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第1章
第5話 真摯な騎士様は万能なようです
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体が凍えていたわけではないけど、それでも温かなスープは私の心と体を解すには充分だった。
焦げ茶色のライ麦パンに、カリカリベーコンと半熟目玉焼き、スープはタマネギとにんじんとナスに、キャベツのような野菜たっぷりでコンソメ味に寄せている。普通にホテルの朝食レベルの味だ。とても美味しい。
(料理までできるなんて……。スペック高すぎる。きっとモテるんだろうな)
「そんなにこの世界の人間が珍しいのかい?」
ふわっと笑う姿にドキリとしてしまう。
目を細めて幸せそうな顔をしていると、自分が特別なのではないかと勘違いしてしまいそうになる。
「(うっ、見惚れていた……とは言えない)……あ、ええっと。異世界人の顔面偏差値の高さに、ちょっと凹んでいるところです。ヴェノムさんは、さぞモテるのだろうな、と」
「はははっ、お世辞でも嬉しいよ。有り難う。だが、この世界で騎士業はあまり好かれていない。討伐やら遠征と家を空けることも多いし、危険な仕事も多いからな」
「そうなのですね。少し意外です。私の世界で騎士様は、ご令嬢などにモテてるイメージが強かったので」
「そうか。……ちなみに異邦人や転生者というのは、この世界で稀に現れる。偶発的なものは数百年だが、隣国では十数年単位で聖女召喚を行なっていると聞く」
「(国によって方針が違うってこと?)……どうしてクデール法国では、定期的に聖女召喚をするのですか? 魔王とか敵がいるあるいは、お国事情というやつでしょうか?」
どうやら聖女召喚を行っているのは隣国のみらしく、この国ではそのような儀式はないらしい。
ヴェノムさんの表情は厳しく、出会った頃のキリッとした顔を覗かせる。
「ん、ああ。クデール法国とここエルレゼル聖獣国、そして両国の隣に魔境マルムグランがあり、この魔境には凶暴な魔獣が多く生息している。中でも闇狼、渾沌蛇、暗黒竜の三つの種族が領土拡張を目的に、我が国と隣国に侵略を開始して五十年間、今なお侵略は続いている状態なんだ」
「ご、五十年!? そんなにずっと戦いをしているのですか?」
「まあ、小競り合いや襲撃というのが定期的に行われている――という感じだな。もっとも三つの種族には活動周期がハッキリしており、いつ襲撃してくるのかもある程度わかっているから、ここ二十年は被害も少ない。……まあ、そんな経緯もあり、クデール法国は早々に聖女召喚を行い、国中に結界を張り巡らせて襲撃を防いでいる。もっとも召喚のために膨大な魔力あるいは魔鉱石を使っているので、経済的には厳しい部分もあるんだろう。特に今は鎖国に近い状態だからな」
「そう……なのですね」
「あくまで聖女召喚は、国力を維持するための消耗品であると同時に、信仰と権威の象徴を担っている。国民からの重税を敷く代わりに安全を保証しているのを聞けば、国としては上手く回っているのかもしれないが、近年は聖女やら神官、王侯貴族の横暴さや贅を尽くすあり方に、不満を持つ者が増えているとも情報が入ってきているな」
隣国までそんなことがわかってしまうのは、相当不味いのではないだろうか。クデール法国は危機感もないのだろう。
「国的にも私のような巻き込まれた異世界人がいても、元に戻すためだけに魔力は使いたくないと考えているのですね」
「だろうな。それに国内に置いていくのも面倒だから、国外追放の形を取っているだろう。クデール法国はそうやって異邦人を手放すが、彼らは魔力計測しかしないので、他の技術や希有な知識などを持っているとは考えないようだ。その結果、あの国では魔導具の発展や生活水準が、ここ数十年変わらない……いや衰退していると言っていいだろう」
(あの国の彼らにとっては、魔力そのものがステータスなんだわ。魔力至上主義……。あの国から出して貰えてよかった……と考えるべきかしら?)
ヴェノムさんは、私がこの世界の世情に疎いのを分かっていて、遠回りしつつ必要な情報を与えてくれた。何より「このエルレゼル聖獣国では、魔力なしの異世界人を住民として受け入れがある」と言ってくれているのだ。正直、有り難い。
一つだけ確認すべきことがある。これを聞かなければ先に進めない、いや諦めきれないだろうから。
身を正してヴェノムさんに向き直ると、彼は珈琲を口にしていた手を止めて「なんだい?」と緊張を解すように微笑んだ。
「……この国で元の世界に戻る方法はない、と言うことで合っていますか?」
「ああ。少なくとも我が国で『元の世界に戻った』という話は、隣国でも寡聞にして聞いたことがない」
「そう……ですか」
視線を下げると、カップに自分の顔が写り込む。
黒くて地味な髪の色に、童顔な顔立ち。基本的に口角が上がっているので、いつも笑っていると思われがちだ。愛想が悪いよりは良いかもしれないが。
それでも「元の世界に戻れない」と聞かされて、眉が下がった。
(元の世界に……帰れない。……本当に?)
両親や祖父母、仲の良かった友人、今度ご飯を食べようと誘ってくれた同僚の先輩、職場の雰囲気や仕事内容も好きだった。
ようやく一人前になって、これから恩返しをしようと思っていたのに、とグッと下唇を噛んで堪えた。
(……まずはこの世界で生活基盤を固めてから、改めて帰る方法を模索しよう。……今まで聞いてないと言うだけで不可能じゃない――はず!)
しょんぼりしつつも、自分が思った以上にポジティブかつ図太い神経だったことに感謝した。追放されたあの国の王子や大司祭たちが悔しがるように、自分は幸せになってやると奮起する。
「……わかりました。まずは生きる為に衣食住を整えて、仕事に就こうと思います!」
「サナ、衣食住の保証は心配しなくてもいい。少なくとも、君が大人になって嫁ぐまでは――」
「大人……」
ショックで体が硬直してしまう。ヴェノムさんは慌てて言葉を補足するのだが、たぶん私のショックの理由を勘違いしたようだった。
「ああ、すまない。結婚なんて言ったのは、人生の区切りという意味で、そ……そうだな深い意味はないんだ」
「いえ。そうじゃなくて……私は今年二十一歳で、成人しています」
「ニジュウイチ……」
「はい」
こくこくと頷いた。
ヴェノムさんは目を見開き、数秒テーブルに額を叩きつけて深々と頭を下げた。
ごん、とすごい音がしたが、テーブルとヴェノムさんの額は無事だろうかと心配になる。
「!?」
「すまなかった!!」
「あ、頭を上げてください! 童顔なので、よく十代に見られるのは慣れていますから!」
「言われ慣れているからと言っても、失礼なことを言ったには変わらない。大人の女性にする言動ではなかった!」
何処までも真摯な態度に、口元が綻んだ。
大人なのだからと言ってヴェノムさんの態度は変わらず、巻き込まれた異邦人に対して何処までも優しい。
あの王子と司祭に爪の垢を煎じて、口の中に突っ込みたいものだ。
非礼でもないのだが、ここぞとばかりにヴェノムさんに甘えることにした。
「……悪いと思っているのなら、その、仕事や住む場所などの斡旋をお願いしてもいいですか? あとその環境が揃うまでは、国ではなく……顔見知りというか、ヴェノムさんに面倒を見て頂けると貰えると、とても助かるのですが……」
「ああ。それは任せてほしい。……と言っても、その為には、この国の住民として、教会の枢機卿と王族への挨拶をしなければならないんだが、大丈夫だろうか?」
「――っ」
先のことはわからないが、この国で生活する以上、手続きなどはしなければならない。
(ヴェノムさんは、クデール法国で誹謗中傷を受けた後だというのを聞いたから、慮ってくれたのね。……中身までイケメンすぎる……!)
王族や神官と対面するのは、正直不信感しかない。しかし、ここで躓いていてどうする。
「気遣って頂いて、ありがとうございます。でもヴェノムさんが一緒に付いて来てくれるのなら安心です!」
「そうか。……それなら気持ちが変わる前に、謁見できるように手配しよう。昼までには話が付けられると思う」
「なにから何までありがとうございます。……ちなみにヴェノムさんは、おいくつなのですか? 見た目的に三十後半か四十代?」
「ん? 俺か。俺は今年で百六十三だな」
「ヒャクロクジュウサン……?」
「ああ、エルフの末裔なので長寿なんだが、俺は老け顔でな」
(え、若? 老け顔? 情報量が多すぎる!)
子供に見られるだけではなく、年齢差的にお付き合い出来るのかすら分からなくなり、あっという間に失恋した気持ちになる。
(元の世界に帰ることを前提に考えるのなら、この世界の事情やヴェノムさんに心を傾けすぎるべきじゃないわ。うん、素敵な人だったと思って忘れた方が――傷口は浅い……わ)
そう自分の中で線引きをしっかりとつけ、食後にはミルクたっぷりの珈琲を口にした。
ほんの少し苦みを感じたのは、きっと気のせいだ。
焦げ茶色のライ麦パンに、カリカリベーコンと半熟目玉焼き、スープはタマネギとにんじんとナスに、キャベツのような野菜たっぷりでコンソメ味に寄せている。普通にホテルの朝食レベルの味だ。とても美味しい。
(料理までできるなんて……。スペック高すぎる。きっとモテるんだろうな)
「そんなにこの世界の人間が珍しいのかい?」
ふわっと笑う姿にドキリとしてしまう。
目を細めて幸せそうな顔をしていると、自分が特別なのではないかと勘違いしてしまいそうになる。
「(うっ、見惚れていた……とは言えない)……あ、ええっと。異世界人の顔面偏差値の高さに、ちょっと凹んでいるところです。ヴェノムさんは、さぞモテるのだろうな、と」
「はははっ、お世辞でも嬉しいよ。有り難う。だが、この世界で騎士業はあまり好かれていない。討伐やら遠征と家を空けることも多いし、危険な仕事も多いからな」
「そうなのですね。少し意外です。私の世界で騎士様は、ご令嬢などにモテてるイメージが強かったので」
「そうか。……ちなみに異邦人や転生者というのは、この世界で稀に現れる。偶発的なものは数百年だが、隣国では十数年単位で聖女召喚を行なっていると聞く」
「(国によって方針が違うってこと?)……どうしてクデール法国では、定期的に聖女召喚をするのですか? 魔王とか敵がいるあるいは、お国事情というやつでしょうか?」
どうやら聖女召喚を行っているのは隣国のみらしく、この国ではそのような儀式はないらしい。
ヴェノムさんの表情は厳しく、出会った頃のキリッとした顔を覗かせる。
「ん、ああ。クデール法国とここエルレゼル聖獣国、そして両国の隣に魔境マルムグランがあり、この魔境には凶暴な魔獣が多く生息している。中でも闇狼、渾沌蛇、暗黒竜の三つの種族が領土拡張を目的に、我が国と隣国に侵略を開始して五十年間、今なお侵略は続いている状態なんだ」
「ご、五十年!? そんなにずっと戦いをしているのですか?」
「まあ、小競り合いや襲撃というのが定期的に行われている――という感じだな。もっとも三つの種族には活動周期がハッキリしており、いつ襲撃してくるのかもある程度わかっているから、ここ二十年は被害も少ない。……まあ、そんな経緯もあり、クデール法国は早々に聖女召喚を行い、国中に結界を張り巡らせて襲撃を防いでいる。もっとも召喚のために膨大な魔力あるいは魔鉱石を使っているので、経済的には厳しい部分もあるんだろう。特に今は鎖国に近い状態だからな」
「そう……なのですね」
「あくまで聖女召喚は、国力を維持するための消耗品であると同時に、信仰と権威の象徴を担っている。国民からの重税を敷く代わりに安全を保証しているのを聞けば、国としては上手く回っているのかもしれないが、近年は聖女やら神官、王侯貴族の横暴さや贅を尽くすあり方に、不満を持つ者が増えているとも情報が入ってきているな」
隣国までそんなことがわかってしまうのは、相当不味いのではないだろうか。クデール法国は危機感もないのだろう。
「国的にも私のような巻き込まれた異世界人がいても、元に戻すためだけに魔力は使いたくないと考えているのですね」
「だろうな。それに国内に置いていくのも面倒だから、国外追放の形を取っているだろう。クデール法国はそうやって異邦人を手放すが、彼らは魔力計測しかしないので、他の技術や希有な知識などを持っているとは考えないようだ。その結果、あの国では魔導具の発展や生活水準が、ここ数十年変わらない……いや衰退していると言っていいだろう」
(あの国の彼らにとっては、魔力そのものがステータスなんだわ。魔力至上主義……。あの国から出して貰えてよかった……と考えるべきかしら?)
ヴェノムさんは、私がこの世界の世情に疎いのを分かっていて、遠回りしつつ必要な情報を与えてくれた。何より「このエルレゼル聖獣国では、魔力なしの異世界人を住民として受け入れがある」と言ってくれているのだ。正直、有り難い。
一つだけ確認すべきことがある。これを聞かなければ先に進めない、いや諦めきれないだろうから。
身を正してヴェノムさんに向き直ると、彼は珈琲を口にしていた手を止めて「なんだい?」と緊張を解すように微笑んだ。
「……この国で元の世界に戻る方法はない、と言うことで合っていますか?」
「ああ。少なくとも我が国で『元の世界に戻った』という話は、隣国でも寡聞にして聞いたことがない」
「そう……ですか」
視線を下げると、カップに自分の顔が写り込む。
黒くて地味な髪の色に、童顔な顔立ち。基本的に口角が上がっているので、いつも笑っていると思われがちだ。愛想が悪いよりは良いかもしれないが。
それでも「元の世界に戻れない」と聞かされて、眉が下がった。
(元の世界に……帰れない。……本当に?)
両親や祖父母、仲の良かった友人、今度ご飯を食べようと誘ってくれた同僚の先輩、職場の雰囲気や仕事内容も好きだった。
ようやく一人前になって、これから恩返しをしようと思っていたのに、とグッと下唇を噛んで堪えた。
(……まずはこの世界で生活基盤を固めてから、改めて帰る方法を模索しよう。……今まで聞いてないと言うだけで不可能じゃない――はず!)
しょんぼりしつつも、自分が思った以上にポジティブかつ図太い神経だったことに感謝した。追放されたあの国の王子や大司祭たちが悔しがるように、自分は幸せになってやると奮起する。
「……わかりました。まずは生きる為に衣食住を整えて、仕事に就こうと思います!」
「サナ、衣食住の保証は心配しなくてもいい。少なくとも、君が大人になって嫁ぐまでは――」
「大人……」
ショックで体が硬直してしまう。ヴェノムさんは慌てて言葉を補足するのだが、たぶん私のショックの理由を勘違いしたようだった。
「ああ、すまない。結婚なんて言ったのは、人生の区切りという意味で、そ……そうだな深い意味はないんだ」
「いえ。そうじゃなくて……私は今年二十一歳で、成人しています」
「ニジュウイチ……」
「はい」
こくこくと頷いた。
ヴェノムさんは目を見開き、数秒テーブルに額を叩きつけて深々と頭を下げた。
ごん、とすごい音がしたが、テーブルとヴェノムさんの額は無事だろうかと心配になる。
「!?」
「すまなかった!!」
「あ、頭を上げてください! 童顔なので、よく十代に見られるのは慣れていますから!」
「言われ慣れているからと言っても、失礼なことを言ったには変わらない。大人の女性にする言動ではなかった!」
何処までも真摯な態度に、口元が綻んだ。
大人なのだからと言ってヴェノムさんの態度は変わらず、巻き込まれた異邦人に対して何処までも優しい。
あの王子と司祭に爪の垢を煎じて、口の中に突っ込みたいものだ。
非礼でもないのだが、ここぞとばかりにヴェノムさんに甘えることにした。
「……悪いと思っているのなら、その、仕事や住む場所などの斡旋をお願いしてもいいですか? あとその環境が揃うまでは、国ではなく……顔見知りというか、ヴェノムさんに面倒を見て頂けると貰えると、とても助かるのですが……」
「ああ。それは任せてほしい。……と言っても、その為には、この国の住民として、教会の枢機卿と王族への挨拶をしなければならないんだが、大丈夫だろうか?」
「――っ」
先のことはわからないが、この国で生活する以上、手続きなどはしなければならない。
(ヴェノムさんは、クデール法国で誹謗中傷を受けた後だというのを聞いたから、慮ってくれたのね。……中身までイケメンすぎる……!)
王族や神官と対面するのは、正直不信感しかない。しかし、ここで躓いていてどうする。
「気遣って頂いて、ありがとうございます。でもヴェノムさんが一緒に付いて来てくれるのなら安心です!」
「そうか。……それなら気持ちが変わる前に、謁見できるように手配しよう。昼までには話が付けられると思う」
「なにから何までありがとうございます。……ちなみにヴェノムさんは、おいくつなのですか? 見た目的に三十後半か四十代?」
「ん? 俺か。俺は今年で百六十三だな」
「ヒャクロクジュウサン……?」
「ああ、エルフの末裔なので長寿なんだが、俺は老け顔でな」
(え、若? 老け顔? 情報量が多すぎる!)
子供に見られるだけではなく、年齢差的にお付き合い出来るのかすら分からなくなり、あっという間に失恋した気持ちになる。
(元の世界に帰ることを前提に考えるのなら、この世界の事情やヴェノムさんに心を傾けすぎるべきじゃないわ。うん、素敵な人だったと思って忘れた方が――傷口は浅い……わ)
そう自分の中で線引きをしっかりとつけ、食後にはミルクたっぷりの珈琲を口にした。
ほんの少し苦みを感じたのは、きっと気のせいだ。
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