出されるとは、思っていなかったけれど。

(最悪っ! 本当に最悪! 明日は珍しい顔料を探しに行く予定だったのに!)

 堅牢な関所から離れると舗装された大きな道はあるものの、周囲は鬱蒼と生い茂る深緑色の森が何処までも広がっていた。
 空気は肌寒く、空を見上げると厚い雲に覆われて、今にも雪が降り出しそうだ。
 森の奥は不気味なほど薄暗く、日が暮れて人通りもないので途端に不安になる。

(頭にきていてすっかり忘れていたけど、この世界って魔力があって、騎士が帯剣しているのだから、獣あるいは盗賊なんてゴロゴロいるんじゃ?)

 肩掛けバッグを抱きしめつつ、私は舗装された道を足早に歩く。「このまま歩けば他国に辿り着くはず!」と、楽観的に考えて進むことにした。
 出来れば暗くなる前に村や町、集落に着きたかったけど、淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。街灯もない道は暗くて歩きにくい。

 鞄から携帯端末を取り出し、足下を照らす。幸いにも今日はかかとの低い靴を履いていたことと、ネイビー色のスーツのおかげで、夜になって少し冷え込んでも平気だった。
 しかし数時間歩き続けたことで、足が悲鳴を上げつつある。
 さらに最悪なのは進むにつれて雪が積もっているせいで、上手く歩けないだけでなく、足が痛くて堪らない。

 さすがに休憩を取ろうと近くの大樹に背中を預けて、座り込んだ。鞄の中には非常食用のクッキーと、紅茶の入った水筒をちびちび飲んで空腹を紛らわせる。

(いざという時に買っておいて良かった。……にしても昨日までは仕事仕事で、充実していたのになぁ。来週には国際美術館に行く予定だったのに……)

 ため息が漏れる。
 私の仕事は、絵の具製造及び絵画修復という少し珍しい職種に就いていた。画廊のオーナーだった祖父の仕事を継いで、片手間で絵の具製造と絵画の修復を行っている。

 大好きな絵画に関わるやりがいのある仕事だ。
 世界中の絵画を鑑賞していないのに、利己的なこの世界の暴走で巻き込まれて――今までの苦労が全て水の泡となったのだと考えると、沸々と怒りが湧き上がってきた。

(あああああああああーーー、思い返したらすっごく腹立つ!)

 いつかあの国の人間をギャフンと言わせてやる。そう強く魂に誓った。


 ***


「──っ、は!」

 迂闊にもうたた寝しそうだった気づき、重たげな瞼をこじ開ける。

(あ、危なっ、こんなところで寝たら凍死するところだった!)

 夜の帳が下がったままで、周囲は暗い。ふと私の携帯端末の灯りが何かを捉えた。

『我でもこれ以上近づけぬか、忌々しい』
「――っ!」

 ゾッとする声に、眠気など一瞬で吹き飛んだ。
 そこに現れたのは、白銀の毛並みの獣だった。
 狼に近いが私の知るニホンオオカミとはサイズが異なる。全長十メートル、尾は五つあり、深紅の瞳は三つもある上に言語を話す。

 あからさまな敵意。
 あの国の王子や神官よりも強くて、むき出しの殺気に体が震えた。
 前足でジリジリと近づこうとするが、五、六メートル以上距離を縮めることができないのか、周囲をうろつく。
 まるで目に見えない遮蔽物が、獣から守るかのように立ち塞がっている。

『ガルル、あと少しで聖女を嫁にすることが出来るというのに……』
「は? 私は聖女じゃないけど」

 思わず苛立った声が出た。
 今日一日、「聖女失格」とズタボロに言われたのだ。すでに私の苛立ちは限界値に近かった――つまりは、ヤケクソかつ八つ当たりである。
 獣は、喉を鳴らして笑った。なんか獣でも表情の変化がわかるほど馬鹿にした笑い方で何だか腹が立つ。この世界には私を苛立たせる存在しかいないの!?

『いやいや。我の眷属が近寄れぬほどの浄化を垂れ流しておきながら何を隠す』
「いや……本当に何を言っているのか、全然わからないですね。神官に聖女適正ゼロって言われたから、こんなところに放り投げられたのだけれど?」
『計測器が壊れていたのではないか? 少なくともこれほどの力に気づかない方が馬鹿だ』
(え、じゃあもしかして私が本来呼ばれた聖女ってやつ……なの? いやまあ、もうどうでもいいけれど……)

 もっとも眼前の獣が、本当のことを言っているかも怪しい。獣は目尻を緩めて言葉を続けた。

『行くところがないのなら、我がそなたを娶ってやってもいいぞ』
「いえ結構です」
『そうか泣いて喜ぶほど嬉しい──って、こ、断るだと!?』
「はい。初対面で『嫁に来い』なんて怪しさしかないし、気を許したらば、食べられそうですし」

 激昂するかと思ったが、獣は豪快な笑い声を上げた。
 予想以上に人間味ある獣だ。

『カハハハハ、確かにこの姿では警戒するのも当然か。ならば──』

 そう言いかけたところで、獣は素早くその場から離れた。次の瞬間、獣がいた場所に巨大な槍が空から流星の如く振り注いだ。
 ひゅっ。
 風を切る音の直後、爆音が轟く。
 その槍は大地を抉り、凄まじい衝撃と土埃を作り出し、クレーターが出来上がっていた。

(今度は何!?)
『チッ、あと少しだったというのに――』

 捨て台詞を残して、獣は宵闇に溶けて消えた。それと入れ替わるかのように、獅子に鷹の翼を生やした獣に騎乗した騎士風の男が空から現れた。
 先ほどの槍は、彼が投げたのだろう。

 はらはらと雪が舞い落ちる。
 白銀の美しい雪に導かれたかのように、その騎士は私の前に現れた。

(なんて美しい人なのだろう)

 銀の全身甲冑フルプレートに黒のケープを羽織った男は、年齢は三十すぎだろうか。大柄で筋肉質だったが、整った顔立ちをしている。鳶色の瞳に、艶やかな深緑色の髪、こちらに向ける眼差しは侮蔑でも敵意でもなく、身内を見つけて安堵したような親しみがあった。

「ご令嬢、大丈夫か!?」
「え、あ、……はい」

 あまりにも優しい言葉に、思わず反射的に答えてしまう。騎士風の男性は獣から降りて、すぐ傍まで駆け寄ると片膝を突いた。理想の騎士らしい振る舞いに思わず胸が高鳴る。

(そうそう! 騎士はこうでなくっちゃ!)
「怪我は? 痛いところはないか? 立てるか?」
「……っ、ふっ」

 この世界に来て、初めて優しい言葉をかけてくれたのが胸に響いた。
 ずっと気を張っていたのもあるかもしれない。今まで我慢していた感情が溢れて――視界が歪んだ。

「だい、じょうぶ……です。怪我は……なくて……」
「そうか。もう大丈夫だ」

 ポンポンと、大きな手が頭を撫でられた瞬間。私の涙は決壊し、子供のように泣いてしまった。安心と手の温もりに気が抜けたからだったのもある。

 それとも、もう元の世界に戻れないことが悲しかった。
 眼前の騎士は泣き出す私に困惑しつつも、背中を優しく摩って、落ち着くまで肩を貸してくれた。人間味のある優しくて包容力のある姿に、コロッと恋に落ちていたのは内緒だ。

 そして彼との出会いが、この先の生き方に大きく関わってくることを――この時の私は知らなかった。
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